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血煙旅記  作者: 黒洋恵生
~最終章~ 月の都編
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【第五十五話】時の染み






 ぼとり、ぼとりと土岐は二つの首を落とし、しゃがみ込むと頭を下げている白臣に顔を上げさせた。そして彼女の(あご)を掬ってそう訊ねる。彼の冷たい瞳が一瞬だけ、翡翠色の光が宿った様に白には見えた。


「いいから早く……! 僕ができることなら……! 僕が渡せるものなら……! 何でもする……! 何でもあげる……!」

「……いいでしょう。ただし私が天狗の命を救ったのは他言しないで頂きたい。もちろん、天狗にも」


 土岐は白臣の顎から指先を離すと、横たわっている宗志に目を向けた。そして彼の上半身を脱がせる。彼の体中にはびっしりと黒い染みがあり、虫のように蠢いている。土岐は面白そうに目を細めた。


「鬼の呪い、ですね。今日まで生きてこれたのが不思議なくらいです」


 そう呟くと土岐は宗志の(ひたい)に手を当てた。すると宗志の体中の黒い染みの動きが止まったかと思うと、赤く光り始めたのだ。

 土岐はそれを確認すると自らの親指を同じく自らの口元に持っていき、犬歯に強く押し当てた。そしてもう片方の手を宗志の額に持っていくと、小指で十字の傷を作る。彼の額の傷から血が(にじ)む。

 そして土岐は宗志の額の傷と、血の流れている自らの親指を押し付けたのだ。

 次の瞬間。目が眩むほどの赤い光が小屋を満たしたのだ。空を、世界を赤く染め上げてしまうかの様な強い光だった。あまりの眩しさに白臣は思わず顔を背け目を瞑ってしまう。

 少しして白臣は目をゆっくり開けた。まだくらくらした目眩(めまい)を感じながら彼女は宗志の方へ顔を向ける。そこには既に土岐はいなくなっていた。彼女が宗志の元へ寄って体を確認すると、体中にあった黒い染みは一つ残らず無くなっている。

 白臣は宗志の胸に耳を当てた。とくりとくりと規則正しい音が彼女の耳に入る。宗志の胸から耳を離すと彼女は心の底からの安堵の溜め息を吐く。そして心なしか宗志は今までにない程に穏やかに眠っている様に見えた。


「約束は守ってくださいね」

「……ッ!」

「この小屋から真っ直ぐ北西に進むと(さび)れてしまった社があります。日が暮れた頃に来てください。必ず」


 そんな土岐の言葉が白臣の真後ろで聞こえたのだ。彼女はすぐに振り返ったが既に土岐の姿はそこにはなかった。まるで今までのこと全てが夢だったかのようである。

 だがその場に残された二つの生首と、規則正しい寝息を立て穏やかに眠る宗志の姿が、先ほどの土岐の訪れが夢ではなかったと証明していた。白臣は安堵(あんど)の溜め息を吐く。

 そして残された生首二つを抱えて小屋の外に出た。小屋から少し離れた場所に穴を二つ掘り、それぞれ首を埋める。近くに落ちていた大きめな石を集めると、簡単ではあるが墓石のような物を作った。彼女はその前で手を合わせると再び小屋に戻る。

