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21:フタリノホント

「遠野くんって、実は凄く運動が得意だったのね」


 突然、早瀬は妙な話題を持ち出してきた。


「先週あった体育の合同授業でも大活躍だった。私、あまり野球は詳しくないけど、一試合で三本以上ヒットを打つのって、凄いことなんでしょう? プロ野球だと『猛打賞』なんて言うそうね。――まあ、あの日の君は、それどころの結果じゃなかったけど」


 一瞬、何を話しはじめたのか、理解できなかった。

 けれども、俺の混乱なんておかまいなしで、早瀬は先を続ける。


「四打数四安打。全打席出塁した上に、単打、二塁打、三塁打、本塁打……全種類のヒットを一試合ですべて打つことを、『サイクル安打』っていうらしいわね。しかも一人で、七打点。試合には負けたけど、チーム得点の半分以上は、遠野くんが打って入った点数だった」


「そんなの、単なる体育の授業での出来事だぞ」


「そうね。エラーや暴投も沢山ある試合だった。でも、だからこそ、君には凄く都合のいい条件が揃っていたのよ。――なんたって、君より足の速い人は、あの場には体育会系の部活に所属している男子まで全員入れても、他には居なかったんだから」


 早瀬は、どこか暗い声音で言った。

 その指摘には、たしかに抗弁し難い要素が含まれている。あのとき俺が打った本塁打は、B組で四番だった森中の豪快なサヨナラホーマーとは内容が異なっていた。外野手の送球が乱れた隙にベースを一周したことによる、ランニングホームランだったのだ。

 また、内野ゴロはヒットになったし、単打はどれも長打になった。サイクル安打は、その副産物だと言えよう。


「遠野くんって、進学後は私と知り合うまでこそ帰宅部だったけど、中学校時代には陸上部だったんですってね。その頃は、二〇〇メートル走の代表選手。中学二年のときには、陸上記録会で県内三位のタイムも出していた。中体連の全国大会にだって出場経験があるのよね」


「……それを、いつどこで知ったんだ」


「つい先日、折倉さんが教室で休憩時間に、他の女の子たち数人と話していたわ。私の席の近くだったから、たまたまやり取りが聞こえたの。彼女って、君とは中学時代からの友達なんですってね」


 折倉のやつ、他所(よそ)でそんな話をしていたのか。

 陰口の類じゃないから、悪意があったわけじゃないんだろうけど。



「それだけじゃないわ。――君、試験の成績だって抜群じゃない」


 尚も早瀬は、弱々しく、掠れた言葉を並べ連ねた。


「ええ、今にして思えば……模試の直前、一緒に勉強したときにも、何となくそういう印象を感じてはいたわ。君から教えてもらった勉強法も、たしかに効果があったと思うもの。今回の世界史は、中間考査より試験範囲が広かったのに、二〇点近くアップしてたから」


「早瀬の成績が上がったのは、おまえがそれだけ努力したからだろ」


「違う。遠野くんが教えてくれたからよ。もし、君が教えてくれなかったら、きっと同じだけ勉強しても、あそこまで点数が上がらなかったわ――」


 早瀬は、俺の見立てにすぐさま反論する。

 黒目がちな瞳は、こちらを真っ直ぐに睨み付けていた。あたかも、裏切り者を糾弾するような、きつく鋭い目つきで。



「そう、()()()()()()()()()()()である、遠野くんのおかげ」



 一瞬、俺は身動ぎするのも忘れ、ただ早瀬の視線を受け止めることしかできなかった。


「最近になって、ようやく知ったのよ。これまで他の人の成績なんて意識してなかったけど、こないだの模試の結果は一応、君の学年順位も確認しておこうと思ってね。職員室の前に張り出されていた順位表を調べてみて、本当にビックリした」


 たしかに、校内模試と中間考査で、俺は共にクラス二位の成績だった。学年全体では、六位と七位だ。地道に勉強してきた結果だと思う。

 もっとも、一位と違って二位や三位には、いちいち誰も注意を払わない場合が多いものだし、早瀬が今まで知らなかったのも、無理はない。

 けれど、それがいったい何だと言うのだろうか? 


