20:暗転は突然に
――きちんと早瀬に告白しよう。
校内模試が終了してから、俺はついに決意を固めた。
あの子と親しくなってから、およそ一ヵ月半足らず。この意思決定までに要した期間が、長いか短いかはよくわからない。
実行委員会の仕事がきっかけで、放課後を一緒に過ごす機会が増えてから、仲良くなるまでは案外時間が掛からなかったように思う。その過程では、早瀬から好意らしきものを寄せられていたという確信もある。
そう考えれば、やや遅い決断だったかもしれない。
でも、言い訳するなら、これは俺にとっても紛れもなく「初恋」なのだ。互いの距離感を掴む作法がわからず、慎重にならざるを得なかった部分はお察し頂きたい。
しかも、早瀬はやたらと重い女の子だ。
何たって、「初めてキスした相手とそのまま結婚する予定」だという、相当極端な将来設計を抱いているらしい。その意向がどこまで現実味のある話かは横に置くとして、かなり面倒臭いタイプだというのは伝わってくる。
それがここまで、決意を多少鈍らせてきた事実は否めない。
また、告白するにあたって、何となく間の悪い日が続いていたというのもある。
早瀬の自宅でいったんキスを拒否してから、アニ研と軽音部の件で部活に遅刻したことなどもあり、機嫌を直してもらうために即売会デートが済むまで待たねばならなかった。
さらにその前後には、中間考査と校内模試があって、あまり気持ちが落ち着かない状況だったのだ。
けれど、今後少しのあいだは、学業にかかずらって気忙しくなることもない。
まだ一年生だから、夏季休暇まで予備校の模試に追われる必要はないし、次の定期考査は学期末だ。
ようやく好機が巡ってきたのである。
それに先日の体育のあと、緒形から「いつまでもハッキリしないのは男らしくない」と指摘され、俺自身とて何も感じていないわけではない。
むしろ、キスを保留した一件以来、早瀬との付き合い方を、もっと真剣に考えるようになった。いまや二人の関係を、有耶無耶に誤魔化し続けておくことには、もやもやとして晴れない心理を抱えている。
こうした諸々の事情が整った背景も手伝って、いよいよ俺は引き返せない一歩を、思い切って踏み出すことに決めたのだ。
○ ○ ○
……ところが、事態は思うように運ばなかった。
まさに告白の意思を固めた翌日以降、急に早瀬との連絡が途絶えがちになったのだ。
授業の合間にある休憩時間になると、素早く教室から出て行き、次の教科の担当教員が来る直前まで戻って来ない。昼休みに図書館へ行っても、いつもの自習コーナーには姿が見当たらず、どこかへ行方をくらましてしまう。
メッセージアプリを使って、放課後の課外活動に関する打ち合わせを申し出てみても、曖昧な反応で受け流されたり、そもそも返信がなかったりして、その日のマホカツ部自体も休止を余儀なくされた。
最初は、偶然すれ違いになったらしいとか、うっかり忘れたのかもしれないと思った。
しかし、同じようなことが三日も続けば、さすがに俺も「避けられている」と考えないわけにはいかない。
早瀬は、いったいどうしてしまったのか。
授業中に盗み見るようにして、そっと様子を窺ってみる。早瀬は、うつむきがちに自分の席に着き、半ば身を縮めながらノートを取っていた。いつも通り、教室内での影は薄く、地味で目立った女子じゃない。
いざ会話してみれば、けっこう変なやつで、面白いところだって沢山あって……
それに、みんなあまりよくわかっていないだけで、実はわりと可愛いのに。
そんな姿を遠目に眺めては、なぜ早瀬がいきなり俺と距離を置きはじめたのか、人知れず考えてみたりした。
即売会デートの翌日以降は、早瀬の機嫌もそこそこ良くて、あの子に嫌われるようなことをした心当たりがない。まるっきり思い浮かばない。
とはいえ、探せば何か理由があるはずだ。
そして、一人で悩んでもわからない以上、早瀬に直接訊いてみる他にない。それで原因が判明したら、即座に謝るなり、誤解を正すために釈明するなりしよう。
ただ問題なのは、いくらあの子の話を聞きたくても、こちらからの接触が拒まれ続けているという現状だ。会話の機会すらないんじゃ、どうにもならない。
