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血煙旅記  作者: 黒洋恵生
郷愁編
46/69

【第四十話】動揺する刃







「これだけあれば足りるかな」


 白臣は両手一杯に草花を掴んで立ち上がった。右手には赤い斑点が散りばめられた橙色(だいだいいろ)の花弁を持つ檜扇を、左手には黄色い花を持つ弟切草を掴んでいる。彼女は両手のそれらに視線を落とし、顔を曇らせた。

 はるかに宗志の傷の治りがいつもより遅いのは明白である。だがその原因は薬草などの知識がある白臣でも分からないのだ。一度医者に診てもらうべきだろうな、と彼女がそんなことを思った時だった。

 ひやり、とした感触が首に走ったのだ。間違いなく刃物が首に当てられている。彼女の両手から草花が零れ落ちてしまう。

 白臣のすぐ後ろから放たれている殺気は、彼女の身に覚えのあるものだった。全身を()められているような、喉元に爪を立てられているような殺気。


「おい、女ァ」

「お前は……!」


 白臣のすぐ後ろから聞こえてきた声は堂林のものだった。彼女は動揺を悟られてしまわないよう、落ち着き払った声で言葉を口にする。


「……いったい僕に何の用だ?」

「お前には用はねぇ。用があんのはお前が持ってる薬だ」

「薬……?」

「あいつにてめぇが渡しやがった薬だ」


 (いら)ただしげに堂林は吐き捨てた。白臣は彼が言っている薬のことを理解する。だが平静を装い口を開く。


「……何故それをお前に渡さなければならないんだ? 今のお前がそんなもの必要には僕には見えない」

「……てめぇには関係ねぇだろ」

「悪いがそう簡単に渡せる物じゃないんだ」

「てめぇ……自分の立場分かってんのか……?」


 白臣の首に先程よりも強く刀の刃が押し当てられる。緊迫した状況で彼女は何故か違和感を感じていた。いつの間にか堂林から放たれる殺気が消え失せている、ような気がしたのである。心做(こころな)しか焦りのようなものも感じなくもない。

 そして首に刃を押し当てられているのに、白臣には何故か恐怖心が全く湧いてこなかった。


「お前、何かあったのか……?」

「口を慎めや、女ァ。てめぇに答える義理はねぇ」

「もう一度聞く。何かあったのか?」

「……」

「何もない奴にに渡せない、あの薬は」

「……」


 (しばら)く間が空いてから雪が……、という単語を堂林は口にした。白臣は一瞬何のことを彼が言っているのか分からなかったが、すぐになんとなく意味を悟った。

 あの宗志が堂林に止めをさそうとした夜、宗志にしがみついて堂林を助けようとした金色の狐の耳と尾が生えた子供の事を言ってるんじゃないだろうかと。そしてその子に何かあったのではないかと。

 そう思った時には(すで)に白臣は首に当てられた刀を掴むと、強引に首から離していた。刀の刃を握った彼女の手から血が流れ出る。さすがの堂林も虚をつかれたのか少しだけ目を見開いた。が、彼女はそんなことお構いなしに彼を睨み上げた。


「もしかしてあの子に何かあったのか!」

「……熊だ」

「熊? 熊に襲われたのか! 何で早く言わないんだ! こんなことしてる場合じゃないだろう!」


 白臣はそう叫ぶと堂林の刀から手を離した。堂林が舌打ちをして刀を納めようとした時。彼の背後から斬りかかる人影があった。彼は瞬時に振り返って反応し、それを刀で受け止める。


