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7:「いいこと」ある/ない?

 その日の夕飯に(はし)を付けたのは、八時半を過ぎた頃合だった。

 帰宅して自室へ入るなり、買ってきた『ロゼリウス戦記』の第九巻を読みはじめたら、ページを捲る手が止まらなくなってしまったのだ。


 意表を衝く場面からの物語再開、主人公とヒロインの信頼関係が伝わる会話、そこへ襲い掛かる悲惨な事件、熱く(たぎ)るような戦闘、明かされる謎の真相。さらに極め付けは、ずっと第一巻刊行当時からシリーズファンによって、あれこれ考察が繰り広げられてきた伏線の回収……

 読了の直後、昂る心地に任せて部屋の天井を仰いだ。


 一年半強、待たされただけある内容だった。

 最高だ。アニメ版の放映終了後、「もうこのシリーズは見切った」だの、「こりゃーオワコン化待ったなし」だのと言っていた連中にも、教えてやりたい。

 これが原作の『ロゼリウス戦記』最新巻だ。

 この熱い展開、衝撃、感動こそが真骨頂なのだ! 


 ちょっとアニメ版が気に食わなかったからって(俺はあれはあれで好きなのだが)、たったそれだけの不満から、何もかもを放り捨てて離れていった奴らは、この第九巻の内容を知ったらどう思うのだろうか。

 そんなことを想像し、独りでほくそ笑んでしまう。


 ――まあ、現実には、どうせ仮に口頭で教えてやったとしても、「へー、そうなの」というぐらいの薄いリアクションしか返ってこないだろうし、そもそも話して聞かせる相手も身近にはいないのだが。

 それでも、俺個人は内心で溜飲を下げることができた。

 安いファン心理だと言われようと、まずはそれで満足だ。



 そんな調子だったから、他の家族に少し遅れて、一人で食卓の料理を口へ運んでいる最中も、まだ頭の中は『ロゼリウス戦記』最新巻のことで半ば占領されていた。居間にある液晶テレビで流れていた番組についても、無論集中して視聴なんかしていない。


 ただ、軽妙な語り口のナレーションが次々と動物のVTRを紹介しており、ひょっとするとこれが今朝折倉の言っていた番組だろうか、とぼんやり思った。

 俺が視始めた時点では、すでに噂の子猫や子犬のコーナーは終了していて、「密林の王者特集」などというテロップと共に、アナコンダが映し出されていたが。ていうか、子猫子犬とのギャップでかいな。



 何はともあれ、夕食を済ませ、再び自室へ戻った。

 我が家は四LDKの一戸建てで、俺の部屋は二階の南側に位置している。

 さっき読み終えたばかりの『ロゼリウス戦記』最新巻を手に取って、窓際のベッドに寝転がった。もう一度、パラパラとページを捲り、印象的だったシーンを何箇所か読み返してみる。カラーの口絵と照らし合わせてみたりすると、また口元が緩んでしまう。

 内容を振り返っているうち、ラストシーンの項に指が掛かった。

 それを捲れば、次はもちろん作者のあとがきだ。


【……それにしても、読者の皆様には、第八巻から随分長いことお待たせしてしまいました。本当に申し訳ありません。やっとこのたび、第九巻「悲しき花姫の帰還」をお届けできる運びとなりました――……】


 すでに軽く読んだ箇所だが、改めて目を通す。

 最初に書かれているのは、最新巻刊行に寄せた挨拶。

 次に、ちょっとした近況報告(第九巻の刊行が遅れた主な理由は、同じ出版社で平行して書き下ろしている他作品の執筆が影響してしまったせい、ということらしい)。

 それから、最新巻の内容に関する話、さらに次の巻以降の予告。

 お約束というべきか、最後はこのシリーズの出版やメディアミックスなどに携わった人たちへの謝辞で締め括られていた。【自作に光の当たる貴重な機会(チャンス)を与えてくださった関係者の皆様、本当にありがとうございます】といった具合である。


 全体的に、良くも悪くも落ち着いた、いかにも()()のコメントだ。

 不平不満など何ひとつ書かれていない。

 だが、しかし――……



(――好きな作品が売れるようになって、ファンにとっていいことなんて何かあるの?)



