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血煙旅記  作者: 黒洋恵生
鬼殿編
43/69

【第三十八話】優しい傷





「うぁあああああ――ッ!」


 白臣は理叶の手を握り叫声を上げた。悲しみ、後悔、悔恨の念が(せき)を切ったように押し寄せ溢れ出す。泣いても泣いても泣ききれない、悔やんでも悔やんでも悔やみきれなかった。

 父を亡くしたあの日の幼い自分。友を亡くした今の自分。あの頃よりは少しは強くなったつもりだった。大人になったつもりだったのだ。

 しかし、結局また大切な人を亡くしてしまった。


(こんな思い二度としないって、あの時誓ったはずなのに……!)


 その時、白臣の頭に何かが置かれた。彼女には振り返らなくても分かる、心地よい重み。

 宗志の手だった。


「そう、し……」


 白臣が振り返るとやはり宗志の姿があった。彼は瞳を固く閉じてしまっている理叶の姿に大方を察したのか、何も言わずくしゃりと白臣の髪をかき混ぜる。

 その姿に、その手の温もりに白臣は安心したものの、両目に零れる涙は止まってくれそうにはなかった。心にぽっかりと空いてしまった穴は(ふさ)がってはくれそうになかった。

 そして少し遅れて鳥野が現れた。ここに来るまでに交戦したのだろう、所々に傷があったが大きな怪我はしていない様である。彼女の手には風呂敷包みがあった。

 時雨は鳥野の顔を見てやるせない表情で頷いた。彼女も唇をきゅっと結び目を伏せる。時雨は理叶の()(がら)を横抱きにして立ち上がり口を開いた。


「……すまなかった。もう此処にいる意味はない。早々に出るとしよう」

「待ってください! ……瞳子さんは……?」


 (すが)る様に問う白臣に、時雨はただすまない、と一言口にするだけだった。そのやるせない表情に彼女は直感的に嫌なものを感じ、鳥野に真意を尋ねる様に見つめる。鳥野は目を伏せたまま静かに首を横に振った。

 動揺(どうよう)を隠しきれない白臣は鳥野の手元に視線を移す。その風呂敷包みの隙間から見えたのは、間違い無く人骨だった。


「まさか……!」

「……人間の子供の骨だわ。しかも何年も前に亡くなってたみたい。それに傍には理叶くんからの手紙があったの」

「そんな……! だって、理叶に昨日見せてもらったんです……! 一番最近に理叶が瞳子さんから(もら)ったっていう手紙を! 誕生日にだって手紙を貰ったって……」


 白臣は涙声で叫ぶ様に言った。時雨も鳥野も宗志も言いずらそうな顔をして口を固く結んでしまっている。

 だが(しばら)くして宗志が重そうに口を開いた。


「……別の奴が代筆してたんだろう。銀髪に妹が生きているように思わせるために、銀髪を(ここ)に縛りつけるために、な」

「じゃあ! 理叶は何のためにしたくもない人殺しをしてきたの……! こいつらの私欲を肥やすために……? そんなの……そんなの……あんまりじゃないか……!」


 行き場のない怒りに白臣は拳を、そして心を震わせる。辺りで眠り込んでいる鬼達がただただ憎らしくてたまらなかった。体中の血液が沸騰(ふっとう)してしまうほどに。それと同時に友を亡くした悲しみ、友を死なせてしまった罪悪感で胸が重く痛かった。

 そんな白臣を時雨は見つめ、すまなかった、とまた口にする。彼の拳は爪が食い込み血が出てしまうほど固く握り締められていたのだった。







 あれから一週間が経った。蝉から帰ってからの一週間は芹田夫妻の宿で四人は療養(りょうよう)していたのだ。

 そして時雨と鳥野、芹田夫妻に別れを告げた宗志と白臣は約一週間ぶりの野宿をすることになった。

 宗志は夕焼け空の下、素振りをしている白臣をぼんやりと座って眺めていた。彼の隣には時雨に押し付けられる様に渡された酒の入った竹水筒と団子が入っている風呂敷包みが置かれている。

