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血煙旅記  作者: 黒洋恵生
鬼殿編
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【第三十六話】枯れた髪




「理叶……!」


 思わず白臣は悲痛な声を上げる。宗志と時雨がそれぞれ蝉の牛耳る兄弟と斬り合いを繰り広げていた頃、白臣と鳥野は建物の地下にいた。

 じめじめとした薄暗い地下の一つの牢獄の前で二人は足を止める。松明(たいまつ)の光で照らされた理叶には右腕が無かったのだ。断面が刀で斬られた様なきれいなものではなく、それがより痛々しく感じられた。

 鳥野は松明を白臣に預け、先程の鍵の束を取り出すと一つ一つ鍵穴にさしていった。そして何個目かの鍵をさした時、がちゃりと音がして牢獄が(ひら)いたのである。

 中に二人は入り、白臣は(かが)んで手を理叶の顔に(かざ)す。息があることを確認すると彼女は安心した様に頷いて鳥野を見上げそのことを伝えるが、本来なら右腕があるはずの場所に目線を移し痛みに耐えるかの様な顔をした。


「理叶、起きれる……? 理叶……!」


 白臣が横たわる理叶の体を優しく揺すりながら彼の名を何度も呼んだ。すると彼の口から小さな(うめ)きが聞こえ、彼は重そうに瞼を持ち上げたのである。


「理叶……!」

「お? 何で白臣がいんだ? 鳥野さんも」


 眠そうに左腕で目を擦り理叶は体を起こす。そして自らの右腕の方を見て全てを思い出したのか苦い表情をして、心配そうな顔をしている白臣に困った様に笑いかけた。


「何でお前、そんな顔してんだよ」

「だって……」

「別に腕の一本ぐれぇ、どうってことないって。殺されなかっただけ超ツイてるって感じ」


 だからそんな顔すんな、と理叶は俯いてしまった白臣を覗き込んで笑いかけたのだった。

 その後、鳥野は今までの経緯や戦略について理叶に話す。宗志と時雨が葉川兄弟を倒すという事を聞くと理叶は心配そうに顔を曇らせた。


「大丈夫かな、(かしら)……。それに天狗の奴まで来てくれるとは思わなかった……。もし何かがあったら――」

(かしら)は死なないわ。あの人はこんな所で死んだりなんかしない。宗志さんだって死なない。ハクちゃんを置いて死んだりなんかしない」


 はっきりとそう遮った鳥野に白臣もしっかりと頷く。彼女は内心雨雲の様に広がる不安を拭い切れずにいたが、そんな鳥野の力強さに少し気が楽になった気がした。それは理叶も同じだったようで、彼も力強く頷く。

 だが一瞬だけ目を伏せた鳥野に白臣はなんとなく思ったのだ。鳥野も自分達と同じく不安なのだ、と。確信などはないが、ちらちらと天井を見る彼女の目は心配そうに揺れている。

 粗雑に扱うこともあるが、どれだけ鳥野が時雨を想っているか白臣にもずっしりと伝わった。そして六人で此処を出るという願いを実現出来るように自分が出来る事を果たそうと決意する。


「理叶、立てる?」

「ああ、平気平気」


 そう言って理叶はひょいっと立ち上がる。そして牢獄の隅に転がっている鎖鎌のところまで行くと、クナイを懐から取り出した。そしてそれを使って鎖と鎌を切り離し、左手で一つの鎌を握る。

 その後、三人は牢獄を出た。鳥野は少し離れた所に落ちていた(おの)を拾うと、その刃と柄を短刀で切り離す。そしてその木の柄に火を移し、それを白臣に持たせたのだ。


「ハクちゃん達は先に戻ってて。私が責任を持って瞳子ちゃんを探し出すから」

「待ってください……! 三人で探した方が早いじゃないですか!」

「言ったでしょう? 外の鬼を何時(いつ)まで寝かせておけるか分からないって。それに理叶くんの腕の傷を綺麗にしてちゃんと手当しないとならないわ」

「でも……」

「大丈夫、私だってこんな所で死ぬなんて真っ平御免よ。外で会いましょうね」


 白臣は少し考えてから力強く返事を返し、理叶はありがとうございますと頭を下げる。そして二組に別れ白臣達は地上を目指し、鳥野は瞳子を探すためさらに地下の奥へと足を進めていったのだった。






