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4:名前も知らないクラスメイト

 大型連休最終日は、生憎の空模様だった。

 昨夜から降りはじめた雨が、一晩経っても止む気配がない。

 予報によれば、明日の朝まではこの調子が続くとか。関東地方では、発達した低気圧の影響により、一部地域で強い風雨による土砂災害なども出ているそうだ。


 普段なら、こんな休日は一日中自宅に引き篭もって、大人しく過ごす方が賢いのかもしれない。しかも、また明日からは学校である。

 けれど、俺はあえて傘を手にして家を出た。


 なぜなら、あの『ロゼリウス戦記』最新巻が、本屋の店頭に並んでいるかもしれなかったからだ。


 出版社の公表している発売日は、公式ホームページを確認すると、実は明日の日付けになっている。だが、駅前にある大型書店のラノベコーナーでは、数日早く販売されていることがあった。

 これは、一般に知られている書籍の「発売日」と、取次に搬入される「配本日」との関係から、しばしば生ずる現象らしい。


 最新巻を一日でも早く手に取ることができるのなら、俺に多少の労力を惜しむ選択はあり得なかった。ネット通販で注文して、本が届くまで待つのなんて耐えられない。それに書店購入分は特典付き。


 ましてやアニメ終了以来、本当に久々の、待ち焦がれていた最新巻なのだ。

 放映中に発売された第八巻から、一年七ヶ月振りとなる第九巻! 

 もしかしたら、もう出ないんじゃないかとさえ(アニメの失敗で色々あったし)心配していただけに、それが杞憂だったとわかっただけでも、本当に嬉しい。



 俺は、途中まで通学用定期でバスに乗り、地下鉄に乗り継いで、駅前へ出る。

 横断歩道をひとつ渡ると、すぐそこに大型書店チェーン「八神堂」のビルが見えた。

 かつては地元付近の商店街にも、一軒ちいさな個人経営書店があったのだが、随分と昔に潰れてしまっている。

 以来、最寄りの本屋と言えば、ここだった。売り場面積の広さに比例して、取り扱い書籍の点数も多く、ポイントによる価格還元サービスもあり、店内の雰囲気もいい。


 入り口の自動ドアを潜ると、エスカレーターのところへ駆け寄った。ステップに乗り、漫画単行本やライトノベルを扱うフロアまで上がる。一階は雑誌とハードカバー、二階は専門書、三階は一般文芸と純文学なので、お目当ては四階だ。ちなみに、五階には語学学習教材や旅行ガイドの類が並び、六階は文具コーナーが中心だが、カフェテリアも併設されている。

 目的のフロアに到着するや、迷うことなく通路を歩いて、一直線に新刊が陳列されたラノベコーナーの平台まで進んだ。


 ……しかし、胸の高鳴りは、あっという間に(しぼ)んで、失望に取って代わる。

 平台に並べられていたのは、いまだ「先週の新刊」だったのだ。

 念のため、近くを通り掛った書店員を呼び止めて、確認してみる。


「申し訳ございません。明日発売の新刊は、まだ入荷しておりませんので……」


 やっぱり、そうだったか。思わず肩を落とす。

 が、決して予期していなかった事態ではない。


 ニュースで見掛けた大雨の災害報告には、交通機関にも影響を及ぼしている、という内容のものが含まれていた。それで、搬入予定だった荷物が届くのも遅れているのかもしれない。

 加えて連休中だから、物流も平時の状況とは多少異なっているのだろう。


 何にしろ、今日中に『ロゼリウス戦記』の最新巻を入手することは、どうやら不可能みたいだった。



     ○  ○  ○



 かくいうわけで、俺の目的は呆気なく断念を迫られた。

 とはいえ、このまますぐに帰宅してしまうのも、何となく(しゃく)だった。

 折角の休日、しかも雨降りだというのに、こっちはわざわざ駅前の書店まで出向いたのである。それに、吝嗇家(りんしょくか)(そし)りを恐れず言えば、無為に地下鉄料金を費やした気分もあった。


 もっとも、だからってどこへ行くアテがあるわけでもない。

 だから仕方なく、差し当たり「八神堂」のフロア内をぶらついてみることにした。


 まずは手近なライトノベルコーナーの棚を、文庫からレーベル順に眺めていく。次に四六判ソフトカバーをチェックし、もう一つ隣の棚へ移る。

 すると、やたらと判型の大きな本が並んだ場所だった。画集やイラスト集の類らしい。

 さらに少し奥を覗くと、そこはゲーム攻略本のコーナーみたいだ。

 適当にぶらつきながら通過して、さらに隣にある棚の列へ移動する。


 そこから先は、漫画単行本の区画になっていた。

 手前から、少女漫画、少年漫画、青年漫画と並んでいて、もっと向こうまで進むと、割り合いマニアックな種類の漫画とか、コミック文庫の類がある。

 さすがに少女漫画は守備範囲外だが、俺は他の分類(カテゴリ)に属すものなら、大概は抵抗なく読んで楽しむタイプだ。なので、ぼんやりとだが、どの棚の列も一通り眺めて歩く。

