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血煙旅記  作者: 黒洋恵生
妖狐編
31/69

【第二十七話】小さく立つ

 





 その時、宗志の口の端が吊り上がった。反対に堂林は忌々しそうに歯を食いしばっている。

 宗志の左手は堂林の体を離さないようがっちりと堂林の腕を掴み、もう一方の右手は堂林の貫通した腹の傷に突き刺さっている。


「……宗志、てめぇ……!」

「俺が今から何するか分かるよな?」

「くそがぁああああああ!」


 その叫び声とほぼ同時。炎の渦が堂林を貫いたのだ。辺りには煙と肉の焦げる嫌な匂いが充満する。そして堂林の叫喚(きょうかん)も。

 風が吹き込んできて煙が薄くなると残されたのは焦げ臭い匂いだけだった。その中で堂林は倒れている。その腹には大きな穴が空いてしまっており、白臣は思わず目を逸らした。

 宗志はぐったりした様子で、転がっている二本の刀と鞘を拾う。自分の刀は血を払って鞘に戻し、白臣の刀は懐から手ぬぐいを取り出して丁寧に血を拭き取ってから鞘に納めると、彼女に手渡した。


「悪りぃな、お前の刀汚しちまった」

「ううん、大丈夫。刀は本来はこうやって使う物だろう。ねぇ宗志。あの堂林という男には火は効かないはずじゃ……。なのにどうして……?」

「お前まさか、最初からずっとこの場に居たのか」

「……うん。もしもの時はあの堂林という男を後ろから斬りかかろうと思ったんだ。卑怯だとは思うけど、それでも宗志には死んで欲しくなかったから」


 そうか、と宗志は小さく返した。そして、ちらりと倒れている堂林に目をやってから白臣の疑問に答える。


「あいつは正確には火が効かねぇんじゃねぇんだ。パッと見はそう見えるけどな」

「どういうこと?」

「つまりだ、あいつは火を狐火に変える力がある。だが俺みてぇに自分が出した火も他人が出した火も効かねぇ体をしてるわけじゃねぇ。だから俺の炎に包まれた時に顔を一瞬(しか)めやがったんだ」

「なるほど。ってことは体の表面を覆う火は狐火に変えられても、体の中までは狐火に変えることは出来ない、ってことか」

「まあ、(ほとん)ど賭けみてぇなもんだったが」

「……てめぇに、しちゃァ……、頭、よく使えた、方だなァ……そう、し……」


 二人同時に声のする方を見た。……堂林は生きていたのだ。今にも立ち上がろうとはしているが、体は思うようには動いてくれないらしい。

 宗志はすっと刀を抜くと堂林にゆっくりと近づいていった。


「まだ生きてやがったか。(はらわた)焼かれちまってるのに。哀れなぐれぇ頑丈だな、俺達化けもんの体っつうのは」


 その時だ。宗志と堂林の間に子供が入ってきたのである。その子供の髪は眩しい程の金色で、頭には同じ色の尖った耳が生えていた。そして二本のふさふさとした金色の尾が生えている。