 小屋の中は血生ぐさい臭いが残ってしまっていた。戸を開けて換気はしたが、まだ臭いが残ってしまっている。そして床には血が染み込んでしまっていた。

 そんな時、ん、という眠そうな声がした。


「……宗志!」

「……ん。……ハク?」


 宗志はうっすらと目を開けると、ゆっくり体を起こした。そして目を擦ると自分の体を見て不審そうに眉をひそめる。


「……何があった?」

「……えっと、偶然、呪陰を見つけたんだ。その人が呪いを解いてくれたんだよ」

「呪陰って……あの土岐翔和っつう男しかいねぇって話じゃなかったか?」

「ううん、他にもちゃんといるみたい。僕も詳しくは分からないけど」


 なんとなく腑に落ちない様な顔をしている宗志は、辺りを見回してから床の血の染みに目を止めた。


「血生臭いな。そこにそんな染みあったか?」

「……あ、ああ。君の呪いを解く時に動物の血が必要だったらしくて。それでじゃないかな」

「……そっか」


 納得したのかは分からないが、宗志は白臣にそれ以上訊くことはなかった。そして彼は気だるそうに首を回してから、人差し指を立てる。

 その指先にはぽっと炎が灯った。白臣は嬉しさのあまり声を上げる。


「良かった……! 本当に怨念は(はら)われたんだね……!」

「みてぇだな。……ハク」

「ん?」

「……心配かけて悪かったな」

「本当だよ……! 君が死んでしまうんじゃないかって、すごく怖かった」


 悪かった、と宗志は再度口にする。どこか照れ臭そうに顔を逸らした彼の横顔に、白臣は涙がこみ上げてくるのを感じていた。

 土岐の狙いが何であるかは彼女には全く見当つかない。だが、どんな物や事であっても彼の命が繋げるためであったら喜んで何でも差し出せると彼女は思う。そんな気持ちは彼女の心の中を漂う不安を覆い隠したのだった。






「寝ちゃった、よね?」


 固く(まぶた)を閉じ横になっている宗志に、白臣はぽつりと言葉をかけた。彼からは何の返答もなく、聞こえるのは規則正しい寝息だけである。いくら怨念は祓われたとはいえ体にかかった負荷は大きかったらしく、彼は食事を取ってまたすぐ眠ってしまったのだ。

 寝ててくれて良かった、と白臣は心の中で呟いた。勘が鋭い宗志のことだ、自分が彼に何か適当な理由を述べて小屋を出たとしても、彼は自分が何か隠していることを看破してしまうのは容易に予想できたからである。

 白臣はまじまじと宗志の顔を見つめた。少しばかり幼く見える彼の寝顔を見ていると、自分の選択は間違いではなかったと彼女は心の底から思えたのである。

 いってくるね、と心の中で呟いて白臣は小屋をそっと出ていったのだった。

 彼女は土岐に言われた通り小屋から北西に伸びている道を真っ直ぐ進んだ。時には彼女の背丈ほどもある草を切り払いながら、足で踏み倒しながら進む。歩いても歩いても社は見えてこない。道の終わりも見えてこない。刻々と空には赤く染まっていき、やがて辺りは夜の気配に包まれ始める。

 そして辺りは闇に包まれ、怪しい月の光を頼りに進む。やがて、朽ちてしまった鳥居とその奥にひっそりと(たたず)む寂れた社が見えた。


「誰もいない、か」


 辺りを見回して白臣はぽつりと呟く。そこに土岐の姿はなかった。風の音一つ、虫の羽音一つしない。彼女は暫く鳥居の傍で立っていたが、ふとその奥にある社に視線をやった。

 もう信仰している氏子(うじこ)もいないのだろう、賽銭箱は傾き、その上に吊るされている本坪鈴(ほんつぼすず)は今にも落ちてしまいそうである。白臣はその社に近づいていく。

 社の中にあの男はいるかもしれない、そんなことを思い彼女は四段ほどの短い階段を登り、賽銭箱の奥にある社の扉に手をかける。少し力を入れると扉は(きし)んだ音を立てて簡単に開いた。彼女は慎重に中を見渡してから足を踏み入れる。

 怪しい月明かりに照らし出された社の中は、外観と同じ様な荒れ具合だった。彼女が足を踏み出す度に床が抜け落ちてしまうのではないかと彼女が思ってしまうほどに、ぎしぎしと嫌な音が響く。引き込まれるようにして彼女は神殿に近づいていった。

 神殿には埃が積もってしまっており、御神体が入っていると思われる厨子(ずし)の前にある鏡は割れてしまっている。


「約束守ってくださったんですね。安心しました」


 突然後ろから声がして白臣は咄嗟に振り返る。入り口にあの男、土岐翔和が立っていたのだ。彼が後ろ手で扉を閉めると同時に、社のいたる所に置いてあった灯明皿(とうみょうざら)に火が灯った。

