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血煙旅記  作者: 黒洋恵生
鬼殿編
35/69

【第三十話】淫らな名前






「部屋の御用意が出来ました」

「ああ、分かったわ。こちらの方を案内してあげて」


 そう言って瑞子は五人に深々と一礼し、何かあったら呼んで下さいな、と言葉を残して無駄の無い動きで廊下を歩いていき、とある一室に入ってしまった。

 五人はそれぞれ履物を脱ぐと案内されて宿の廊下を歩く。宗志は欠伸(あくび)をしながら首を回して口を開いた。


「で、俺らはこの宿に泊まってお前が出掛けている間、荷物番してりゃいいんだろ」

「ああ。まあ、そんなところだ。嘘じゃない、本当だ。まさに公明正大(こうめいせいだい)!」

「てか(かしら)、本当は白臣と少しでも一緒に居たいだけなんじゃねーの?」

「まあ、いや、うん。それも……無いわけでは、ないが、あくまでも俺は荷物番をだな……」 


 理叶の指摘に時雨は言葉を(にご)した。その時、前を歩く中居が止まる。どうやら二つ隣合った部屋を使って良いようだ。彼女は夕食の時間や風呂の位置などの説明を軽くした後、ごゆっくりと一礼して去って行った。

 時雨はやけに嬉しそうに四人を見回し口を開く。


「部屋割なんだが、男と女で分けるべきだろう。男部屋は四人で窮屈(きゅうくつ)になってしまうが仕方あるまい! 婚姻を結んで無い男女が同じ部屋で寝ることなど不純の極みだからな! まさに言語道断(ごんごどうだん)!」

「野郎四人で寝るなんざむさ苦しくてやってられるか。ハク、お前はあっち行け」

「宗志、邪魔立てする気か! 白臣殿は一人前の男だ。もし何かあったらどう責任を取るつもりだ!」

「大丈夫だ、ハクは何というか……そういうの興味ねぇんだよ」

「納得できん! 貞操(ていそう)が汚されたらと思うと俺は……俺は……」

「だから、ハクはお前の部下に手を出したりし――」

「鳥野が白臣殿を俺の白臣殿を襲ってしまうかもしれ……ンググッ、痛いっ鳥野! 痛いって、髪抜けるって! 頭皮ごと持ってかれるってば!」


 むしろ首ごと持ってかれてしまいそうな勢いで鳥野は時雨の髪の束を鷲掴(わしづか)んでいる。しかし彼女の顔から微笑みは崩れてはいない。


「いつから(かしら)のモノとなったんですか、ハクちゃんは? (かしら)、あまり馬鹿な発言していますと、八つ裂きにしちゃいますよ? (かしら)一物(いちもつ)


 凄みのある声で鳥野はそう言った。ひぃ、と時雨は裏返った声を()らす。その時に初めて白臣は鳥野の微笑みは崩れていないが、彼女のその目は笑っていないことに気づいたのだった。

 鳥野は小さく笑い声を零し、戸に手を掛ける。


「さ、ハクちゃん行きましょう」

「はいっ」


 そう白臣が返事をした後、二人は部屋の中に入っていた。時雨と理叶はその閉じられた戸をぼんやりと見つめている。何時(いつ)までもそうしていそうな二人に宗志は痺れを切らし、隣の男部屋の戸を開けた。


「お前ら部屋入んねぇのか」

「いいなー鳥野、白臣殿と同じ部屋だなんて」

「いいなー白臣、鳥野さんと同じ部屋だなんて」

「お、理叶殿。鳥野に一目惚(ひとめぼ)れでもしたのか? 若いなあ」

「別にそういう訳じゃないけど。でも、俺全然年上いけるし」


 へへっと笑う理叶に時雨は共感するかの様に何度も首を縦に振る。


「分かっているなあ、理叶殿! もし分からないのであれば俺が大人の女子(おなご)の良さを教えてやろうと思っていたが。既にしっているとは! まさに先刻承知! 大人の女子(おなご)に手とり足とり――」

