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血煙旅記  作者: 黒洋恵生
郷愁編
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【第四十四話】献上した誇り

 





「悪いね、長居させて上げられなくて」

「いえいえ。一晩泊めていただけでも本当に有難いです。呪陰のことも教えて頂けて……」

「すまないねぇ、力になってやれなくて」


 申し訳なさそうな顔をする杏に、白臣は首を左右に振った。この話題を変えたくて、そして今は目を逸らしたくて、彼女は何となく言葉を口にする。


「……なんか村の皆さん騒がしいですね」

「そりゃあ、近々ここらの国に大国の軍が攻めてくるらしくてね。とばっちりを受けないように、落ち着くまで少し村を離れなきゃならないのさ。それだからあんた達を長居させられないんだよ」

「すみません、こんな大変な時に」

「あんたが謝ることじゃないよ。本当に(いくさ)なんていい迷惑さ。大国を納めてるのが、なんと女将軍らしくてね。おっかないったらありゃしないよ。その大国の軍は化け物並に強者(つわもの)ぞいって聞いたよ、いやもはや化け物か。なんてったて妖怪を人間に寄生させてるんだそうだ。ああ……恐ろしい。そこまでして(いくさ)に勝ちたいのか――」

「その大国の名はなんていうんだ……?」


 杏の話に宗志は割って入り、そう訊ねた。杏は思い出そうとしているのか、少し考えた後はっとした顔して口を開く。


「確か篠本国……篠本国だよ」

「篠本国って……」


 その聞き覚えのある国名に、白臣は宗志の顔を見る。平和で(いくさ)をしない国と聞いていた彼女は訳が分からなかった。そして妖怪を人間に寄生させるということも理解出来なかったのだ。その疑問を宗志にを開こうとした、が。結局何も言う事が出来なかった。

 宗志の顔があまりにも無表情だったからだ。それは(めん)をつけているのではと思ってしまうほどに。心を殺しているかのように。

 二人はそれから杏に別れを続けると、また歩き始める。その道中では特に言葉を交わさなかった。ただひたすら足を動かし続ける。

 そして数刻ほど経った頃。白臣が急に立ち止まったのだ。それに合わせて宗志も足を止める。そんな彼に白臣は意を決してずっと考えていた事を口にした。


「宗志、土岐って男にお願いしよう」

「……お前なあ……寝言は寝て言うもんだ」

「僕は本気で言ってるんだ……! 願いを聞き入れてくれる可能性は限りなく低いのは分かってる。だけどこのままじゃ――」

「このままじゃ呪いで死ぬ、か。散々殺ってきたツケが回ったんだろうな。とんでもねぇぐらい怨み辛みを買ってきたんだ、当然の報いだ」

「当然なんかじゃない……! ……いいの? このままじゃ死んじゃうんだよ……?」


 思わず白臣はそんなことを尋ねながら宗志の瞳を覗き込んだ。〝死〟に焦がれている彼に、このような質問をすることはお門違いであることは白臣にも分かっていた。

 それでも訊かずにはいられなかったのだ。宗志の口から否定の言葉が出るのを望んでいたのだ。

 しかし白臣の望んだ言葉は宗志の口から出ることはなく、彼は少し困ったような顔をして小さく笑っただけだった。

 そんな時だ。遠くの方から馬が駆ける音が聞こえてきたのである。その音はどんどん大きくなり、こちらに近づいているのが分かった。二人は振り返り音のする方に目を向ける。

 馬がこちらに物凄い勢いで駆けてきていたのだ。それに乗る人物――いや乗っているというよりは振り落とされないようにしがみついているという表現が正しい――その人物は甲冑(かっちゅう)を着込んだ紫峨だったのである。

 彼は二人の近くまで来ると渾身の力で手綱を引き馬を止めた。そして半ば転がり落ちるかのようにして馬から降りたのである。激しく息を切らしている彼に、白臣はひと目で何かただならぬ事が起きたのを察した。彼女はしゃがみ込んで紫峨の顔を覗き込んだ。