 静かな竹林の中では刀が風を斬る音と、彼女の小さな息遣(いきづか)いの音しか無かった。

 ふと宗志は自らの懐を覗き込んだ。彼の体には包帯が丁寧に巻かれている。彼は懐に手を入れるとそっと包帯の上から傷を撫でた。すると全身に響く様な痛みが走りら思わず宗志は眉間に(しわ)を寄せる。

 不可解なことに宗志の怪我の治りがいつもより遅いのだ。同じく大怪我を負っていた時雨は五日程経った頃にはほぼ治っていたというのにである。

 いつもならば時雨よりも宗志の方が怪我の治りが早い。それは妖怪の血の濃さが時雨よりも濃いからだと宗志自身は考えていた。

 怪我が完治してから宿を出よう、と言って聞かない白臣や時雨達を押し切り彼は宿を出たのだ。

 白臣は納得がいかない様子だったが、最後には傷が開かないようにゆっくり歩くという条件で承諾(しょうだく)したのだった。

 ほんと人の心配ばっかだよな、と宗志は素振りをしている白臣の横顔を見て苦笑する。人のためなら自分の命さえも差し出してしまいそうな、彼女の真っ直ぐさは宗志にとっては眩しすぎた。隣にいることに躊躇(とまど)いを覚えてしまうほどに。


「……宗志」


 はっと宗志は目を覚ました。どうやらうたた寝をしてしまったようである。いつの間にか日は落ちてしまったようだ。彼は眩しそうに月を見上げてから白臣へと視線を移した。白臣は刀の構えを解いて手の甲で汗を拭う。


「ごめん、起こすつもりはなかったんだ。なんとなく呼びたくなっちゃって。君の名前を」


 そう言って白臣は小さく笑って頭をかくと再び素振りを再開する。宗志はそんな彼女に眉間に皺を寄せた。


「お前、ずっと素振りしてたのか」

「……うん。強くなりたいから。もう二度とあんな思いしたくないんだ。もう僕のせいで誰かが死ぬのは嫌なんだ」

「……お前のせいじゃねぇだろうが」

「君は優しいね」


 白臣は素振りをする手を止めずに、ちらりと宗志に顔を向けてそう言った。彼は更に眉間の皺を深くする。


「ここついてからずっと(それ)振ってんのか」

「うん」

「そんな長時間振ってたら肩痛めるだろうが」

「大丈夫だ。それにいくら振っても足りないんだ、僕には。こんぐらいどうってことない。大丈夫だ」

「お前の大丈夫は大丈夫じゃねぇって事、俺が知らねぇ訳ないだろ」


 君の大丈夫も大丈夫じゃないだろう、と白臣は相変わらず素振りの手を止めることなく、そう言葉を返した。宗志は大きな溜め息をつくと、のっそりと立ち上がる。そして素振りをしている彼女にずかずかと近づいていった。

 流石(さすが)に危ないと思ったのか、白臣はやっと手を止めた。そしてむすっとして宗志を見上げる。


「離れてくれないか。君がそこにいたら素振りできないだろう……って、え……!」


 白臣の手から宗志は刀をひょいっと奪い取ったのだ。刀を取られた彼女は悔しそうな顔をする。そしてすぐに少し得意げな顔をした。


「それ取られたって平気だ。僕には麻子ちゃんから貰った脇差しがあるから……って、え……!」


 思わず白臣は驚きの声を上げた。腰に差してあるはずの脇差しが無いのだ。しかも本差しの(さや)も無くなっていたのだった。

 白臣が宗志へと視線を向けると、それらは既に宗志の手の中あったのである。彼は白臣の刀と自分の刀を(まと)めて抱えて、気だるそうに元居た場所に座り直していた。

 むうと白臣は口をへの字に曲げる。そして座っている宗志の前に仁王立(におうだ)ちをして片手を突き出したのだ。


「返してくれないか」

「今日は()めぇだ」

「君に決められる筋合いは無い! 返してくれないなら力づくで……!」

勘弁(かんべん)してくれ。傷が開いちまうだろ」


 にやりと小さく笑いながら宗志はそう言った。そう言ってしまえば白臣が大人しくなるのを彼は分かっていたのだ。案の定、彼女は何も言わず彼の隣に腰を下ろした。そして心配そうに宗志の顔を覗き込む。