「そうそう! 何も知らない女の子を教え込むのもいいけど、そういうのもたまらないよな! 分かってんじゃん、(かしら)!」

「当たり前だ。俺は酸いも甘いも、(うぶ)女子(おなご)(みだ)らな人妻も噛み分けた男だぞ! まあ、今じゃ俺の心は白臣殿のものだけどな」

(かしら)って、てっきり男でもいけるクチなのかと思ったけど基本は女が好きなんだな」

「そりゃそうだろう。男なんて()でれたもんじゃない。白臣殿は特別だがな」

「お前らくだらねぇ話してないで――」

「そういえば宗志、お前は年上の女子(おなご)は愛でれぬクチだったな」


 分かっとらんなあ、と時雨は笑い声を上げる。そして、べらべらと言葉を続けた。


「しかも、女子(おなご)を焦らして焦らして泣くまで焦らす嗜好(しこう)があ――」

「お前これ以上喋ると首落とすぞ」

「まさか、は、白臣殿にも焦ら……う"ッ! 鼻が! 俺の筋の通った鼻が! 宗志! つ、潰れたらどうしてくれるんだ!」

「お前の鼻が潰れようが伸びようが知ったこっちゃねぇよ」


 男三人が部屋にも入らず廊下でそんなやり取りをしていた頃、白臣と鳥野は部屋で(くつろ)ぎながら、のんびりと時雨が買ってきた大福を口に運んでいた。


「鳥野さん、なんか廊下騒がしくないですか? 僕ちょっと様子を――」

「大丈夫よ。放っておきましょう。ここの旅館の美しさにはしゃいでいるだけよ」

「なるほど! 確かにこの旅館、ちょっとした大名屋敷みたいですもんね」


 一人納得した様に部屋を見回す白臣に、鳥野は含みのある微笑みを浮かべていたのだった。






「あー気持ちよかった」


 白臣は月明かりを頼りに廊下を歩いていた。貸し切り風呂だったため、ゆっくりと風呂を満喫する事が出来たのだ。長居してしまったため体が火照っている。彼女は少し涼もうと縁側に腰掛けた。

 月の光に照らされた白砂は柔らかな輝きを放ち、まるで銀の砂の様である。そこを静かなすーっとした風が吹く。昼間は昼間で現実の世界とは思えない程の美しい庭園ではあったが、月夜の庭園は昼間とは比べ物にならないぐらい幻想的で美しかった。

 そんな事を白臣が考えていると、彼女の後ろから気の抜けた声が聞こえてくる。


「お、白臣じゃん」

「理叶?」


 白臣が振り返ると理叶は、にかっと笑った。彼の銀色の髪も白砂と同じ様に月の光に照らされ輝きを放っている。ただ、白砂とは違い刃物の様な鋭い輝きではあったのだが。

 そこ座っていいか、と理叶は白臣の隣に目を向ける。彼女がどうぞと答えると理叶は勢いよく彼女の隣に腰掛けた。


「お前、風呂上りか?」

「うん」

「こんなとこにいると冷えちまうぞ。……あれ、俺何でお前探してたんだっけ……? こんなこと言いに来た訳じゃねぇはずなんだけど。……あ、そーだ、そーだ! (かしら)がお前のこと探してたぞ」

