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11:雑用係の放課後

 立て看板は、ほぼ予定通り、初日の月曜日を入れて三日間で完成した。


 火曜日は、角材の塗り残した箇所を処理し、板材に文字を書き入れる作業だった。

 この日は、前日と入れ替わって、俺が角材を受け持ち、早瀬が板材を担当した。率直に言えば、俺は書道やレタリングに自信がなかったからだ。仕上がりを見る限り、この判断に間違いはなかったと思う。

 早瀬が板材に書いた字は、かっちりと真っ直ぐで、ほとんど歪みなかった。


 水曜日には、設計図に従って組み立て作業へ入った。

 まずは俺が木材を持ち上げ、他の木材と組み合わせたら、それを早瀬が両手で押さえ、固定する。そのあいだに、俺が工具で金具を留めたり、釘を打ち込んだりしていく……という要領だ。




 二日目以降になると、多少は早瀬の性格もわかってきた。

 まあ、すでにちょくちょく察していたが、何と言ってもやはり真面目だ。

 この三日間、必ず開始時刻より早めに来ていたし、作業中に会話はしても怠けたりはしない。よくよく制服姿を見てみても、校則違反はひとつとしてなかった。


 そして早瀬は、やたらに柱の物陰とか、集合時にも微妙に中途半端な場所とかに立つ癖があるらしくて、いつも地味で目立たない雰囲気がある。

 黒いロングの髪型も手伝って、校内での有様は歩くモノトーンカラーといった趣きだ。


 どうやら早瀬唯菜は、つくづく影の薄い女の子らしい。

 例の(増岡の独断と偏見による)ランキングではワースト三位だそうだが、一位じゃないところが、むしろ余計に印象の希薄さを物語っているようにも思えてくる。

 どんなことでも二位や三位には、いちいち誰も注意を払わない場合が多いものだ。


 学級代表に選出されたことだって、あれで注目されたとまでは言い難い。

 LHRで俺とのペアが確定した直後こそ、教室内から疎らな拍手が起こったけれど、週明けの月曜日にはもう、誰もクジ引きの結果なんて覚えていそうになかった。

 だいたい、文化発表会の雑用担当者のことなんて気に掛けるものか。



 ……しかしながら。

 だからって、それは彼女が、ただ真面目で、地味で、つまらない女の子だということを意味するわけでは、決してない。


 それどころか、いざ交友を持ってみれば、早瀬のキャラクターはかなり興味深い。

 言動も、始終常に素っ気無いわけじゃなくて、ちょくちょく機知を窺わせる反応がある。

 それにたぶん、早瀬は俺と同じで(自発的に明言していないだけだという部分も含め)、「隠れオタク」に属する人種だろう。

 なので、その特殊性は、万人の支持を得るものではないかもしれない。


 だが、少なくとも俺にとっては、関心を惹かれずにはいられない女の子だった。



     ○  ○  ○



「早瀬は、どうして二日も連続で『八神堂』に来店していたんだ?」


 火曜水曜の作業中にも、二人でそんな会話をひっそりと続けていた。

 まだ、この子の思考や行動には、色々と疑問点がある。


「それに結局、どの日も棚を眺めただけで、何も買っていかなかったみたいだし……」


「最初から二日共、単にあの書店の棚を眺めに立ち寄っただけだからよ」


「――はあ?」


 わけがわからず、変な声が出た。

 早瀬は、溜め息を吐いてみせる。


「私は、あの売り場にあった『天乃河麗華は意識が高い』の単行本を眺めていたの」


 それは何となく察していた。

 けれど、あの漫画は、アニメ化が決定しているほど「売れてしまった」作品だ。

 そして、早瀬は人気が出たから、『天乃河麗華は意識が高い』のファンじゃなくなってしまった、と言っていたのではないか? 


