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15:ご機嫌取りも楽じゃない

 ……。


 …………。


 ……思い返してみると、つくづく驚きの一ヵ月余りだった。

 高校入学の直前直後には、まるで想像もしていなかった現状である。



 早瀬は、テーブルの前に座り込んで、いじけた態度をまだ崩していない。

 まあ、そんな不満げな素振りも、急速に深まった親密さを裏付けるものだろう。

 俺は今日、彼女の自宅へお邪魔して、二人っきりの部屋でイイ雰囲気になり、あまつさえキスしようというところまで接近したのだ――

 ただ、互いの唇が触れ合う寸前で、こちらから顔を逸らしてしまった。


 折角の機会を逃し、惜しいと思う一方で、この判断に間違いを感じてはいない。

 だって、早瀬のやつと来たら、「初めてキスした相手とそのまま結婚する」なんて、高校生同士の恋愛に望むものが重すぎだろ。

 ちなみに、さっき家に上がらせてもらう際には、この子の御母上のことも紹介されている。で、「こんな娘ですけど、よろしくお願いします」などと頭を下げられてしまった。順調に外堀埋められてる感ハンパありませんねコレ。



 俺は、腰掛けていたベッドから立ち上がると、テーブルの傍まで歩み寄って、早瀬の隣で胡坐をかいた。無言で顔を覗き込んでみる。

 一瞬、目が合いそうになったのだが、早瀬はこちらに気付くと再び視線を逸らした。


「――なあ、早瀬。機嫌直せよ……」


 ぼそっとつぶやいてみたけど、早瀬は無反応だ。口元を曲げたまま、何も応えない。


 駄目だこりゃ。

 こうなると、俺もどうしていいのか、よくわからなかった。こういう場合の対処法には、あまり慣れていないのだ。

 これまで、そこそこ仲の良い女友達がいなかったわけじゃないが、例えば折倉なんかとの関係は、あくまで親友としてのそれに近く、色気のある間柄じゃない。

 言ってみれば、早瀬は俺にとって色々な意味で、初めての――


 ……初めての、何だろう? 


 文化祭の学級代表に選ばれた者同士で。

 今では、二人ではじめた部活の構成員同士でもある。


 でも、恋人ではない。

 少なくとも、まだ正式には。


 やっぱり冷静になると、一応キスを思い留まって、正解だったような気もする。

「何となく、相手の子がキスさせてくれそうだからしといた」なんてのは、動機として不実なんじゃないかと思う。ああいうことは、きちんとした恋人同士によるべきものであって、けじめがないままにするのは、好ましくない……

 などと感じるのは、俺も案外早瀬に負けず劣らず()()からで、女の子と交際経験に乏しいがゆえなのだろうか。どうなんだろう。




 ――改めて考えると、早瀬が俺にマホカツ部の立ち上げを持ち掛けてきたのは、彼女なりの間接的な告白だったんじゃないか。

 あるいは少なくとも、友達として、もっと仲良くなりたいという合図(サイン)


 現在の状況からは、そうした真意があった見込みも窺える。

 早瀬は、地味で目立たないことを好み、積極的に思慕の情を打ち明けるタイプじゃない(そういったものがあるとして、だが)。それでいて、意外に自尊心の強そうな部分もある。

 そんなこの子が、諸々のリスクを回避しつつ、差し当たり俺との距離感を詰めるため、「共通の趣味を利用して課外活動を開始する」というのは、なかなか合理的な手口のように思われる。


 それで、次第に交友を深め、あれこれの事実を先に積み重ねていく。

 最終的には、あくまで俺――

 つまり、遠野遥輝の側から、早瀬唯菜へ対して告白させる。

 そうなるべく仕向けようという魂胆だとすればどうか。


 往々にしてあり得る。

「告白するなら、できれば男の子の方から」というような、乙女思考は俺にもわからなくはない。とすれば、女の子らしい、可愛らしい悪知恵だとも言えよう。



 さて、こんな早瀬を、俺はどう思っているのか。

 もちろん、嫌いなわけがない。

 もし好ましい相手だと思っていなければ、なし崩しの展開だったとしても、最初からマホカツの部活動に付き合ったりしていない。


 趣味について根底で抱いている価値観には、どうも奇妙な差異があるように感じないこともないけれど、そんなのはたぶん誰が相手でも同じだろう。

 少なくとも、俺と早瀬は対外的に「隠れオタク」同士である。そんな互いの実態を把握し合っているだけに、意思の疎通も取りやすい。一緒に居て、気楽で心地良い相手だ。


 最近ちょくちょく放課後を一緒に過ごしているのだって、何も知らない他人からすれば、半ば二人でデートしているのと同じに見えるに違いない。

 活動記録のノートを交互に記入しているのなんて、大昔に恋人同士のあいだで存在したと言われる「交換日記」なる行為と、どれほどの差があるだろうか(書き込んでいる内容自体は、俺も早瀬も漫画やアニメの話題ばかりだけど)。