「てめぇ、堂林! こいつに何の用だ!」

「相変わらず鬱陶(うっとう)しい奴だなァ、宗志」


 鍔迫(つばぜり)()いの状態で(にら)み合っている二人に、白臣は横から切羽詰(せっぱつま)った声で言う。


「宗志! 今はそんなことをしてる場合じゃないんだ! 刀を納めてくれ! お前もだ、堂林凌」


 堂林は苛正しげに白臣を横目で睨み、宗志は事態を把握してないような顔で彼女を見る。そして二人は申し合わせた様に同時に刀を鞘に納めたのだ。

 その後、白臣は落としてしまった薬草を拾い集める。そんな彼女の手に視線を落とした宗志は眉を潜めた。


「お前、どうしたんだその手」

「手? ああ、さっき切っちゃったんだ」


 白臣は大丈夫だというかのように手を開いたり閉じたりして見せる。ただ彼女が思っていた以上に傷が深かったのか血は止まってはくれない。

 出来るだけ血が付かないように薬草を拾おうと意識したものの、少しばかり血が付着してしまった薬草もある。

 それから白臣は(わけ)を簡単に宗志に説明すると、既に先に進んでいる堂林の背に二人は着いて行ったのだった。

 木々の間を()うように進んでいくと、野原へと出る。そこには獣避けのためなのだろう、いくつか火が()かれていた。そして野原の真ん中には雪が横たわっていたのだ。白臣は彼の姿をとらえると彼の元へと駆け寄り、しゃがみこむ。


「酷い……」


 白臣は雪の傷を見て思わず呟いた。腹は大きく裂かれてしまっており、内臓にも大きな損傷があると見て間違いない。息がまだあることの方が不思議なくらいである。

 そんな時、白臣のすぐ後ろから堂林の声がした。


「おい、さっさとあの薬飲ませろ」

「……出来ない」

「あ?」

「この子の意識が戻ってからじゃないと駄目だ。意識がない者に水で薬を流し込んだりすると、息が出来なくなって死んでしまうこともある。……この子の意識が戻るまで出来る限りのことをしよう」


 そう言うと白臣は宗志から手ぬぐいを受け取りそれを広げた。そしてその上に先ほど摘んで来た檜扇(ひおうぎ)と弟切草を細かくちぎる。そして全ての薬草をちぎり終えた時、彼女のすぐ後ろで何かを置いた様な音がした。

 白臣が振り返ると葛籠(つづらかご)の一種である行季(こうり)があったのだ。


「使え」


 そう一言堂林は口にした。白臣は怪訝そうな顔をして行季の(ふた)を開ける。中には彼女の想像した通り様々な薬草、天秤(てんびん)などの道具が入っていた。彼女は行季の蓋を置き堂林を(にら)み上げる。


「……まさか、薬売りから強奪したのか?」

「だったらなんだって言うんだ、あ?」


 堂林の鋭い眼光に臆することなく、白臣は彼を睨みつけていたが。彼女は雪へと向き直り溜め息をついた。


「今はこんなことしている場合じゃ無かったな」


 白臣は苦々しい顔でその行季の中を(あさ)り小さな麻袋と薊菖蒲(あざみしょうぶ)、そして竹水筒を取り出した。そして薊菖蒲を細かくちぎると先程ちぎった檜扇と弟切草も一緒に袋の中に入れる。

 そして竹水筒の中身を手の甲に一滴ほど落とし、水かどうか確認してから麻袋少しばかりに注ぎ入れる。

 白臣はそれの絞り汁を雪の傷口に垂らそうと考えていたのだ。彼女が麻袋を絞ると、(てのひら)の真新しい刀傷に()みてしまう。痛みに思わず歯を食いしばる。そして彼女が最後まで絞り切った時。