「……それはまた、なんで」


「連休中にアニメ版PVが公開されていたでしょう。だから、あそこをうろついていれば――きっと原作に興味を持って、店頭の単行本を買っていく人が、じかに何人も見られるだろうと思ったのよ」


「――はあ?」


 また、変な声が出た。

 やっぱり、よくわからない……。

 いや、この子が何をしていたのかはわかったけど、それが何の意味を持つのかが、即座に理解できなかった。


「……そんなことして、何になるんだって、思ってるわね」


 あっさり見抜かれた。

 無言で肯定すると、早瀬は塗料の付いた筆先を、手元の板材から離した。丁度、看板の表に来る部分の文字書き作業が、一段落したタイミングだったらしい。


「人気が出たから、あの漫画は好きじゃなくなったんじゃないのか」


「――たしかに、私はすでに『天高(テンタカ)』のファンを辞めたわ」


 早瀬は、一、二秒だけ、じろっとこちらを睨んできた。怖い。

 それから、おもむろに立ち上がると、看板の裏面になる板材を取って戻ってくる。

 床に座り直し、次の作業に取り掛かろうとした。


「遠野くんが最初に『天高』を知ったのは、いつ頃?」


 いきなり、質問を切り返された。


「急に訊かれても、はっきりとは思い出せないが……。そうだな、単行本になるって話が出る半年前ぐらいかな。その当時から、ブックマーク登録数五〇〇〇ユーザーを超えていたような記憶はあるけど」


「なんだ、けっこう遅いのね。PiClub内のオリジナル作品ランキングで、とっくに年間第一位になってからじゃない」


「というか、まさにそのランキングで一位になったのを見て、あの漫画を読みはじめたからな」


 経緯を話すと、早瀬はちょっと小馬鹿にしたように、鼻で笑ってみせた。


「私はね、あの漫画がまだ総合評点三桁、ブックマーク登録数一〇〇未満だった頃から読んでいたの。これが、どういうことだかわかる? つまり……」


 そこで一拍挟んで、言葉を区切り、早瀬は呼気を吸い込んだ。

 珍しく作業の手を止め、くわっと顔を上げる。こちらを眼差す瞳には、何らかの強い想念のようなものが宿って、深い闇が渦巻いているかと見えた。



「――『天乃河()麗華()は意識()が高い()』は、私が育てたッ!」



 早瀬の一言は、決して大きな声ではなかったけれど、酷く痛々しい響きを帯びているように感じられた。

 が、とりあえず言い終えると、本人は何やら満足したらしい(いったい何に対しての満足なのかは、よくわからんのだが)。すぐ目の前の作業に戻る。


「まあ、そういうことよ」


 どういうことだよ。

 と、全力かつ即行でツッコミを入れてやりたかったが、思い留まった。

 早瀬の話には、まだ続きがあったからだ。


「……ええ、『天高』は羽ばたいていってしまったわ――もう私の手が届かないところへ。……しょ、商業化という、甘美な誘惑をチラつかされて、それで純粋だったWeb時代の、あの頃の『天高』は終わってしまった……」


 しゃべっているうちに、再び筆先の動きが止まる。手元が震えて、失敗したみたいだ。乾くのを待って、別の色のペンキで修正せねばならないだろう。

 その箇所は、しばらく放置することにしたらしい。他の部分へ先に筆を入れていく。


「それでね、遠野くん。私の気持ちなんて、たぶん何ひとつ知らず書店で単行本を手に取っていく――そういう、新規読者らしき人々の姿を、私は『八神堂』の漫画売り場で、この網膜に直接焼き付けていたのよ。……ふ、ふふふっ。あの埋もれていた頃の、まだ純粋だった『天高』のことなんか、あの日あのとき単行本を買って行った人の大半は、きっと誰も知らなかったに違いないわ。<そんな現実を確認することで、心の底に沈殿していた、妄執の残滓(ざんし)も溶けて消える> ――私は、そう思ったの……」


