表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/29

19:知る者と知らざる者

 六月の青空に「カキーン!」という、澄んだ金属音が響き渡った。


 グラウンド上を、白球が綺麗に放物線を描いて飛んでいく。

 守備位置から五、六歩、駆け出そうとしたところで、俺はすぐに足を止めた。ありゃー絶対に捕球できんな、と見てわかったからだ。

 果たして、打球は外野のネットを越えて、雑木林の中に飛び込む。

 レフト場外へのサヨナラ二点本塁打(ツーラン)

 一塁側のベンチで、一年B組の男子生徒たちが拳を突き上げながら絶叫した。


 ピッチャーマウンドを振り返ってみると、最終回から登板していた緒形が、がっくりと肩を落としている。低身長で軽音楽部員ながら、決して運動の苦手な男ではない。

 けれど、最後に対戦したB組の打者は、現役野球部員の巨漢・森中だ。授業で使用していたボールは軟式だったものの、さすがに相手が悪かった。


 森中がホームインすると、審判を務めていた体育教師の号令で、A組とB組の男子生徒がホーム付近に集められ、二クラス合同授業の体育が終了した。

 試合は七イニングで、スコアは十二対十三。

 両チーム共、凡エラーあり、大暴投あり、互いに内容は雑でしょーもなかったけれど、けっこう盛り上がった気がする。




 その後、チャイムが鳴って、みんなでゾロゾロと教室に戻る途中。

 昇降口まで来たところで、更衣室へ向かうクラスの女子とすれ違った。たしか授業の前に折倉から聞いた話だと、今の時間はグラウンドの隣に併設されたコートでテニスだったはずだ。


 それをぼんやりと眺めつつ、上履きに足を突っ込んでいると、見慣れた黒髪ロングの女子生徒が視界を横へ通過した。

 紛れもなく、早瀬唯菜である。学校指定のジャージ姿だったけど、あえて人目を避けるような歩き方といい、間違いない。そそくさと、一人で廊下の奥へ歩き去ろうとする。


 俺がここに居たことには、気付かなかったのだろうか? 

 こちらから声を掛けようかとも思ったのだが、一瞬考えて思い留まった。


 いつも何だかよくわからんが、早瀬はあまり学校で目立つ行動を好まない。

 マホカツ部の活動をはじめるようになってからでさえ、わざわざ教室以外の場所で集合(といっても二人だけだが)したがっていた。

 とすれば、いたずらに人前で男子から呼び止められたりすることも、早瀬はあまり歓迎してくれない可能性があり得る。女子生徒同士のあいだでは、些細な出来事がきっかけで噂話に発展する見込みは否定し切れない。


 そんなわけで、俺は早瀬の姿を見送って、その場に無言で立ち尽くしてしまった。



 すると、代わりに「あの……」と、こちらへ呼び掛けつつ、小走りに歩み寄ってきた別の女の子があった。その子も着衣はジャージなのだが、きらきらした金髪をふたつに分け、うなじの高さで束ねた姿には、有無を言わせぬ可愛らしさが宿っている。