 その頃、三階では。覚束無(おぼつかな)い足取りで宗志は壁に寄りかかると崩れる様に座り込んでしまっていた。額や口からは絶えず血が流れ続けている。そして体に刺さっていた鉄杭は二本から三本へと増えてしまっていた。

 龍の額からも血は流れてはいるが、既に傷が塞がりかけているのか血が乾き始めている。戦況は圧倒的に宗志に不利だった。

 それでも宗志はゆっくりと近づいていく龍を鋭い眼光で睨みつける。龍はにんまりと笑うと二回連続で指を鳴らした。


「ッ……ぅ……ぁあ"……!」


 空間を裂くような轟音が二回鳴り響き、それと同時に宗志の体に耐え難い激痛が走った。心臓が胸を突き破るぐらいに悲鳴を上げる。痛みで筋肉が硬直し背中が反ってしまう。そしてそれが収まった時には彼の身体からは煙が出ていた。

 肩で息をしながらも宗志は立ち上がろうとする。しかし上手く足に力が入らない。

 それを面白そうに眺めていた龍は一定の距離を取って足を止めた。


「思い出した。君は天狗の宗志だろう。黒い天狗って(ちまた)で恐れられてるっていうさ。人間って、なんて非力で愚かで醜いんだろう。こんな虫螻(むしけら)のような奴を恐れるなんて生きるに(あたい)しないよ」

「……」

「だから君は火傷しないのだろう。合点いったよ。ねぇ、どうしてボクが君の様な虫螻のこと知ってたと思う?」

「……興味ねぇよ」

「興味ない、興味ないか。まあいい。ボクは君と交渉したいんだよ。悪い話ではないと思うよ? 君はボクを殺す理由はそれ程ないみたいだし、ボクだって虫螻を潰して楽しむ様な趣向は持ち合わせてないからね。……ボクは君の持っているあるモノが欲しいんだよ」


 鈴を鳴らした様な高い笑い声を龍は上げた。宗志は眉間の(しわ)を深くして彼の言っている欲しい物が何かと思案する。しかし、思い当たる物は何もない。

 龍は絹の様な髪を手で()いてから、うっとりとした顔をして唇を動かした。


「ボクが今一番欲しいモノはね、男の子なんだ。君が持ってる赤い髪の――」

ハク(あいつ)は物じゃねぇ!」

「そんなに怒らないでくれよ。でもいい話だとは思わないかい? その子をボクにくれたら、ボクは君を見逃してあげるよ。それにその子だってボクにとーっても愛されるんだ。……芸術品としてさ」


 恍惚(こうこつ)した表情で龍は形の良い唇から笑い声を漏らす。宗志は今にも噛み付きそうな目付きで睨みつける。龍はそんな彼をお構いなしに言葉を続けた。


「まずは、その子のありのままの姿にするだろう。綺麗な肌をしてるんだろうなあ、陶磁器(とうじき)のような。そんな肌を着物なんかで隠すのは勿体無いからね。それでまず首輪をつけてお散歩させてあげるんだ。そして兄上やみんなに自慢するんだよ。いいでしょーって」

「てめぇ……」

「それが飽きたら、そうだなあ。お花にしちゃうかな。お花って分かるかい? 君みたいな奴には分からないか。特別に教えてあげよう。四肢を切り落として壺に入れる事を、ボクはお花にするって呼んでいるんだ。綺麗だろう? 無駄な物を削いだその物本来の美しさを楽しむにはとっても良い方法なんだよ」

「黙れ……!」

「黙るのは君だよ。人の話は最後まで聞きましょうってお母さんに習わなかったのかい? まあ君みたいなのは(しつけ)もされずに早々に捨てられたんだろうけどね。ボクが親でもそうするよ。おっと話が逸れてしまった。お花の話だったよね。よく見世物小屋から買い取ってお花にするんだけど……今は生憎(あいにく)いい子がいなくて。本当は実物を見せてあげたかったんだけどなあ。あれ? どうしてそんなに怒ってるんだい?」


