Act103-戻らぬ心
「あれ……?」
突き刺されるはずだった刃がいつまで経っても届かないことに、思わず疑念の声が漏れる。
恐る恐る目を開けると、短剣を持っていたはずの右手を押さえ、仮想の痛覚に顔をしかめる香澄の姿が映った。
「う……くっ……」
「セイヤ君、大丈夫!?」
香澄と同時に、おそらく今の一幕を妨害したであろう、声の主の方へと顔を向ける。
さっきの少女たちとーー、変わり果てた蒼汰兄の姿。
「だから近づかない方がいい、って言ったのに」
さっき忠告をくれたミユという少女が、呆れるような口調で言い放つ。確かに、彼女の言葉は正しかった。
「離れて。あとは私たちで何とかします」
あの人はフィリア、とか言ったかな。彼女の周りには小さな球体が浮遊しており、遠距離から香澄の短剣を撃ち抜いたのは彼女であることがすぐにわかった。
「何とか……って、どうするんだよ?」
「もし彼女が、あなたと私たちに敵対する意志があるならーー倒します」
そう迷わず言い放つ。
ーーでも、ちょっと待て。
香澄は何かに操られているだけだ。正気に戻れば、俺はもちろんあの人たちにだって刃を向けたりなんかしない。
それを何とかして伝えようとするが、上手く説明できる言葉が見つからない。
「早く、こっちへ」
「……あぁ」
きっと香澄は、蒼汰兄の姿を見て正気に戻ってくれる。
そうすれば、ここにいる誰も死ぬことはない。
ただそれだけを信じ、軽く放心状態になった香澄を刺激しないように、押さえつけられた体勢から抜け出す。
少女たちと合流するのと同時に、ミユという少女がよく通る声で香澄に問いかけた。
「あなた、まだ戦う気はあるの?」
返ってくるのは虚ろな視線と、絶え間なく漏れる小さな呻き声のみ。
しかし飛ばされた短剣を拾いに行こうとしない様子からして、まだ理性は残っているようにも見えた。
ーーこれじゃ香澄の姿をしていても、俺が知ってるゾンビとなんら変わりないじゃねぇか……。
心の中で毒づく。
”戦う気はない”、ただその一言で、この場は穏便に済ませることができるのに。
「うぅ……おに……ちゃ……、せ……いや」
「……!?」
聞き間違いじゃない。
今、確かに香澄が自我を取り戻した。
セイヤの願いが届いたわけでもないだろうが、彼女は”お兄ちゃん”、”せいや”と呟いていた。
「なぁ、今の聞こえたか!?」
必死に訴えるが、少女たちにはただの呻き声にしか聞こえなかったのか、不思議そうに首を傾げるだけだ。
「あなた、死にたいの?」
フィリアが唐突に、威圧的な口調で言い放つ。
「なんだって……?」
「確かに彼女はあなたの家族かもしれない。でも、この世界では一つの迷いがゲームオーバーになるんだよ」
「フィリアちゃん……」
ユズハが心配そうな声を出す。
フィリアはログインしてから今日まで、何度もゲームオーバーの危機に陥ってきた。それをずっと近くで見てきたユズハは、彼女の言葉に、その言葉以上の意志が込められていることを知っていた。
「でも……たかがゲームだろ」
「私は、あなたに死んで欲しくないの」
「香澄は死んでもいいってのかよ!」
セイヤの声が、思わず荒さを帯びる。
対して、フィリアの口調は変わらない。
「そうは言ってない。でもこのままじゃ、どのみち二人とも死ぬと思う」
「……」
それはセイヤも感じていた。
さっきの打ち合いで、香澄の戦闘能力が高いというのは誰が見ても歴然だった。
あのまま助けが来なかったら、自分は間違いなく死んでいた。そして生き残った香澄は色々なプレイヤーと敵対し、いつか命を落とすだろう。
キンッ……!
小さな金属音が、セイヤを思考の世界から引き戻す。香澄がもう一本の短剣を静かに構えたのだ。
「うぅ……あ、ご、め……ん」
「やめろ……やめてくれ……」
セイヤの呟きをよそに、ミユが戦闘体勢に入る。
そしてーー互いに勢いよく交錯したと思えば、短い剣戟が森全体に響き始めた。




