【第五十三話】乾いた視線
あれから二日経った。昼時はとうに過ぎ、日は傾き始めている。雪は砂浜の上で正座をし真っ直ぐと前を見つめていた。それは孤茅渟島のある方角である。ただじっとひたすら何かに耐えるかのように、そこに座っていた。
そんな雪を少し離れた場所から宗志と白臣は見ている。彼女は顔を悲しげに曇らせた。
「やっぱりあの男は……」
「……あぁ」
「雪ちゃんに……何て言えば……。……宗志?」
白臣が言い終わらないうちに宗志は雪に近づいていった。そして彼は何も言わず雪の隣にどかりと座る。雪はそんな彼に視線をやることなく、変わらずただ前だけを見ていた。
そんな雪に宗志はちらりと視線をやってから静かに口を開く。
「……堂林は帰ってこねぇ」
雪は宗志の言葉が聞こえてないのか、聞こえてないふりをしているのか、何も反応せずに真っ直ぐ前を見ている。そんな彼の様子を見て宗志は少し強めた声で言った。
「……あいつは死んだんだ」
「どうばやち様はしんだりなんかしないっ!」
そこで始めて雪は宗志へと顔を向ける。大きな瞳は潤んでおり、今にも雫が零れてしまいそうである。雪は感情を吐き出すかの様に涙声で怒鳴った。
「どうばやち様はつよいんだっ! 誰よりもっ! お前なんかよりもっ!」
「……知ってる」
「どうばやち様が死ぬわけないっ! 死ぬわけないんだよっ! それに、それにっ! どうばやち様がまけてたら、八尾の妖狐のよみがえりがこっちにきてるはずだもんっ! オレを殺しに!」
「あいつが勝ったのか負けたのかは知らねぇ。でもここで百年待とうがあいつは来やしねぇよ。……あいつは死んじまったんだ」
乾いた音が響いた。雪が宗志に平手打ちをしたのだ。雪はぼろぼろと涙を零しながら彼の頬を交互に打ち続ける。彼は特に抵抗することなく、雪のことを静かに見つめていた。
そして乾いた音が止まる。雪の手首を白臣が後ろから掴んだのだ。
「オレは待つもん……っ! どうばやち様は帰ってきてくれるもん……っ!」
涙声でそう叫ぶ雪に、宗志は自らの左袖を肩まで捲り上げた。顕になったその腕に白臣は躊躇いがちに口を開く。
「宗志、その腕……」
「ああ。消えてんだろ」
宗志の腕にあった狐の刺青が初めから何も無かったかのように消えてしまっていたのだ。彼は袖を戻しながら静かな声音で言う。
「この刺青が消えたっつうことは、もうあいつはこの世にはいねぇ。俺の腕に刻んだ時、あいつは言い捨てて行きやがった。〝刺青を消したきゃ俺を消せ。もう俺にも消すこたァできねぇから〟ってな。……そういう事だ」
「……うっ、嘘だよぉ……っ! どうばやち様が死んだなんて、嘘だよぉ……っ! やだよぉ……やだ、やだやだぁ……! どうばやち様ぁ……!」
雪の手から力が抜けた。彼女はそっと雪の手を放す。その手は力なくだらりと下りた。雪の目から零れる涙はぼたりぼたりと砂浜に斑点を描く。
泣きじゃくる雪を見て、白臣はいたたまれない思いで目を逸らした。
「ずっと、ずっと、一緒にいたかったのにぃ……っ! なんで……どうして……! 嘘だよぉ……こんなの……嘘だよぉ……!」
「……雪ちゃん」
「どうばやち様は言ってましたっ……! 生き返らせたい弟がいるって……っ! オレは知ってたよぉ、知ってたんだよぉ……! その弟さんの、たましいの入れものにするために、どうばやち様は……っ、オレをそばに置いてくれてるって……オレと一緒にいてくれてるって……! 知ってたよぉ……分かってた……よぉ……っ!」
雪は泣きながら、つっかえながら叫ぶように言葉を零していった。
辺りを徐々に夜の気配が包み込み、空は夜の色が次第に濃くなっていく。雪の泣き声だけが響いていた。
