【第六十話】濁った飴
「凄い! 随分と賑やかですね!」
「そうやろそうやろ? ええとこやろぉ? ここは妖怪の混血児やろうと、見てくれが個性的なもんやろうと、大手ぇ振って歩ける」
五人の目前には派手な着物を思い思いに着崩した男達や、それぞれ色とりどりの着物を身に纏った女性達が行き交っていた。
人々の楽しそうな声の中で、頭を布で巻いている桂女という女性達が飴や勝栗を売りさばくための軽妙な口上が聞こえる。
白臣は物珍しそうに瞳を輝かせながら辺りをきょろきょろと見回しながら足を進めていた。そんな彼女の腕に小夏は細い腕を組ませて歩いている。それをちらりと見て暁虎は微笑ましそうに口を開く。
「ほんと小夏は白臣はんになついてるなぁ」
「さっきはお節介だとかなんとか言ってたのにな」
「やかましいな、天狗! 女心は秋の空って言うやろ? それともあんたまさか妬いてるん? 男のくせに情けない。悔しいなら精々堂々私から白臣奪うてみぃ」
「この餓鬼……!」
「天狗はん、小夏に男色って思われてるの、おもろいな。え、まさかほんとうなん? いやあ、こら那智組に密告して全国に広めてもらわなな」
へらへらと笑いながら歩く暁虎に宗志はドスの利いた声で突き刺す。
「お前、三枚におろされてぇみてぇだな」
「ひゃー怖い怖い。干物にされてまう」
「頭の干物なんて誰も食べへんですよ」
「いや千歳! 犬なら食べるかもしれへん」
「小夏。いつも言うてるやろう。生き物は大切にせなあかんと。そないなゴミ食べさせたら犬が可哀想やろう」
辛辣、と叫ぶ暁虎を横目に宗志は溜め息をついた。白臣は楽しそうにくすくすと笑う。
「なんか錦澤さんって瀬崎さんみたいだよね」
「……どうりで規視感があるわけだ。さっきからあの女顔を見てると時雨が頭にちらつきやがる」
「元気かな、瀬崎さんも鳥野さんも」
「……元気だろ。時雨にいたっては首刎ねても死にやしねぇよ。まったく組織の頭をやってる奴はこう鬱陶しい野郎ばかりなんだ」
そう言って、宗志が本日何度目かの溜め息をついた時。頭、と暁虎を呼ぶ艶っぽく少し低い声がした。見るとこちらに近寄ってくる鮮やかな着物を着た者がいる。
「おお、麗乃! 相変わらずべっぴんさんやなあ」
「いやあねぇ。頭には敵わへんわ。それより聞いて。新しいお香を焚き付けてみたの。どないかしら」
両手を上品に広げてみせる麗乃からは甘酸っぱい華やかな香りが漂ってくる。その手足はすらりと長く、宗志と背丈が並んでしまうほどだ。麗乃はふと白臣の姿を見て、高い声を上げた。
「あら、なんて可愛こちゃんやの。ボク、何歳?」
「今年で十五です」
「まあ、元服はしてるのね。ほんとうちん店に来てもらいたいぐらい。ねぇ頭、可愛こちゃん借ってはあかんかしら? この子、絶対化けるわぁ」
「ええやんええやん。せっかくだし」
「……あんたら何の話してんだ」
明らかに不機嫌そうな声で宗志が言葉を挟んだ。暁虎は明らかに小馬鹿にしたようなにやにやとした笑みで宗志に視線を注ぎ、麗乃は意に介さない様子で微笑んでみせ口を開いた。
「あら、こちらの方は? 可愛こちゃんの恋人かなんかかしら。お兄さん衆道の嗜みがあるのやね。うちも相手してもらいたいわ」
「勝手に納得してんじゃねぇ」
「あら、恋人ちゃうん? 恋人未満ってことかしら。青いわねぇ」
「麗乃さん……! 本当に僕達、そういう関係じゃなくて……!」
慌てて進言する白臣を麗乃は微笑ましそうに見つめる。そして艶やかに舌なめずりをした。
「ほんまに可愛いわ。うちん店で雇いたいぐらい。ねぇねぇ、頭。この子借ってええやろ?」
「ええでええで。好きにしーな」
「お前が勝手に決めんじゃねぇよ」
「そないに怖い顔しいひんで、天狗のお兄さん」
険しい顔した宗志の鋭い眼光を気にもせず、麗乃は白臣に目線を合わせるようにして屈むと、彼女の頬っぺを両手で包み込んだ。