「え? 瀬崎さんが?」

「ああ。男同士で裸の付き合いをしよう、ってさ。(かしら)ってほんとお前のこと好きだよなあ」


 俺なら絶対(ぜってぇー)男なんて惚れねー自信あるわ、と理叶は明るい笑い声を上げる。一通り笑った後、彼は興味津々に隣の白臣の顔を見た。


「でさ、お前と天狗ってできてんの?」

「ば、ば、馬鹿な事言うな! ぼ、僕は男だぞ!」

「それは知ってるわ」

「え……? じゃあ、宗志が女だと思ってるの……?」

「なわっけねぇーじゃん! あいつ女だったら驚愕(きょうがく)の事実だわ。……だから、俺が言いてぇーのは、お前らは男色なのかってこと」


 お前って変なやつだなあ、と理叶は手を叩いて笑う。その隣で白臣は一つ咳払いをして口を開く。


「だ、男色な訳ないだろう。僕は可愛い女の子が好きなんだ」

「ふうん、だけどさ。お前がそうだとしても、天狗はどうだか分からないよ」

「……そ、宗志だって綺麗な女の人が好きだと思う。そういう話したことないから分からないけど……」

「へえ。まあ、確かにいくら(きん)積まれたって男に抱かれるなんてごめんだよな。 それにあの天狗なんか相手にしたらお前の細っちょろい体なんかすぐ壊れ――」

「き、君は! いきなりなんて話をしてんだっ!」


 白臣の反応が面白かったのか、理叶は高めの笑い声を上げた。白臣は少し不満そうに口をきゅっと結ぶ。


「ごめんごめん、怒るなって」

「別に怒ってないっ」

「お前ほんと面白いなあ。女みてぇな反応しちゃってさ。おぼこ娘じゃあるまいし」

「う……うるさい……」

「だから怒るなって。まあ気をつけろよ。お前みたいなのはあっという間に男色の餌食(えじき)だ」


 ボロが出てしまいそうな話題を変えようと、白臣は何か上手い言葉を探してはみるが、それが見つかる前に理叶は話を続けてしまう。


「武家と坊主の世界じゃ全然珍しいことじゃねぇんだろ? 俺みてぇな庶民には無縁だけど」

「え、そうなの?」

「そーだよ。坊主は女人禁制だろ。でも男を相手にするのは別にいいらしいんだよな。むしろ清浄されるとか。武士は戦場に女連れてけねぇだろ?」

「だから男の人を代わりに……」

「そーそー。やっぱ溜まっちゃうんだろうな、いろいろ。たぶんあの天狗も溜まって――」

「いちいち宗志を話題にだすなっ!」


 理叶はにやりと笑う。その隣で白臣は自然と頭の中に浮かんでしまう絵図を追い払うので精一杯だった。

 そんな話をしてからどのくらい時間が流れただろうか。少しばかりの時間、二人は黙ってその場所に座っていた。白臣はやっと落ち着いて、なんとなく気になっていたことを口にする。


「理叶は刀とか持たないのか?」

「刀ぁ? 俺は別に武家の出身じゃねぇしな。逃げ足だけは自信あるから、自分の身守るぐらいなら刀無くても支障はないし。あ、でも万が一の時のために短刀は(ふところ)に入ってんだけどな」


 なるほど、と白臣は頷いた。戦闘慣れした者は基本的に気配がない。気配を消すのが癖になってしまっているのだ。宗志はもちろん時雨や鳥野の気配も白臣には感じ取るのは難しい。その白臣でさえも、まだ理叶よりは気配を消すのは上手(うわて)だった。


「まあ、南燕会の一員になったからには武術も学ぶつもりだぜ。最初は家事洗濯専門になるだろうけど。でも洗濯とか掃除とか苦手じゃねぇし、いいかなってさ。(むし)ろ、得意?」

「凄いな! 何処かの屋敷で働いてたの?」

「あ……いや、そういう訳じゃねぇんだけど。……あ、ちっと長居しすぎたな。俺そろそろ部屋戻るわ」


 理叶はさっと立ち上がった。そして、ひらひらと手を振り軽い足取りで廊下を歩いていった。白臣も部屋に戻ろうと、ゆっくり立ち上がる。そして振り返った時、彼女はすぐ側の柱に宗志が寄りかかって立っていたのに気づいたのだ。


