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血煙旅記  作者: 黒洋恵生
仙丹編
8/69

【第七話】天邪鬼の咳

 






 白臣は小鳥のさえずり、ざわめく草の音で目を覚ました。白臣の翡翠色の瞳に陽の光が刺さる。彼女は上半身を起こし大きく欠伸をした。毒による影響は少し体が気だるい事ぐらいだ。


「目覚ましたか。あっちに川があるから顔でも洗いたければ洗え」


 声するの方向を見ると(したた)(しずく)を手ぬぐいで拭う宗志の姿があった。白臣は宗志の白い肌を眩しく感じて目を細める。

 そして宗志から手ぬぐいを借りると川に行き、冷たい水に手を浸した。川の水は底がくっきりと見えるほど透き通っており、白臣に父と過ごした故郷の川を思い出させた。もう、自分はあの川をもう見ることはないかもしれない。そしてあの場所には戻れないかもしれない。いや、戻りたくない。


 川の水で顔を洗うと、(しばら)く川の(ほとり)でぼんやりしてから白臣は宗志の元へ戻った。

 宗志は白臣から手ぬぐいを受け取り(ふところ)にしまうと背中から翼を出して広げる。そしてめんどくさそうに口を開く。


「おい、背中にしがみつけ」

「僕はもう歩ける」

「馬鹿、まだ毒が完全に吸い出せた訳じゃねぇって言ったろ? 薬持ってる奴がいるからそいつのとこまで行くぞ」

「でもそこまで世話をかけるには……」

「いいって言ってんだろ。それに下手に歩いて毒が回っちまったらどうするつもりだ?」


 宗志はなかなか頷かない白臣に痺れを切らし、彼女の体を荷物の様に脇に抱え、その瞬間に空に飛び上がった。


「大人しくしてれば落とさないでやる」


 そう言われてしまうと白臣には頷くしか術は無いのである。






 



 半刻ほどしてある大きな屋敷の敷地内に二人は着陸した。宗志は昨日、髭づらの男が言っていたことを思い出す。どうせあいつは無事だろう、と根拠は無いがそう思って来たが、もし事実であればとんだ無駄足であり、何より那智組の檻からの脱走を手助けしなければ薬を手に入れる事は出来ない。


(……めんどくせぇ)


 そうならない様に祈りながら宗志は戸を叩いた。乾いた音が軽く響く。しかしなかなか人が出てくる気配はない。

 白臣はきょろきょろと辺りを見回した。屋敷は豪華な装飾など無く質素な造りをしているが、とにかく大きい。それに小まめに掃除してあるようでそれなりに綺麗である。

 暫く人が出てくるのを待っていると、戸の向こう側に物音がして戸が開いたかと思うと色素の薄い髪を腰まで伸ばした女性が丁寧に出迎えてくれた。


「お待たせして申し訳ございませんでした」

「……あんたは?」

「私は南燕会の鳥野朱(とりのしゅう)と申します。貴方は宗志さんですよね? (かしら)から話はよく聞いております」

「どうせろくな事言ってねぇだろ」

「ろくなことかどうかは判断しかねますが、宗志さんの事を〝天邪鬼で、目付きが悪く乱暴で、天邪鬼で、無愛想で、天邪鬼で、天邪鬼で〟と申しておりました」

「……よくわかった。今すぐそいつを三枚に下ろしに行くから案内してくれ」


 そして二人は鳥野に案内されて屋敷の中を進んだ。宗志が薬を貰おうとしている人物のいる部屋までに、多くの人々とすれ違った。ここは何かの団体、鳥野が言っていた南燕会の人々が共同生活をおくっている場所なのであろうと白臣は一人で納得する。どうりで屋敷が大きい訳だ。