「どうしたんですか? そんなに急いで……」

「……宗志、様……!」


 紫峨は激しく息を切らしてしまっているため言葉が続かない。それでも、途切れ途切れになりながらも言葉を吐き出していく。


「宗志、様……貴方の、お、力を……! 貸しては、いただけ……ッ、ないでしょう、か……!」

「……何があった?」

「紫様が……紫様が……! 敵国に、(さら)われて……! しまったのです……!」

「紫様って……」


 白臣は宗志の顔を見上げる。紫様というのは宗志の姉であったはずだ、と山小屋での紫峨の話を思い出していた。それと同時に杏が話していたことも。

 少し息が落ち着いてきたところで紫峨は、早口に言葉を吐き出した。


「私どもは軍を何隊かに分け進軍しておりましたのです……! そしたら……! 敵国の忍び達に……! どうして……こんなことに……! お願いです……! 宗志様……! 烏滸(おこ)がましいことは百も承知しております……! ですが……!」

「他の隊の人間を向かわせればいいだろ」

「大勢で押しかけなどしたら、敵に勘づかれ紫様は早々に殺されてしまいます……! 気づかれぬよう少数で行かねばなりません」

「だったら妖怪を寄生させた人間を連れてきゃいいだろうが。それなら少数でも充分な戦力だろ」


 冷たくそう言い放った宗志に、紫峨はすぐに言葉を返すことが出来なかった。そして苦しそうに言葉を吐く。


「……知っておられたのですね。……紫様は(いくさ)に勝つためには手段を選ばない方になってしまわれた。取り()かれたように国を大きくすることに執着しておられています。……そしてその妖怪が寄生している人間は(わたくし)には扱えぬのです。理性はありません。彼らは強い者にしか従わない」

「……敵にも味方にも恨まれてるだろうな、そりゃ」

「それでも、私にとって紫様は立派な主君でございます……!」

「……俺にあの女を助けろっていうのか。……そんなこと、あの女が一番望んじゃいねぇだろ」

「……それは否定は出来ません。ですから、この爺めのお願いを聞き入れて頂きたいのです。お願いします、宗志様。紫様をお助け下さい」

「あいつは……殺してぇんだろ、俺を」


 宗志の言葉に紫峨は否定の言葉を口にせず、ただお願いしますと深く頭を下げるだけだった。宗志は一瞬顔を歪め、目を閉じた。彼の眉間には深い(しわ)が刻まれている。

 その様子を白臣は何も言うことが出来ず、黙って見守っていた。そして宗志のことを姉がどう思っているのか、何となく察したのだ。そんな時間がどれくらい経った頃だろうか。宗志はゆっくりと目を開けると、今まで押し黙っていた彼女に視線を向けたのだった。


「お前は……どう思う」

「僕……?」

「ああ」


 僕は、と言ってから白臣は言葉に詰まってしまった。視線を落としてじっと考える。それを宗志は()かすことなく待っていた。

 そして。白臣はゆっくりと言葉を紡いでいった。


「僕は自分勝手な考えなのは分かってるけど、宗志にもう傷ついて欲しくない。体はもちろんだけど、心は特にそう。……でもね、もし宗志がそこに行ったら少しでも前に進める気がするなら、行った方が良いと思う。行くべきだと思う。会ってみるべきだと思うんだ。お姉さんに」

「……そっか」


 短くそう返すと宗志は紫峨に向き直った。そして深く息を吐き出してから口を開く。


「あの女はどこに連れて行かれたか、分かるか」

「はっきりとはしてませんが、こちら側の忍びによって四箇所目星がついております」

「そこを虱潰(しらみつぶ)しに回るしかねぇな」

「ありがとうございます……! こんな爺めの願いを聞き入れて下さって……!」

「礼はいい。んなことよりあんたはどうすんだ」

(わたくし)めは、すみません。他の隊に伝令をしなければなりません。少し先に宮塚という頭の切れる男がおります。宮塚殿の隊には強者(つわもの)がおりますので、彼らを向わせて貰うように致します」


