26:魔法は誰も使えない
文化発表会は、秋の学校祭と行事の本質が異なる。
名称通り、根本的に文化系部活動の発表会で、実績作りの場なのだ。
だから学校祭では、男子生徒による女装コンテストが毎年生徒会の用意するプログラムとして、正式な予定に組み込まれている。
しかし、七月上旬の現在、文化発表会で女装が披露されたことは、これまで過去の事例になかったはずだ。それゆえ俺のコスプレは、この種のイベントでありふれたサプライズ、とは一概に言い難かった。
客席の聴衆が動揺していた要因は、その辺りの事情とも無関係ではあるまい。
「今、折倉から紹介された一年A組の遠野です。今日、この場を借りて、こんな恰好をすることになったのには、いくつか理由があります。ですが、それを皆さんにお話しする前に、まずは俺の歌を聴いてください――」
騒然とした空気が広がる中、俺はマイクに向かって曲名を叫んだ。
「アニメ『天乃河麗華は意識が高い』の主題歌で、『教えて☆StarLight』です!」
ドラムスティックの合図に合わせて、イントロの演奏が開始する。
明るく軽快で、爽やかなポップスだ。
メロディに重ねて、舞台上方のスクリーンには、ピンクやイエローの華やかな動画が映し出される。これも無論、このためだけに特別に編集された演出だ。原作大ファンを公言する井山が制作したものだけあって、見事に『天高』の世界観を表現している。
俺は、マイクスタンドに両手を添えると、全身全霊を込めるつもりで歌いはじめた。
♪――
今朝も早起き 予定通り
基本を押さえたライフハックよ
通学途中は英語のlistening
バスを降りたら 目の前だわ
背筋伸ばして いざ行け乙女
スクールライフで輝くMySoul ――♪
アニメソング独特の、けれんみがない曲調。
わかりやすく、誰の耳にも馴染むリズムだ。
まだ館内には、ざわめきの余波が残っている。
だが、いざ曲へ入るや、再びステージを盛り上げようと、客席には歓声を送る生徒が次々に現れ出した。それは、さながら水面に落ちた滴みたいに、辺りへどんどん伝播していく。
ただ、目の前のライブを単純に楽しみたい――そう考えた人間は、少なくなかったのだ。
♪――
Ah教えて 天のヒカリたち
星屑が音鳴らし降り注ぐ夜に
遠すぎるから届かないね このままじゃ
月明かりより眩しい笑顔
だから今は 一歩ずつだって
自分磨いて近付いてるのよ そっと
私を乗せた恋の舟は 河下り
いつか君の傍へ着けますか? ――♪
折倉がギターを弾きながら、バックコーラスにも入ってくれる。緒形のベースが唸って、ドラムのメンバーがビートを刻み、キーボードもますます軽やかに響く。
振り返って見ることはできないけど、スクリーンに映写された映像には、今頃綺麗なCGイラストも踊っているはずだ。井山がアニ研の友達に頼み込んで、無理やり『天高』の二次創作イラストを描いてもらったのだという。
聴衆のノリも、まだ一部には若干のぎこちなさは残るものの、徐々に曲の演奏がはじまる以前のテンションを取り戻していた――
いや、むしろいっそう、客席は強い熱気を帯びてきたかとさえ感ぜられる。
♪――
でも 沈黙する君
うなずかないね
誰だって自分がわからないって
自然な顔で笑えばって
嫌よ 認めてもらいたい
私「イイネ!」が欲しいの ――♪
歌いながら、ちらりと客席最後列の右端を眼差す。
そこには、右手を自分の胸の前できゅっと握り締め、早瀬が黒目がちな瞳を見開いたまま直立していた。ステージ上で繰り広げられている出来事が心底信じられない、と言いたげな面持ちだった。
♪――
見抜かれるの恐れてた私
本当は空っぽで何もない中身
あの子の方が素敵なのも知ってるわ
嘘の飾りだって愛してよ ――♪
ああ……
今ならば、かつて早瀬が、どうして『天乃河麗華は意識が高い』を好きだったのかも、何となく理解できる。