「それでもよかったぁ……! どうばやち様といれるのならっ……! どうばやち様が九尾になれるまでしか、一緒にいられなくても……! 弟さんのたましいの入れ物になっても……! どうばやち様にとって、オレはそのぐらいの価値しかなくても……! どうばやち様と一緒にいれるならぁ……! それでもよかったのにぃ……!」
「雪、ちゃん……」
「なんで……なんで……死んじゃうんですかぁ……!」
泣きじゃくる雪を白臣は両腕でそっと優しく包み込んだ。雪は彼女にしがみつき声を上げて泣いた。その涙は止まることなどないかのように、とめどなく流れ続けている。
「なんで……っ、オレも……一緒に……っ! しんじゃえば、よかったよぉ……!」
「……それはあの男が嫌だったんだんじゃないかな。雪ちゃんが死んじゃうのが。……あの男は雪ちゃんに生きていて欲しかったんだと思う」
「……そんな、わけない……よ……っ! どうばやち、様は、オレの、ことっ……、好き、じゃなかった、もんっ……!」
「……馬鹿だな」
宗志は小さく呟くと遠い目をした。その目は海の遥か彼方、遠い向こうの世界を見ている。そして独り言の様に続けた。
「……あいつが俺らを先に行かせたのは俺を生かすためでも、ハクを生かすためでもねぇ。お前を生かすためだったってことぐれぇ、餓鬼の頭でも理解できんだろ」
「……」
「……それに。最期に見たあいつの面は。人斬りでも化けもんでもねぇ。……だだの兄貴の面だった」
俺はそう思う、と宗志はそう続けた。その言葉に雪の泣き声は一瞬止まったが、またすぐ大きな泣き声が夜の空に響く。
小さな体を震わせて泣いている雪の体を包むようにして、白臣は彼の柔らかいふわふわとした金色の髪をいつまでもいつまでも撫でていたのだった。
そして数刻が経過した。雪は泣き疲れてしまったせいか、規則正しい寝息を立てている。宗志と白臣はそんな彼を起こしてしまわないよう、ゆっくりと立ち上がると砂浜から少し離れた林へと移動した。
宗志は周辺に落ちている枝を集め、焚き火を作る。白臣は雪を抱えたまま、そっと腰を下ろすと自らの膝を枕にするように雪を寝かせてやる。
穏やかに寝ている雪の涙の跡を彼女は小指でなぞると宗志へと視線をやる。そしてまた雪へと視線を戻した。
「僕は、あの男が嫌いだよ。でも……」
言葉を白臣はそこで切ると、雪の金色の髪を優しく撫でた。彼の髪に月の光が反射して静かに光っている。それを白臣は眩しそう見つめて、ぽつりと零した。
「でも……死んで欲しくなかった」
「……俺もだ」
宗志は眩しそうに月を見上げそう呟いた。それっきり二人は言葉を交わすことなく、雪の規則正しい寝息を聞いていた。
どのくらい時間が経ったのだろうと、白臣はぼんやりと考える。意識を夢へと沈めようとする眠気の中で、彼女は宗志が黒の影に染まっていくように見えた。彼女は思わず手を伸ばす。だが手を伸ばせば届く距離にいるはずの彼の体に白臣は触れることが出来なかったのだ。
それが夢か現であるかは白臣には分からなかった。
「雪ちゃん、本当に行っちゃうの……? 僕達も一緒に行こうか?」
「ううんっ。ここまできたら後はこの山のぼるだけだからっ。大丈夫だよっ。はきゅ、やさしいね。すきっ」
ありがとう、と言って白臣は笑う。あれから三週間ほど経った。 雪は叙狸昇山を目指して歩いていたのだ。
宗志と白臣は少し回り道となるが、二人が向かっている神庫国と同じ方角に叙狸昇山があったので、送っていくことになったのである。
あの日から、堂林が死んだ日から、最初の二、三日は雪は一日中泣いている様な状態であったが、少しづつ泣かない時間が伸び始め、今では笑うことができるようになっていた。