 A組委員長の雨城梨亞ことアメリアは、傍まで来ると上目遣いに眼差してきた。


「野球、惜しかったですね」


「ん? ――まあ、そうだな」


 咄嗟に適当な言葉が出て来なくて、つい素っ気無い返事になってしまう。


「テニスコートから観てたのか」


「はい。女子はみんな、休憩中には金網越しに野球を応援していました。A組の男子は、よく頑張ったと思います。私も遠野くんを応援しましたし、その――」


 雨城は、そこで一拍挟んで、ちょっと口篭もりながら続けた。


「遠野くんが頑張っているところが見られて、嬉しかったです」


「……そりゃ、どうも」


 いかん。なぜか会話がぎこちなくなるな……。

 何やら(ねぎら)ってくれているのはわかるんだけど、上手いやり取りにならない。

 だが、雨城はむしろ笑顔を覗かせ、気にするような素振りは見せなかった。


「きっと、B組と再戦する機会もありますよ。――秋になれば、校内球技大会も年間行事に予定されていますから」


 最後にそれだけ言うと、近寄ってきたときと同じように小走りで離れていく。

 そして、他の女子のところへ合流し、三、四人で並んで、きゃあきゃあと何事か歓談しつつ、雨城は教室へ戻っていった。

 そんな有様を、またしても俺は呆けたように見送るしかない。


 いったい、何だったんだ……。



「――ありゃあ、おまえに()があるな」


 そのとき、唐突に背後から、俺の肩を叩く手があった。

 驚いて振り向くと、緒形が厳しい面持ちで立っている。サヨナラ被弾のショックからは、すでに立ち直っているらしい。


「よくよく考えてみりゃ、けっこう前から委員長の言動には、それとなく怪しいところがあったよな。ほら、いつだったか、おまえが学級代表に決まったときだってさ。やたらと申し訳なさそうに連絡事項を伝えに来たりして……。あんなのクジ引きだったんだから、普通はアメリアが(かしこ)まった態度を取る理由なんてねーよな」


「馬鹿言え。それぐらいのことで勝手に決め付けて、からかおうとするな」


 こいつは、なんで急にそんな発想が出てくるんだ。

 何より俺だけじゃなく、雨城だって迷惑するだろう――

 そう思って、睨み付けて抗議してやったのだが、緒形は泰然と受け流す。


「今のおまえとアメリアの様子を見たら、オレ以外の人間でも同じ感想を持つと思うけどな……。まあ、遠野がそう考えてんなら、オレの思い込みってことでもいい」


「どう考えても、おまえの思い込み以外にねーよ」


「じゃあ、仮にオレの思い込みが事実だったとしてだ」


「いきなり何だよ、その仮定は」


 全然、こっちの反論と噛み合ってないだろ。


「いいから聞けって。――で、遠野。その場合、おまえはどうするんだ」


「どうするって、何がだ」


「決まってるだろ。早瀬のことだよ」


 今更愚問だと言いたげな口振りで、緒形は左右にかぶりを振った。

 俺は、ぎょっとして、思わず目を剥いてしまう。

 まさか、早瀬の名前を持ち出されるとは思わなかった。こいつは、俺とあの子の関係性について、どこまで知っているのか。


「なんで、ここで早瀬の名前が出てくるんだ」


「だって、おまえと早瀬って、近頃相当いい雰囲気になってるか、でなきゃとっくに付き合ってるんじゃないのか?」


 当たらずとも遠からず、鋭い指摘だった。背中が軽く汗で湿る。

 念のため、その根拠を問い質してみた。


「どうして、突然そんな話になるんだよ」


「オレは、ついこないだ折倉から聞かされたんだ。『遠野と早瀬は、実行委員会の仕事が終わって以後も、何度か図書室で親しげにしている様子を目撃されているらしい』ってさ。しかも、おまえは以前から、早瀬のことを妙に気に掛けていたそうじゃないか。学級代表に選ばれたときには、井山も随分けしかけていたみたいだったしな」


 そういえば、折倉には図書委員の友達が居るんだった。

 不定期とはいえ、図書室の自習スペースでマホカツ部が集合していたのは、やや配慮が足りていなかったかもしれない。生徒会の目は誤魔化せても、常駐する図書委員の視線を免れることはできなかったようだ。