 分かった、と宗志は返事を返す。紫峨は立ち上がると馬の手綱(たづな)を手に取った。


「この馬をお使い下さいませ、宗志様」

「いい。走った方が速い。んなことより、ハク」

「ん?」

「お前は爺さんと一緒にいろ」

「……どうして」


 少し納得のいっていない表情をする白臣に、宗志は苦笑した。


「そんな顔すんじゃねぇ。お前を抱えて走るとなると速さが少しばかり落ちる。だから爺さんと一緒に来いって言ってんだ」

「……分かった。お願いだから無茶だけはしないで」

「それは俺の台詞だ。……爺さん、ハクを頼む」


 宗志はそう言って紫峨に頭を下げる。そして白臣に向き直り、彼女の頭に手を置いた。


「ハク、爺さんを頼んだ」

「うん……!」


 その後、宗志は紫峨から目星のついている数箇所の場所の簡単な説明を聞いた。どの場所も敵国の忍び達の隠れ家であると推測されている場所で、距離はそう離れていないとのことである。

 三人は目で合図すると宗志は南へ、白臣と紫峨は馬に二人で乗り北へと向かったのだった。






 ここにもいねぇのか、と宗志は誰に言う事なくそう吐き捨てた。もう紫峨に教えられた場所を全て回ってしまったのである。だがどの場所も人がいた形跡さえ残されていなかったのだ。やはり見当違いの場所でしかなかったのだろう、と彼は溜め息をついた。

 姉が殺される、という状況でも宗志は酷く落ち着いていた。というよりむしろ〝紫〟という人物が姉であるという実感が湧かなかったのだ。幼き頃は仲が人並みの姉弟(きょうだい)よりは良かったとは記憶している。

 でもそれは全て昔の話だ。もう幼き頃の自分とは比べ物にならないほど薄汚れてしまった、と宗志は自嘲した。それは自分だけではなく、姉である紫も同じであることも彼は分かっていた。そしてその原因が自分であることも。

 

(つくづく外道だ、俺は……)


 そんなことを自嘲ぎみに思い、宗志がそっと己の手に視線を落とした時だった。彼の鼻先に生臭い匂いが(かす)めたのである。紛れもなく血の匂いだった。しかも長きに渡って血を浴び続け染み付いしまった、洗っても落ちることないあの匂いだったのである。

 その匂いを辿るようにして宗志は茂みに足を踏み入れた。そして匂いのする方へと足を進めていく。徐々に匂いが強くなっている。そして。彼は足を止めた。彼の一歩先にはちょっとした(がけ)の様になっている。

 そしてその崖の下にある木に縛り付けられている女がいた。彼女の着物は泥汚れ等で薄汚れてはいたが、上物(じょうもの)であることはひと目でわかる。間違いなく、姉の紫だった。


「無様だなあ、紫殿」


 敵国の忍びであろう一人が紫の顎を掴み、嫌味ったらしくそう言った。だが彼女はその忍びに奥することなく、真っ直ぐ(にら)みつけている。


「……女一人(さら)うのに十数人も人が必要とはな。我が国の勝利は確実と言えよう」

「肝が座った女だ。女にして置くのはもったいないとは、このことだな。……戦場(いくさば)で捕えられた女がどうなるか、貴女ならよく分かっているだろ?」

「ああ、よく分かっているぞ。遊ばれ、捨てられるか殺されるのだろう。……だが、お前らは私と遊んでいる時間などなさそうではあるが」

「……やけに落ち着いているな、紫殿」

「私の命など取るに足らん。……やり残したことが無いとは言えぬが、私がいなくとも篠本国(しのもと)の天下は確実だ。せいぜい貴様らは天下を取った篠本国の女将軍を討ち取った事を誇りにして死んでいくがいい」


 口が減らない女だ、そう言うとその忍びはさっと(ふところ)から、クナイを取り出した。そして大きく振りかぶる。

 その瞬間。宗志の体が反射的に動いた。崖を落ちるように滑り降りると、二人の間に割って入ったのだ。クナイと刀がぶつかる高い音が響く。

 忍びは舌打ちをすると瞬時に宗志と間合いを取った。宗志は目にも止まらぬ速さで紫を縛る麻紐を切る。


「貴様は……!」


 叫ぶようにそう言った紫の前に立ち、宗志は気だるそうに忍び達に刀を向けた。


「てめぇらを()る理由はねぇ。散るってぇなら見逃してやる。……そうじゃねぇなら、皆仲良くあの世逝きだ」


 目の前の忍び達に鋭い視線を飛ばしながら、宗志はそう言い放つ。忍び達は思ってもいなかった任務の妨害者の登場にざわつく。そんな睨み合いが少しの時間続いた後。紫に止めを刺そうとしていた忍びが片手を軽く上げた。