 ただ、俺が集めている漫画の単行本は、どれも購入済みの既刊ばかりだ。

 目を引くような新発見は、これといって特にない――……



 ……いや。

 ひとつだけあった。


 といっても、見落としていた漫画の新刊があった、というようなことじゃない。

 A5判サイズの漫画本コーナーの傍で、偶然に見覚えのある人物を見掛けたのだ。

 そう、あくまで「見覚えのある」――

 それ以上の表現を用いて、その人物について言い示す術を、俺は咄嗟に持ち得なかった。


 目に留まった人物とは、一人の女の子だ。

 そして、その子は(おそらく)高校のクラスメイトである。


 けれども、はっきり名前が思い出せない。

 もっと言えば、容姿も漠然と「そういえばあそこに居る女の子って、高校のクラスメイトじゃなかったか?」という具合に記憶している程度だ。絶対の確信はない。


 だいたい、高校に進学してから、まだ一ヶ月そこそこしか経っていないのだ。

 スクールカーストでも上位に居るような生徒でもなけりゃ、今時期に顔と名前が完全一致する異性のクラスメイトなんて、それほど多くないのが普通だろう。少なくとも、俺は別段物覚えが良くはない。


 おまけに、その女の子は(こう言っちゃ本人に失礼かもしれないが)、それほど派手なタイプでもなかった。

 長い黒髪はさらさらのストレートで、明るいグリーンのワンピースも清楚だし、共にかなり似合っているとは思うけど、全体的に地味で大人しい印象を受ける。

 むしろ改めて考えると、制服姿でもないのに、俺もよくぞ彼女がクラスメイトである可能性に思い至ったものだ。


 まあ、それはそれとして。

 問題は、このまま彼女を無視(スルー)して、この場を立ち去るか否かだ。


 何しろ、人違いということもあり得る。そもそも、クラスメイトに街中で出くわしたからって、必ず挨拶しなきゃいけない法律があるわけでもない。

 決して親しい間柄でもないのだし、相手だって俺をクラスメイトだと認識してくれる保証だってない。逆に挨拶しても、向こうが気付いてくれなかったら、その方がとんだ赤っ恥じゃあるまいか。


 ていうか、仮に挨拶するにしても名前がわからないんじゃ、どうやって声を掛ければいいのだろう。

「やあ、俺のことに見覚えない? どっかで会った気がするんだけど、よかったら君の名前教えて欲しいんだよね」とか? 

 ――って、そりゃいつの時代のナンパの台詞だよ……ただのチャラ男じゃねーの。


 などと、店内の通路で呆けたように立ち尽くしながら、あれこれ考えていると。


「――あっ……」


 思わず、声が漏れてしまった。


 だっていきなり、その女の子がこちらを振り返ったのだ。

 で、流れのままに目が合った。

 どうする? 狼狽から、本能的に身体を硬化させてしまう。

 ところが、俺が逡巡しているうちに、状況は意外な展開をみせた。

 なんと相手の女の子の方から、先に声を掛けられたのだ。


「……こんにちは」


「お、おう――」


 俺は、ぎこちなくうなずいてみせる。

 向こうから挨拶してきた。ということは、どうやら彼女がクラスメイトである、という推定に誤りはなかったようだ。

 だが、やっぱり相手の名前はわからない。

 どうやって応じるべきか迷ったけど、芸のない言葉しか即座に出てこなかった。


「こんなところで会うなんて、奇遇だな」


「ええ。そうかもしれないわね……」


 女の子の返事は、淡々としていた。

 もう、視線はこちらを見ていない。今交わした挨拶も、単なる社交辞令といったところだったのだろう。


「それじゃ私、もう行かなきゃいけないから」


 素っ気無く告げて、女の子は棚の傍を離れる。

 そのまま俺の横をすり抜け、下りのエスカレーターのある方向へ歩き去っていった。

 遠ざかる背中に向かって、「ああ、じゃあな」と別れの言葉を投げ掛けてみたものの、果たして彼女の耳に届いていたかどうか。


 いずれにしろ、その子の姿はすぐに視界の外へ消えた。

 張り詰めていたものから解き放たれた心地がして、俺は何となく溜め息を吐いた。

 入れ替わるように、いましがたまで女の子が眺めていた棚の前まで進む。



 A5判の漫画単行本には、どちらかというと割り合いマニアックなやつが多い。月刊誌で連載されているものが中心だが、近年はそれ以外にも特殊なタイプの作品が散見される。

 例えば、元々Webサイト上で連載されていたアマチュア制作の漫画が、出版社の目に留まって、単行本化されたりしたものなどだ。

 ここの棚は、まさにそういう類の本が多く陳列されている。


 取り分け、目に付く場所に置かれていた単行本は――


「……『天乃河麗華は意識が高い』か」


 棚の中央に、背表紙ではなく、表紙側を正面に向けて、全巻ずらりと並べられていた。たしかこういうのを、本屋用語で「面陳(めんちん)」というんだっけ。巻かれた帯にある「アニメ化決定!」の文字が眩しい。

 ふっと、昨夜視聴したアニメPVを思い出して、複雑な気分になった。

 やっぱり、この漫画も本当に「売れてしまった」んだな。



 ――あの女の子も、ひょっとしてこの漫画を見ていたのだろうか? 

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