「まだ傷治らないのか……?」

「まあ……そうだな」

「やっぱり、傷が治るまで芹田さんの宿(ところ)でお世話になった方が良かったんじゃないのか? 今からなら一日で戻れるんだし……」

「いい。それに那智組の奴らに()ぎつけられてんだろ、あそこは。奴らに遭遇したら遭遇したで面倒だ」

「それはそうだけど……じゃあ、やっぱり葵さんから貰った丸薬飲んだ方がいい」


 そう言って(ふところ)から丸薬が入った巾着袋を取り出そうとしている白臣を、宗志は無言で制止させた。そして逆に自らの袋から巾着袋を取り出したのだ。彼はその中の物を取り出して白臣に差し出した。


「それって、もしかして……」

「ああ。……銀髪の奴が飲み込めなかった、あの丸薬だ。時雨が拾っといたんだと」


 そうか、と一言返して白臣はそれを受け取ると手の中にある巾着袋に戻した。理叶の事を考えると胸がじくじくと痛む。そして理叶の死に顔が、血の生温さが、そして冷たい手が鮮やかに蘇ってしまうのだ。

 白臣は神妙(しんみょう)な顔をしてぽつりと言葉を零した。


「……理叶は、あっちで瞳子さんに会えてるかな……」

「……さあな。妹は極楽とやらに逝けてたとしても、銀髪の奴は……どうなんだろうな。……だが……」


 そこで言葉を一旦切ると、宗志はちらりと白臣に目をやる。そして徐に言葉を紡いだ。


「会えてたらいいんじゃねぇかって思う」

「僕もそう思うよ。本当に」


 静かな声で白臣はそう口にした。消沈している彼女に宗志は隣に置いてある風呂敷包みを開く。そして竹の皮の包みを押し付けた。その中には団子が入っているのだ。

 だが白臣はそれを受け取ろうとはしなかった。


「……気分じゃない」

「気分じゃなくても食え。あれからほとんど何も食ってねぇだろうが」


 一向に受け取ろうとしない白臣に宗志はどっしりとした包みを無理矢理押し付けた。彼女はそれを少しの間じっと見つめた後、おずおずと包みを開く。中にはつやつやと甘辛いタレで輝いた焼き目のついたみたらし団子があったのだ。

 それを(おもむろ)に一本手に取ると、白臣はそれをゆっくりと口に運んだ。


「……美味しい」

「そりゃよかったな。時雨(あいつ)にしちゃあ、気が利いた方だ」

「……今度瀬崎さんに会ったらお礼言わなくちゃ。しかも新しい着物も頂いちゃったし」


 小さな声で白臣はそう言って自らの着物に視線を落とした。彼女は理叶の傷の止血をしようとした際に着物の袖を破り取ってしまったのである。

 それを、はぎれで(つくろ)えばいいと言う白臣に、時雨が少し強引に着物を贈ったのだ。

 時雨(あいつ)ハク(こいつ)が繕った着物を見る度に銀髪の死に際をいつまでも思い出してしまう事を察したのだろう、と宗志はなんとなく思った。

 別に着物を変えたからといって忘れられる訳ではないのも時雨は重々承知しているが、それでも白臣に何かせずにはいられなかったのだ。それぞれが理叶の死の重みを背負い、自責の念を抱えていたのである。

