9:動物どうして選んだの
「まあ、たまには遠野も、そういう雑用に駆り出されてみるのもいいんじゃない」
休み時間になると、折倉がいつもの明るい口調で話し掛けてきた。
「中学時代と違って、もう部活もやってないんだし、ちょっとぐらいなら勉強休んでも大したことないでしょ」
表面上だけ取れば前向きだが、こいつの態度と来たら、あからさまに他人事といった有様である。最初から慰めようという気はないのだろう。
ちなみに、そんな折倉が引いたカードは、パンダだったとか。いかにもピッタリだ。知ってるか折倉、あれでパンダは獰猛な生物なのだ。何しろ熊の一種だからな。
「小策士、策に溺れるってやつじゃねーの」
にべもなく言ったのは、緒形だった。
「このクラス、四〇人も居ねぇけどよ。それでも、普通にクジ引きして当たる確率って、あのカードだと一割未満だっただろ。あれこれ余計なことばっか考えて、かえって自分からドツボにハマったとしか思えねぇな」
その点を指摘されると、立つ瀬がない……。
かくいう緒形が引いたカードは、トラだったそうだ。
「とはいえ、これは遠野からすれば、いっそいい機会なんじゃないのか」
そう言って、にやけ顔を近付けてきたのは井山(動物カードはネズミ)である。諧謔心を刺激された様子だった。
「いい機会って、いったい何が」
「決まってるだろ、早瀬さんのことだよ。――遠野、君さ、ちょっと前に偶然本屋でも会話したりしたって言ってたじゃないか」
……む。たしかに、それは一理ある。
俺は、ここ数日というもの、早瀬と自然に接触するチャンスを欲していた。
それは、あの子の発言に込められた真意だとか、なぜ棚に並んだ単行本を眺めているだけで、本屋に来ても買い物しようとしないのかとか、そうした不可解な部分について、本人から回答を得たいと思っているからだ。
しかし、井山の思惑は言うまでもなく、もっと下世話な方角を向いていた。
「これはもはや、早瀬さんとお近付きになって仲良くしろっていう、謂わば天の配剤に違いない。運がなかったように見えて、実は凄くツイてるんじゃないか、遠野」
やっぱり、そう来たか。絶対そういう話が出ると思った……。
でも、俺が早瀬を気に掛けている動機は、そんな理由が根拠じゃない。早瀬だって、何度か偶然が続いたことを、短絡的な好意に結び付けられたら迷惑するだろう。
さて、そんな会話を、自分の座席周辺で繰り広げていたところ。
優雅な足取りで近付いてきて、ぺこりと俺に向かってお辞儀してみせた美少女が居た。
学級委員長たる雨城梨亞ことアメリアだ。
「遠野くんには、文化発表会のお仕事を引き受けて頂いて、申し訳なく思います」
「いや、クジで決まったことだから仕方ないって。アメリアのせいじゃねーよ」
なんで雨城が謝るのやら。
ていうかこの子、本当にガチお嬢様っぽいよな……。同級生との会話でも、今みたいに常に「ですます」口調なんだぜ。いや、別にお嬢様であることとは、直接関係ないのかもしれんけど。尚、引いたカードはイルカだったそうです。
雨城は、ちょっと上目遣いでこちらを眼差してきた。
「そう言ってもらえると、助かります」
言葉とは裏腹に、どこか機嫌を窺うような物腰だった。
これしきのことにも、気を遣うらしい。律儀なことだ。
「学級委員長として、遠野くんのクラスへの貢献に感謝しますね。もちろん、早瀬さんにもですけど」
クラスへの貢献――
貢献、ね。
どこぞの偉い経済学者さんの言説で、たしか「あらゆる組織は社会貢献のためにある」というようなやつがあるんだっけ。昔、そんな話を父親から聞いたことがあった。
そういうグループでは、個人もまた貢献について考えることになる。対照的に、闇雲に利益を追求するだけの組織は、きっと将来が期待できない、って類の話だ。
雨城も、クラスのリーダーとして、似たような理念を持つタイプなのだろうか。
「それで、三崎先生からの指示で――早速なのですが、明日の放課後に第一回目の実行委員会が予定されているそうです。ご都合はよろしいでしょうか?」
「あ、うん。わかった」
特に予定もないので、即承知する。
すると雨城は、ようやく控え目な微笑を浮かべていた。
「ありがとうございます。集合場所や開始時間の詳細については、明日になったら三崎先生からお話があるかと思いますが……」
連絡を済ませると、我らが学級委員長は、軽く目礼を寄越してから、踵を返してその場を離れようとする。次は、早瀬のところにも同じ話を伝えに行くつもりらしい。
けれど、立ち去る直前に、こちらをもう一度だけ振り返った。
ふと見ると、雨城は何か恥じ入るような、言い難そうな困り顔を覗かせている。
「――どうした、アメリア。他にも何かあったか?」
「いえ、その……」
奇妙に思ってたずねると、雨城は少し口篭もりつつも、小声で要望を申し出てきた。
真っ白な頬が、かすかに赤くなっていた。
「できたら、そのアメリアって呼び方、やめて頂けないでしょうか……」
…………。
……気にしてたのかよ……。
○ ○ ○
かくして、次の日の放課後、俺は文化発表会の実行委員会へ出席することになった。