 きょとんとした顔をして龍は首を少し傾けた。宗志は呼吸をするのも上手く出来ないほどの怒りに体を震わせる。怒りの余り瞬きさえままならない。(ののし)る事も出来ないほどだった。


「でも悲しい事に花はいつか枯れてしまうだろう。でも美しい物を愛するボクは枯れたからって直ぐには捨てはしないんだ。まずは髪を刈り取るだろう? そして目を(えぐ)り取って大切に取っておくんだ。そうだ、あの子の肌は上物だから、きれいに()ぎ取ってもいいねぇ。女の子だったらもっと楽しめるんだけど……」

「てめぇ……いい加減にしろ……!」

「ねぇどうやってあの子、手に入れたの? 買ったの? (さら)ったの? ボクどうしてもあの子が欲しくてたまらないんだ。あの子ボクにくれないかい? (きん)ならいくらでも出――」


 その時。龍の体が弾け飛んだ。宗志の拳が顔面に撃ち込まれたのだ。龍の体は部屋を仕切る(ふすま)を倒して転がった。その隙に宗志は脇差しを抜く。


「何度も言わせんじゃねぇよ。……ハク(あいつ)は物じゃねぇ……!」

「……何度も、言わせないで……貰えるかい。……人の話は、最後まで……聞けとねぇえええ!」


 龍は立ち上がりながら鼻から流れる血を手で拭うと、もう片方の手で指を鳴らす。それと同時に鼓膜を裂きそうな程の轟音が響き、血が沸騰しそうな程の激痛が宗志を襲う。

 体から上がる灰色の煙。荒い息。それでも宗心は歯を食いしばり、崩れてしまいそうな体を何とか持ちこたえた。


「思い、出した。その羽織……の紋章、どっか……で見たこと、あるような、気がしてた……が。ハクを川で襲ったのは、てめぇら……だったんだな。」

「そうさ。ボクが部下に命じたんだ。君が邪魔する前に(さら)ってこいって言ったのに、失敗しやがって」


 舌打ちをする龍を()ぎたての刃物の様な宗志の眼光が貫いた。


「そうか。……てめぇを殺す理由が出来た。とっておきのな……!」


 宗志は左肩の付け根に刺さっていた鉄杭に手をかけた。そして力を込め無理矢理引き抜いたのだ。そしてそれを放り投げた。その鉄杭には所々に肉片が着いている。畳に血がじんわりと染みていく。