 お人好しが、と宗志は心の中で苦々しく呟く。しかし自分の中にある彼らへの羨慕(せんぼ)からは目を逸らせないでいた。

 そんな宗志の隣にいた白臣は団子を一本食べ終わった後、ぽつりと言葉を零した。


「……生きていくのって辛いんだね」

「ああ」

「これから先こんな思いを後何回しなくちゃいけないんだろう。僕の心は耐えられるのかな」


 宗志は風呂敷の中から竹水筒と猪口(ちょこ)を取り出し、その栓を抜いて口を開いた。


「難しいことは考えねぇほうがいい。お前はまだまだ生きていかなきゃならねぇんだから」

「……宗志は……?」


 宗志は何も答えなかった。ただ黙々と酒を猪口に注いでは()める様に呑んでいる。


「……君はこんな世から離れたいんだろう。出来るだけ早く」

「……」

「それが君の願いなのかもしれないけど……」


 そこで白臣は言葉を切った。そしてじっと考えてから言葉を口にする。


「僕は君の願いが叶わなければいいなんて思ってしまうんだ。……自分勝手だろう」

「……お人好しだな、(あき)れるぐれぇに」


 そこで会話は途切れた。白臣は団子を、宗志は酒を黙って口に運ぶ。

 静かな時が流れた。ふと白臣が視線を感じて横をちらりと見ると、宗志と目が合ったのだ。


「どうしたんだ……?」

「いや……」

「もしかしてお団子食べたいのか? それなら早く言ってくれればいいのに」


 そう言って包みから団子を一本取ろうとする白臣を宗志は制止する。


「……それでいい」

「これ?」


 白臣の手にある食べけかけの団子に宗志はかぶりついた。もごもごと口を動かしている彼の横顔を白臣は見つめる。


「美味しい?」

「……甘い」

「そりゃあそうだ。だって団子なんだもん。君は甘いものをあまり好いていないんじゃなかったのか」

「まあ。ただ、食べてみたくなった」


 お前があまりにも美味そうに食うから、と宗志は言葉を続ける。そして彼は手元の竹水筒に視線をやってから白臣をちらりと見た。


「お前も呑んでみるか?」

「んー、僕は別にいいや。だけど……」

「だけど?」

「お(しゃく)してみたい」

「酌?」


 不思議そうな顔をしながらも宗志は白臣に竹水筒を渡す。そして猪口を傾けた。彼女は竹水筒を受け取ると、傾けられた猪口にとくとくと注ぐ。


「……どうも」

「どういたしまして」


 宗志は猪口を小さく(かか)げて礼を言った。白臣は満足げに笑うと遠い目をする。


「小さい頃、僕は父にどうしてもお酌がしてみたかったんだ。でも父は元服を迎えたらね、と僕に言い聞かせてた。……結局叶わなかったけど」

「……そうか」

「あまり裕福ではなかったからお酒なんて正月にしか呑めなかったんだ、僕の父は。……会いたいな。父にも、理叶にも」


 ぽつりぽつりと白臣は言葉を(こぼ)した。そして消えてしまいそうな声で呟く様に言う。


「やっぱり耐えられそうにないよ。大切な人がいなくなるなんて……僕はもう耐えられない」

「……耐えられるだろ。お前なら」

「……そうかな。でも、なんだろう。君の言葉って不思議な力があるね。……君にそう言われると、頑張らなきゃって思えてくる」


 しみじみとした顔で白臣はそう言った。宗志は何も言わず猪口に口をつける。そして彼女は夜空を見上げた。


「今夜は星が綺麗だね」

「ああ」

「……ねぇ、宗志。僕は思うんだ。星が綺麗だって言ったら返事をしてくれる人が隣にいる。そういうのが、幸せ、っていうのかなって」

「……そうかもしれねぇな」


 二人はちらりとお互いの顔を見た。そして静かに笑みを浮かべる。

 その時だった。

 強い風が吹いたのだ。白臣は思わず目を細める。しかし目の前の光景に彼女は息を飲んだ。

 (やわ)らかな光を放つ銀色の髪を持った少年の姿。そしてその隣には長い黒髪を伸ばした少女の姿。二人は固く手を繋いでいる。強い風が吹いているにも関わらず、二人の髪は風に(なび)くことはなかった。

 白臣が思わず手を伸ばそうと、声を出そうとした時。二人の姿は消えてしまっていた。あれだけ強く吹いていた風も、もうぴたりと収まってしまっている。時間にしたらほんの刹那の出来事だった。

 伸ばしかけた手を白臣はゆっくりと(ひざ)に置く。そんな彼女を不思議そうに宗志は見た。


「どうした?」

「……会えたんだね」

「……?」

「会えたんだ、やっと。二人は会えたんだ」

「……そうか。お前が言うならそうなんだろうな」


 そして二人は何をするでもなく、金と銀の輝きが散りばめられた夜空を見上げた。そして静かに(まぶた)を閉じたのだった。






「瑞子殿。鳥野を見なかったか?」


 星が降りそうな夜だった。時雨は重ねた空の器を持った瑞子に声を掛けたのだ。本当は額の目を使えばすぐに見つかるのだが、彼がそれをしないのはむやみやたらに他人の私生活を覗かない様にするためだった。必要最低限、緊急時以外は基本的に額の目は使わないように決めているのだ。