「頬っぺたぷにぷにじゃない。若いってええわね。歳を取ると頬っぺた硬うなってもうて大変なんよ。うちら男はね」
「……へ? ……男? 麗乃さん、男なんですか……?」
「あら、もしかして女か思た? もうやだあ、嬉しいわぁ! 頭、うち女と間違えられてもうたあ」
きゃっきゃっと喜ぶ麗乃に、暁虎はよかったなあ、とのんびりと口にした。驚きを隠せない白臣は傍にいる宗志へと目をやる。彼は表情一つ変えずにしれっと言う。
「どっからどう見たって男だ……ッ痛……!」
「天狗のお兄さんなんか言いはりました? お兄さん男の子にはもてても、女にはもてへんやろ。お兄さんみたいな女心の分からへん殿方は女には見向きもされへんさかいね」
上品な笑い声をあげる麗乃の隣で宗志はど突かれた脇腹を擦っている。白臣もつられてくすくすと笑う。
「麗乃さんのお店ってどんなお店なんですか」
「うちん店? うちん店はね、男が女の格好をしてお客様を芸やらで楽しませたるお店やの。うちん店で働いてる男らはそんじょそこらの女より、べっぴんよ。間違いあらへんわ」
「そそ。うちも麗乃の店たまに行くけど、あそこはべっぴん揃いの極楽や。おすすめやで」
曉虎はうんうんと何度も頷いてそう言った。麗乃は赤く濡れた唇を開く。
「可愛こちゃん、ちょい女物の着物やら化粧やら興味あったりしいひん? あんた絶対化けるわ。このうちが言うんやさかい間違いあらへん。ね? うちに任せてくださらへん?」
「……女物の着物に化粧ですか……確かに小さい頃には憧れたりもしました、けど……」
少し考えてから白臣は困ったように笑って見せた。そして丁寧に言葉を続ける。
「ありがとうございます。でも、僕こんなんだし。似合わないですよ。お気持ちだけ頂きます」
その言葉は寂しげな響きがあったのだ。そして丁寧ながらもはっきりと拒絶の意が込められていた。
「……ハク」
ぽつりと名前を呼ばれて白臣は不思議そうに宗志を見上げた。彼は無表情でちらりと白臣を見ると、彼女の背中をそっと押す。彼女は宗志に押され、一歩ばかり前に出た。
「……着せてやってくれ」
「あら、天狗のお兄さん乗り気ちゃう。さては可愛こちゃんの可愛い姿がみたいんだなぁ?」
「うるせぇな。だが……着物の着付けはあんた以外で頼む」
「えぇ! なんでぇ? うちん着付けの何がお気に召さへんの? あかんとこあるなら直すさかい! はっきりいっとぉくれやす!」
「そういう訳じゃねぇ、んだけど。なんと言うか……とにかく。身も心も女の着付け師で頼む」
なんとなく言葉を濁してそう言った宗志に曉虎は面白がるように鼻を鳴らした。
「天狗はん、可愛こちゃんの裸を男に見られるぐらいなら、女に見られた方がええってことやろ。恋敵は異性よりも同性ってことやなあ」
「……もうなんでもいいわ。とにかく着付けーー」
「もう、なら早うそうならそうだって言うたらええのに! 天狗のお兄さん、こう見えてえらいヤキモチやきさんなのね。安心して。可愛こちゃんには体も心も女の着付け師をつけるさかい。可愛こちゃんを他の男には見せたないなんて、もうなにそれぇ可愛いぃ」
体をくねらせている麗乃に宗志は盛大に溜め息をついてから、不安げに視線を泳がせている白臣の頭にぽんっと手を置いた。
「……着せてもらえ」
「でも……僕なんかが着ても、似合わないよ。その、女の子みたいな動きとか、全然できないし」
「んなのいいんだ。お前はお前だ」
「さあ、可愛いこちゃん。うちん店においで。あんたならそこらの女の子には負けへんわ。女装の虜になってまうかもしれへんけど、その時は雇うたるさかいね」
「ほら。行ってこい」
自信なさげに宗志の顔を見る白臣の髪を、彼はぐちゃりとかき混ぜると、そっと彼女の背中を押す。