 痛みに顔を歪めながらも宗志は残りの二本の鉄杭も引き抜いた。鉄杭が抜けた穴の様な傷からは、ごぼりと血が湧くように流れ出ている。

 しかし、幸いなことに筋に傷をつけてはないようで、全く力が入らないことはないと左腕を微かに動かしながら宗志は確認した。それは足に関しても同様である。

 そんな宗志を龍は嘲笑を浮かべて眺めていた。


「野蛮、だ。実に野蛮極まりないない。そんだけ血を出してたらボクに殺られる前にこと切れてもおかしくないね」

「その心配はいらねぇよ。その前にてめぇを叩っ斬りゃいい、ただそれだけの話だ。……あの世とやらで後悔しろ! ハク(あいつ)に手を出そうとしたことをなぁああああ!」


 振り下ろされた宗志の刀。龍は寸前の所で回避する。そして龍の刀による攻撃。それを宗志は刀で受け止める。

 だが鉄杭の(もも)の傷のせいで踏ん張りがきかない。体が一瞬よろついてしまう。

 その隙を龍は逃さない。懐から鉄杭を取り出すと同時。宗志を狙う一撃を放つ。それを彼はぎりぎりのところで刀で弾く。

 弾いた勢いのまま宗志は刀を振り下ろす。頭部を斬り裂くと思われた、が。それを龍は身を(ひるがえ)して()ける。体と刃の距離は紙1枚分だ。

 そのまま瞬時に龍は大きくさがる。それを宗志は追撃する。向かってくる彼に龍は鉄杭を投擲(とうてき)する。

 それを宗志は刀で弾く。そして顔目掛け突きを放つ。

 しかし迫る刃を龍は握り勢いを殺す。寸前のところで刃先は止まってしまう。彼の(てのひら)からは血が垂れている。


「……ッ!」


 その瞬間。龍の腹に蹴りが撃ち込まれる。吹き飛ぶ龍の体。

 倒れている龍に間髪入れず。宗志は全身の力をこの一撃に込める。渾身の力で刀を振り下ろした。

 しかしそれを龍は左手の鉄杭で受け止める。そして倒れた状態のまま。(ふところ)から取り出した鉄杭で宗志を下から突き刺した。

 脇腹を貫通する龍の刀。そしてそのまま宗志の腹を引き裂いた。にやりと龍は笑う。しかし。痛みに耐えながらも宗志は口元を吊り上げた。

 瞬時に懐に手を入れ取り出した物。それは龍が使っていた鉄杭だったのだ。

 それを深く龍の右腕に突き刺した。それは彼の腕を貫き畳に深く刺さる。

 更にもう一本宗志は取り出すとそれを左腕に突き刺した。それも龍を貫き畳に深く突き刺さる。

 二本の鉄杭によって縫い止められた様に身動きが出来ない龍。

 その上から宗志はどくと、痛みと憎悪で顔を歪めている龍を見下ろした。龍は体を(よじ)り畳から鉄杭を抜こうとするが、返しがあるためにぴくりとも動く気配がない。

 宗志は血を出しすぎたためか、ふらつく足で倒れそうになる体を支えた。


「勝負あったな」

「くそ……ボクが、君みたいな……穢らわしい奴なんかに……! これは何かの間違いだ、そうに決まってる……! ボクを殺したら……君は殺されるぞ、兄上に! 兄上なら君なんか――」

「大丈夫だ、兄上とやらも今頃あの時雨(ばか)に首取られてるだろうしな」

「はあ? 兄上が……負ける訳、ないだろう……!」

「さあ。……あの世に行って確認するこった」


 宗志は表情一つ変えず刀を振り上げた。龍の顔が恐怖と憎悪で歪んだ。


「呪ってやる……! 君のことを呪い殺してやるからな……! 君の周りにいる奴ら全員呪ってやる……! もちろん、赤毛のあの子もねぇえええ――! 一緒に地獄に連れていってやるよぉおおおお――! 地獄でお花にしてやるからなぁあああ――!」

「……そうだ、死ぬ前にてめぇの好きな〝お花〟とやらにしてやろうか。確か無駄な物を削いだその物本来の美しい姿、なんだろ?」


 無表情で宗志は刀の先で畳に縫い止められた龍の腕をつついた。彼の心の中に蓄積されたどす黒いものが雨雲のように広がっていく。龍は目玉が零れてしまうのではないかと思うほど目を見開き、首を激しく横に振る。