「黒い天狗の駆逐は任務外だ。割に合わない。お前ら、一端引くぞ」


 そう言うと同時に強い風が吹いたかと思うと、その忍び達はその場からいなくなっていた。風が木々の葉を揺らす音が充満する。


「宗志――!」


 そんな音の中で宗志の名を呼ぶ声が届いた。彼の前方から白臣が手を大きく振りながら駆け寄ってくる。その後ろを紫峨、そしてその隣には右目に包帯を巻いた童顔な男――紫峨の言っていた宮塚という男だろう――が歩いている。

 そしてその後ろにはいかにも正気を失った侍達、恐らく妖怪を寄生させられた者達が死人のようにふらふらと着いて来ている。あまりにも異常な光景であった。彼らの正気を失った右目からは絶えず黄緑色の粘着質のある液体が流れ出ている。

 駆け寄ってくる白臣に宗志が歩み寄ろうとした時だ。激痛が彼を襲った。

 目の前の白臣は目を大きく見開き、足を止めている。訳が分からず宗志は視線を落とした。

 彼の腹から血に染まった刃が生えていたのだ。後ろから貫かれたのである。その短刀の主は見なくても分かった。それはすぐに引き抜かれる。彼は二度目の攻撃を受ける前に間合いを取り、白臣の前に立つと血に染まった短刀の主に向き直った。――姉の紫に。


「宗志……!」

「たいした、こと……ねぇ」

「なわけないだろう……!」


 白臣は叫ぶ様にそう言うと宗志の隣に立ち刀を抜いた。もしかしたら姉の紫が彼を違った見方をしてくれるようになるかもしれない、という白臣のわずかな望みは叶わなかったのだ。しかも最悪な形となってしまった。

 後悔や怒りがごちゃ混ぜになったまま、白臣は紫を怒鳴りつける。


「貴女どういうつもりなんですか! 宗志が助けに入らなかったら、貴女は死んでたっていうのに!」

「助け? 笑わせるな。私はそんなこと望んだ覚えはない! (あだ)に命を助けられるなど、とんでもない(はずかし)めだ! あの場で死んでいた方が百倍ましというもの。あの世で父上や母上、そして三浦に会わせる顔がない!」


 そう紫は怒鳴り返すと視線を宗志に移した。その瞳には底冷えするような憎しみが宿っている。


「なんだ貴様、私を助ければ許して貰えるとでも思っていたのか? 滑稽(こっけい)だな、実に滑稽だ」


 喉の奥を鳴らすような笑い声を紫は上げる。宗志は彼女から視線を逸らしたまま何も言い返さない。


「貴様に会える日を楽しみにしていた。貴様をこの手で殺せる日が来るとは……! 父上と母上、そして三浦が引き合わせてくれたのだろう! 私が仇を討てるようにと!」

「良かったですね、紫様」


 おめでたい日だ、と言い柏手を打ちながら紫に近づいていくのは宮塚という男だった。彼は紫に近づいていくと刀と懐から取り出した注ぎ口のある小さな銚子(ちょうし)を、(ひざまず)いて紫に献上したのだ。


「紫様、これを」

「……貴様は私に化け物に成り下がれというのか?」

「まさか。これは私が蝦夷から取り寄せた物でございまして、今までの物とは全くの別物。これを飲んでも理性は失わずに人間離れした力を得ることが出来るのです。……残念ながら貴重な物で一つしかございませんが」