「……その話、もしかしてけっこう噂になってるのか」


「いや、まだそこまでじゃないと思うがな。男子の中じゃ、オレと井山ぐらいじゃねーの。たぶん女子の方は、折倉と特に仲がいい数人程度のあいだだけだろ」


 ということは、まだ早瀬の耳にも届いていないだろうな。

 あの子が知ったら、どう思うんだろう。ちょっと反応が読めない。



「――まあ、事実は何にしろ、ハッキリさせるべきところは、ハッキリさせておいた方が身のためだと思うぜ。だいたい、男らしくねぇからな」


 緒形は、こちらの返答も待たず、一方的に言いたいことを言うと、勝手に納得した様子で教室へ戻ろうとした。

 それを「おい、待てよ」と呼び止めて、慌ててあとを追い掛ける。


 次の授業がはじまるまで、いくらも時間に余裕はない。

 まだ俺は、ジャージを着替えてもいないのだった。



     ○  ○  ○




 さて、そんな体育の授業のあとにも、やがてはいつもの放課後が訪れた。


 部活動のため、もはやお馴染み「八神堂」六階のカフェテリアで待ち合わせる。

 と、そこで早瀬から、急にこの日の活動予定を変更する旨が言い渡された。

 校内模試を明後日に控え、臨時の部内勉強会を開くという。


 想定外の展開だ。

 なぜなら先日の定期考査前、早瀬は「地味にほどほどでいい」と言い放ち、学生の本分たる勉学について、必要最低限の労力しか割り当てないと主張していたはずなのである。かくいう前言を翻す提案をしてきた点には、違和感を覚えずにいられない。

 それで、「どういう風の吹き回しなのか」と訊いてみたところ、身も蓋もない答えが返ってきた。


「……中間試験で、世界史が本当に赤点すれすれで、必要最低限の点数しか取れなかったのよ。さすがにお母さんに怒られちゃったから、次は多少挽回しておく必要があるわ」


 本当に赤点すれすれ――

 世界史の落第点って、何点だったっけ。三五~四〇点あたりか……? 

 などと考えていたら、じろりと鋭い目つきで早瀬に睨まれた。詮索は止そう。


 まあ、とにかく早瀬としては、親御さんに対する体裁を取り繕っておかねばならないということらしい。校内模試は定期考査と違って、一学期の成績に直接反映されるわけではないけれど、なるほど心証回復にはある程度有用だろう。



 こうして、俺と早瀬はカフェテリアの円形テーブルを挟んで座り、臨時勉強会を催すことになった。コーヒーと紅茶を傍らに置き、教科書や参考書を広げていく。


 早瀬が世界史の一問一答式問題集を解くあいだ、俺は英語の長文和訳に取り掛かることにした。筆記用具や辞書を手にして、各々がノートへ向かい合う。

 ……しかし、ものの三〇分と経たないうちに、勉強会を提案した当人が暗鬱な面持ちで呻きはじめた。


「駄目だわ。全然、覚えられない……」


 うんざりしたような声に釣られて、早瀬のノートをちらりと覗き見る。

 そこには、問題集の回答が疎らに記入されていた。おおよそ、三問につき二問といったところ。さらにそのうちの正答率は、六、七割といった様相か。


「ローマ五賢帝とか、中国なら戦国時代の七雄とか、みんなどうやってこんな紛らわしいものを暗記してるの? ……人名や国の名前すらこんがらがってるのに、年号なんかまで覚え切れるわけないわ」


 早瀬の口から、深刻そうな溜め息が漏れる。

 すでに半ば諦観の境地へ足を踏み入れつつあるみたいだな……。


「世界史を勉強するときは、むしろ単語毎に()()()()で暗記しようとすると良くないぞ。――最初は、全体の歴史の流れを把握していくようにすべきだ」


 お節介を承知で、自分なりの勉強法を述べてみた。

 早瀬は、それに反応して、むっ、と唸りながら顔を上げる。


「ある国や文明が、どこでどうやって、誰の手で勃興し、どんなことがあって、いつ何が原因で滅んだのか……基本的には、まずそういう因果関係を押さえることが重要なんだ。つまり、一連のストーリーとして覚えるようにするのがコツだな。重要な人名は、その中の登場人物だと思うようにする。年号だとか、細部を詰め込んでいくのは後回しでいい」


 記憶しようとしているものを、「単なる言葉や数字の羅列」というふうに見てしまうと、暗記は余計に難しくなると思う。極力、何らかのイメージと結び付けて覚えるようにした方が、印象に残って思い出しやすい。


 そんなふうに説明すると、早瀬はやや意外そうな表情で、一、二度瞬きしてみせた。


「……ふーん」


 次いで、胡乱そうな目つきになり、俺の顔をじろじろと眼差してくる。


「まあ、有益そうな意見のひとつとして、今後の参考にさせてもらうわ」


 またしても早瀬は、なぜか上から目線で返事を寄越した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