選出された代表者の集合場所は、校舎西棟三階の講堂。校内にある特別教室の中でも、取り分け大きな場所だ。床には階段状の傾斜があって、作り付けの長机が並んでいた。
開始の予定時刻は、三崎先生から午後四時半と伝え聞いている。五分前に入室すると、もう座席は疎らに埋まっていた。
講堂内の座席をぐるりと見回す。
……居た。早瀬だ。
クラスメイトの早瀬唯菜は、窓際の座席で、一人静かに着席している。傍の柱が陰を作っていて、やや目立ち難い場所だから、危うく見落としそうになった。
どうやら、とっくに先に来て、委員会の開始を待っていたらしい。
実を言えば、六時限目の授業が終わった直後にも、俺は一年A組の教室で早瀬のことを探していた。どうせだから、同じ立場の者同士、一緒に委員会へ出席しようと思ったのだ。
ところが、いつの間にやら気付いたときには、そこに早瀬の姿はなく、同行を持ち掛けることすらできなかった。
よって、同じクラスから選出された代表者なのに、こうして別々に講堂へ入ることになったのである。
とりあえず歩み寄って、隣の席へ腰を下ろす。
「よう、早かったんだな」
「……そうでもないけど」
俺が声を掛けると、早瀬はちらっと瞳だけでこちらを見て、淡白に答えた。
「遠野くんと、ほんの五分ぐらいしか変わらないわ」
ということは、ずっとここで待って居たわけじゃなんだな。
六時限目の終了時刻は、午後三時四五分。実行委員会の時刻設定は、掃除当番などがある代表者の用事も多少考慮されている。
「講堂に来るまでは、どこで何をしてたんだ」
「アリバイ捜査? ミステリ小説の探偵みたいなことを訊くのね」
詮索しているように思われただろうか。
「そんなつもりはなかったんだが。気を悪くしたなら謝るぞ」
「別に。――さっきまでは、図書室に居たわ。自習コーナーでPCを使っていたの」
図書室の自習コーナー。
やはり、早瀬はそこを頻繁に利用しているようだ。先日聞いた情報と一致するな。
……って、結局ミステリ小説みたいなこと考えてるんじゃねーのか俺。
「ところで、遠野くん。昨日のLHRのことなんだけど」
今度は意外なことに、早瀬の方から話し掛けてきた。
「君は、どうしてあのとき、ヘビを選んだのかしら?」
俺はびっくりして、まじと早瀬の顔を覗き込んだ。
その表情に、明確な変化は見て取れない。だが、黒目がちな瞳には、これまでにない光彩が宿っていた。
あたかも、「そちらの質問に答えたのだから、こちらの質問にも答えろ」と、言外に威圧されているかとも思われる。
いずれにしろ、思い掛けない会話の展開だった。
早瀬から為された問い掛けは、むしろ俺がこの子に訊いてみたかった疑問のひとつである。
もっとも、今たずねられたのは、逆にこちらの方だ。問い返す前に、まずは俺が昨日ヘビのカードを選んだ経緯について、正直に話さねばなるまい。
「ペアを逃れようとして、あまり女子が選びそうにもない動物を選んだんだ」
「……どういうこと?」
説明を求められ、かくかくしかじか――
と、俺は、例の補足ルールを逆手に取ろうとしたことについて、手短に話した。
聴き終えるや、なるほど、と早瀬は納得したようにうなずいてみせる。
……けれど、なぜかそのあとには、もはや瞳の奥にいましがたまでのような、不思議なきらめきは消え失せていた。
どうやら俺の回答は、この子を少し失望させてしまったみたいだ。
「その、早瀬の方はどうなんだよ。――どうして、ヘビの動物カードを選んだんだ」
同じ質問で切り返してみたものの、早瀬がまともに答えてくれるかには、自信が持てなかった。
何しろ、たった今その問い掛けに対して、俺はヘビのことを「あまり女子が選びそうにもない動物」と言って応じたばかりだ。
これに対して、この子はどんな印象を持っただろうか。
間接的に「おまえの趣味は女子らしくない」と言われた、という意味で受け取ったとしても、仕方なかった。
返答に際し、もう少し言葉を選ぶべきだったかもしれない。
俺がそんな心配をしていると、しかし早瀬はきっぱりした口調で言い放つ。
「最近、ヘビがけっこう気に入っているのよ」
「――そ、そうなのか?」
これには、さすがにちょっと面食らった。
ヘビがけっこう気に入っている。
……つまり、純粋に動物の中で、ヘビがわりと好きだ、と。
動物番組とかの影響じゃなくて?
まさか、本当にそういう趣味の持ち主だったとは。
女子なのにヘビが好きなのは、世間の平均的な同性の感性と比すれば(決して厳密な統計上の証明があるわけじゃないにしろ)、おそらく多少ズレていると思う。
けれど、事実とすれば、また新たな謎が生じてしまうな。
なぜ、早瀬はヘビが好きなのか。
無論、ただ何となく好きになってしまう、ということも往々にしてあり得る。これは、それこそ個々人の感性の問題なので、合理的な意味を考察するに値しない理由だ。
だから、訊くだけ野暮な質問かもしれない。
――でも、なんだか気になる。
とにかく俺は、もう一度早瀬に話し掛けようと考えた。
しかし、そこへにわかに邪魔が入って、失敗してしまう。
講堂に生徒会のメンバーが現れて、演壇の上で挨拶を開始したのだ。
「ようやく、はじまるみたいね」
俺との会話を打ち切るみたいに、早瀬が隣でつぶやいた。