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3:売れること、それは悲劇のはじまり。

「――はぅあああマジかあああああ――ッ!?」


 絶叫し、頭を抱えて椅子から立ち上がった。

 正面の机の上には、デスクトップPCが置かれ、モニタに表示された動画からはアップテンポなメロディが流れて続けている。


 高校入学後、最初の大型連休(ゴールデンウィーク)にも終わりが近付きつつあった。

 具体的に言うと、今夜を除けば、もう残すところはあと一日。

 そんな五月上旬のある休日にインターネット回線を通じて、俺の自室へ驚愕すべき情報がもたらされた。


 人気学園ラブコメ漫画『天乃河麗華は意識が高い』(ファンのあいだでの略称は『天高(テンタカ)』)のアニメ版プロモーション映像(PV)第一弾が公開され――


 その中で、ヒロイン「天乃河麗華」役に、声優・新海詩音の起用が発表されたのである。

 通常ならばアニメのキャスティングは、すでにPV公開時には告知済みの場合が多いと思う。こうしてギリギリまで発表を先送りにしていたのは、どちらかと言うと異例だ。

 そこには、マイナー気味な若手声優に今後世間の注目を集めてやろうという、商業的な戦略の意図を感じる。

 だが、しかし――


「……ああ、完全に終わった。まさか、麗華役が新海詩音だなんて……」


 数秒前の挙動から一転、俺はだらりと手足を弛緩させ、打ちひしがれながら椅子へ再び腰を下ろす。代わりに、ゆっくりと虚無感が胸を満たしはじめていた。


 そう、完全に終わりだ。

 何が? 

 決まっている、声優の新海詩音がだ。


 これは、絶対に()()()()()()

 まだまだ注目されるには、早すぎると思っていたのに。


 PCモニタ上では、尚もプロモーション映像が繰り返されている。動画設定をリピート再生モードにしているからだ。

 何度視聴し直しても、期待感を焚き付けるいいPVだった。

 もちろん、いざ本編が放映されてみないとわからないけれど、どれも公開されたカットは滑らかによく動き、素人目ながら極めて高品質な作品が予感される。

 アニメ版のキャラクターデザインも、原作の雰囲気を活かしつつ、より洗練された絵柄になっていて、いっそう可愛らしくなっているように見えた。


 まあ、元々『天乃河麗華は意識が高い』には、Web公開で大人気を博していた原作が、大手出版社の誘いで単行本化されて以来、ノベライズやドラマCD化といったメディアミックスに次々と発展してきたという背景がある。

 映像化までは規定路線、実現すればさらなる大ヒットは間違いなし――

 そんなふうに見ていた事情もあって、公式でアニメ版が発表された際には、どちらかと言えば「やっぱり」という思いが強く、少なくとも個人的にほとんど衝撃はなかった。


 だが、しかし。

 ヒロイン役が、あの新海詩音だなんて。

 これは完全に想定の範囲外だった。


「……こんな()()()に決まってる作品のヒロインを担当したら、新海詩音は絶対に売れる。売れてしまう。――すでに嫌な予感しかない……」


 (ひと)()ちながら、ぼうっとした頭のまま、俺は机の隣に設えた本棚を眼差した。内容や判型に合わせて、雑多な書籍が並んでいる。

 その上から二段目左端に、ひとまとめにして揃えた、白い背表紙の文庫本があった。


 ライトノベル『ロゼリウス戦記』のシリーズだ。

 一時期、原作の人気がけっこう盛り上がって、一年半前にはアニメ化もされていた。



     ○  ○  ○



 ……俺が声優「新海詩音」の声を初めて聴いたのは、そのアニメ版『ロゼリウス戦記』だった。

 配役は、リーネという村娘。一話限りのサブキャラで、ストーリー全体を見渡しても、取り立てて重要な役割を与えられた登場人物ではない。

 でも、キャラクターの持つ雰囲気と、声のイメージが完璧に一致していた。それで、やけに印象に残ったのだ。


 すると、以後も何度かアニメの端役で、いいなと思ったキャラの声を当てていたのが、偶然同じ人物だったことに気付いた。

 エンドロールをチェックしてみて、それが新海詩音という新人声優だと知った。

 好奇心からネットで検索し、実は『ロゼリウス戦記』がデビュー作だったことも把握した。


 ただ、何より度肝を抜かれたのは、新海詩音がリーネ役を演じていた当時、まだ中学生で、現在でも現役高校生――どうやら俺と同い年らしい、ということだった。



『自分と同い年なのに、こんなにも頑張っている人が居るのか!』


 その事実にショックを覚えると共に、大変な刺激を受けた。

 我ながら単純この上もないが、俺もこのままじゃいけない、もっと色々なことに対して真摯に取り組み、努力せねば、と思ったのだ。


 ()わば、新海詩音という声優の存在から、活力を受け取ったのである。

 それで、すっかり大ファンになってしまった。


 さて、しかしこれだけの話なら、疑問を抱かれた方も少なくなかろう。


 そんな俺がなぜ、ファンになったものについて、人気が出て欲しくない――

 言い換えれば、「売れないままで居て欲しい」と考えるようになったのか? 