それでも夜になると堂林が恋しくなってしまうようで、雪は毎晩泣きじゃくっていたのである。そんな時は白臣が両腕で包み込むと、泣きながらも眠ることが出来たのだった。昨晩も変わらずその様な状態であったので、彼女は雪の事が心配だったのだ。
白臣が心配そうに眉を潜めたのを見て、雪は大丈夫だとでも言うかの様に自らの胸をぽんっと叩いた。
「オレは純血の妖狐だもんっ。はきゅがいなくてもへいきっ。さびしくないもんっ」
「そう? 僕は寂しいな」
「うそっ。オレもさびしいよっ。だけど」
そう言って雪は叙狸昇山を見上げた。その山は結構な高さである。空は赤く染まり、山の木々は温かい色に照らされていた。
「もう、純血の妖狐も、混血の妖狐もいないから。ほんとうはいやだけど、刑部狸に修行つけてもらうことにするっ」
雪が言うには妖狐も刑部狸も使える妖術は似通っているという。それで刑部狸が住んでいるという叙狸昇山まで歩いてきたのである。
えへん、と雪は何故か得意げな顔をして宗志を指さした。
「お前なんかより、つよくなってやるからなっ」
「……勝手にしろ」
「それと、まだ死んだりなんかするなよっ。オレはお前が死んでもぜーんぜん! これっぽっちもかなしくなんかないけどっ! ……でもはきゅがかなしむからっ。はきゅにオレと同じおもいをさせちゃだめだからねっ。わかったぁっ?」
「……いちいち餓鬼に言われなくても分かってる、そんなこと」
俺は死なねぇ、と宗志は付け加える。白臣にはその言葉が強がりでもなんでもなく、生きようとする意志が滲み出ているように感じた。それは彼女にとっては、たまらなく嬉しいことである。
そんな白臣の気持ちを知ってか知らずか、宗志は苦笑いすると手頃な大きさ木の枝を拾う。その枝の先に火を灯し、松明のようなそれを雪に渡してやる。
「ほら、持ってけ。もうじき日も暮れちまう。夜道を照らすのに役立つだろ。それに獣避けにもなる」
「……ありがと。もらってやるっ」
ぷいっとぶっきらぼうに雪はそう言うと、宗志の手からひったくるようにして火の灯った枝を受け取った。そして二人に背を向けて歩き出す。少し歩いたところで立ち止まった。
「……オレ、もうなかないよっ。いつまでもないてたら、どうばやち様にわらわれちゃうもんっ」
「雪ちゃん……強いね」
「うんっ。オレはつよいよっ。妖狐族ゆいいつの生きのこりだもんっ」
雪はそう言うって振り返った。そして手に持った火の灯った枝を振り回して叫んだ。
「はきゅっ! 元気でねっ!」
「雪ちゃんも元気でねー!」
「ありがとうっ! ついでにそうちもねっ!」
「ん」
金色の髪をふわりとさせ、雪は再び二人に背を向けた。そしてもう振り返ることはなく木々の奥へと進んでいく。宗志と白臣はその小さな背中が見えなくなるまで見送った。
そしてその背中が見えなくなった時、白臣は振っていた手を下ろす。
「行っちゃったね」
「ああ」
「僕達も行こうか。日もだいぶ落ちてきた」
薄暗くなった辺りを見回して白臣はそう言った。宗志も気だるそうに首を回し、灯りがいるな、と呟く。そして彼は人差し指を立てる。
その指には火が灯るはず、だった。いつもなら。
「……ッ! 宗志、まさか……!」
思わず白臣はそんな声を漏らす。しかしその先の言葉は口にすることが出来なかった。言葉にするのが憚られたのだ。
無表情の宗志の顔には焦りの色が見える。彼は人差し指を振ってみたり、人差し指と親指を擦り合わせてみたりしている。それでも火が灯ることはなかった。
鬼の呪いは確実に宗志の体を、命を蝕んでいたのだ。
時は数週間ほど遡る。時雨は南燕会の屋敷にある自室で、険しい顔をして神経を尖らせていた。
その手は刀に掛かっている。額の包帯は取り払われ、彼の足元に落ちていた。その額にある赤い目はぎょろりぎょろりと動いていた。まるで何かを探しているかのように。