「宗志、いつからそこにいたの!?」

「……まあ、ついさっきだ」

「そっか。もしかしてさっきの話聞いてた?」

「ん、少しぐれぇだ。悪りぃ、盗み聞きなんざするつもりはなかったんだが……話しかける間がつかめなくてな」

「ちなみに、どこらへんから聞いてた?」

「男色の話だったか……ん? 何かお前、顔赤くねぇか?」

「き、気のせいだっ! そんなことより宗志は僕に何か話す事でもあったんじゃないか?」


 ああ、と宗志は返事を返し眉間に(しわ)を寄せる。そんな彼の反応に白臣は不思議そうに首を傾けた。


「あの理叶っていう奴……いや、それが本名かは分からねぇが――」

「待ってよ、それじゃ理叶が嘘の名前を僕達に名乗ったてこと?」

「そこは分からねぇけど。だが何か、裏がある気がすんだよ」

「……何を根拠に君は理叶を疑ってるんだ?」

「臭うんだよ、あいつ」


 白臣は険しい顔をする。そして彼女は宗志が話を続ける前に言葉を口にした。


「もしかして、血の臭い?」

「……ああ」

「でも君もそこにいたなら聞いていただろう? 理叶は南燕会(なんえんかい)で武術を学ぶつもりなんだ。ってことは刀の持ち方さえ知っているかも怪し――」

「ならなおさらおかしいだろ。そんな奴に血の臭いが染みついちまってるなんざ」

「でも、動物の血かもしれないだろ。(たぬき)とか(いのしし)を捕まえたりして生計を立ててたのかも」


 白臣は少し自信なさげに視線をさ迷わせた。内側から突き上げる様な不安が彼女を支配し始めたのである。宗志は眉間の(しわ)を更に深く刻む。


「それにあいつ、お前でも気付かなかった俺の気配に気づいてた。知らねぇふりしやがってたけどな。……それが何を意味するか分かるか?」

「じゃ、じゃあ、何で理叶は僕に嘘なんか……」

「んなこと知らねぇよ。……だがあいつの前で気は抜くな」


 そうはっきりと宗志は白臣に告げる。そして難しい顔をしている彼女に苦笑した。


「ほら、お前も部屋戻るんだろ。とっとと行くぞ」


 白臣に宗志はそう言うと歩き始める。彼女はその背中の後に続いたのだった。







 草木も眠る丑三(うしみ)つ時。辺りは静寂に包まれ、遠くの方で聞こえてくる獲物を探す(ふくろう)の鳴き声以外は物音一つしない、そんな夜。

 宿にいる者はみな床に就いていた。……ある一人を除いて。


「……よし」


 固く(まぶた)を閉じている宗志の寝顔を覗き込む様にして見ている人影があった。星明かりに照らされたその髪は、鋭い銀色の光を放つ。……その者は南燕会の一員となった少年、理叶だった。

 そして音を立てずに理叶は立ち上がると、その右隣で寝ている時雨の枕元まで歩いて行き、静かに腰を下ろす。昼間は一本に結えられている時雨の長い髪が今はほどかれている。しかし(ひたい)の包帯だけは少しの緩みもなく、きっちりと巻かれていた。

 充分過ぎるほど理叶は時雨の寝顔を見つめ、彼が寝ているかを確認する。そして一呼吸置いてから理叶は懐に手を入れ、あるものを取り出す。それは簡素な作りの短刀だった。

 音を立てない様に指先に神経を使いながら、理叶はその短刀を鞘から引き抜いた、その時。

 ひやり、と首に冷たい感触が走った。振り返らずとも理叶は自分の背後にいる人物を察することが出来た。そして横目で時雨の左隣の布団を見る。さっきまで宗志が寝ていた布団はもぬけの殻となっていた。

 後ろから低く冷たい声が理叶に降って来る。


「お前、何してんだ?」

「もうびっくりさせんなよー! 天狗起きてたのかあ。盗賊か幽霊か何かかと思っちまったよ。ほんと心臓口から出ちまいそうだったしー」

「聞こえなかったか? 何してんだって聞いてんだよ」

「それより首に当ててる刀どけてくんねぇ? いくら用心深いって言っても限度ってもんがあるだろ」

「こっちの質問に答えてからだ。……お前はその刀でなにするつもりだった?」


 更に強く首筋に刃を当てる宗志に、理叶は臆することもなく大きな溜め息を吐いた。


「もしかして俺疑われてる? 無理もないよなあ、これじゃあまるで(かしら)の暗殺でもしようとしてるみたいだし。忍者みてぇにさ。……信じてくれるとは思ってねぇけど、短刀の手入れしたかったんだ。今夜はなんか眠れそうにねぇーし」


 少し間があった。そして首筋の冷たい感触が無くなると同時に、理叶の後ろで刀を鞘に納める音がする。刀を枕元に置いて気だるそうに布団に入る宗志を、理叶は驚いた顔をして見た。

 宗志はその理叶の視線が鬱陶(うっとう)しいのか彼に背を向けてしまう。


「まさか信じてくれるとは思わなかった。お前疑い深そうだし」

「お前を信じた覚えはねぇよ。ただお前が何しようがお前が南燕会の組員である以上、お前を生かすも殺すも決めるのは俺じゃねぇ。決められんのはそこでアホヅラ下げて寝てる馬鹿(しぐれ)だけだ」

「……ふーん。まあ良かった疑い晴れてさ。そもそも俺はただ純粋に刀の手入れしたかっただけだし。あーあー怖い思いした。まだ鳥肌立ってるわー。鳥肌立ったせいで小便(しょんべん)行きたくなっちまったよ、俺」