 子供は体に合わない大きな刀を、宗志に真っ直ぐ向けた。だが怯えているのか、その剣先はぷるぷると震えている。


「どうばやち様に手をだすなっ、てんぐ! オ、オレが! オ、オレが相手だっ!」

「てめぇ、は、確か……雪、か」

「はいっ、どうばやち様! オレ助けに来ました! てんぐなんか、てんぐなんか、やっつけてやりますっ!」


 宗志が雪をひと睨みすると、ひっ、と雪は弱々しい声を漏らす。それでも堂林の前をどこうとはしなかった。


「餓鬼、どかねぇとお前ごと(たた)っ斬るぞ」

「や、や、やれるもんならやってみろっ!」


 震えた声で雪はそう叫ぶ。その時。堂林が雪の体を払ったのだ。彼の体は簡単に吹っ飛んでしまい、石床に転がった。

 わけがわからず宗志が眉間に皺を寄せると、掠れた声で堂林は言葉を紡いだ。


「……殺、せ……宗志……」

「ああ、お望みどおり地獄に送ってやる」


 そう言って宗志が刀を振り上げようとした時。よろよろしながら雪が堂林の前に立ったのだ。


「どうばやち様っを殺したら、オ、オ、オレが! お前をたたじゃおかないぞっ!」

「……結構。とっととどけ」

「オ、オレは強いんだぞっ! お前なんか、お前なんか、すぐ倒せるんだぞっ!」

「やって見せてもらいてぇもんだな」


 その時だ。堂林が雪の体を払った。雪の体は弾き飛ばされて石床に転がってしまう。

 溜め息をついて宗志が刀を構えた。だが懲りずに雪がよたよたした足取りで二人の間に入ってくる。体じゅうには擦り傷ができており、ふっくらとした頬には痛々しいほどに、皮膚がめくれてしまっていた。きらきらとした金色の瞳は涙で濡れている。


「もう諦めろ」

「やだっ! おねがいしますっ! どうばやち様を殺さないでっ。そうだ、オレの目だまあげるっ! たかく売れるって聞いたことあるっ。痛いのやだけど、がまんするからっ」

「みっとも、ねぇ……真似、すんじゃ……ねぇ」


 (かす)れた声で堂林はそう口にすると、雪の尾を掴み投げ飛ばす。雪の体は再び石床に転がってしまう。

 二つ目の溜め息を宗志はつくと、ゆっくり刀を振り上げた。その時、彼は足を掴まれる感触に目をそちらに向ける。彼の足を弱々しく掴んでいたのは、やはり雪であった。


「おねがいしますっ、おねがいしますっ。どうばやち様が悪いことしたなら、オレが代わりにごめんなさいするからっ! だから、だから、ゆるしてあげてよぉっ。どうばやち様がいなくなったら、オレ、本当にひとりぼっちになっちゃうっ。ひとりぼっちさみしいよっ、やだよっ」


 泣きじゃくりながら宗志にしがみつく雪。宗志は眉間の皺を深くして、そんな雪を見下ろした。


「宗志、今日のところはもういいんじゃないか……」


 いつの間にか宗志の側に来ていた白臣は呟く様にそう言った。宗志は更に眉間の皺を深く刻み込んでから、三つ目の溜め息をつく。そして振り上げた刀を(さや)に納めた。


「堂林、そういや俺は〝あの夜〟の借りを返してなかったよな。これで貸し借りはなしだ。……二度と俺達の前に現れるな」

「ふざけ、んな……宗志……! 殺せぇええええ! 俺を、殺せぇえええええ! てめぇ、なんぞに……やられちまう、俺に、この先……生きていく、意味は……ねぇ……! 殺せ殺せ殺せ……!」

「そんなに死にてぇなら自分で腹かっさばいて勝手にくたばるんだな」

「それが、出来ねぇ……のは、てめぇ、が一番……よく知ってる、だろうが……!」


 堂林はそう掠れた叫び声を上げると、とうとう動かなくなってしまう。宗志は眉一つ動かさずに彼等に背を向けてふらっと歩きだした。その後に白臣も続く。

 少し歩いたところで宗志は立ち止まって白臣を見た。彼女は不思議そうに宗志の顔を見つめ返す。


「……ありがとな」

「えっと、何が?」


 白臣の疑問に宗志は答えず、ふっと口元を緩めただけだった。その時二人の後ろから先程よりも大きな雪の泣き声が聞こえてくる。


「どうばやち様、いやだよ……! 死んじゃ、だめだよぉおおお! どうばやち様、どうばやち様! 目を開けてよぉおおお!」


 雪の泣き声に堂林は何の反応も示さない。その(まぶた)は固く閉じられている。雪が堂林を何度も揺さぶっても、堂林は動かないままだった。

 そんな雪を見て白臣は少し目を伏せた後、遠慮がちに宗志の方に視線をやる。


「あのさ……宗志。あの、葵さんから貰った丸薬、彼等に渡しちゃ駄目かな……?」

「あんな野郎に渡す必要はねぇだろ」

「そうだけど、でもあの子が可哀想で……」


 悲しそうに眉毛を下げて白臣は、宗志と泣きじゃくる雪を交互に見る。彼女の心にやるせない思いが広がっていく。暫く宗志は無言だったが、苦笑して本日何度目かの溜め息をついた。