 瑞子は時雨の声に忙しそうに動かしていた足を止め振り返った。


「朱? 見てないけど、どうしたんだい?」

「いや、部屋を訪ねてもいないので、な。何処に行ったものかと」

「大方検討つくっちゃつくけど……あの子、今は一人になりたいんじゃないかしら」


 あの日からずっと塞ぎ込んでるものね、と瑞子は付け加えた。時雨は心配げに眉を(ひそ)める。そして落ち着かなさげに中庭に視線をやった。


(かしら)、あんたは知らないだろう? あんたが面倒事に首突っ込む時、昔はよく朱に屋敷で留守番させてただろう」

「鳥野は戦闘型の妖怪の血が流れているわけではないからな。それに……女子(おなご)だ」

「私のことはがんがん連れ回したくせに」

「瑞子殿は別だろう! 南燕会の男に全くと言っていいほど劣らない。俺とて瑞子殿に何度骨を折られたか数えきれぬ……。まさに無量無数(むりょうむすう)。何度女の格好をした男だと疑ったことか……」


 からからと瑞子は笑う。そして笑いながら時雨の足を思いっきり踏んづけた。彼は裏返った悲鳴を上げる。


(かしら)の骨が細っちょろいのがいけないんだよ。まあ、あん時は力の加減が上手く出来なかったからね。悪かったよ」

「今も加減出来てないと思うが……まさに乱暴狼藉(らんぼうろうぜき)……」

「何か言ったかい?」

「いえ、何も言っておりません」

「……朱はね、あんたの隣に立つために、クナイを握ったんだよ。この私が何度も何度も稽古つけてやったんだ。いくら刀やら血やら無縁の小娘でも強くならないわけがないね」


 知らなかったろ? と瑞子は時雨に訊ねた。彼は静かに頷く。


「鳥野から何もそのような事、聞いたことがなかった」

「そりゃあそうだろう。朱は何も言わないもの。他の南燕会の奴らにも口止めしてたみたいだしね。それで私と稽古した後は屋敷の屋根に座って、よく夜空を見上げてたねぇ」

「知らなかった……。瑞子殿、鳥野がいる場所本当は知ってるのではないか……?」 

「相変わらず察しがいいね。でも言えないよ。口止めされてんだ。さて、私は仕事に戻ろうとするよ。あー肩が痛いよ、まったく」


 久しぶりに稽古つけてやったからかなぁ、とやけに瑞子は大きな声で言うと廊下を歩いて行ってしまう。時雨はすぐにはっと気付き履き物を取りに部屋に戻ったのだった。

 そして履き物を取ると宿の裏へと向かう。そして裏にある梯子(はしご)を立てかけて登り、宿の屋根の上に上がったのだ。

 やはり鳥野はそこに居た。膝を抱き抱え小さくなって座っている。時雨の気配に気づいたのか、彼女は(うつむ)いていた顔をこちらに向けた。


(かしら)、何か用ですか」

「いや特にないが。ただ今夜は星が綺麗だと思ってな。空がどこまでも広がっている。まさに天空海闊(てんくうかいかつ)。一番空に近い場所で見たいと思ってたんだが、先客がいたみたいだ」


 そうですか、と鳥野は適当に言葉を返すと視線を前へとやった。時雨は自然な足取りで彼女へと歩み寄る。


(となり)いいか」

「……一人になりたいのですが」

「だろうな。顔にそのように書いてある」

「貴方という人は……。駄目だと言っても座るのでしょう?」

「分かっているじゃないか」


 結局、時雨は鳥野の返事を待たずに隣に腰を下ろした。二人とも何も言葉を()わすことなく、零れる様な光を放つ星々をなんとなく見ている。

 どれくらいそうしていただろうか。鳥野が静かに口を開いた。


「司さんが拾ってくださった、群れ飛び鶴の紋様(もんよう)の巾着って……」

「ああ。間違いなく理叶殿の懐から俺があの夜抜き取った物だ。そしてその中に入っていた粉末が、とんでもないものだった。まさに前代未聞(ぜんだいみもん)