 早瀬が俺を避け続けていることと、マホカツ部の解散。

 その謎に今の話がどう結び付くのかが、まったく意味不明だ。



「私ね。遠野くんのことを、自分が全然よく知らなかったんだって、今更になって気付いたの」


 早瀬は、半ば独白めいた口調で、言葉を紡いでいた。


「考えてみれば当然よね。まだ高校に入学してから三ヶ月足らず、初めて駅前の書店で言葉を交わしてからだって二ヶ月も経っていないんだもの。おまけに二人で会っても、お互い趣味の話ばかり。……だから私、これまで君も自分と()()()()()()なんだって、勝手に思い込んでた」


「俺と早瀬が、似たもの同士だって?」


「ええ、そう。同じ趣味を持つもの同士で、同じように売れないままの状態を望むもの同士。でも、本当は違ってた」


 鸚鵡返しに問い掛けると、早瀬は哀しげに首肯してみせる。



「遠野くんは、ちゃんと()()()()()。――単に私が知らなかっただけで、みんなからすでに認められつつある男の子だったのよ」



 思わず、喉の奥で呼気が詰まった。


 ――俺が「売れている」? 

 この子は、何を言わんとしているのだろう。


 似た趣味を持つもの同士で、同じ隠れオタク同士。そして、たしかに俺も(早瀬と根本的な理由は異なるものの)自分が好きになったものには、「必要以上には売れて欲しくない」「人気を得て注目を集めたりして欲しくない」という願望を抱えている。

 だが、それはオタク趣味に関する話だったのではなかったのか。



「体育の授業をテニスコートから眺めていたとき、クラスの女の子が何人か集まって騒いでいたわ。輪の中心には、委員長の雨城さんが居て、熱心に男子の野球を応援していた。私は、それを同年代の女の子にはごくありがちな、一種の慣習的な光景だと思っていたわ」


 早瀬は、皮肉っぽく話し続ける。


「いわゆる、『頑張って汗を流している男の子を応援している私って、凄く可愛い』というアピールよ。そういう典型的なイメージと自己同一化を図ることによって、あたかも自分が今かけがえのない青春を謳歌していると思い込むっていう、一時的で欺瞞的な充足行為だとばかり考えていた」


「……そりゃまた、(はす)に構えすぎだろ」


「そうかしら。まったく同じでないにしろ、本心では似たようなことを考えている人なら、案外少なくないんじゃないかと思うけど。まあ、それはこの際、どうでもいいわ。――重要なのは、それが上辺だけのものじゃなく、本質的な内実を伴っていたことね」


 そのとき、互いの視線が重なった。

 早瀬の黒目がちな瞳が、今は一際大きく、滲んで見える。

 俺は、いつになくそれに怯んだ。



「――雨城さんは、遠野くんのことが好きなのよ。それも入学直後から、ずっとA組女子の一部では密かに噂になっていたらしいわ」


 急に優しい声音になって、早瀬は微笑み掛けてきた。自嘲的な面持ちだった。


「あ、雨城が、俺のことを?」


「雨城さんは、高校入試でもクラス首席だった。三崎先生から学級委員長に指名された際、選出理由が成績優秀者だからだということを、個人的に告げられていた……」


 雨城が委員長になった経緯は、俺も聞いたことがある。真偽の程は定かじゃないけど、A組内ではまことしやかに信じられている逸話だ。


「ところが、事実はそれだけに留まらなかった。雨城さんは、入試でクラス次席だった生徒の名前も、たまたま一緒に聞き出していたらしいの。――その生徒こそ、遠野くんだった」