「……分かった、好きにしろ」

「ありがとう」


 白臣は宗志に礼を言うと、動かない堂林を揺さぶっている雪に近づいていった。そしてしゃがみこむと堂林の首元に手を当てる。すると指先で脈を感じ取る事ができた。まだ死んではいないようだ。

 警戒の色を含んだ目で凝視(ぎょうし)してくる雪に、白臣は小さく笑いかけた。そして、懐から巾着袋を取り出すと、赤黒い丸薬を一つ取り出す。


「これを君に」

「……これなにっ?」

「何でも怪我を治せる薬。本当かどうかは僕にも分からないんだけど……良かったらどうぞ」


 雪は白臣が差し出した丸薬を見つめ考え込んでいる様子である。暫くしてから丸薬を受け取った。


「これ、毒じゃないよねっ?」

「うん」

「ほんとっ?」

「本当」


 ありがとう、と雪はぺこりと頭を下げた。白臣はゆっくりと立ち上がると宗志の元まで小走りしようとするが。その振動で折れた腕が痛み、思わず顔を(しか)めた。


「無理すんな。ゆっくりでいい」

「……ごめん」

「謝る必要もねぇよ。本当はお前を担いで飛んじまうのが一番いいんだろうが……今は真っ直ぐ飛ぶことさえ出来そうにねぇ……悪りぃな」


 宗志の言葉に、白臣はぶんぶんと首を横に振る。そして二人は石造りの建物を後にしたのだった。






 二人はお互いを支え合う様にして夜道を歩いていた。随分長い時間あの場にいたような気がしていたが、月は真上にありまだまだ夜は明けそうにない。

 白臣は月を眩しそうに目を細めて見ている宗志の横顔を見上げた。


「やっぱり僕は間違ってたかな」

「……何だよ、いきなり」

「堂林という男がこの先、生きてしまったら、僕の知らないところで親を殺されて、大切な人を殺されて泣いてしまう人達がいるかもしれない。それが分かってても目の前で泣いてるあの子を無視することなんて出来なかった」

「俺にもよく分かんねぇ。だが何が正しくて何が間違ってるのか、決められねぇ事の方が世の中には多いんじゃねぇか。このことが正しかったのか間違ってたかはこの先分かるかもしれねぇ。一生分からねぇかもしれねぇ。そんなもんだ。誰にも分かりゃしねぇんだ、お前が気を()む必要はねぇよ」


