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血煙旅記  作者: 黒洋恵生
~最終章~ 月の都編
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【第五十九話】口先が染まる






 茂みに身を隠し人目につかないようにしながら、宗志と白臣は足を進めていた。土岐と遭遇してから一週間経つ。あれから宗志の体調は目に見えるほど回復し、今では鬼の呪いに犯されていたのが嘘であるかのようだった。

 それを手放しで喜べないのは、呪いを解いたのがあの土岐翔和であるということ、そして彼が最後に二人に言い放った言葉のためだった。

 ただのはったりだとも取れる言葉ではあるのに、絡み付く様な不安を二人が覚えてしまうのはあの男の腹の底が全く見えないためだ。どちらもその事について口にはしないが、染みのような不安を拭い去ることばできていなかった。


「待て。……人がいる」 


 前を歩く宗志が小声でそう言うと同時に止まった。それに合わせて白臣も歩みを止める。

 二人がいる場所は京の近隣国だ。帝のいる京の警備は非常に厳重で、関所では少しでも怪しい素振りを見せると牢に繋がれてしまい、最悪の場合その場で斬り捨てられてしまうこともあるという。

 その警備を中心に担っている組織の一つが那智組(なちぐみ)であり、ここ最近、二人はいつも以上に神経を尖らせていたのだった。

 白臣は宗志の茂みに身を隠しながら彼の背中から顔を出す。見ると茂みの先には子供達がいるようだ。男の子が三人に女の子が一人。その男の子達の無邪気で刺のある声がした。


「お前んち化け物通りにあるんやろぉー?」

「やったらお前も化け物じゃんよぉ! ろくろ首ィ? それとも雪女ァ?」

「……うちは人間や」

「嘘つきなや! ちゃっちゃと正体だしてみぃ、化け物!」


 一人の男の子が女の子の肩を小突いた。彼女の華奢な体は簡単に体勢を崩し尻餅をついてしまう。

 その様子を眉間に皺を寄せて気だるそうに眺めていた宗志は、白臣が首を突っ込まないように……とまで考えたところで溜め息をついた。彼の後ろに彼女の姿は既になかったのである。

 赤い髪をゆさゆさと揺らしながら白臣は子供達に向かって歩いていく。そして男の子達と女の子の間に入り、男の子達に向き直り見下ろした。

 

「君たち、暴力はだめだよ。しかも女の子になんて」

「ひぃ……っっ! 親、玉や……っ! 化け物の、親玉だ、ぁっ……!」

「親玉? ああ、僕のことか」

「髪が血に染まってんっ……! に、逃げろっ……!」


 わーっと声を上げて男の子達は背を向けて駆け出した。その背中を見ながら白臣は溜め息を吐いた、その時。後ろから鈴を鳴らしたような刺のある声がした。


「……逃がさへんで。男のくせにうちに触ったな!」

「え?」


 白臣は後ろを振り替える。女の子はゆっくり立ち上がったと思うと、白臣の視界から消えた。


「痛い!」


 声のする方に白臣が目を向けると、先ほどの男の子の一人にあの女の子が馬乗りになっていた。そして顔に平手打ちを叩き込んでいる。他の男の子二人はその女の子のあまりの剣幕にあっけに取られているようだった。


「ちょっと、いくらなんでもやりすぎだよ!」


 白臣が駆け寄って行き女の子と男の子を引き剥がそうと試みる。だが女の子はその男の子の襟を掴み、離れようとしない。とうとう白臣は女の子を羽交い締めして引き離そうとするも、びくりとも動かない。