 白臣はここの(かしら)という人物のいる部屋に近づくにつれ、彼の身の危険を感じて大きな溜め息をついた。

 鳥野の足がある襖の前で止まる。どうやらここに目当ての人物がいるらしい。宗志はすぱんっと(ふすま)を開けた。

 部屋の中には青みがかった長い黒髪を高い所で一つに結った男が座っていた。その男はこちらに背を向けて、どうやら書物を読んでいるらしい。

 宗志はその男が振り向く前に、その背に飛び蹴りをかました。鈍い音がして男の叫び声が部屋いっぱいに響く。


「痛い! 痛いってば! まさに乱暴狼藉(らんぼうろうぜき)!」

「悪かったな、天邪鬼で」

「おお! 宗志じゃないか! 久しいな! 何だとうとう南燕会に入る気になったか?」

「なるわけねぇだろ」

「ちょっと待て! 丸腰の相手に刀を抜くなんて武士の風上にも置けぬぞ! ちょっと刀納めてってば! ねぇ聞いてる?」

「聞いてない」


 そんな二人のやり取りを廊下で見ていた白臣は額に手を当てて溜め息をついた。隣をちらっと横目で見ると、鳥野がまるで子猫の(たわむ)れを見ているかの様に和やかに微笑んでいる。


「すいません、僕止めた方が良いですよね?そうしないとお頭さんの身が……」

「大丈夫ですよ。仲良くじゃれあっているだけでしょう」


 鳥野は逆に何故止める必要があるの、とでも言いたそうに白臣の顔を見つめてくる。白臣は本日何回目か分からない溜め息をついたのであった。





 二人の鳥野曰くじゃれあいが終息すると、彼女は座布団を引っ張り出し、慣れた手つきで人数分の白湯を用意してくれた。

 白臣の目の前に座っている男は、長い前髪を真中で分けて額に額当てを当てるように包帯を巻いている。男は白湯をずずっと(すす)ってから口を開いた。


「宗志、お前に連れがいるなんて珍しいな。まさに前代未聞ぜんだいみもん!」

「……いろいろあったんだよ」


 男はそうか、と一言相槌(あいづち)を打った後、鳥野に湯呑を突き出して白湯のお代わりを催促(さいそく)しながら白臣に視線を向けた。


「まだ名を名乗ってなかったな。俺は瀬崎時雨(せざきしぐれ)だ。この南燕会の頭領をやっている。宜しく頼む」

「僕は藤生白臣です。こちらこそ宜しくお願いします」

「ほほう、礼儀正しい子じゃないか。まさに山高水長(さんそうすいちょう)!」


 お前と違ってな、と時雨は白臣の隣に座る宗志ににやりと笑って視線を送る。それに対して宗志はぎろりと時雨を睨みつける。

 白臣はもしかしたら鳥野の言う通りこの二人は案外仲が良いのではないか、とのんびりと思った。まあそんな事を言ったところで宗志は否定するだろうが。 

 そんな事を白臣が考えていると時雨がこほん、と咳払いをして彼女に向き直った。彼女も思わず姿勢を正す。


「それで、宗志。お前は南燕会に入るついでに何をしに来たのだ?」

「だから入らねぇって言ってんだろ……! こいつの傷口から対妖怪用の毒が入っちまってな。お前なら解毒剤ぐらい持ってるだろうと思ってよ。ちなみにこいつは純人間だ。一応毒は(ほとん)ど吸い出せたと思うんだが……」


 時雨は何かに驚いた様に白臣を見た。その視線に思わずびくっと体が反応してしまう。確かにこの容姿で純人間など言われても信じられないだろう。そうとは分かっていても、心無い言葉を言われるのではないか、と心の隅で小さな不安が沸き上がる。

 しかし時雨の口から出た言葉は白臣が思っていたものとは全くの別のものであった。


「吸い出した……というのは誠か?」

「ああ」

「吸い出した……というのはお前がか?」

「それ以外に誰がいるんだよ」


 時雨はいきなり立ち上がり隣にいる鳥野に向かって興奮気味に叫んだ。


「と、鳥野! 赤飯を炊け! 今日はめでたい日だぞ! まさに大慶至極(たいけいしごく)!」

「はっ!?」


 宗志と鳥野の声が重なった。この場にいた時雨以外の人物は誰一人この突拍子(とっぴょうし)も無い発言についてこれなかったのだ。

 そんな三人にお構いなしに時雨は嬉しそうに感情が高ぶった声で続ける。


「この宗志に、他人に(ちり)ほどの興味をしめさない宗志に、俺以外の友が出来たのだぞ。しかも毒を吸い出してあげたそうじゃないか」

「悪いが俺にお前みてぇな不潔な長髪の友達(だち)はいねぇ。人違いだ」

「ふ、不潔……!? 街娘は俺の長髪を馬の尻尾みたいだと褒めてくれるぞ! 会うたびに俺の髪の毛と戯れたいのか引き抜いては(わら)の可愛い人形に巻き付けてくれるぞ! いやー、色男は辛いものだ。まさに眉目秀麗(びもくしゅうれい)!」