 夕方、「八神堂」で聞かされた早瀬の言葉が脳裏に蘇る。

 あのとき、俺は返事に詰まって、何も言えなくなってしまった。

 対する早瀬は、ほんの数秒余りの短い時間だけど、俺の答えを待っていたみたいだ。

 だが、すぐにこちらから顔を背けて、身を翻すと、そのまま迷いのない足取りで立ち去っていった。書店の棚を眺めただけで、レジカウンターに寄ろうとする素振りは見て取れなかった。先日と同様、結局何も購入しなかったらしい。


 早瀬が残していった問い掛けについて、自分なりによく考えてみる。

 好きな作品が売れるようになったら、どんな「いいこと」があるのか。


 まず、商業作品であれば、続刊が発売されやすくなる。これは重要だ。

 過去には、いくら俺が個人で面白いと感じても、より広い購買層に受け入れられず、雑誌連載の途中で打ち切られてしまったような漫画が、沢山ある。これは書き下ろし小説の分野でも、概ね似たような現実があるそうだ。

 だから、一定以上の人気――もっと生々しく言えば、「()()」を維持し続けることは、商業作品にとって逃れられぬ宿命のようなものだと思う。


 じゃあ、一定よりも、もっと大きな人気を得たら? 

 その先にあるものは、やはり今日におけるサブカルチャー業界の風潮からいって、何と言ってもメディアミックスだろう。

 原作が漫画であれば、ノベライズやドラマCD化、アニメ化やドラマ化、あるいは映画化など――


 ……とはいえ、これが本当に「ファンにとっていいこと」なのかどうかについて、俺にとっては疑問がある(もちろん、新規な購買層の獲得など、商業的なメリットが極めて大きいことは察しが付くけど)。

 例えば、ドラマCDやアニメは、声優のキャスティングが気に食わないだけでも、文句を吐いてくるやつが居るじゃないか。


 そのレベルまで売れてしまうと、もはや作品名が取り上げられるだけでも、新規層と一緒にアンチが湧き出す――そう言ってさえかまわない気がする。

 好きな作品の周辺に、「誰に踏み荒らされることもない、平穏な環境」を望む俺とすれば、正直なところ好ましい傾向とは思えなかった。



「――もしかして早瀬も、俺と似たようなことを考えてるんだろうか……?」


 ベッドの上で半身を起こすと、『ロゼリウス戦記』の文庫本を本棚に戻しながら、俺は独り言して考え込んだ。

 あり得ない、とは言い切れない。


 もっとも、早瀬が書店で眺めていた漫画は、『天乃河麗華は意識が高い』だ。初めから商業連載だった作品ではなく、Web掲載だったものが単行本化したものである。

 そして、あの子は「単行本化したから興味がなくなった」と言っていた。

 これはいったい、どういうことだろう? 


 例えば、Web掲載時は無料で読めたものが、商業化のあとは単行本を購入しないと続きが読めなくなったから、とか? 

 単行本化が正式決定してほどなく、あの漫画のWeb版は、出版社との契約の関係だとかで、投稿先だったSNSのPiClubから全削除されてしまっていた。


 だが、さすがにそれは、やや的外れな想像のようにも思う。

天高(テンタカ)』の単行本は、一冊定価八一九円(税抜き)。まあ、判型の都合もあって、漫画本として安い部類ではないかもしれないが、さりとてイマドキの高校生に手が出せない値段とも思えない。