 土岐は微笑みを浮かべた状態のまま、ゆっくりと彼女に近づいていく。白臣は警戒した面持ちで彼に視線をやる。そんな白臣の様子に、彼は面白そうに笑い声を上げた。


「そんな顔をなさらなくても良いのに。そうそう、天狗(てんぐ)の具合はどうでしたか?」

「……お陰でもう大丈夫みたいだ」

「それは良かった。普段しょっちゅう使うような術ではないので。術のかけ間違いでもして殺してしまったらどうしようと思っていたんです。……それではつまらないでしょう?」

「……そんなことより、お前が欲しい物ってーーー」

「知りたいですか?」


 微笑みなのか冷笑なのか分からない笑みを浮かべ、土岐は白臣と一定の距離を取って止まった。そしてゆっくりと口を開く。


「私が欲しい物は貴女の子です。……私とのね」

「……わ、訳が分からない! それに、僕は(れっき)としたとした男だ……!」

「そんな嘘が通用するとでも? それに前にも言ったでしょう。貴女の事はずーっと昔、貴女の生まれる前から知っている、と」

「……なんで、僕なんだ。お前なら、別に僕なんかじゃなくても、相手はいくらでもいーーー」

「申し訳ありません。貴女にいちいち説明するほど暇ではないのです。それに貴女とお話したい気分でもないですしね」


 そう言って土岐が微笑みを深くした、その瞬間。白臣は何が起こっているのか理解する前に背中と腰に衝撃を受けた。彼女の目前には冷笑を浮かべる土岐の顔があり、その奥には天井がある。

 押し倒されたと理解すると同時に、ひやりとした土岐の指先が白臣の首筋を撫でた。彼女は咄嗟にその手を払い、土岐の下から抜け出そうと手足をめちゃくちゃに動かして抵抗する。

 それを涼しい顔して制すと、彼は白臣の手首を強く掴み押さえ付けた。そして冷ややかな瞳で彼女の翡翠色(ひすいいろ)の瞳を見つめる。


「とりあえずまずここで一度済ませてしまいましょうか」

「はな、せ……!」

「怖いですか?」

「や、だ……っ!」

「おかしいですね。何でもしてくれるのではなかったのですか? 何でもくれるのではなかったのですか? たとえ命だったとしても。あれは嘘だったのでしょうか」


 土岐は含んだ笑みを浮かべそう彼女に問いかけた。白臣の手首を掴む彼の手の力が更に強くなる。


「それとも己の身の清らかさの方が大事なのでしょうか。あの天狗なんかの命よりも。……当然と言えば当然でしょうけどね」

「うるさい……! 別に少し取り乱しただけだ。……好きにしろ」

「強がりを。こんなに震えていらっしゃる。……安心してください。貴女は何もしなくてよろしいので。さっさと済ませます」

「……そう、してくれ」


 一層笑みを深くした土岐の端正な顔を白臣はぼんやりと見る。彼の言う通りだった。宗志の命を救えるならば何でもする、と願い出たのは自分である。それなのに一瞬でも我が身可愛さに抵抗した自分の弱さが恥ずかしかった。

 土岐の氷の様な指先が白臣の鎖骨(さこつ)に触れる。もう終わるまで耐えるしかない、そう強く彼女は自分に言い聞かせた。そして目を固く(つむ)る。一瞬だけ土岐の瞳に翡翠色の光が宿ったような気がした。


「……ッ!」


 次の瞬間。獣の咆哮(ほうこう)が仄暗い闇を裂いた。それと同時に業火が寂れた社を包み込む。白臣の目の前に土岐はもういなかった。何が起こっているのか理解できぬまま、彼女の体は抱き上げられる。顔を見なくても分かる、()ぎなれた優しい匂いがした。