「とんでもないとは?」

「あれは(なばり)だ。伝説の産物だと言われていた物だったのだが」

「隠?」


 分からないとでも言うかの様に鳥野は眉間に(しわ)を寄せた。時雨も難しい顔をして口にする。


「文献を漁ってみたが隠と理叶殿が持っていたあれは、色や粉の粒形が記述に一致している。なにより……巾着の中の粉を小指の爪の先程の少量を水に溶かし、昨夜できたばかりの(かいこ)(まゆ)に塗ったのだ」


 そこで時雨は言葉を切った。鳥野は彼の言葉の続きを待っている。


「それを塗った途端、蚕が羽化した」

「……本当ですか?」

「ああ。そしてここからが本題だ。まさに至大至重(しだいしじゅう)。隠を俺達、妖怪と人の混血が飲んだらどうなると思う?」

「……まさかその蚕の様に――」

「いや。文献によると、妖怪と人の混血の力を限りなく妖怪側に近くすることが出来るのだそうだ」


 真剣な顔をして鳥野は考え込んだ。そして慎重に言葉を紡ぐ。


「……理叶君は、もしもの時はそれを飲むように言われてたのでしょうか……?」

「その可能性は大きい」

「……そんな都合の良い薬がこの世に存在するとは思えません。力を得るそれ相応の代償がいるのではありませんか」

「俺もそう考えている。たとえば……最後には目抄化(もくしょうか)してしまう、とかな。もし隠が実際に世に存在する物であったとするなら、目抄化は天災でも、俺達の宿命でもない。人為的に起こる事とも考えられる」

「……酷い。(かしら)、私達は利用されて利用されて……最後には淘汰(とうた)されるしかないのでしょうか」


 沈んだ声で鳥野は独り言の様に呟いた。痛みに耐えるかの様に時雨は歯を食いしばってから、静かにだが強い口調で言う。


「淘汰なんぞされてたまるものか。させてたまるものか……!」


 (りん)と響いたその声に鳥野は小さく頷く。時雨はそう言った後、静かに息を吐き出した。


「……すまなかった。(みな)、命を()けてくれたのにも関わらず、何も……護れなかった」

(かしら)が謝ることじゃありません。……謝るのは私の方です。……全て、全て私の力不足が招いた事――」

「違う!」

「違わないです! だって……そうでしょう? 私に敵全員を眠らせる力があったら! 私が自分の力を過信せずに判断出来てたら! 死なずに済んだんです……理叶くんは、死ななかったんです……!」


 そう叫んで鳥野は立ち上がった。それと同時に羽を背中に生やし飛び立とうとする。しかし、そんな彼女の腕を時雨が強く掴んだ。


「放してください……!」

「それはできない」

「先程も言ったでしょう! 一人になりたいって! どうしてほっといてくれないんですか……!」

「……一人にしたら、お前は一人で泣くのだろう?」


 ぐっと時雨は鳥野の腕を強く引いた。彼女は体勢を崩し時雨に倒れ込んでしまう。そんな彼女を時雨は抱きとめたのだった。


「……どういう……おつもりですか……?」

「泣き止んで、欲しくてな」

「……誰にでもこうするんですか。好いた人じゃなくても」

「俺は世の女、全員を愛しているぞ?」

「……最低。でも……」


 その続きは言葉にならなかった。鳥野は時雨の腕の中で嗚咽(おえつ)を噛み殺しながら涙を零したからだ。そんな彼女の背中を時雨は優しく叩いた。


「泣くな。……お前に泣かれると辛くなる」


 少し震えた(すが)るような時雨の声。鳥野は早く涙を止めようと試みるが、(せき)を切ったように溢れ出す涙をどうすることも出来なかったのだ。彼女の雫が時雨の着物を濡らしていく。


「もうお前も、そして誰も泣かしはしない。……あんな思いお前にも、誰にもさせはしない」


 強い声音で時雨は呟いた。彼は小刻みに体を震わせて泣いている彼女の背中を、(わらべ)をあやすかのように優しく叩く。そして彼女の背に回す腕に力を込めたのだ。

 そんな二人を無数に輝く星々が静かに照らしていたのだった。


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