「うちもうちも! 白臣と一緒にいったる! 初めての女物の着物に化粧やと不安やろうさかいな!」
「小夏。あんたはこれから琴の稽古や。こないなところで油を売ってる暇はあらへん」
「えー! 琴の稽古は昨日死ぬほどやった! もはや黄泉の国に片足突っ込んだってぐらい! 今日はもう勘弁してぇ」
「芸の道は一日の怠けが命取りなんや。どないな立役者でも一日怠けたらあっちゅうあいさに転がり落ちてまう。そないな厳しい世界にあんたはいるんや。ほんで生きてかなきゃならへんねん。わかったか?」
「千歳の言う通り。芸で生きてくってのはそのぐらいの覚悟でなければなぁ。誰も女、子供やさかいって哀れんではくれへん。……ま、そら芸の世界に限られたこっちゃあらへん。世間は単純や。あんたの芸が人の心を動かせるか、動かせへんか。わかったら稽古に励みーな」
へらっとそう言う曉虎に小夏は面白くなさそうに口を尖らせる。
「頭はさぼってばっかやん」
「うちは天才の中の天才、千年に一人の逸材、もはや奇跡やさかい例外やで。……ま、芸だけやっとったら良かった時に戻れるなら戻りたいけどな」
励め励め、と曉虎は小夏の頭を撫でる。そして千歳に半ば引き摺られるようにして連れていかれる小夏を見送り、白臣は麗乃に連れられとある店に消えていった。それを見届けてから曉虎は宗志に笑いかける。
「さて可愛こちゃんが変身するまで、うちらは酒でも飲もうとしまひょか。着いてきとぉくれやす。鼠野会の本部に案内したる」
「ん」
「最近は日高いな。けっこうな時間や思うけどまだ明るい」
曉虎は目をすっと細めて空を見上げる。徐々に夜の気配が空をゆっくりと満たしていったのだった。
心地よい香りがふんわりと宗志の鼻をかすめた。曉虎に案内された鼠野会の屋敷は、連なるように建てられている建物と特に変わった様子は見受けられない。少しばかり他の建物より大きい程度である。
曉虎は戸を開けながら振り返り宗志の顔を見た。
「ここが鼠野会の屋敷や。とは言うてもここでは主に幹部の会合をする時、こうやって客人をもてなす時しか使わへんねんけどな。ここの通りに住んでる者はみんな鼠野会に所属してる。おんなじ屋根の下に住んでるようなもんや」
そう言って曉虎は入るように宗志を促す。彼は曉虎に促されるまま屋敷に足を踏み入れた。
屋敷の内部は目立って変わったところがなく、人も必要最低限の女中がいる程度のようである。隅々まで清掃が行き届いているようで、埃一つ落ちておらず、床は顔が映るほど磨き上げられていた。
曉虎に案内されるまま宗志は階段を登り、一番奥にある一室に通される。二階の部屋は一つの大きな部屋を襖で数室に区切られており、人数に合わせて部屋の広さを調整できるようだ。
後から来た女中が用意した座布団に二人はそれぞれ腰を下ろした。前を座る曉虎の顔を宗志は探るような視線を遠慮なく注いだ。曉虎はその視線を嫌がる様子も、避けようともせずに、相変わらず人好きのする笑みを浮かべたまま受け止める。
次に宗志は曉虎から彼の横の壁にかけられている掛け軸へと視線を移す。
そこには黒い短髪で頬に血化粧を施している男と、艶やかな黒髪の華奢な女が描かれていた。絵の中の二人は仲睦まじく肩を寄せあっている。その瞳には、この世の憂いや悲しみを写したことがないかのように、澄んでいた。
「これが気になるのん、天狗はん。これは若い頃のうちと、死んだ嫁はん。……もう早いもんであっちに逝ってから7年は経つけどなぁ」
「……あんた嫁取りしてたんだな」
「よう驚かれる。昔はこないなんじゃなかってん。わりかし硬派な男やったんやで。ずーっと明古のことが……あ、うちの嫁はん明古っていうんやけど……餓鬼の頃からずっと好きで。……せやけどうちんとこの錦澤家と明古とこの麻生家は因縁があってなぁ」