 実を言うと、まだ一連の出来事には続きがある。


 身も蓋もない言い方をすると、アニメ版『ロゼリウス戦記』は()()()のだ。


 それはもう、壮絶にコケまくった。

 ネット上では、アニメ化で作品を知った新規層と、旧来の原作ファン層の双方から徹底的に叩かれまくって、(はなは)だ無残な惨状を呈したのである。

 視聴者の感想がリアルタイムで書き込まれるSNSや掲示板でも、当時ハンパなく荒れに荒れた。


「制作会社的に糞アニメなのは確定的に明らか。一話目から視聴回避余裕でした」

「ヒロインの声優に佐原(さはら)花奈(かな)が起用されていない時点で駄作。音響監督無能すぎ」

「萌豚に媚びてて不愉快。でも、細部まで徹底的に批判したいから全話視聴する」

 などなど……。


 個人的な感想を言えば、俺はアニメ版『ロゼリウス戦記』は決して()()の悪い作品だったとは考えていない。

 むしろ、純粋に「かなり面白かった」と感じている。


 ていうか、一話も視聴していないのに貶してくるのは論外だが、声優の配役が自分の理想と違うからってだけで作品そのものに文句付けるなよ! 

 逆に、視聴は継続するけど批判するのが目的だってやつは、それ継続の動機が悪意的すぎるだろ。気に食わなかったなら、無理して粘着してくるなっつーの……。


 だが、世間の反応は冷淡だった。

 ブルーレイディスク(BD)をはじめ、関連商品の売上は壊滅的に低調で、あえてネット特有の表現(スラング)を用いれば、「大爆死」ということになる。

 いや、それだけならともかく、あべこべに原作の内容すら批判する人間が湧いて出てきたのだ。


「そもそもあのラノベ、なんでアニメ化の企画が立ち上がるほど売れてたの?」

「出版社のゴリ押しだろ。原作読んだけど、作者の欲望ダダ漏れでキモかった」

「実際は大した中身もない、ペラッペラの二番煎じか三番煎じのファンタジー」


 こうした、執拗に特定の作品を否定し続ける人々――

 俗に「アンチ」と呼ばれるものの出現を、アニメ化は招いてしまった。



 ……ああ、今思い出しても、不愉快になる。


 無論、商業作品として対価を支払わせている以上、消費者側には自由な感想を述べる権利があるだろう。たとえ批判的なものであれ、ごく当然のことだ。

 けれど、だからって、それは単に作品を貶めるだけの悪口(あっこう)であるべきことと同義じゃない。


 あのアニメ化の失敗以来、ネット上における『ロゼリウス戦記』の評価は、ダダ下がりに下がった。いまや「終わったコンテンツ」、略して「オワコン」だなどと、嘲笑的に扱う人間も少なくない。

 アニメ化発表前後の盛り上がりも一気に下火となって、かつての原作読者の中にさえ、作品から離れていった者は多かったように思う。人気の終焉は、そのまま作品の寿命を縮めてしまったとする見方もあった。



 どうして、こんなことになってしまったのか? 


 俺は、ずっとあれこれ、その深遠な疑問について考えてみた。

 ――そうして、たどり着いた答えは、きっと「売れてしまったから」だということだ。


 本来ならば、売れることは悪いことではない。

 むしろ、売れることが常に正当な評価の尺度だというのなら、良作には大いに売れて欲しいとも思う。

 しかし残念ながら、売れるべきものが売れたとしても、この世界は必ずしも報われるような仕組みにはなっていないのだ。


 もし、『ロゼリウス戦記』がアニメ化するほどに売れていなければ。

 ごくそこそこ、打ち切りにならない程度の売上のみをキープし、俺のような根っからのファンだけから支持され、細々とシリーズが続いてくれていれば……


 そうだったとしたら、ひょっとすると、あんな悲劇は起こらなかったのではないか。

 アンチなど湧かず、オワコン扱いされることもなく、心から作品を愛する人々だけによって、『ロゼリウス戦記』を取り巻く環境は、今も穏やかであり続けたのではあるまいか――……



     ○  ○  ○



 リピート再生していた動画を停止し、モニタ上のブラウザを閉じる。

 PCをシャットダウンすると、俺は思わず嘆息した。


 有名になってしまうと、大概ロクなことが起きない。

 アニメ本編とその原作だけじゃなく、作品に関わった声優だってそうだ。

 特に女性声優ファンの中には、酷くマナーの悪い人間が居ると聞く。単純なアンチに留まらず、偏執的なファン心理が暴走して、人間関係を嗅ぎ回って恋人の有無を探ろうとするようなヤツとか……。

 同じ趣味を持つ者として、そういう手合いが存在することが嘆かわしい。


 いちファンとして、新海詩音が心配だ。

 心無い連中の言動で、傷付けられたりしなければいいが。

 まあ、俺なんかが気に掛けたところで、何の実際的な意味もないのは、当然承知しているけれど。外野のファンには何もできないからこそ、「売れないままで居て欲しい」という部分もある。

 結局、論点はそこに回帰するわけだった。



「――はあ。いいかげん、こんなことばかり考えていないで、勉強でもするか」


 気を取り直して、俺は机の上にノートと参考書を広げた。


 新海詩音の活躍に感銘を受けてからというもの、それによって励まされるみたいに、地道な努力を心掛けているのだ。といっても、真面目に学校の勉強に取り組む程度で、ごくささやかなものではあるのだが。

 何にしろ、連休明けには小テストの予定があるし、今月末には一学期の中間考査だ。

 進学してみて、高校生活における時間の流れは早い、と実感していた。


 居住まいを正し、筆記用具を手にすると、自然に集中力が高まってくる。

 にわかに、部屋の窓の外からは、ぽたっ、ぽたっ……と、雨の滴が硝子にぶつかる物音が聴こえてきたものの、おかげでそれほど気にならなかった。

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