 (かわや)行ってくるわー、と理叶ゆっくり立ち上がると軽い足取りで部屋を出て行った。彼の足音はだんだんと小さくなっていく。

 そして完全に理叶の足音が聞こえなくなった時、宗志は溜め息をついてから視線を閉じられた戸にちらりと向けた。


「おい、お前どうせ起きてんだろ」

「……バレてたか。狸寝入(たぬきねい)りは得意だと思ってたんだが。まさに円熟無礙(えんじゅくむげ)! (かな)わんなあ」


 時雨は頬を()くと小さく笑った。んなことはどうでもいい、と宗志は言葉を続ける。


「お前も気づいてんだろ。あの銀髪の餓鬼……」

「理叶殿のことか。それがいったいどうしたというのだ?」

「とぼけてんじゃねぇよ。さっき、あいつお前のこと殺そうとしてたろうが」

「そうだったか? 理叶殿は刀の手入れをしようとしてたと言っていたではないか」

「お前……あんな戯言(ざれごと)信じんのか!」


 宗志は上半身を起こして時雨を睨む様に見る。時雨は一瞬宗志へと目を向けるが、直ぐに視線を天井へと戻してしまう。


「宗志。お前は随分と表情豊かになったな」

「……今はそんなことどうでもいいだろ」

「どうでもいい事ではない。……人というのは変わるものだ。過去がどうであれ今がどうであれな。理叶殿が刀の手入れをしようとしていたと言ったのだ。俺が信じてやらずとしてどうする。上が下を疑い始めたら組織はお終いだ。まさに土崩瓦解(どほうがかい)

「……勝手にしろ。ただし――」

「大丈夫だ。どんな間違いがおこったとしても理叶殿は白臣殿には手出しせんだろうからな」


 宗志の心の内を読んだ様な時雨の言葉に、彼は気恥ずかしさを紛らわすかの様にくしゃくしゃと頭を掻いた。そして気だるそうに布団に入り直す。


「ほんと、お前は甘ったれた野郎だ。昔から変わらねぇのな」

「鳥野にもよく言われる。甘すぎる、とな」


 だが俺はそれでいいと思ってる、と時雨は言葉を続ける。宗志は返事の代わりに溜め息をついたのだった。






「あの男、白臣殿を見つめすぎではないか? この瀬崎時雨が成敗してくれる!」

「ちょっと、瀬崎さん! 落ち着いて下さい!」


 時雨と宗志と白臣は宿の近くの賑やかな通りに来ていた。通りには商家が立ち並び、商人や買い物客で賑わっている。また派手な着物で着飾った武家の男達が大腕を振って歩いている。

 三人は暇つぶしがてら宿の女将である瑞子に頼まれた米俵を買いに来たのだ。彼女は特異な髪色があまり目立ってしまわぬよう、白臣と理叶に編み笠を貸してくれたのだった。

 本当は鳥野と理叶も一緒に行くことにはなっていたのだが、鳥野は調べなければならないことがあると言い残し、理叶はちょっとした用事があると言って、それぞれが別行動をしているのである。

 番犬の様に周囲を睨みつけている時雨に、宗志は呆れを含んだ大きな溜め息をした。


「お前馬鹿じゃねぇか? いや聞くまでもねぇな、お前は馬鹿だ」

「なぬ? 歩く書物と言われるこの俺が馬鹿なわけないだろう。そんなことも分からぬお前の方が馬鹿だ!」

「あ? お前の方が馬鹿に決まってんだろ。手配書出回ってるくせに、こんな人混みで本名を叫ぶ馬鹿を馬鹿って言って何が悪りぃんだよ」

「そんなこといちいち気にするほど俺は小さい男ではないのでな! まさに闊達自在(かったつじざい)!」

「ほら二人とも、お米屋さんが見えてきましたよ!」


 白臣は二人の掛け合いの間に割って入り前方を指さした。そこには米俵が積まれている。看板などはなかったが間違いなく米屋だろう。そして盗人対策のためか、そこの米屋の両脇には(やり)を持った屈強な男が二人立っていた。

 時雨が宗志と白臣の前に立ち店主を呼ぶ。そして中から出てきた店主に瑞子から渡された風呂敷包みを手渡すと、店主は包みの中身を確認してからまいどあり! と声を上げた。

 それから宗志と時雨はそれぞれ米俵を一つずつ担ぎ来た道を歩く。白臣は手ぶらなので少し決まり悪そうに二人の間を歩く。

 その時、お頭さん! と声が聞こえてきた。三人は声のする方向に顔を向ける。


「おお、(つかさ)殿!」

「お久しぶりです、お頭さん。ああ……! 瑞子ったらこんな物をお客様に運ばせて……! 本当に申し訳ありません、家内が……い、今すぐ宿の者を呼びに――」

「良いのだ良いのだ。気晴らしにぶらりと歩き回りたかったのでな。まさに逍遥徘徊(しょうようはいかい)! それのついでだ。気にするでない」

「本当にすみません……。ああ、申し遅れてすみません。私は瑞子の旦那で宿の主人をしております、芹田(せりだ)(つかさ)と申しまッ……!」

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