「や、やめてくれよ……! やめてくれ……!」

「……見世物小屋(あそこ)から連れて来た奴らも同じ事、言ってなかったか? 〝お花〟とやらにする前に」

「分かんない……! 覚えてないよ、そんなことぉおおお!」


 宗志は更に強く刀の先を龍の腕に押し当てる。その彼の顔には恐ろしい程に表情が無い。まるで能面をつけているような、無機質な顔。


「本当に、覚えてねぇんだな」

「嘘……! 嘘だよぉおおお! 覚えてるってばぁあああ――! 反省してる、反省してます……! だから――」

「許してくれ、ってか? ……ハク(あいつ)をうまく(さら)えてたら、てめぇはあいつを……」


 その先の言葉を続けるのが、宗志には出来なかった。彼の瞳の奥のどす黒い闇がぞっとするほど深くなっていく。その事を龍は本能的に察し、とうとう涙混じりに叫んだのだ。


「お願い、しますぅううう――! 許してぇえええ! お願いだからぁああああ! お花になんてなりたくないぃぃいいい――!」


 一瞬で殺してくれるよう、龍は矜持(きょうじ)を捨て泣きながら懇願(こんがん)した。宗志はそれを顔の色を変えずに刀を振り上げる。なんの感情も彼には湧いてこない。

 そして龍の腕を落とすため、刀を振り下ろした刹那。


 ――宗志。


 白臣の声が聞こえた気がしたのだ。宗志の脳裏にくっきりと彼女の姿が浮かぶ。

 はっと宗志に人間らしい表情が戻った。刀は龍の腕と紙一枚分の所で止まる。彼は()め息をついて、静かに龍を見下ろした。そして刀で龍の首を一突きする。

 刀を引き抜いて宗志が龍の顔に視線を向けると、彼の瞳からは光が消えており、絶命したことが分かった。宗志はもう一つ溜め息をつく。

 そんなに時間は経ってないにも関わらず、宗志はもう随分(ずいぶん)と白臣に会ってないような気がした。そんな自分を、らしくないと苦笑して頭をくしゃりと掻く。

 そして宗志は彼女と合流するため、急いで部屋を後にしたのだった。






「いったいどうなってるんだ……」


 宗志が龍が三階で交戦している頃、時雨は四階で龍の兄である彗と()り合っていた。肩の傷を抑えながら時雨は状況を整理し、真理を見極めようと考えを巡らせている。彗は薄ら笑いを浮かべ徐々に間合いを詰めてきていた。

 何かがおかしい、と時雨は眉を(ひそ)める。先ほども確実に槍の刃先が彗の首に突き刺さる寸前だったのだ。そこまでの意識は確実にある。

 だがはっと気づいた時には時雨の槍は届かず、逆に彗に肩からざっくりと斬られてしまうという有様だ。心臓に刃が届かなかったのが幸いである。

 考えられる可能性は、と時雨は二つの仮設を立てた。しかしどちらも魔術の様なもので、通常ならば受け入れ難い。けれどそれ以外にこの状況を説明できるものはなかったのだ。

 彗は時雨との一定の距離をとって止まる。そして(あざけ)りを含んだ笑い声をあげた。


「どうした南燕会の時雨よ。先ほどの威勢はどうした? それともやっと純血の鬼との力の差を思い知ったか」

「……べらべらとよく喋る奴だ。沈黙は金という事を知らないようだな」

戯言(ざれごと)を。美学を語って良いのは強者だけだ……!」


 そう叫ぶと彗は床を蹴る。時雨は槍を握る手に力を込める。向ってくる彗を迎え撃つ。

 斜めに刀を振り上げる彗。首を狙い刺突を放つ時雨。彼の槍の方が速い。今度こそ槍が届くと思われたその時。

 右腕の痛みに時雨は我に返った。彼の腕を裂く彗の刀。あらぬ方向を向いてしまっている時雨の槍。

 咄嗟に時雨は左に身を(ひるがえ)すようにして距離を取った。

 右腕の傷を時雨は忌々しそうに見る。あの時、咄嗟に彼が動けていなければ確実に斬り落とされていたほどのものでであった。


「落としそこねた、か。思ったよりすばしっこいのだな。だが骨にまで届く手応えはあった。その傷では利き腕はもう思うようには使えまい」


 そう言って彗は笑みを浮かべる。時雨はそんな彼を(にら)みつけてから、横目で右腕の傷をちらりと視線を向けた。真っ赤な血が流れ、畳をべっとりと染めていく。

 右腕は動かないことはないが、力がうまく入らない。力勝負になれば抗する前に殺られてしまう。

 だが先ほどの瞬間で仮説に対する確信じみたものを時雨は感じていた。そしてその法則性もある程度は(つか)めた、と彼は小さな光も感じていたのである。

 時雨は警戒を解かずに静かに言葉を紡いだ。


「鬼という者はごく稀に特別な力を生まれ持つ者がいると聞く。そして貴様もその特別な力を持つ者の一人。……貴様の持つ力は時を止める力。違うか?」

「……残念だが不正答だ」

「嘘ついているな。無駄だ。俺の額の目を前にしては嘘など無意味なのだからな」

「……なるほど。噂は本当であったか。()()の前では嘘は吐けぬというのは」


 能力を看破されたのにも関わらず、彗の顔に動揺の色は浮かばなかった。


「貴様が時を止められるのは長くてもせいぜい二秒程である、違うか?」


 彗は否定も肯定もしなかった。否定すれば嘘ついているということを見破られてしまい、結局肯定しているのと同じだからだ。何も話さないというのが三つ目である時雨の前では得策(とくさく)なのである。