「ほう、素晴らしい。これで……悲願が叶うというもの……!」

「おやめください紫様! そんな得体の知れぬ物を体に入れるなど……!」


 紫峨が止めに入ろうと駆け出そうとした時には遅かった。紫様は宮塚から受け取った物を勢いよく飲み干してしまったからだ。そして彼女に異変はすぐ訪れたのである。


「……ッ……ぅああ"……!」


 苦しそうな(うめ)き声を上げて紫は膝を折ってしまったのである。更に彼女の右目からは粘着質のある黄緑色の液体が(あふ)れ出したのだ。

 本当に聡明な方だ、と宮塚は満足そうに言うと紫から離れる。そして悲愴な面持ちをしている紫峨に近づいて行き、彼の肩に安心しろと言うかの様に手を置いた。


「大丈夫ですよ、紫峨殿。あれは一時的な症状ですから」

「しかし……! あんなものを紫様に――」

「ほら、大丈夫だったでしょう」


 そう言って宮塚は紫に視線を移した。彼女の口から()れていた呻き声は既に止まっている。彼女は薄ら笑いを浮かべてゆっくりと立ち上がった。右目からは絶えず液体が流れ続けている。それを気にすることなく、彼女は歓喜の声を上げた。


「軽い……! 体が軽いぞ……! 力がみなぎってくるようだ!」 


 高らかな笑い声を上げ、紫は先ほどまで自分が縛りつけられていた木を、こつんと軽く叩いた。

 その瞬間その木はメキメキと音を立てて亀裂が入ったかと思うと、糸も簡単に折れてしまい、地響きを立てて地面に倒れてしまったのである。その地響きに反応して他の木々に止まっていた鳥達が一斉に飛び立っていく。

 紫は宗志の血の着いた短刀を捨てると、宮塚から受け取った刀を引き抜いた。彼女から放たれる殺気のどす黒さが増していく。


「楽に死ねると思うな。皮を()いで肝を引きずり出し、四肢を(ひね)り潰し、死んだ方がましと思える苦痛を! 貴様に与えてやるからなァァアア――!」

「ハク、下がれ!」


 そう宗志が叫ぶと同時。金属と金属がぶつかる高い音が響く。紫が向かってくる風圧で白臣は吹き飛ばされてしまう。そんな彼女を受け止めたのは紫峨である。

 宗志が白臣に気をやる一瞬の間も無く。紫の猛攻が続く。それを彼は全て刀で弾いていく。

 その動きは互角、の様には思われたが。徐々に宗志が後退しているのが白臣には分かった。

 彼は間合いを取り仕切りなおそうとするが。それを紫は許さない。矢継ぎ早に攻撃を畳み掛ける。

 刀と刀がぶつかる度に火花が散る。彼は紫の攻撃を受け止め、萎す。弾いては(かわ)す。だが一向に攻撃には転じない。

 そして。紫が渾身の力で突きを放つ。それを宗志は大きく払う。その風圧で土埃(つちぼこり)が舞う。

 視界が遮られた一瞬を紫はつく。だが宗志も反射的に迎え撃つ。

 高い音が響いたと思うと、同時に二人は間合いを取った。そしてすぐに斬り合いを始める。

 人間離れした二人の戦いに、白臣も紫峨もなす術が無く、苦痛に満ちた表情で眺めていることしか出来なかったのである。

 彼女は宗志の事を思うと表現することのできない痛みや悲しみと後悔で、胸が裂けるような感覚に襲われていた。だがそれは自分よりもはるかに宗志が感じていることも彼女には分かっていた。


(どうしてあの時、あんな事を言っちゃったんだろう……!)


 甘かったのだ。白臣は自分の甘さが憎くてたまらなかった。紫峨に話を持ちかけられた時に反対していれば、宗志を止めていれば。そもそも彼が姉の紫の救出に向かったのだって自分があんな事を言ってしまったからだ、と彼女は後悔で吐き気さえしていた。

 姉弟が分かり合えるかもしれない、と少しでも思ってしまったのだ。だがそんなに現実は甘くなかったのである。宗志の心の傷が癒えるかもしれない、という甘い期待は、彼の傷を(えぐ)る形となってしまったのだ。