主題歌の歌詞からもわかる通り、『天高』のヒロインは、自分に自信が持てない女の子だ。あの漫画は、それを意識の高そうな素振りで誤魔化して、片想いの男の子に接近しようとする物語なのである。
きっと早瀬も、そういうヒロインの姿に、彼女自身を重ねていたのだろう。
「自分には何の取り柄もない」だなんて、一人で勝手に思い込み、ありのままで居られない青春の毎日に、漠然と共感を抱いていたに違いなかった。
♪――
「能有る鷹は爪隠す」なんて
言う人もいるみたいだけれど
自分の魅力 まるでアピールできずに
好き♪って言葉のひとつも伝えず
どんな魔法で 君と二人
両想いになれるのかしら? ――♪
だから、俺は是が非でも、この気持ちを早瀬に届けねばならない。できる限りの手を尽くし、形振りかまわず、精一杯の言動で。
ステージ上で実現したパフォーマンスも、すべてはそのためにある。
だって、魔法は誰にも使えないのだ。
頭の中に描いただけじゃテレパシーで心は通じないし、壊れた時間を過去に巻き戻すこともできやしない。
この気持ちをあの子に伝えて、離れかけた二人の関係を取り戻すには、それを成すための明らかな意思表示が必要なのだった。
♪――
嘘の飾りだって愛してよ
だからお願い ねぇ愛してよ
……LaLaLa 愛してよ! ――♪
○ ○ ○
このあと、俺は早瀬に今度こそ告白する。
歌い終えたら、ステージ上から想いの丈をぶつけるのだ。
女装コスプレ姿のまま、客席からの衆人環視に曝されて。
たぶん誰もが、事態の特殊性を印象付けられるだろう。
それこそが、まさしく俺の狙いだった。
早瀬唯菜は、とても自己評価が低い女の子だ。
自分のことを、取るに足りない、特別な価値なんて何もない、居ても居なくてもいい人間だと思い込んでいる。
けれど、一方ではそれを受け入れられない、もう一人のあの子も居るのだった。
「自分は、決して無価値じゃなく、本当は真っ当な存在意義のある女の子なのだ」と、現実の社会評価はどうあれ、本心では信じていたがっている。
そんな早瀬の、矛盾した観念を取り払うには、どうすればいいのか――
答えはひとつだ。
早瀬のことを、強く周囲にアピールして、唯一無二の女の子にしてやればいい。
それで俺が今回、彼女に押し付けてやろうと画策したのは、「文化発表会を契機にして、生徒間で一躍名前を知られるようになった一年生女子」という称号だった。
実現のための着想を得たのは、文化発表会の一〇日前だ。
放課後に早瀬や井山と会ったあと、自宅でWebラジオを聴いているうちに閃いた。
ただ単に自己肯定をうながすのではない。
必要なのは、特別な場所とか、特別なシチュエーションを含むイベントだった。
そういった条件を設定し、ここ一ヶ月半の経緯から思い付いたのが、「女装コスプレした状態で、文化発表会のステージ上からアニソンを歌ったあとに告白する」ことだ。
我ながら頭がおかしい。
発案から実行に至るまでは、もちろん多くの協力を必要とした。
まず、折倉に電話で頼み込んで、井山や緒形の他、ライブに関わるメンバー全員に事情を説明せねばならなかった。
相談を引き受けてもらってからは、すぐさま打ち合わせを重ね、俺も無理やり練習に参加させてもらうことになり、急ピッチで(ただし秘密裏に)計画が進められた。
「ドリーム・シスター」自体もかなり準備で忙しかったはずなのに、ライブ直前に余計な仕事を増やしてしまって、正直申し訳ないことをしたと思っている。
おまけに井山の口利きで、アニ研の女子部員からはコスプレ衣装まで提供してもらった。下げた頭がしばらく上げられそうもない。
でも、この前代未聞のパフォーマンスは、きっと早瀬を一瞬でこの日のヒロインへと押し上げる。そんな確信があった。
かくも馬鹿げたやり方で、大々的に異性から好意を伝えられるのは、おそらくありふれた出来事じゃないはずだ。