 まだ納得し切れていない様子の白臣の頭を宗志はわしゃわしゃと()でる。その後、彼女は乱れた髪を整えてから宗志を見上げた。その顔は何処か不満そうである。


「君は僕をそんなに子供扱いしたいのかっ? それとも僕を猫か何かかと思ってるのかっ?」

「お前はどちらかって言うと犬だろ」

「問題はそこじゃない!」


 完全に()ねてしまった白臣を、宗志は小さく笑って見ていた。まただ、と彼女は内心思う。宗志にはどこか寂しそうに笑ったり、どこか辛そうな顔をする一瞬があるのだ。

 恐らく本人も気づいていないその一瞬。基本無表情な宗志の微かな変化。白臣はそれを敏感に感じ取れる様になっていた。

 そんな宗志の顔を変えたくて、わざとおどけたような声で白臣は彼に話し掛ける。


「そうしー、これからどうしよっか?」

「まず、お前の腕を医者に診せなきゃならねぇだろ」

「何言ってんだ、宗志の傷を診せるのが先に決まってるじゃないか」

「馬鹿、俺はほっときゃ治るって何度言えば分かるんだお前は」

「でも……」


 はあ、と溜め息をついて宗志は立ち止まった。それに合わせて白臣も足を止める。


「問題は医者をどうやって見つけだすかだな。獅倉の鍛冶場まで行って呼んでもらうのが早いが……ここからだと距離がある」

「宗志、その……僕、休憩したいなあ、なんて思ったり思わなかったり……」

「ん。お前、腕大丈夫なのか?」

「うん、平気。医者に診せたところで直ぐに治るわけではないし」


 確かにな、と宗志は言葉を返す。そして二人は道を外れて木々の中へと入っていった。

 少し進んだところで宗志は足を止めると、白臣に座るようにと促す。そして木の枝を適当な数集め()き火を作った。

 次に宗志は右手で着流しの左袖を破り取った。彼の左手には一本の太く短い枝がある。そして彼は不思議そうな顔をしている白臣に近づいてしゃがみこんだ。

 宗志はゆっくりと白臣の右袖を捲くりあげた。微かに宗志の指先が触れて、思わず彼女は小さく声を漏らす。


「悪りぃ、痛むよな。だが良かった、骨が肉を突き破ってはねぇみてぇだ」


 心から安堵したような声で宗志はそう呟くと、白臣の骨が折れてしまった部位に木の枝を()え木代わりに当てる。そして手ぬぐいを懐から取り出し、その木の枝を動かないように固定した。その後に先程破り取った着流しの袖を使い腕をつって支える。


「とりあえず応急処置だ。明日医者に診せに行く」

「うん、ありがとう。君の治療もしなくちゃ。ちょっと薬草探しに――」

「だから俺はいいって言ってんだろ」


 立ち上がろうとする白臣の頭を、宗志は軽く押さえた。しぶしぶ白臣が座り直すと宗志も焚き火の近くにどっかりと腰を下ろす。


「ハク、あの丸薬飲まねぇのか」

「んー、飲むほどかなぁ? ていうか、僕よりも君が飲んだほうがいいんじゃないのか?」

「俺はいいから、薬飲んどけ。利き手が使えねぇのは不便だろ」

「確かに……。刀振れないと、もしもの時に君にまた迷惑かけてしまうよな」


 独り言のように白臣は呟くと懐から巾着袋を取り出した。そしてその中から丸薬を一つ掴んで、口の中に放り込んだ。宗志はじっとその様子を見守っている。


「……何か変ったか?」

「いいや、何にも。相変わらず腕は痛いままだ」

「そうか。やっぱどんな怪我も(やまい)も治せる薬なんて、ただの伝説だったのかもしれねぇな。……ハク、悪かったな」

「え? ああ、腕のこと? 大丈夫だよ、こんな怪我すぐ治るし。それに宗志のせいじゃないだろう」

「腕もそうだが……全部だ」


 全部? と白臣が首を(かし)げてみても、宗志は黙って焚き火の炎を見つめたままだった。彼女も何もすることがないので揺らぐ炎をぼんやりと見る。

 静かな時が流れた。時折風が二人の髪を弄び、頬を撫でていく。その度に炎は大きく揺れ消えそうになっては、また暫くすると赤々と燃え始める。

 宗志は近くにあった木の枝を手に取り火にくべてから、ちらっと白臣に視線を向けた。


「……寝ないのか」

「うん、眠れなくて」

「そうか」

「ねぇ、宗志。一つ聞いてもいい?」


 無言で宗志は頷く。しかし白臣はそうは訊いたものの、彼女自身がその問を口にするのが躊躇(ためら)われた。それを聞いても宗志は喜ばないだろうことが彼女は分かっていたのだ。

 それでも。知りたいと思ったのだ、知らなきゃいけないと白臣は感じていた。なんとなく、なんとなくだが今ならその問をはぐらかされずに答えてもらえるという予感を、彼女は感じていたのである。