 ……ごめん、やっぱ最後まで聞いても、あんまりよく意味がわからんかったわ。

 強いて言うと、早瀬が変なやつであるのはわかった。それと時折、謎の痛々しさが言動の端々に滲み出ていることも。



 まあ、それはさておき。

 もちろん互いのやり取りは、俺が早瀬のことを訊いてばかり、というわけじゃない。

 こっちが相手から質問されることだって、同程度にはあった。


「逆に君は、どうして二日連続で『八神堂』に来ていたの?」


 組み立て作業の最中、早瀬は角材を両手で押さえながら問い掛けてきた。

 俺は、木材同士が接している位置をたしかめてから、釘を所定の場所へ垂直に当てる。


「最初に早瀬と会ったのは、欲しかったラノベの新刊が発売日前日に入荷していないかを、確認しに出掛けたところだったんだ」


「ふうん。遠野くんが欲しかったラノベの新刊って?」


「……『ロゼリウス戦記』第九巻」


 金槌を振り下ろし、釘の頭を叩いた。カツッ、という小気味の良い音を立てて、先端が角材の中に埋まる。

 早瀬は、「あー」と、ちいさく声を漏らして、傍でうなずいていた。


「知ってるのか」


「アニメ版だけは、録画で何話か視たことがあるわ。途中で録り溜めていたレコーダーのHDD(ハードディスク)容量が不足しちゃったから、最終話まで視聴しないうちに削除しちゃったけど」


 メディアミックスされた作品だけあって、知名度はあるようだ。


「そうか。――どう思った?」


「どうと訊かれても……。うーん、一言で言えば()()?」


 あまり期待せずに感想を求めてみたが、特に低評価というわけではないみたいだ。

 元々主要購買層は男性の作品だし、「最終話まで視聴しないで消した」というぐらいだから、もっと芳しくない答えが返ってくるかと思っていたのだが。


 それとも、俺がファンと知って、多少は気を遣われたのだろうか。

 アニメ版『ロゼリウス戦記』のネット上における評判を、この子もおそらく知らないわけじゃあるまい。……しかし、ここまでの言動からして、早瀬は案外遠慮するタイプじゃない気がする。


「普通っていうのは、どのへんが」


「そうね……。おっぱいの大きいヒロインが沢山出てきて、典型的なわかりやすい悪役が居て。普段は全然頼りにならない主人公だけど、本気を出すと一番強い――で、最近流行の異世界ファンタジー。主にそういった部分かしら」


 ……あの作品の要素だけを抽出すると、たしかに否定できんな……。

 いや、原作をちゃんと読むと、そういう王道展開を踏襲しつつ、すごく独特の雰囲気がある内容なんだが。

 あれこれ考えながら、順番に釘を当てて、金槌を打つ。

 すると早瀬は、思い掛けないことを口にした。


「でも、個人的には、世の中で言われているほど悪いアニメじゃなかったと思う」


 僅かに、金槌を振り下ろす手の力が増した。

 微妙に釘が曲がっただろうか? まあ、これぐらいなら許容範囲だろう。


「あのアニメ、一部にやたらと熱心な原作ファンが居て、放映前にそれが無駄に評価のハードルを上げてた印象だったわ。しかも同時期に、凄く完成度の高い他作品の放映と重なってて――全然ジャンル違いのアニメ同士だったはずなのに、なぜか面白さを比較する人が多かったわよね。それで、余計に叩かれてしまったんじゃないかしら」


 俺は、思わず黙り込んでしまった。


 前評判との落差、か。

 なるほど、そういう影響もあったかもしれない。

 期待されることは、たぶん作品にとって幸せなことだ。でも、現実に提示されたものと、身勝手に作り上げられた理想像とのあいだには、往々にして差異がある。

 理想は美化されればされるほど、打ち砕かれたときの衝撃が大きい。


 それに一部の人間には、何かと事物を比較したり、格付けしたりせずには居られない面があると思う。あの増岡を見ていても自明の理だ。



「あの作品も、必要以上に()()()()()()()()()ね」


 早瀬は、どこか憐れむような声でつぶやいた。


「『ロゼリウス戦記』の場合は、元々商業作品だから、致し方ない部分も大きいけれど――ほどほどのところで、余計な注目なんかされたりしなければよかったのに。売れてしまったものは、(すべか)らく純粋でいられなくなるわ。作品自身の内在的要素だけでなく、外部からの様々な作用によっても、ね」

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