時雨の傍で鳥野も限界まで神経を尖らせていた。何が起きても対応できるよう、何が起きても彼の盾となれるよう。
姿のない侵入者がいる、そう時雨が鳥野に耳打ちしてから、どれくらいの時間が経ったのだろうか。彼の広い視界は白い靄がかかってしまったかのように狭められてしまったのだ。
いつもは騒がしい南燕会の屋敷が、やけに静かなのである。侵入者がいるとはいえ血なまぐさい臭いも、人の呻き声もしない。この部屋以外の時が止まってしまっているかのように静まりかえっている。
得体の知れない者が近づいている微かな気配だけが漂っていた。時雨と鳥野は互いに目をやる。互いの鼓動が聞こえてしまいそうなほどの静寂。
「ごきげんよう。南燕会の頭領、瀬崎時雨。そして南燕会の蝶、鳥野朱」
彼が言い終わらないうちに鳥野は瞬時にクナイを放った。しかしその男はしゅっと人差し指と中指でそのクナイを挟むようにして受け止めたのだ。
だが鳥野も時雨もそれにさして驚いた様子を見せず、むしろ想定内とでも言うかのように、その端正な顔の男の動向を窺っている。
その男は心底悲しそうに目を伏せた。
「か弱き女子にこんな物騒なモノを持たせるとは……南燕会の頭領さんは良い趣味をしていらっしゃる」
「笑わせないで。私達女が、そして幼き子供がこのようなモノを持たなければならない世にしたのは、貴方達でしょう……! 那智組頭領、土岐翔和……!」
静かな殺気を放っている鳥野に土岐は柔らかく、そして冷たく微笑みかけた。そして時雨へと視線をやる。時雨はその視線を真正面から受け、険しい顔つきのまま口を開いた。
「敵地に単独で乗り込んでくるとは舐められたものだ。随分と傲っているようだな。まさに唯我独尊」
「傲るもなにも、貴方方は私に勝てない。その優秀な目を持ってしても私が貴方の前に現れる瞬間まで私が侵入したことも、私がどこから侵入して、どこを通って、この部屋に来たのかさえ分からなかったのでしょう? 聡明な貴方ならもう分かっているはずなのでは。私を殺せない、と」
「……貴様、普通の人間ではないな。我らと同じ特殊な力を持った妖の血が流れている、違うか?」
「まさか。面白いことを仰りますね。妖退治を妖が行っているとでも?」
可笑しそうに土岐は川のせせらぎの様な笑い声を漏らす。そしてひとしきり笑った後で、彼は足音を立てず、足の動きも見せずに時雨に歩み寄った。
「つまらないお話は終わりにしましょう。申し遅れましたが、私は那智組の頭領として此処に参ったわけではないのです。……これを。我が姫からです」
「……姫?」
土岐は懐から文を取り出すと、仰々しくそれを時雨に両手で持って差し出す。
訝しげな顔を時雨はしていたが、少し間を空けてからそれを受け取った。そして彼はそれを手早く広げると、文に視線を落とす。暫くの沈黙が流れる。土岐はその様子を微笑みとも冷笑とも取れる顔で見ていた。
一通り文に目を通し終わった時雨は顔を上げる。彼は土岐の真意を読み取ろうとでもするかのように真っ直ぐ視線を注ぐ。
「南燕会に貴様等の傘下に入れということか」
「ええ。私は此処に罪月国の重臣として参りました。天下統一のため是非、貴方方の力をお借りしたい」
「ここにきて下手に出るか。まさに綿裏方針。罪月国……噂では聞いたことがある。西の方で急速に勢力を拡大しているとか。悪いが俺達は天下統一なんぞに興味はない。それに、お前は信用ならない」
「信用ならない、ですか。信用など取るに足りないもの。取り立てて拘泥する必要のないものでしょうに。では、こうしましょう。貴方方の手にあるのでしょう、隠は」
「……ああ」