 信じられないような事が起こったのだ。白臣はもちろん、上から覗いていた宗志や少し離れた場所に立っていた堂林も目を見張る。

 雪の傷口がみるみる(ふさ)がり始めたのである。白臣が驚きの声を上げた時には既に、傷口は完全に治ってしまっていた。


「信じられない……!」

「いったいどうなってんだ?」

「僕にもよく分からない」


 白臣も宗志も首を(かし)げた。堂林は喉の奥を鳴らすような笑い声を上げる。


「これが純血の妖狐の力か……面白ぇ」

「この餓鬼が純血の妖狐ってぇのか?」

「人間かぶれのてめぇには関係ねぇ。面白ぇ……だが純血にしても早すぎるっちゃあ早すぎるがなァ……」


 その時だ。固く閉じられていた雪の(まぶた)がうっすらと開いたのである。


「オレ……」

「もう大丈夫だよ。怪我も完全に治ってしまっている」

「オレ……おまえに、会ったこと、ある……?」

「うん。僕は白臣。藤生白臣っていうんだ。そして黒い着物を着てるのが宗志」

「どうばやち、様……は……? どうばやち様は……どこ……?」


 あっち、と白臣が教えてやる。雪は堂林の姿を(とら)えると安心したのかふにゃっと笑った。そしてまた目をとろんとさせる。


「はきゅ……ありがと……」

「どういたしまして。……と言っても僕は何もしてないんだけど」

「そうだ……、てんぐの、そうち……!」

「あ?」

「つぎ会ったときは……オレが……! やっつちゃうから……かくごしろっ……」


 勝手にしろ、と宗志は(あき)れたようにため息をつく。雪はというと、既に穏やかな寝息を立ててしまっていた。その姿に白臣は安堵の吐息を漏らす。彼女は雪の金色の柔らかい髪を優しく撫でて口を開いた。