 女の子は苛立たしげに声を上げた。


「どこの誰だか知らへんけど、あんたのしてんことはお節介って言うんや。ほっときなはれ!」

「その餓鬼の言う通りだ。餓鬼の喧嘩だろ。ほっとけよ」


 めんどくさそうに茂みから出てくると、宗志は呆れた様子で白臣にそう言った。しかし彼女は諦めようとしない。


「宗志、そんなこと言ってないで手伝ってよ! この子の頬っぺ、こんなに赤くなっちゃってるし!」

「あ? 自業自得だろ。女に手出すとこうなるんだ。いいお勉強になったな」

「ひぃ……っ!」


 男の子は涙と鼻水でぐちゃぐちゃにした顔を更に歪ませた。それは宗志の軽蔑した視線があまりにも鋭く冷たかったからだ。男の子はとうとう涙声を漏らす。


「ごめんなさい、もうしないよぉ……! もうしないからぁ……!」

「信用ならへん!」

「そうだ、口先だけならいくらでも言えんだよ。そんなこと」

「ちょっと宗志!」


 羽交い締めした腕の力を緩めることなく、白臣は宗志を見つめた。彼はその視線を受けると、めんどくさそうに溜め息をつく。そして彼が気だるそうに女の子の肩を掴もうとした、その時だった。


「天狗はん、小夏に触らへん方がええで」

「あ?」


 宗志の指先は小夏と呼ばれた女の子の肩に触れる寸前で止まる。彼と白臣が声のする方が顔を向けると、そこには派手な着物を着た男が立っていたのだ。

 彼は肩上まで艶やかな黒髪を伸ばし、赤と白の羽飾りをつけていた。そして頬には紅で二本の血化粧のようなものが施してある。彼がゆっくり瞬きする度に上下する長い睫毛は花弁を思わせてしまうほどで、まるで女の様な男だった。

 その男の声に小夏と呼ばれた女の子は不満げに口を尖らせる。それでも襟を掴む手を緩めようとはしないようだった。その様子に男は苦笑すると、軽やかに小夏の元へと行く。そして軽々と泣いている男の子から小夏を引き()がした。

 男は頬が赤くなってしまった男の子に片手を差し出して口を開く。


「うちんものが悪かったなぁ。小夏も悪気はなかってん、また遊んだってください」

「……誰も遊んでほしおすなんて頼んでへん」

「小夏、こら嫌みやさかい真面目に受け取らんでええで」


 そんなやり取りをしているうちに男の子三人は悲鳴に似た声を上げて走り去っていった。その背中を見届けてから女のような男は宗志と白臣に向き直る。そして丁寧に頭を下げた。


「うちんものが迷惑かけたようで。すまへん。それとおおきに」

「別に僕たちは何もしてないので……」

「いやいや、あんたが小夏を抑えてくれへんかったらあの小童(こわっぱ)の顔面は今頃、熟れた柿のように腫れとった。まあ、あの小童はどうでもええんけど、小夏の可愛い手は人を平手打ちするためにあるわけちゃうしぃな」

「そうや。うちん手は平手打ちするためにあるわけちゃう。この世の男を皆殺しにするためや」

「あほ、女子(おなご)がそないな物騒なこと言いな。小夏の手は琴を鳴らすためにあるんや」


 軽い調子で(たしな)めると、ゆっくりと瞬きをして宗志と白臣を見た。


「かんにんな、申し遅れた。うちん名は四代目(よんだいめ)錦澤(にしきざわ)暁虎(あきとら)っていいやす。以後、お見知りおきを」

「僕らの方こそ申し遅れました。僕は藤生白臣といいます。隣にいるのがーーー」

「天狗の宗志、やろ?」

「……俺のこと知ってんのか」

「そらあ、あんたの悪名は西まで届いてんさかいな。あと時雨はんのお友達なんやろ。昔、時雨はんからいろいろ話聞いたんや」


 別に友達(ダチ)なんかじゃねぇよ、と決まり悪そうに宗志は吐き捨てた。その隣で白臣はくすりと笑う。


「錦澤さんは瀬崎さんと知り合いなんですか」

「そやそや。昔、時雨はんが京に来た時に出会うて意気投合してな。女の趣味がおんなじやったんや。時雨はんは恋敵にはしたない色男だけど、友達にするには最高の男や思う。天狗はんもそう思うやろ?」

「思わない」

「ひゃー、時雨はんから聞いた通り素直になれへん男や。話に聞いた通りの天の邪鬼っぷり!」


 品の良い笑い声を上げてから、暁虎は白臣へと視線をやった。その視線は彼女の頭の天辺(てっぺん)から足の爪先まで動く。そして再び顔へと視線を戻すと人好きのする笑みを浮かべた。