土岐は含みのある笑みを浮かべる。そんな彼の心を探ろうと時雨は三つの目で彼の瞳を見つめた。土岐の瞳は底のない海の様な目だ。ゆっくりと永遠に沈んでいく様な感覚、じわじわと酸素を奪われていく感覚に、時雨は思わず目を逸らした。
「噂で聞きましたが、随分大変らしいですね。幾度と狙われているようで。貴方方の血も流れてしまっているとか」
「……それでも隠をどこの馬の骨かも分からん奴等に渡す訳にはいかない。あれは危険すぎる」
「でしょうね。その隠を罪月国、その傘下、そして那智組でお守りいたしましょう。とは言ってもその隠を狙った輩は、もうほとんどが我が国の傘下の組織に属しています。協定を組めさえすれば、狙われることももうないでしょう。悪い話ではないと思いますが」
それでも首を縦に振らず黙り込んでいる時雨に、土岐は困った様な笑みを浮かべた。土岐から目を離さずに考え込んでいる彼の隣にいた鳥野は、慎重に言葉を口にした。
「既に罪月国の傘下にいる組織の名は?」
「大きいところですと、東の陰陽組、西の鼠野会、南の曇花隊、北の斑々、あとは蝦夷の四面団ですね」
「妖怪の混血児の組織に、純血妖怪の組織……。穏健派に過激派、関係なしということね」
「そうそう、最近蝉も我が国の傘下に入りました。どこかの誰かさんのせいで、頭領二人を失ってしまったため大幅に戦力は落ちましたが……」
残念そうに土岐は時雨に意味ありげな視線を向けて溜め息をついた。そして時雨を真っ直ぐと見つめる。
「それでもまだ、我が国の傘下に入る気にはなりませんか? 別に我が国の近くに屋敷を移すことを命じたり、組織の運営に口を出すつもりはございませんよ。戦の際にほんのちょっとばかり力になっていただければ、それで良いのです」
「……」
「ではこうしましょう。貴方方に罪月国の傘下に入って頂けさえすれば、那智組は一切貴方方に手出ししない。もちろん貴方やその他の南燕会の者にかけられた懸賞金は取り下げます。悪い話ではないでしょう? むしろ貴方方にとっては美味しい話だと思いますが」
「……確かに悪い話ではない。だがうまい話には裏があるとは良く言ったものだ。なにより、最初にもいったはずだが。お前は信用ならない、と」
信用ならないですか、と言う土岐は透明な声で呟いた。そして身の毛がよだつほどの美しい笑みを浮かべる。
それと同時。時雨の広い視野にかかっていた白い靄が突然晴れたのだ。そしてあらゆる情報が彼の頭に流れ込んでくる。彼は今にも斬りかかりそうな形相で土岐を睨みつけた。
「貴様……最初からそのつもりであったか」
「まさか。ただ念には念を入れなければ、と」
「……外道が」
「お互い様でしょう?」
「頭、いったい何が起きているというのですか?」
事態を理解できていない鳥野は土岐から視線を外さずに訊ねた。その問に時雨も彼から目を離さずに慎重に言葉を口にする。
「屋敷が囲まれている。身を茂みに隠した那智組の者に。しかも火矢を構えているときてる」
「そんな……!」
「それだけじゃない。罪月国の傘下と思われる妖怪の混血児の軍団がもうすぐそこまで来ている」
「混血児だけじゃありません。純血の妖怪の組織もこちらに向かっております」
丁寧な口調でそう言うと、土岐は柔らかく冷たく微笑んだ。そして言葉を続ける。
「もう一度お尋ねします。罪月国の傘下に入ってくださりませんか?」
「……」
「火矢を放ったところで、貴方の様な手練の者達は容易に逃げ出す事が出来るでしょう。傘下の組織に襲わせたとしても、貴方なら生き残る可能性は高いと言える。……ですが、か弱き女子供はどうでしょうね? 南燕会頭領、瀬崎時雨殿」
川のせせらぎの様な笑い声を土岐は漏らす。鳥野は今にも飛びかかりそうな形相で彼を睨みつけていた。怒りのあまりに体が震えてしまう。
そんな中で時雨は静かな面持ちで、口を開いたのだった。