「……もういいから薬よこせ」

「しかし、宗志に俺以外の友が出来るとは、寂しいが嬉しいぞ!」

「今すぐ薬ださねぇと……首落とすぞ」


 宗志が刀を少し抜いて刃をちらつかせて、やっと時雨はごそごそと棚をあさりだす。そして何やら小壷を取り出して畳の上に置いた。


「これが解毒剤だ。白臣殿、上を脱ぎたまえ。俺が塗ってやろう」


 えっ、と白臣が視線を泳がした。それを見た宗志は畳の上にある小壷を自分の元に引き寄せて白臣に渡し、彼女に助け船を出す。


「ハク、これぐらい自分で塗れるだろ。隣の部屋とかで塗ってこい」

「何を言っているのだ宗志。この薬はただ塗ればいいという代物ではない。指圧のかげんや量を少しでも違うと意味をなさない。素人には扱えぬ」

「ならば、私が塗って差し上げましょう。それならば構いませんよね(かしら)。宗志さんもそれなら良いでしょう?」


 鳥野は宗志に意味有りげな微笑みを残し、小壷を丁寧に持ち上げると白臣に立つように(うなが)した。


「いきましょう、ハクちゃん」

「は、はい」


 二人が部屋から出ていくのを見届けてから、時雨はずずっと白湯を啜っている。宗志も湯呑に口をつけたが既に中の白湯は冷めてしまっていた。

 湯呑から視線を起こすと、時雨が何やら探る様な目つきで宗志の事を見ていた。彼はたまに人の心を探る様な目をするのだ。

 宗志は時雨を度々馬鹿だと揶揄(やゆ)しているが、空気を読まず人の話を聞かないだけで、実は深く広い考えを持っている事を知っていた。そんな事を言うと時雨は調子に乗る事は目に見えているし、宗志自身、彼を認める発言をするのは(しゃく)だったので口に出したことは無いのだが。

 白臣が女だと言うことが時雨にばれてしまったのかもしれない、と宗志は時雨の深い瞳に映る自分の姿を見ながら思った。彼の(かん)は異常に鋭いのだ。それは〝額の包帯を取り払わなくても〟だ。それは時雨の中に流れている血も関係していると思われるが、彼自身の天性のものでもあった。

 別に白臣が女だと言うことが時雨に知られたとしても、宗志としては気に留めることではない。しかし、何故か知られようが知られまいがどうでもいいという想いと、自分達だけの秘密にしておきたいような想いが、体の中で渦を巻いた。恐らく鳥野は今頃気づいている……か、もしくは出会った時から気づいていたかもしれない。その点に関しては特に気にならないのだが、何故だか時雨には知られたくないという、名づけ難い感情が宗志の心を支配していた。