「あんた、白臣っていったな。そないなひょろい腕でよう癇癪(かんしゃく)を起こした小夏にふっとばされなかったなあ。普通の人間じゃ到底無理なんやけど」

「そうなんですか? 小夏ちゃんは、その……」

「そうやなあ。恐らく普通の人間ちゃう思う。まだ何の妖怪の血流れてんか分からへんけどな。そう言うあんたは?」

「僕は普通の純血の人間です。……こんな見た目なんですけど」

「純血ねぇ……」


 暁虎が独り言のようにそう口にした時、彼の傍にいた小夏がふらっと白臣に近づいて彼女の袖を引っ張った。


「うちはたぶん猫妖怪(ねこようかい)や。鼠妖怪(ねずみようかい)なんて一口でぱくりや」

「猫妖怪? 鼠妖怪?」

「小夏、(かしら)をぱくりするなんて恐ろしいこと言わなぎなはれ。ていうか鼠野会(ねずみのかい)なんて半数以上鼠やのに」


 聞き慣れない単語に白臣が首を傾げると、宗志が思い出したように口を開く。


「……そういや昔、時雨から聞いたことがある。西にも南燕会みてぇな組織がある、てな。南燕会と同じく妖怪混血児の穏健派組織で、違うところといえば芸で飯を食ってることだとか。その組織の名がーーー」

「鼠野会。ほんでうちがその頭領や。こう見えても凄いんやで」

「本当に凄げぇ奴は自分で自分のこと凄げぇって言わねぇよ」

「天狗はん、辛辣(しんらつ)! ならうちがどれだけ凄いか、生い立ちから今日までの説明をせなならへんーーー」

「天狗はんの言う通りです。それにそないな暇があったら溜まってん(ふみ)の返事をしろってもんです」


 声のする方に白臣と宗志が顔を向けると、がたいが良く身長は暁虎よりも頭一つぶん大きい男が立っていた。深い(しわ)が刻まれているが、その屈強な体のせいか若くも見える年齢不詳の男だ。


「あまりにも帰りが遅いさかい、(さら)(くび)にでもされたか思うた」

「あほ、東ならまだしもここは西やで。晒し首になんてされるわけあらへんやろう。そないなの協約違反やし」

「……人間をあほみたいに信用するなっていつも言うてんでしょう。あいつらはいつでも私らを利用することしか(おつむ)にあらへんのやさかい。あんた腕っぷしの割には隙だらけなんやさかい、もっと警戒してください」

「耳にタコができるほど聞いた。もはや耳から八本足がにゅるにゅる出てきそうやわ、やかましい! うちより弱いくせにぃ!」

「耳にタコができるのタコはその(たこ)ちゃいますよ」


 冷静な突っ込みを入れてから、その男は思い出したように宗志と白臣へと向き直った。そうして申し訳なさそうに頭を下げる。


「申し遅れやした。鼠野会の麻生(あそう)千歳(ちとせ)と申します。小夏が……いや(かしら)がご迷惑おかけしやした。すまへん。それとおおきに」

「なんでうちが迷惑かけたことになってん。だいたい小夏はあんたの管轄下の部の所属やろ。あんたの監督不届きや。もっと誠心誠意、謝りなはれ」

「千歳は悪ないで! 悪いのんは(かしら)だけや」

「何でうちだけなんや!」


 小夏の言葉に調子良く暁虎は突っ込みを入れる。その掛け合いに白臣がくすりと笑い声を漏らした時、 ふと暁虎の視線に気づく。彼女は不思議そうに小さく首を傾げた。暁虎はしげしげと彼女を見てから口を平く。


「あんた、男やでなぁ?」

「……はい」

「そやな。不思議や。あないながっちり男に羽交い締めされとったのに小夏取り乱さへんなんて。もしや小夏、男平気になったか?」

「そないなわけあらへん。あの泣き虫野郎に肩どつかれた時は(おつむ)に血登ってもうたし。たぶん天狗に触れられとったら確実に平手打ちしとった。なんでか白臣は平気やった」