 炎の渦を易々と抜け鳥居の傍まで来ると、宗志は白臣を下ろす。そして無言で彼女の少し乱れた襟元を直すと轟々と燃える社の方へ向き直る。

 その中から炎をものともせず、土岐がゆっくりと出てきた。彼が通る道を作るように炎が彼を避けているかのようだ。

 その刹那。風を切る音がした。風圧で木々が激しく揺れる。

 宗志が土岐に斬りかかったのだ。彼の刀を土岐は容易に自らの刀で受け止める。

 金属と金属がぶつかる高い音が響く。


「ごきげんよう。体の具合はいかがですか? ……聞くまでもありませんが」

「てめぇ……」

「彼女が望んだことです。貴方にとやかく言われる筋合いはありません」

「関係ねぇ……! 薄汚ねぇ手であいつを……! 触んじゃねぇ……!」

「私が汚い? 穢れなきこの私が? ご冗談がお上手なんですね」


 次の瞬間。宗志の前から土岐の姿がゆらりと消えた。標的を無くした刀は(むな)しく空を斬る。


「またすぐお会いするでしょう」


 宗志が咄嗟に声のする方向を向く。土岐は鳥居の上に立ち二人を見下ろしていたのだ。月明かりに照らされたその姿はこの世の者とは思えないほど蠱惑的(こわくてき)で妖美だった。 


「藤生白臣。貴女は私の子を産むか、死に絶えるかの二つの未来しかありません。そして天狗の宗志。貴方は私に生かされるか殺されるか二つの未来しかありはしません」

「ごちゃごちゃ勝手なことぬかしてんじゃねぇ!」

「なぜなら私がそう望むから。私が(うつ)し世の条理なのですから。それ(くつがえ)せるのは神だけです。諦めなさい」


 そこで言葉を切ると、土岐は形の良い瞳を細めて言葉を続ける。(わらべ)(さとす)すような口調だった。


「それがうんざりするほど退屈で、途方もないほど素晴らしきこの現し世で、貴方達の様な、かろうじて生きることを許された者達の定めです。では、今日のところはこれで失礼致します」

「てめえ……! 待ちやがれ……!」

「それと、天狗。体が随分と(なま)っているようですね。鍛え直すことをおすすめします」


 土岐は鳥居の上で丁寧に一礼をすると、そこから飛び降りる。彼は地に足をつけることなく、そのまま消えてしまった。

 辺りは静まり返っている。社は既に跡形もなく灰となってしまっていた。それを音もなく夜風が彼方へと運んでいく。

 宗志は苛立(いらだ)ちを隠せない様子で自らの頭を乱暴に掻いた。そして刀を納めると無言で白臣に近づいていく。そんな彼にどんな顔をしていいか分からず、彼女は視線をさ迷わせてから、ぎこちなく笑って見せてから、再び視線を逸らす。宗志は無言で彼女の両肩を強く掴んだ。


「何で……! お前はいつもこうなんだよ……!」


 そう怒鳴った宗志の顔を、白臣は遠慮がちに盗み見る。彼は泣き出す寸前の様に顔を(ゆが)ませていた。彼女はそんな彼を直視できず、何も言わずに視線を逸らす。


「何でそこまでして……あんな野郎に……! 何で……何でだよ……! 俺が信用ならねぇのか! なぁ……!」

「そうじゃないよ」

「だったら……! 俺に嘘吐く必要なかっただろ……! 何で……お前は……! 助け一つ呼ばねぇんだよ……! そうすりゃもっと早く見つけることだって……!」

「……ごめん」

「何で……俺なんかの、ために……! そこまですんだよ……!」


 弱々しく震えた怒鳴り声に白臣はごめん、と呟くように口にした。宗志は口をつぐんでから小さく首を振る。彼女の肩を掴む彼の手から力が抜けていく。


「違う……お前に謝らせたい訳じゃねぇ……」


 違う、違う、と譫言(うわごと)のように繰り返しながら宗志は白臣の肩から手をだらりと下ろした。そして今にも消えてしまいそうな声で言葉を紡ぐ。


「……すまねぇ。俺は、お前にしてもらってばっかりだ。出会った時からずっとだ」

「そんなことないよ」

「いいや、ある。お前がいなきゃ、俺はとっくのとうに死んでたろうよ。鬼の怨念にやられちまうよりもずっと前に。無様にこの世を、自分自身を、呪いながらな」

「宗志……」

「それにお前がいたから、少しは人間みてぇな気持ちも分かった気がする。所詮(しょせん)、化け物の俺には人間の真似事でしかねぇのは承知だけどな」


 自虐的に小さく笑った宗志に、白臣は全力で首を振って見せる。様々な想いが彼女の胸を熱くし、様々な言葉が胸に溢れ、何も言うことができなかった。宗志は自嘲的に笑った後、泣き出す寸前のように顔を歪めて静かに口を開く。


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