仕方なく、俺は一計を案ずることにした。
放課後になると、いち早く下校し、バスへ乗車する。もっとも、真っ直ぐ帰路に着くのではない。途中下車して、国道の脇道から住宅街へ入る。
この辺りは、早瀬家の近所だ。以前に招かれたときの記憶で、よく覚えている。
手近に見えたコンビニの自動ドアを潜って、雑誌コーナーに立つ。漫画雑誌を手に取り、立ち読みする振りをしつつ、ガラス窓越しに見渡せる道路を注視した。
そう、俺は通学路に張り込んで、帰宅途中の早瀬を待ち伏せることにしたのだ。
正直言って、少々変質者じみた行為だという自覚はある。このことを折倉あたりに知られたら、ドン引きされるかもしれないなあ、とも思う。
だが、早瀬の急変には、どうしても疑問を抱かざるを得ない。
一時とはいえ、明らかに平均的な友人以上の親交さえあったのだ。それが夢か幻みたいに消え失せてしまうのは、納得がいかないというより、不可解に思われる。
俺は、真相が知りたかった。
どうして、早瀬は俺を避けはじめたのか――
そのはっきりとした動機が。
とにかく、コンビニで漫画の立ち読みをはじめてから、およそ二〇分が経過した。
時折、雑誌のページから視線を上げて、正面の道路を見張っていると、やがて見慣れた黒髪ロングの女子高生が視野へ入ってきた。肩を落とし、どこか物寂しげに、とぼとぼと一人で自宅へ向かって歩いている。
間違いない、早瀬唯菜だ。
しかし、こんなに陰気な様子は、初めて見る。親しくなる以前、教室に一人で居たときだって、地味で目立たないやつだったけど、ここまで消え入りそうじゃなかった。
急いで漫画雑誌を棚に戻す。
俺は、早瀬のことが心配になって、コンビニを飛び出した。
「――早瀬、待ってくれ!」
黒髪ロングを追い掛けて、背後から呼び止める。
早瀬は、コンビニの傍を通り過ぎ、一戸建てが立ち並ぶ道路へ差し掛かった辺りで、俺の接近に気が付いたらしい。はたと立ち止まって、振り返る。黒目がちな瞳が見開かれ、その奥にはかすかな動揺が見て取れた。
「遠野くん、どうしてここに……」
「おまえと、なかなか連絡取れなかったからさ」
追い付くと、俺は真っ直ぐ早瀬を眼差した。
「ここのところ何があったんだよ、早瀬。もう、マイナー作品の保護活動――マホカツしなくてもいいのか?」
「……まほかつ――……」
早瀬は、どこか虚ろな表情で、ちいさく声を絞り出す。
やはりおかしい、そう思って少し反応を見守る。この子がこんな素振りを見せることは、かつて一度としてなかった。たった何日間かで、いったい何があったのか。
俺があれこれ思考を巡らせていると、早瀬は肩を震わせ、唇を強く引き結んだ。
「……マホカツ部は、もう解散よ」
それは、唐突な宣告だった。
もちろん、わけがわからないし、にわかには信じられもしない。
だいたい、この部活は、ついこないだ早瀬自身の発案ではじまったばかりなのだ。
取り立てて説明もなく、突然「もう止める」というだけでは、発起人としても部長としても無責任すぎる。
それでも、この子の有様や最近の経緯から、それがぱっと出た冗談じゃないことぐらいはわかった。
「どうしてなんだ、早瀬」
努めて平静を装って、俺はたずねた。
「俺が、何かいけなかったのか。知らないうちに、おまえに何か迷惑を掛けていたとか――もしかすると、それで俺とのやり取りも嫌になって、連絡をくれなくなったのか。だったら、きちんと謝るから、詳しく理由を教えてくれ」
問い掛けると、早瀬はうつむき、そのまま少し黙り込んだ。返答の言葉を考えているのか、気持ちを整理しているのか、たぶんその両方だったのかもしれない。
俺も無言でじっと待つ。
ほどなく、早瀬はおもむろに顔を上げた。
「それは半分当たってて、半分外れてるわ。……マホカツ部が解散するのは、たしかに遠野くんのせいね。でも、君は何も悪くない」
その言葉を聞きながら、俺はぎょっとして後退りそうになった。
こちらへ向けられた早瀬の表情には、仄暗い憎悪のようなものが浮かび、痛々しく歪んでいたからである。