「……はあ?」


「以後、雨城さんは君のことを、ほのかに意識していたとか。中間考査の成績順位を確認してからは、一段と強い関心を寄せるようになっていたそうよ」


 俺は、呆気に取られて、二、三度、ぱくぱくと水揚げされた魚みたいに口を開閉させた。

 情報整理と現状認識の平行処理で、軽い眩暈(めまい)を感じている。


「私は、昼休みや放課後になると、教室を離れることが多かったし、特別に仲がいい友達も遠野くん以外に居なかったから、成績の件と同様にこれまで気が付けなかったの。繰り返すけど、試験の結果なんてものにも、大した興味はなかったし。……でも、色んな話を聞けば納得ね。君と雨城さんのカップルなら、誰もが認めざるを得ないわ」


「ま、待てよ早瀬! なんで勝手にそういう話になってるんだ」


 俺は、慌てて制止しようとした。

 色々とあり得ない。


 だって、俺は――

 そうとも、俺はおまえに、他の誰あろう早瀬唯菜にこそ、告白しようと考えていたのだ。


 雨城のことは、いいやつだとは思うけど、あくまで単なるクラスメイトの一人でしかない。

 思えば緒形も妙なことを言っていたし、俺たち男子の知らないところじゃ、実際に早瀬が聞き付けてきたような噂話もあるのかもしれない。

 でも、そんなのは周囲の決め付けで、少なくとも俺の意思が介在する事実じゃないんだ。

 早瀬は、酷く誤解しているし、それを鵜呑みにしすぎている。


 だが、俺の抗議を待たずに、早瀬は再び先を続けた。




「遠野くんには、売れないままの君で居て欲しかった」




 囁くみたいなつぶやきは、しかし重苦しい響きを伴って、俺の鼓膜を震わせた。


「誰も本当の価値に気が付いていないもの、私だけが良さを知っている素敵な何か。君には、そういう世間から不当に認め(マイナー)られずに居る人(なもの)であって欲しかったし、私も自分がそんな君と同じなんだって、思い続けていたかった。――だけど、すでに違っていたのね。遠野くんは、雨城さんや他の人からも好かれていて、とっくに人気者になっていた……」


「なぜなんだ、早瀬」


 俺は、しわがれた声で呻いた。

 ここへ来て、どうしても拭い切れない違和感を覚えている。

 早瀬の真意を、たしかめずには居られない。


「なぜ、おまえはそこまで売れていないこと、マイナーであることに執着するんだ? もちろん俺も、売れることだけが絶対に正しいとか、幸せであるとは考えていない。その点では同じ意識を共有している。でも、おまえのマイナー作品至上主義は、少し異常だ。――早瀬は、以前にそれを『純粋な想いが失われてしまうから』だって言ってたよな。だが、俺は漫画やアニメなんかじゃなく、ただのおまえのクラスメイトなんだ」


 両腕を左右へ広げつつ、俺はゆっくり歩み寄ろうとした。

 ひたすら、大真面目な口調で語り掛ける。


 第三者が見れば、あるいは何て馬鹿げた会話なんだろう、と考えるかもしれない。

 けれど、おそらく「好きなものが売れていないこと」は、早瀬にとって非常に重大な意味を持っているのだと思う。そういう確信めいた予感がある。

 それに何より、俺にはこの子に対して、どうしたって伝えたい気持ちがあるのだ。


「俺は何があっても、いつだって常に俺自身であるつもりだ。他の誰が何を言おうと、それが変わることはない。だから、今だって純粋に、俺はおまえを――……」


 俺が大切な言葉を告げようとするのを、しかし早瀬は寸前で遮る。

 そうして突如、驚くべき言葉を言い放った。



「人気が出ると、『純粋(ピュア)な想いが失われてしまう』っていう話は、あくまでマイナー作品を擁護するためにある()便()のひとつよ」


 息を呑み、改めて早瀬の顔を見る。

 黒目がちな瞳は、視線が宙を泳いで、焦点が定まっていない。肌の色は、まるで血の気が引いたみたいに蒼白かった。


「本当に重要なのは、そこじゃない……。誰もがWebや即売会で作品を発表できる現代に、アマチュア作品と商業作品の創作意図の差異を見極めることなんて、そもそも不可能に近いわ。――私がマイナーな作品に求めているのは、『本当は優れているにも関わらず、地味で目立たないから世の中に認められないまま、売れずに埋もれたままであること』。その事実以上でも以下でもないの」