「そうかそか。まあ一歩前進したんちゃうか。うち以外にも触られて平気な男ができたってことは。まあ白臣はん、可愛い顔しとるさかいかなあ」


 小夏の第六感が男と判断しいひんかったんやろ、と言って暁虎は一人でそう納得したようだった。嬉しそうな笑みを浮かべた彼の隣にいた千歳も小さく微笑んだ。彼にとってはそれが精一杯の笑顔なのだろう、と白臣は何となく思った。

 それと同時に騙している後ろめたさを感じて、彼女が本当のことを打ち明けようか迷っている時。暁虎は何か思いついたかのように、ぽんと軽く手を叩いた。


「そやそや。天狗はん達、ちょい鼠野通り(ねずみのどおり)に寄っていかへん?」

「断る。寄る理由がねぇ」

「ちょい! せめて鼠野通りがどないな場所だか聞いてくれても良ない!? なぁ? 白臣はんは気にならへん? なるやろう?」

「ま、まあ……」

「ならしゃあない! 説明しよう! 鼠野通りとは鼠野会が治めるちょいした通りなんや。そこではありとあらゆる芸から、ちょいした大人の遊びまで楽しめる眠らへん通りなんやで!」


 早口でそう説明した暁虎は得意そうな顔をする。そして言葉を続けた。


「帝もお忍びで遊びに来たりするんや。芸の上手さではうちらに勝てるとこいーひん。なんてたって、うちらのほとんどが妖怪の混血児。集中力も体力もそこらの純人間とは訳がちゃう」

「まあもともとは(かしら)のお家の錦澤家が中心となって治めとった通りなんやが。今では(かしら)を中心にした鼠野会の者の芸で成り立ってんです。私らは一人一つは芸を極めるのがしきたりなんです。(かしら)はああ見えて猿楽の天才なんや」

「なんか千歳から誉められるとむず痒いなぁ」

(かしら)は猿楽以外に誉めれる部分は皆無やさかい」

「ひゃー、正直に言うなぁ」


 品の良い笑い声を溢す暁虎を見て、千歳は疲れたように溜め息をついた。そして宗志と白臣に視線を向け穏やかな声で口にする。


「あんた方、ここら歩くの大変やないですか? ここらは那智組の者がうじゃうじゃいるし。しかもなんてったって天狗はんは西でも面割れてんし、白臣はんはその、どないしても目立ってまうやろう?」

「まあ、そうですね……」

「あんた方がどこに行きたいのか知らへんけど、もし京より西に進むっていうなら、鼠野通りを通った方が安全やし近道や。あそこは帝に認められて那智組の者も手出しできひんのです。とりあえず今のとこは」

「そうなんですか。だったら鼠野通り通った方がいいかも……宗志はどう思う?」


 白臣の問いかけに対して宗志は渋い顔をする。何かひっかかるのか、首を縦に振ろうとしない。

 そんな時、くいくいっと白臣の袖が引っ張られた。見ると彼女の袖を小夏が遠慮がちに掴んでいたのだ。


「どうしたの、小夏ちゃん」

「……白臣、寄ってかあらへんの……?」

「んー、どうしようか迷ってるんだ。ね、宗志」

「……うちの琴、白臣に聞いて欲しいんや。それにもうお別れなんて寂しい」

「よし宗志! 寄ってこう! 寄るしかない!」


 うるうるとした瞳で白臣を見つめている小夏の言葉に、白臣は力強く何度も頷いてからそう言った。そんな彼女に宗志はめんどくさそうに首を回す。


「まあ別に急ぐ旅でもねぇし、いいんじゃねぇの」

「ほんま? やった! 白臣、案内すんで! ほら、(かしら)も千歳も何突っ立ってんねん! 行くで! ついでに天狗も」


 白臣の手首をがっしりと掴むと、小夏はずんずんと進んでいく。それに引っ張られるようにして白臣も小夏の後に続いていた。


「さて、うちらも行こう。ぼやぼやしとったらあっちゅうあいさに小夏らを見失うてまう」


 そう暁虎が言うと同時に、男達三人はその小さな二つの背中を追いかける。

 彼らの頭上にはのっぺりとした白い空がひろがっていたのだった。







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