――それによって、あの子は自分が無価値じゃないことを、正しく把握するだろう。
○ ○ ○
最後のフレーズを歌い切り、バンドメンバーの楽器が同時に演奏を終える。
そこに客席からの喝采が、一際大きく覆い被さった。立ち昇る熱気が、靄みたいに館内を包み込んでいる。聴衆は皆、総立ちだ。
首だけ捻って後ろを見ると、折倉が額に汗を光らせつつ、うながすように目配せしてきた。
その合図に首肯して、俺はステージ中央から今一度客席へ向き直る。スタンドからマイクを外し、手に持つと、いったん深呼吸して息を整えた。
「ご声援、ありがとうございます」
聴衆の歓声がやや落ち着くのを待ってから、姿勢を正して言葉を切り出す。
「ところで、歌いはじめる前にも言いましたが――今日、俺がこういう女装コスプレで舞台に立ったことには、ちょっとした理由があります。つまらない話になるかもしれませんが、よかったら聞いてやってください」
語り掛けるように言うと、客席から「おおー」「わかったー聞いてやるー」といったような反応が疎らに返ってきた。
客席へ軽く会釈する仕草を交えてから、先を続ける。
「まずこの衣装ですが、これは今テレビで放映がはじまったアニメで、『天乃河麗華は意識が高い』っていう作品に登場するキャラクターのものです。俺は、この作品の大ファンなんですけど……そもそも、ずっと前からアニメや漫画、ライトノベルが大好きなオタクでした」
ほんの少し、体育館内に微妙な空気が漂った。
突然、舞台上の男子生徒がオタク趣味を打ち明けたことについて、まだどんな意味があるのか、咄嗟には測りかねているみたいだ。
けれど、次の一言で、客席の様子が一変する。
「そんな俺ですけど、実は好きな女の子が居ます!」
はっきりと、マイクを通して明言した。
途端に、演奏を終えた直後にも劣らないどよめきが沸き上がった。純粋に驚きを表す声、揶揄めいた冷やかしの声、囃し立てるような黄色い声……
かまわず、俺は言葉を継いだ。
「その女の子とは、文化発表会実行委員の仕事を通じて親しくなりました。俺はこれまで、何となく気恥ずかしくて、あまり人前で趣味の話はしないようにしてきたんですが――その子は、俺がオタクであると知っても、まったく馬鹿にしたりせずに接してくれました」
早瀬自身もオタクである点については、あえて触れないような言い方をした。俺のことはともかく、あの子が自分の趣味まで公にされることは望んでいないかもしれない。
そのせいで、嘘を言ったつもりこそないけれど、説明が語弊を伴いかねない内容になってしまったのは、致し方ないだろう。
「そして、俺が好きになった女の子は……今、この体育館に来てくれています。その子には、『きちんと話がしたいから』と事前に伝え、ここに呼び出していたんです」
言いながら、俺は客席最後列の右端を眼差した。
まだちゃんと、早瀬は同じ場所に立っている。彫像みたいに身を硬くして、瞬きすらせずステージ上を見詰めてくれていた。
「――その話というのは――もちろん、大事な話です。ただ俺の歌を聴いてもらおうとしたわけじゃありません。この衣装で歌ったことは、これから俺が彼女に自分の気持ちを告げるに当たっての、一種の演出みたいなものです。その子のためなら、俺は人前でこれぐらいのことをするぐらいは何でもないんだっていう、決意の表れだと思ってもらえれば」
「決意の表れ」というのは、まあ本心と方便が半々だ。
しかし、何も知らない客席からは、「ああ~」とか「なるほど……」といった納得の声が相次いで上がっている。
「それで、俺が今ここで言わなきゃいけないこと、伝えなきゃいけないことというのは……」
そこでつい喉が詰まって、一、二秒だけ間を挟んだ。
固唾を呑むように、館内がふっと静まり返る。
「一年A組の早瀬唯菜さん! 貴女のことが大好きです! ――どうか、俺と恋人同士になってください!」