懐かしそうな暁虎は目を細める。その表情は寂しげであったが、幸せそうにも感じ取れるものだった。それほどまでに、その日々を、そしてその明古という人物を恋しく思っていると、宗志にも嫌でもわかってしまうほどに。
暁虎は遠くを見るような目をしたまま、静かに言葉を続ける。
「しかも麻生家は妖怪の混血児を、えろう毛好かんしとってな。まあ、うちみたいなのを平気で受け入れる錦澤の方がおかしいのかもしれへんけど。なんせ、さっきおったごっつい男、千歳いるやろ?」
「……ああ」
「あら朋古の実の兄なんやけど、妖怪の混血児やさかいってことで勘当されとったんやさかい。えろう寂しい話よな」
「……まあそんな珍しい話じゃねぇけどな。俺からしてみたら、あんたの家の方が異常だ」
「天狗はん言うなあ。ほんとその通り。うちはありがたいことに恵まれとった。それでどないしても麻生家の人間、朋古の親父はん、お袋はんに認めてもらいとうってな。死にもの狂いで芸に打ち込んだ。もはやあら鬼やな。うち鼠だけど。芸の鬼ってわけや」
へらっと笑って見せると暁虎は細い指先で艶やかな黒髪を耳にかける。息を飲んでしまうどの洗練された所作だった。彼は赤く濡れてるかのように艶かしい唇をゆっくりと動かし言葉をこぼす。
「ほんで、やっと。やっとの思いで朋古を嫁にできた思たら。……一年経たへんで流行り病でぽっくりや。人間なんて簡単に死んでまう。どない大切に思うとっても、どない大切にしても」
「………」
「そやさかいうちは。もう大切なもんは一つも失いたない。あないな思いは人生でいっぺんで十分や。なにがなんでも、みっともなくとも、この腕に抱えたものは一つも落としたない。……わがままやろ」
軽い口調でさらりとそう言った曉虎の瞳はやけに真っ直ぐで、やけに真剣だった。宗志は何も言わずに彼から視線を逸らし、再び掛け軸へと視線を戻す。そこに描かれている男は、彼の目の前に座っている男とはまるで別人のようだった。
「失礼致しやす」
襖の向こうから声がした。曉虎が入るようにと応えると襖が開き、そこには徳利と猪口が一つずつ乗った盆を持った千歳が立っていたのだ。
曉虎はおちょくるような口調で言う。
「どないした? ごっつい男がぼさっと立って。あんたは若い者に琴の稽古でもつける予定やなかったか」
「そうやったんやけど。別の者に変わってもろうました。頭一人で客人もてなすなんて、できるわけあらへんやろう思いまして。ちょうど盆を持った女中に会うたさかい受け取りやした。あ、こちらをどうぞ」
そう言うと千歳は膝を畳につけ、盆を宗志の前に置いた。宗志はそれをまじまじと見ると訝しげに曉虎に視線をやる。
「あんたらは呑まねぇのか」
「一緒に呑みたいとこなんやけど。うちも千歳も、いろいろやることがあってな。酒呑んでる場合ちゃうねん。かんにんな。あ、それとも疑うてる? そらそうでな。貸してみぃ」
曉虎はひょいっと徳利を手に取ると、酒を見せつけるように猪口に注ぐと一気に飲み干した。
「ほら全然平気やろ。ええ酒や。ややこしいこと考えへんで呑むとええ」
「頭は少しはややこしいこと考えたほうがええですよ」
「やかましいな、あほ千歳!」
「落ち着いてください、頭。知能の低さが露呈してまう」
軽口をかわす二人を傍目に、宗志は嘗めるように酒に口をつけた。そしてちらりと曉虎へと目をやる。彼の目は寂しいぐらいに真っ直ぐな光が籠っていただった。
どれぐらい時間が経っただろうか。宗志の前には空になった徳利が三本置かれている。曉虎や千歳に勧められるがまま、呑み進めていたのだ。
とはいえ宗志の頬に赤みが差すことはなく、いつもと変わらない死体の様な血の気のない白い顔のままだった。
そんな時、女にしては低く太い歓声が遠くから聞こえた。そしてその声は徐々に大きくなる。声の主はこちらに近づいているようだ。
「失礼致しやす」