 そんな感情でいっぱいいっぱいになっている白臣の隣で、宮塚は満足そうに笑っていた。



「紫様! あと一息ですよ! 先代もあちらでお喜びでしょう!」

「……宮塚殿、無月様はそんなこと望むような方ではございま――」

「知ってますよ。あの息子の天狗とやらに散々謝ってお亡くなりになったんでしょう? でも、そんなの建前に決まってるじゃないですか」

「そんなこと……!」

「……どうして……血の繋がった姉弟なのに……こんな結果に……」


 紫峨と宮塚が言い合いをしている隣で、白臣は思わずそんなことを漏らした。その言葉に反応してか宮塚はやれやれといった様子で口を開く。


「当然の結果というもんだよ。まだ子供には分からないだろうけどね。怨み辛みはどんな感情よりも、価値観、人格、また人生の方向に影響を与えちゃうんだ。いや影響ってどころか、それらを確立させちゃうんだよ。怨み辛みはどんな感情よりも力になり得る」

「そんなこと――」

「なくないよ。紫様がどれだけ天狗を怨んでたか、殺したいと思ってたか知ってる? あの天狗を見世物小屋から連れ戻すために先代が城を手放した時、どれだけ周りの大名から馬鹿にされたか。農民にさえ馬鹿にされてさ。哀れだよ本当に。ね、紫峨殿。そうだったんですよね?」 


 そう宮塚の視線を受けて紫峨は難しい顔をして頷いた。宮塚は小馬鹿にしたように白臣を見る。


「武家の姫様だっていうのに、食事まで削られて。身に(まと)う着物は上物を一着のみ、住処はボロ家だったとか。飢えていた紫様は雑草をむしって食べてたとか。それがどれだけ屈辱であったか。まあ、当時の家臣の方々も同じ状況らしいですけど。紫峨殿も偉いですよねぇ、そんな武士の矜恃(きょうじ)もないような家に離れず仕えたんだか――」

「宮塚殿。いくら貴方でも先代の、結羽家の悪口(あっこう)は私が許しませんぞ……!」

「そんな怒らないで下さいよ。俺はただ紫峨殿を尊敬するって言いたいだけなんですから。それに、紫様は可哀想なことにご両親だけではなく、あの夜に恋仲でもあった許嫁(いいなずけ)さえ殺されてしまったんだとか。……あの天狗にね。名前は確か……三浦だったような」


 べらべらとそう語る宮塚に、白臣は返す言葉が見つからなかった。ただただ姉弟(きょうだい)が斬り結ぶ様を見ていることしか出来ない。宗志は未だ攻撃に転じようとはしなかった。

 それを宮塚は何故か不満そうに見ている。そんな彼の様子に白臣も紫峨も気づかなかった。


「あ……!」


 思わず白臣は声を上げた。二本の刀がぶつかる。押し負けたのは宗志の方だった。弾き飛ばされる彼の体。その衝撃で彼の手から刀が零れてしまう。

 その好機を紫は逃さない。彼女は追撃が宗志に迫る。刀で乱れ突きを放つ紫。その動きはもはや人間のそれではなかった。その攻撃を彼は体を(ひね)(かわ)す。

 だが。左肩を紫の刀が貫いた。そしてそれをすぐに引き抜き振り下ろす。

 しかしその時は既に宗志は脇差しの刀を抜いていた。振り下ろされた刀をそれで受け止める。そして二人は同時に間合いを取った。

 肩で息をしている紫に対し、宗志の息は乱れは見えない。だが彼の左肩からは、どぼりと血が吹き出すように流れ出ている。

  しかし宗志の傷はそれだけではないことが白臣には分かった。


(あの時の傷が開いたんだ……!)


 恐らく純血の鬼につけられた傷が開いたのだ。宗志はあからさまに腹に意識をやる素振りは見せないが、自らの左肩よりも腹の方へと意識を向けているような気が白臣にはしたのだ。

 完全に癒えることはない傷。あれだけ動けば開いてしまうのは明らかだった。

 思わず白臣は二人の間に駆け出しそうになるが、それを宗志がちらりと目をやり無言で制止する。

 そして。紫が構え直し地を蹴ろうとした時だ。彼女の体に異変が起きたのである。

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