「……なんだって?」



「だって、()()()()()()()()()()じゃない――()()()()()()、実は()()()()()()()()()()()()()()()()んだって」



 俺は、愕然として、頭の中が真っ白になりかけた。

 あまりに飛躍していて、洞察や想像の範囲を超える主張だ。


 ――世の中は、見る目がないということを証明する。


 つまり、その目的を果たすため、この子には逆説的に「本当は優れているのに、売れることなく埋もれたままのもの」……

 社会的不当評価作品が必要だった、というのだろうか。

 それこそ、早瀬唯菜がマイナー作品を支持する真の理由だと? 



「……どうして、私がこんなことを考えているのか、きっと理解できないでしょうね」


 早瀬は、ぽつりとちいさくつぶやいた。

 寂しげな微笑が、くしゃっと苦しげに歪む。


「私はね、君や雨城さんとは違うのよ。運動なんて得意じゃないし、学校の成績も人並みで、外見だってアイドルみたいな美少女じゃない。だからって、絵を描いたり作曲したり、何か特別な才能があるわけじゃなければ、目の前の毎日を面白可笑しくヤンチャして楽しむほど、不真面目な女の子にもなれない……。趣味はネットで、無料公開の漫画やアニメを眺めることぐらい。そんなつまらない、取り柄なんて何もない、誰からも認められず、他人から評価されるようになる見込みもない私が――どうして自分は、こんな取るに足りない女の子なのに、今ここに生きて居るのか。その理由を、自分で納得したかったの」


 何もかもをぶちまけるように、早瀬は心情を吐露し続けている。

 それは頑なな様子ではなかったけれど、横槍が許される雰囲気でもなかった。


「それで君の魅力も、世界中で私一人だけが知っていて、他の誰からも認められていないものなんだと思っていたかった。それが世間の見る目のなさを証明して、私自身の価値も一緒に請け合ってくれると思ったから。……でも、駄目なの。売れてしまったら――……」


 そこまで言ったところで、ひっく、と僅かに胸を反らし、早瀬はまるで子供そのものの仕草でしゃくり上げる。

 黒目がちな瞳から、堰を切ったようにぽろぽろと、大粒の透明な滴が溢れ出した。それは、西の空から斜光を受けて、きらきらと宙に儚く煌めく。


 こんなときなのに、その姿を見て、俺は早瀬のことを凶悪に可愛らしいと思った。



「――だから遠野くん、もう私のことは放っておいて!」



 最後のちからを振り絞るみたいにして、早瀬は泣き声で叫んだ。

 それから踵を返すと、一目散に駆け出して、俺の傍から離れようとした。長い黒髪を振り乱し、通学鞄を抱えて走り去る。


 俺は、「おい、待てよ早瀬!」と、その場で声を張り上げてみたものの、もはや彼女を引き留められはしなかった。

 いや、たぶん追い掛ければ、容易に捕まえることぐらいできただろう。

 しかし、強引に説得しようとしても、ちっとも上手くいく自信がなかった。


 早瀬は、間違いなく厄介な女の子なのだ。その性格も、思考も、価値観も。

 あの子の心を揺り動かすには、きっと闇雲に綺麗事を並べたりするだけじゃ不可能だと思う。ましてや、ここで俺が告白したとしても、いきなり都合よく取って付けた甘言だと疑われかねない。



 ……なので、今は身じろぎせずに立ち尽くし、早瀬の遠ざかっていく背中を、じっと見送る他に術を持たなかった。




 こうして、社会的不当評価作品保護活動部は、早くも解散を余儀なくされたのである。

 まだ発足から、期間にして僅か一ヶ月しか経過していなかった。

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