 時雨はそんな宗志の心を見透かした様な目を逸らす事無く口をゆっくりと開く。


「宗志、お前俺に何か隠し事をしているな?」

「……別に」


 宗志は時雨から視線を逸らした。これ以上瞳の中を覗かれると、本当に心中が露見(ろけん)してしまいそうな気がしたのだ。


「分かったぞ、宗志。お前の隠している事が」

「……だから何も――」

「俺の目は誤魔化(ごまか)せんぞ。お前……」


 時雨はにやりと口角を上げ、人差し指を宗志に指して言い放った。


「お前、男色(だんしょく)だったのだな!」

「は!?」

「まさかお前が男色とは驚いたぞ。まさに吃驚仰天(きっきょうぎょうてん)! だから俺に白臣殿の裸を見せたくなかったのだろ?」

「……お前はやっぱりただの馬鹿だ」

「俺は歩く書物と呼ばれる男だぞ。馬鹿なわけあるまい。しかし、男の何処が良いのだ?」

「言っておくが俺は男色じゃねぇ」

「男なんて固いしむさいし、愛でる対象では無いだろう。女子(おなご)は良いぞ! 可愛いし、いい香りするし、なにより柔らかい」

「もういい、喋るな。次、喋ったら……斬る」


 時雨はにやにやと宗志を冷やかす様な表情のまま無言で頷いている。そんな時雨に宗志は苦々しく舌打ちをするのであった。

 そんな時、部屋に薬を塗り終えたのか白臣と鳥野が入って来た。二人はそれぞれ元の場所に座り直す。白臣は正座をして申し訳なさそうな声音で口を開く。


「あの、薬のお金なんですが、今すぐ払えないんです。明日日雇いの仕事を探すので……」

「金の事は心配しなくていい。友の友から金を取るなど罰が当たるわ」

「でも……本当にいいんですか?」

「ああ。白臣殿は友の友だ。ならば薬の一つや二つどうってことない。ただ……」


 時雨は少し間を空け、首筋を撫でながら続けた。


「実はその薬は応急処置にしかならんのだ」

「それってどういう意味だ?」


 宗志が口を挟むと、時雨は腕を組んで目の前に座る二人の顔を交互に見ながら口を開いた。


「この薬は体内で膜を作って毒を包み込み、体に広がらない様にするためだけの物なのだ。ひと月経ってしまうとその膜が破れ毒は体内に広がってしまうのだ。毒そのものを浄化する薬は別にある」

「で、それ何処にあんだよ?」

「……悪いが、俺は持ってない。そこで、提案がある」


 時雨は鳥野に目配せすると、鳥野は静かに頷いて部屋から出て行った。暫くして鳥野はなにやら古めかしい紙を一枚と脚の短い机である文机(ふみづくえ)を持ってきて、文机を時雨の前に置き、紙をそれの上に広げた。

 時雨は鳥野が紙と共に持ってきた筆をとり、大まかに地図を書き始めた。そしてある場所にバツ印を書いている。


「此処の印の場所に、その毒を浄化する薬が売ってある。実はお前達に協力してもらいたいことがあるんだが……」


 時雨が言うにはこうだった。

 時雨が率いる南燕会というのは、妖怪の血が流れていることによって迫害を受け居場所を無くした者同士が集まって、共に生きるために結成されたものだ。その南燕会の維持費は、妖怪の力を持つ人間にしか解決出来ない様な事柄に関する依頼を受けることで得られる報酬によるもので得ている。

 今回の依頼というのは、白臣の体内の毒が浄化することが出来る薬が売っている場所、志津(しづ)国でのものだ。南燕会は志津国の隣の国の照妙(てるたえ)国にある依頼を受けた。

 その依頼の内容はこうだ。志津国では寿命を伸ばす薬が売られているらしい。使用方法は死に際の人間にその薬を飲ませればいいという単純なものだ。だが、その薬には〝心の清らかな者〟しか効かないというもので、もし健康な人間、または心が清らかでない人間が使用すると、たちまち毒薬に変わるという。

 照妙国の大名の娘が死病にかかり、余命僅かなので、その薬が本当に効果があるか調べて欲しいとのことだそうだ。


「そりゃあれだな。毒を売って民衆から金を巻き上げて、病人が死んだら〝そいつの心が汚いのが悪い〟ってことにする魂胆(こんたん)だろ」

「宗志、鋭いな。俺もその点で調査しようと思っている」

「で、でも! 薬屋って人の命を助けるための職業ですよね? 人に毒を売るなんてそんなことしないんじゃ……」


 思わず口を挟んでしまった白臣に、宗志は眉間に(しわ)を寄せ、時雨は困った様な表情を見せた。


「お前、甘ったれたこと言ってんじゃねぇよ。そういうことが平気で起る世だってことは、お前だって痛い程分かってんだろ」


 宗志はそう吐き捨てた。白臣にだってそんなことは分かっている。ただ、信じたくないのだ。そんな事が起きてしまう世を受け入れたくなかった。

 宗志は時雨に視線を戻して話を続ける。


「で、そのいわく付きの薬屋に毒を浄化する薬が売ってんのか?」

「ああ、そうだ。どうだ、協力してくれるか?」


 宗志はそれに答えずに、立ち上がった。


「ハク、行くぞ」

「えっ?」

「悪いが時雨、お前に付き合うのはまっぴらごめんだ。その薬が売ってるならお前に協力しなくても普通に買うなりすりゃいいだろうが。ほら、行くぞ」


 そう言って背を向けてすたすた歩いて行ってしまう宗志に、白臣は立ち上がって時雨と鳥野にぺこりとお辞儀をした。

 時雨は特に気分を害した様子もなく、変わらぬ声音で部屋を出ようとする宗志に声をかけた。


「宗志、どうでもいいのだが。お前……金持っているのか?」

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