 しかし、時雨としてはこの読みに確固たる自信を持っていたため彗の反応は必要なかった。なぜならある一定の時間、時を止める事ができるのならば、わざわざ交戦せずに時を止めて首を落とせば済むからである。それをしないということが、二秒ぐらいまでしか時を止める事が出来ないという仮説の根拠だ。

 日常生活において二秒時が止まったところで、大して支障はないだろう。しかし戦闘においては二秒一秒、下手すれば瞬き一つが命取りとなる。時を二秒でも止められるというのは脅威的な能力なのだ。

 本来ならこの能力は急所に刀が届く寸前に使った方が有効である。しかしそれを彗がしない、正確には出来ないのは時雨が槍を扱うためなのであった。

 槍の方が刀よりもはるかに殺しの間合いが広い。そのために本来なら急所に届く寸前に使うのが有効である能力だが、刀が届くまで能力を使わずにいると逆にやられてしまうのだ。

 そしてそれは時を止める能力を連続で発動出来ない事も意味していた。

 時雨は槍を構え彗を鋭い視線で射抜く。


(時を止めてから次に時を止めるまでの間隔がどれくらい必要なのか見極める必要がある)


 勝機はそこにある、と時雨は踏んだ。彼は彗に向かって床を蹴った。

 激しく槍と刀がぶつかる。しかしすぐに押し合いに持ち込まれてしまう。

 右腕に力が思うように入らない時雨。彼の体は弾き飛ばされる。そして畳に転がった。

 間髪を入れず。彗は倒れている時雨に飛びかかった。首を狙い突きを放つ。

 時雨は倒れた状態のまま。彗を下から突き刺そうとする。しかし瞬時に彗は空中で体を捻り(かわ)す。

 だが時雨もただでは済ませない。躱された槍を横に振る。彗の腹を打撃する槍。

 彗の体は横に吹き飛び壁に叩きつけられる。口から血が噴き出す。しかしすぐ構え直した。そして壁を蹴り勢いをつけ時雨に飛びかかる。

 彗の攻撃を時雨は槍で受け止める。様々な角度から刀を振り下ろす彗。それを時雨は(なや)し続ける。

 しかし彗の剣先が時雨の腹を水平に裂いた。血が飛び散る。顔を歪めた時雨。そこを彗は容赦なく彼を蹴り飛ばす。

 吹き飛ばされた時雨の体は壁に叩きつけられる。彼は崩れる様に座り込んでしまう。座り込んでしまったら最後で彼には体が石の様に重く感じられた。

 彗は薄ら笑いを顔に貼り付けたまま、時雨にゆっくりと近づいていく。


「俺の持つ力を見切ったのは褒めてやる。だが見切れたところでお前と俺の差は生まれた時から天と地ほどあると決まっているのだ。とうてい戦術、鍛錬などで埋められる差ではない」


 そこで言葉を切ると彗は一定の距離を取って足を止めた。そして時雨を見下ろして言い放つ。


「いいか? 弱者は死ぬまで弱者だ。強者は死ぬまで強者なのだよ。確かに窮鼠(きゅうそ)は猫を噛むかもしれぬ。だが、窮鼠は猫を噛み殺すことは出来ないのだ」


 死ぬ前にもう一つ教えてやろう、と彗は言葉続ける。

 その彗が紡ぐ言葉は時雨に流れる血を沸騰させるのに充分なほどであった。彗の話した真実が時雨の中で木霊(こだま)する。怒りのあまり声が出なかった。


「どうした、三つ目よ」

「……貴様……それは誠か……?」

如何(いか)にも」



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