【第四話】死ぬ夕日
(あれは……あの男の能面……!)
道から逸れた木々の中にある獣道に能面が落ちていることに白臣は気づき、能面の方に駆け寄りそれを拾い上げた。やはりあの男の能面である。
(やっぱり、捕まってしまったのかもしれない)
白臣の理性というよりも本能的な部分が、〝助けに行け〟と騒ぎ立てる。走り出そうとする体を理性が止めた。
(僕のすべき事は他にある。あの男には悪いが……)
白臣には自分の命を投げ出してでも、果たさねばならない事があった。那智組というのは妖怪専門ということもあり、手練の集まりだ。こんなところで犬死にはできない。
そう思い能面を捨てようとするものの、白臣の本能的な部分がそれを許さなかった。あの男は人を人と思わない、切り刻む事も厭わない残虐な男なんだ、と自分に言い聞かせても能面を捨てる事は出来なかった。
(あの男がいなければ僕は二度も死んでいた)
白臣は能面を見つめ、意を決して懐にしまった。西の方角に煙が立つのが見える。あそこに那智組の本拠地があるに違いない。もし無くても人がいるのは確かで、その時は情報を集めればいい。
空が紅く染まっている。恐らくあの男を処刑するのは早くても明日の朝、もしくは昼間であろう。なぜなら処刑を行う時はだいたい見せしめにするために、人通りの多い時間帯に行う事が多いからである。日が暮れてしまう前にたどり着きたい、と白臣は獣道を駆け出した。
白臣は休みなく走りきり、なんとか日が暮れる前にはたどり着く事が出来た。もともと体力と足の速さには自信があるのだ。そして那智組の本拠地の大門の前の茂みに身を隠し様子を窺った。
那智組の本拠地は城とまでは言わないが、堀で囲まれていて、さらにその内側には高い塀で囲まれている。門の前には二人の門番がいる。
(地道に裏から登るか? ……駄目だ! 時間がない)
なにしろ白臣の持ち物と言えば、男の能面と刀一本しかない。道具なしであの塀を超えるのは至難の業だろう。門から入るしかない、と覚悟を決めて茂みから出て門番に近づいた。
「すみません」
「あ? お前誰だ?」
「この近くの村の者なのですが……」
「この近くに村なんてあったか?」
白臣の考えとしては、門番の隙を突いて彼らを速やかにかつ静かに倒し、門を無理矢理開けるというものだった。かなり無理のある計画だが、白臣にはこれが一番得策の様に思えた。だが、もう一人の門番の発言によって誤算が生まれることになる。
「おい。この餓鬼、夕日のせいかと思ったが……髪の色も目ん玉の色も普通じゃねぇ」
「本当だ。化け物がそっちからわざわざこちらに来てくれるなんてありがたいねぇ。仕事を減らしてくれてさ」
げらげらと下品に笑う男達に、白臣は何の感情も抱くことはない。その様な蔑みの言葉は白臣が生まれてからずっとついて回った。幼い頃は怒りや悲しみのあまり涙を流していたが、その涙も今は枯れ果てしまっている。
「俺、上の人に指示を仰いで来るわ。絶対逃がすんじゃないぞ」
そして一人の男が白臣を羽交い締めたのを見届けて、もう一人の男は門を開けようとした。まさか門番自ら門を開けてくれるとは、白臣にとっては嬉しい誤算である。その一瞬を見逃さなかった。
全意識を頭に集中させ、頭を前に倒し勢いをつけて、振り子の様に動かし、後ろで白臣を羽交い締めている男の胸に自分の後頭部を打ちつけた。
「うぐっ」
白臣は男の腕が緩んだ隙に男の腕から抜け出し、今まさに門を開けている門番の背中を蹴り倒し、滑り込む様にして敷地内に入った。
「く、く、曲者!」
後ろで男達が叫んでいるのが聞こえる。侵入者の存在を知らせるためなのか、カンカンと鐘が鳴らされて、ばたばたと人が白臣を探し回っている。その様子を白臣は木の枝葉の中で見ていた。
門番を蹴り倒して境内に入った後、近くの木にとりあえず登ったのである。もちろん彼らからは死角にある木だ。
(さて、ここからが勝負だ)
白臣は先ほどの門番に打ちつけた後頭部をさすりながら、これからの事を考えた。門はすんなりと入る事が出来た。彼らの敗因は、自分の細い体で弱そうな見た目に油断したからだ、ということは白臣にも分っていた。これからはそうはいかないかもしれない。
「おい、知ってるか?」
白臣のいる木の下で那智組の者二人があたりを見回しながら話している。何か情報が得られるかもしれない、と聞き耳をたてた。
「あの天狗が捕まったらしいぞ」
「え!? あの天狗って、一人で大軍を滅ぼす程の強さを持つ純妖怪よりも恐れられた、あの黒い混血天狗が?」
「ああ、そいつだ。そいつは大木よりもでかいって聞いてたんだけどな、俺達と同じぐらいで見た目は普通の人間みたいだぜ」
「え、本当かよ。俺は全身鋼の毛で覆われてるって聞いてたけどなぁ」
「肌は白いし、腕は俺より細せぇし、俺でもぶった斬れそうだったぜ」
白臣はあの男の容姿を思い浮かべた。確かに肌は白く、体は細すぎる訳ではないが、がたいが良い訳でもなかった気がする。
「じゃあ俺、一戦してこよっかな」
「やめとけ。お前が殺されるのが落ちだ。俺なら大丈夫だと思うけどな。じゃーん! 見ろよこれ」
男は懐から何かを取り出した。隣にいた男は大袈裟に驚いた様な声をあげた。
「それって大牢獄の鍵じゃねぇか。まさか、あの天狗のいる檻じゃないだろうな?」
「それが、その鍵なんだよ、これが」
白臣は小さく拳を握りほくそ笑んだ。あとはあの男から鍵を奪い、牢屋の場所を聞くだけだ。
(天は僕に味方をしてくれているのかもしれない)
俺大牢獄に行ってくるわ、と鍵を持った男が言い二人は別れた。侵入者を探し回っていた人々も、それぞれの持ち場につき、人も先ほどよりは少なくなってきた。
白臣は周りに人が居ないのを確認して、静かに木から下り、そっと鍵を持った男の跡をつけた。
「……俺の後ろに鼠が一匹」
鍵を弄びながら男は口元を吊り上げて呟いた。彼は跡をつけられていることに気づいていたのだ。餓鬼に忍び込まれるなど那智組もなめられたものだと男は溜息をつく。男は赤毛の侵入者と自分との間合いはかなりあるため、もし後ろから仕掛けられたとしても、返り討ちにできるほどの間合いであり、実力があることを自負していた。
男は後ろにいる者に気づかれぬ様に、クナイを三本ほど懐から取り出し、仕掛けて来るのを今か今かとまった。張り詰めた空気が流れ、赤毛の侵入者の鼓動が聞こえてくる様な気がするほど、男の感覚は研ぎ澄まされていた。
刀を鞘から抜く音がした刹那。男はクナイを投げつける。そして刀を抜き斬りかかった。
赤毛の侵入者の首筋からは血が吹きだし、眼球は潰れ左腕が宙を飛ぶ。そして断末魔の叫び……。
男はこの瞬間がたまらなく好きだった。特に人が死ぬ瞬間にあげる声はどんなものでも劣って見えるほどの快楽を男に与えてくれる。だから止められないのだ。人だろうが妖怪だろうが死ぬ時は同じ声をあげるのである。
黒い天狗の檻の鍵を任されているだけあり、男は那智組で五本の指に入る手練であった。