 本気でファンなら、それぐらいの金銭を支払うのが、作品自体に忌避感を抱くようになる理由足り得るだろうか……



 わからない。

 首を捻って、頭上の壁掛け時計をふっと見る。

 時刻は午後九時を一五分ほど経過していた。



「……そういえば、たしか今夜一九時にWebラジオが更新されているんだったか」


 思い出して、机の前に座ると、PCに電源を入れた。

 ブラウザを立ち上げ、今年の四月から放映されているロボットアニメの公式ホームページまで飛ぶ。

 ここで公式配信されているWebラジオに、声優の新海詩音は、パーソナリティの一人としてレギュラー出演しているのだ。それで毎週、欠かさずチェックしている。

 まあ、メインで番組を回しているのは、新海詩音ではなくて、もう少しキャリアの長い中堅声優さんなのだが。

 ちなみにロボアニメ自体には、新海詩音は端役の女性オペレーターの声で出演していたはず。


 サイト上に設置された「再生」のボタンをクリックすると、スピーカーから明るい音声が流れ出した。



<――アカネと!>

<――シオンの!>

Radio(レイディオ)『プラネットスレイヤー』~!!>



 相変わらず、元気のいいタイトルコールだ。



<ハイ、そんなわけで今週もはじまりました当番組! リスナーの皆さんはこの一週間、いかがお過ごしだったでしょうか? ――ちなみに私はですね~……、実を申しますと、東京某所のスタジオでキャラソンの収録でした!>

<ええっ! アカネさん、それはもしやっ!>

<そう、そのもしやですっ! ――……>



 ……うむ。

 今夜は、この番組を聴きながら、学校の課題を片付けよう。


 鞄の中から、教科書と辞書、ノート、それに配布されたプリントを取り出した。

 英文法の授業で、慣用表現の問題が出されていたのだ。

 筆記用具を手にし、設問を読んでプリントの空欄に記入していく。



<――で、次のお便りです。埼玉県にお住まいの、RN(ラジオネーム)【転生したら、女子高生アイドルに俺はなる!】さんから!>



 あんまり強烈なRNなんで、シャーペンの芯が折れたじゃねーか。



<「アカネさん、シオンちゃん、こんばんは!」 ハイ、こんばんは~! 「僕は最近、コスプレにハマっています!」>

<わぁ~コスプレですかっ! コスプレ、楽しいですよねー!>

<「それで先日、横浜の○×ホールに行って、アイドルアニメ劇場版『ピュアライブ』の真梨(まり)ちゃんと同じ衣装を着てきましたっ!」>

<おおぉ~! ……って、え? それって>

<あ、【転生したら、女子高生アイドルに俺はなる!】さんは、男性の方ですね>



 思いっきり女装コスプレの話題である。

 ていうか、格好だけなら、転生前にもう現世で女子高生アイドルになっちゃってんじゃないんですかね、そのリスナーさん……。

 このWebラジオ、こういう種類のメールが来るタイプの番組だったっけ? 

 いや、作品やキャラに対する愛情やリスペクトがあればね、コスプレは男装でも女装でも一向に構わないとは思うんですけども。


 それにしてもロボットアニメのWebラジオで、いくら人気作だといっても『ピュアライブ』のネタとは。

 あ、でも劇場版には、もう一人のパーソナリティの声優さんが、ゲストキャラの声を当ててるんだったか。しかも制作会社が同じ。そういうつながりもあるんですかね。



 ……などと、ツッコミ入れつつ、課題を進めていたわけだが。

 番組が半ばを過ぎた辺りで、プリントの記入欄が一通り埋め終わった。一応、回答を見返してみて、スペルミスなどがないか調べてみる。

 差し当たり問題はなさそうだ。


 時計を確認すると、所要時間は三〇分足らずといったところ。

 どうせだから、ついでに明日の予習も済ませておこう。

 なんたって、中間考査が近いのだ。


 Webラジオは、まだ続いている――



<それでは、ここで一曲お聴きください。この歌は、先日――ラジオ配信日の前々日かな? ネット上でPVが公開されている新番組で、シオンちゃんが初めて担当した主題歌なんだよね~>

<はいっ、おかげさまで!>

<じゃあ折角だから、シオンちゃんから曲紹介してもらっていい?>

<わかりました! それでは皆さん、聴いてくださいっ。テレビアニメ『天乃河麗華は意識が高い』オープニング主題歌で、ヒロイン天乃河麗華こと私・新海詩音が歌います――曲名は、「教えて☆StarLight」です! どうぞ!>



 例のアップテンポなメロディが流れはじめた。そこへ絶妙にマッチした、透き通るような歌声が乗る。

 俺は、参考書へ手を伸ばしながら、複雑な気分になって歯噛みした。


 ……やっぱこりゃ売れるに決まってるわ、新海詩音。

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