 そうした背景を斟酌すると、やはり男らしく、どこかで互いの関係をハッキリさせておくべきなんだろうな、と思う。

 言い換えれば、俺から正式に告白し、早瀬に交際を申し込む必要がある。


 そうだ。そうならねばなるまい。

 だが、しかし――……




「……早瀬。その、今のは俺が悪かった」


 俺は、ひとまず謝罪することにした。

 横顔を向けたまま、早瀬はまだ振り返らない。


「でも、いい加減な気持ちだったから避けたわけじゃない。――むしろ、その逆で、きちんとした覚悟もなく、ただ何となく状況に流されちゃいけないと思ったから、我に返って途中で止めたんだ」


 正直に考えを伝える。

 ただし、ここでいきなり告白したりはしない。


 もうそれなりに覚悟は決まりつつあるけど、急に「俺は早瀬が好きなんだ」なんて言うと、今のやり取りをあからさまに取り繕うことになってしまう。

 すると、折角二人っきりになれたのにキスできなかったからとか、それ以上の何かを期待したのにそうならなかったからとか、言葉の裏に酷い下心があるみたいに聞こえるはずだ。

 だから情けないけど、本日のところはいったん保留させてもらって、俺から正式な交際を申し込むまでは少し時間を置く必要がある。


 やがて早瀬は、テーブルの前に座ったまま、こちらをゆっくりと振り向いた。


「――来週、一緒に出掛けたい場所があるわ」


 黒目がちな瞳は、ややまなじりが釣り上がって、下から俺を睨んでいる。


「その、もちろん社会的不当評価作品保護活動の一環として」


 どうやら、取り引きを持ち出されたらしい。

 意訳すると、「来週デートに連れて行け」ということだろう。

 早瀬に機嫌を直してもらおうとしたら、この条件を呑まなきゃいけないようだ。

 無論、俺とすれば、申し出を断る理由なんてない。


「ああ、わかった。一緒に行こう」


「まだ、どこへ行くかも言ってないわよ」


「遠い場所なのか」


「海を渡って駆け落ちしたい、なんて言ったらどうするつもり?」


「メロドラマの真似事じゃなく、マホカツの一環なんだろ」


「物の例えよ。それぐらい大変な要求だったら、っていう」


「……そこへ連れて行かないと、早瀬が絶対に俺を許さないと言うなら」


 一瞬考えてから答えると、早瀬の目つきは殊更きつくなった。「卑怯者」とでも言いたげに見える。ただ、なぜか白い頬には、少しだけ赤みが差しているようだった。


「どうせ、そんな無茶を言うわけがないって、わかってて言ってるでしょう」


 早瀬は、まだちょっと不機嫌そうに言ってから、再びタブレットを手に取った。

 スリープ状態を解除し、液晶をタッチする。お気に入り登録のアイコンからWebページへ飛んで、表示された画面を指し示してきた。


「来週の日曜日、西区にあるコミュニティセンターでイベントがあるの」


 うながされるまま、タブレットの画面へ視線を落とす。


 ――同人誌即売会「おはようパーティin蒼羽台27」。


 Webページに掲載された文字を読み、思わず「なるほど……」とつぶやいてしまう。


 同人誌即売会――

 以前にも話題にした「自費出版物のフリーマーケット」のことだ。

 地元開催のものらしいので、都内の「コミック・バケーション」などよりも、規模は遥かに小ぢんまりとしているだろうけど、根本的な主旨そのものに違いはあるまい。


「近年、関東圏で地域型のオールジャンル即売会はかなり需要が衰退しているけど、これは二年ぶりに開催されるイベントなのよ」


 そういえば、早瀬はWeb漫画だけじゃなく、同人誌にも興味があるんだったっけ。

 液晶から顔を上げ、ちらっと目だけで、室内に置かれた本棚を見る。


 実は、さっきから微妙に気になっていたのだが……辞書や参考書以外だと、早瀬の部屋の棚には、小冊子かノートのような薄い本ばかり並んでいる。どれも背表紙が狭いわりに、判型はB5サイズが中心だった。

 漫画単行本とか文庫小説のようなものは、あまり多くない。早瀬がWeb連載時代には好きだったという、あの『天乃河麗華は意識が高い』も見当たらなかった。


「商業媒体の書籍では、それほど買い揃えているものは多くないわ。商品として流通している本は、基本的にもう世間から価値を認められてしまっている作品だから」


 早瀬は、そんなことを言って、おもむろに立ち上がった。ふらっと本棚の前まで歩み寄ると、丁度真ん中の段へ手を伸ばす。そこから、二、三冊、小冊子を抜き出して戻ってきた。

 俺の視線の動きにも、敏感に気付いていたのだろう。


「最近読んでいる漫画は、Web投稿作品以外なら大抵は同人誌ね。特に一次創作のものには、商業作品にも劣らない漫画は多いわよ」


 早瀬は、持ってきた薄い本を、テーブルの上へ並べてみせた。

 これが同人誌か。漠然とは知っていたけど、実物を初めて見た。表紙は、フルカラーのもの以外にも、数色の組み合わせだけで印刷されたものもある。


「こういう同人誌を、その即売会で買って来ようってわけか」


「まあ、大雑把に言えば、そういうことね」


 俺が確認の意味を込めてたずねると、早瀬は首肯して続けた。


「売れないままで埋もれている良作は、Web上だけに限らず、こうした小規模イベントからも発掘し、手厚く保護していかなければならないわ――これもまさしく、我が部の正しい活動のひとつとして当て()まるでしょう?」

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