「良かった。あんな大怪我してたのに、もう気持ち良さそうに寝てる」

「……ほんと餓鬼は呑気だよな」


 二人がそんな言葉を交わしていた時。堂林が気だるそうに雪に近づいていく。そして眠っている雪を脇に抱えたのだ。

 堂林の思ってもみない行動に宗志も白臣も目を見張った。その二人の視線に、堂林は居心地が悪そうに舌打ちをする。だがすぐに口元を()り上げた。


「宗志、てめぇ鬼と殺り合ってたよなァ」

「……見てたのか」

「てめぇのすること為すこと全てお見通しってやつだからな」

「……だったら何だって言うんだよ」

随分(ずいぶん)と傷の治りが遅いみてぇじゃねぇか。女ァ、そんな草いくら使ったところでこいつの傷は治りゃしねぇぜ」


 堂林は喉の奥を鳴らす様な笑い声をあげてそう言った。白臣はそんな彼に鋭い視線を飛ばす。


「それはどういう事だ? 何か知ってるのか」

「……今回は特別に教えてやらァ。宗志の奴の傷が治らねぇのは〝怨念(おんねん)〟の仕業だ」

「怨念? まさか――」

「そうだ。宗志の野郎が息の根を止めた、あの純血の鬼の怨念だ」


 愉快そうに堂林はにんまりと笑う。宗志の脳内では、蝉の頭領の一人である龍の断末魔(だんまつま)の叫びが木霊していた。


「よーく覚えとけや。純血の化けもんの中には念が強い奴がいやがる。その怨念に取り憑かれちまうと地獄に引き()り込まれちまうそうだ」

「……その念を、呪いを解く方法はないのか……?」


 切羽詰ったように白臣は堂林に尋ねた。彼は相変わらず薄ら笑いを浮かべたまま、その問に答える。


呪陰(じゅかげ)というやからがこの世にはいるみてぇだ。せいぜいそいつらに(すが)り付くこった」

「その呪陰はどこにいるんだ……!」

「さあな。こちとらそんなことまで覚えておくほど暇じゃねぇんだ、女ァ」


 喉の奥を鳴らす様な笑い声を堂林は上げると、彼は雪を抱えたまま二人に背を向けゆらりと歩き出した。そして数歩進んだところでちらりと宗志に目を向ける。


「宗志、そんなくだらねぇ念とやらに殺られちまうんじゃねぇぞ。てめぇは駄作に成り下がっちまったとはいえ、俺の芸術であることには変わりはねぇ」


 そして堂林はにんまりと口元を吊り上げる。


「てめぇを壊していいのは作者である……この俺だけだ」

「……どうば、やちさまっ……すきぃ……」


 唐突に聞こえてきたのは雪の寝言であったのだ。流石の堂林もきまり悪そうに顔を強ばらせ舌打ちをした。そんな彼の姿に白臣は宗志と顔を見合わせてから、小さく笑う。

 堂林は取り繕うように二つ目の舌打ちをして、ゆらりと吹いた生温かい風と共に消えていった。

 つい先ほどまで堂林がいた場所を白臣は見つめ、笑みをたたえたまま口を開く。


「何か……変わったね」

「あいつがか?」

「うん。何となくだけど、空気柔らかくなったような。それに宗志の傷のことについても何だかんだ教えてくれたし」


 でもやっぱり嫌いだ、と白臣は付け加えて堂林が盗んできたであろう行季に目をやる。手の平の傷はじんじんと痛み血が滴り落ちていた。






 その後二人は堂林が盗んできた行季(こおり)を持ち主に返すために山を下ることとなった。

 宗志が空から探すには木々が鬱蒼(うっそう)と生い茂っているため見落としてしまうだろうし、何より白臣としては彼に出来る限り無理な体の使い方をして欲しくなかったのだ。

 雨もいつ降り始めるか分からないし……、と白臣は木々の隙間から覗く重苦しい曇天(どんてん)を見上げたのだった。

 しかし彼女の不安をよそに、堂林に行季を奪われてしまった薬売りは一刻も歩かないうちに見つかったのだ。見るからに途方に暮れてとぼとぼと歩く男に彼女が声を掛けたところ、まさにその薬売りだったのである。

 白臣はその薬売りに事情を話し、堂林の代わりに謝罪して、薬草や竹水筒に入っていた水を使ってしまった事を正直に話したのだ。その話を聞いた薬売りの男は怒るどころか、届けてくれたことへの感謝の言葉を述べたのである。

 そして白臣の(てのひら)の傷を治療してくれただけではなく、包帯や薬草を少しばかり分けてくれたのだった。

 二人は薬売りの男に礼を言って別れると、再び山を登り始めた。本来は別にこの山に留まる必要など無いのだが、日は暮れ始めており雨もいつ降り出すか分からない状況だったため、あの空き家に戻る事にしたのだ。

 そして再び一刻ほどかけて二人が小屋に戻った時には、辺りは夕闇に包まれていた。宗志は小屋に入ると道を照らすために指先に灯していた炎を、そのまま囲炉裏(いろり)に移す。やわらかな(あか)りが(ほこり)まみれの小屋の中を(いろど)り始めた。

 白臣は刀を腰から外すと、深く息を吐きながら腰を下ろす。


「雨が降る前に戻れて良かったね。薬売りの男の人も親切な人だったし」

「そうだな」

「だけど……あの薬売りも呪陰(じゅかげ)のこと知らないみたいだったね……。明日から呪陰(じゅかげ)の情報を集めないと」


 心配そうな声音の白臣の言葉に宗志は気だるそうに返事をし、刀を二本腰から外して囲炉裏の近くに座った。

 気がつけば、雨が降り出したようだ。小屋の屋根を叩く雨音は最初はやさしいものだったが、だんだんと激しさを増してくる。薄い屋根を打ち破ってしまうのではと思ってしまうほどに。

 雨音しか聞こえない中で、白臣は囲炉裏の火に照らされた彼の無表情な顔を盗み見た。


(もし、呪いが他にも宗志の体を(むしば)んでいたら……)


 きゅっと唇を結びながら白臣はそんな事を考えていた。傷の治りが遅いだけなら、まだ良い。もしもそれ以外の作用……例えば寿命を刻々と削ってしまうような効果があったとしたら。

 そしてその兆候に気づいたとしても宗志は何も言わないことを白臣はなんとなく分かっていたのだった。とにかく早く呪陰を見つけなければ、彼女が拳を強く握りしめた時。

 戸を叩く音が聞こえたのだ。最初は二人とも雨風が戸を叩いているだけだろうと思っていたが、戸の向こうで雨音に紛れた人が叫ぶ声がしていたのである。

 戸を開けようと立ち上がった白臣を制して、宗志が気だるそうに戸の前に立つ。そして刀の鯉口を切ってから戸を開けた。


「あんたは……!」

「宗志、様……!」


 そこに立っていたのは、あの土手で出会った老人だったのである。







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