「……〝あの夜〟って何?」


 一言一句を丁寧に白臣は口にした。宗志は切れ長の目をすっと少し見開く。そして(おもむろ)に口を開いた。


「……俺の餓鬼の頃の話してなかったよな」

「うん」


 白臣は宗志の顔を十分過ぎる程見つめ、彼が口を開くのを待った。彼も白臣の翡翠色(ひすいいろ)の瞳の奥を覗く様に見る。長い長過ぎる沈黙が流れてから、彼は視線を逸らしゆっくりと言葉にする。


「俺さ、十にもならねぇ時に見世物小屋に売られたんだ。……実の親に」


 ひゅう、と白臣の喉の奥が変な音を立てた。喉が締められているかの様に息が上手く出来ない。何か言わなくてはと思えば思うほど声が出なかった。宗志は彼女の顔を見ることなく、自嘲気味に笑う。

 白臣はかろうじて言葉を絞り出した。


「……どうして、そんな……」

「さあな。金が欲しかったのか……まあ金には困ってなかったから、邪魔だったんだろ。俺の存在が」


 他人事のように淡々と宗志はそう言った。白臣はそんな彼を見ていられず、視線を焚き火へと移す。


「……記憶は曖昧だが、六回あの豚小屋で正月を迎えたのは確かだな。正月だけ(あわ)を食わせてもらえたからよく覚えてる」

「正月、だけ? それ以外の日は……?」

「確か魚の骨でもしゃぶってたりしたっけな。だから粟がご馳走だった、あの時は。……地獄ってぇのはああいう場所のことをいうんだ」


 白臣は胸が突き上がる想いでひしひしと痛むのを感じて、思わず胸を抑えた。宗志はちらりと彼女に視線を向けると、小さく口を緩めた。


「お前がそんな顔をする必要はねぇよ」

「だって……! そこで宗志は……無理矢理火を出させられたりしたの……? それとも、もっとひどいことを……」

「餓鬼の頃は火を出せなかった。そもそも、自分に何の化け物の血が流れているかも分からなかったしな。毎晩毎晩、客どもの前で五寸釘を何十本も体中に打ち込まれた」

「……っ!」

「皮肉なことにそんな傷も二日後には完治しちまった。そしたらまた客どもの前で釘を打たれる、それの繰り返しだ」


 わなわなと拳を震わせ白臣は立ち上がる。痛みは行き場のない怒りへと変わり、体の熱が高くなるのを彼女は感じた。

 そんな白臣に宗志は苦笑して座るように促した。彼女は座り直すと怒りで震える唇で言葉を紡ぎだす。


「どうして……どうして……そんな……」

「客集めにいいんだろ。現に俺はその見世物小屋で目玉だったしな。釘の刺し傷が二日後治ると言われれば、客どもは二日後にまた来るだろ。そうやって得意客を増やしていくんだ」

「そんなの、おかしい……!」

「ああ、だがあそこにいるやつは誰もそんなことを考えちゃいねぇ。自分の快楽しか考えてねぇんだ、あんな場所に来るような奴らも、それを経営している奴らも」


 おかしい、と白臣は再度強い口調でそう言った。宗志は揺らぐ炎を見ながら独り言のように言葉を続ける。


「人間っていうのは、自分よりも不幸な奴がいねぇと自分の持つ幸せって奴に気づけねぇ。その不幸な奴と自分との差が大きければ大きいほど満たされるんだ。人間がいる限り、見世物小屋も樺小屋(かんばごや)も無くならねぇ」

「宗志……」


 白臣には宗志の瞳に哀愁が籠っているように見えた。それっきり彼は口を噤んでしまい、白臣もこの感情を言葉にすることが出来ず押し黙る。

 暫く流れていた沈黙を破ったのは宗志だった。


「〝あの夜〟ってぇのは俺が娑婆(しゃば)に出た日だ。一度たりとも忘れられねぇ、そんな夜だった」





 厚い雲が薄い月の光を遮った。





「さあさあ皆様、お待ちかねの化け物と人間の穢らわしい混血児の登場であります!」


 引きずられるようにして舞台に現れた上半身裸の少年――宗志の手足、そして首には鎖が繋がれていた。彼は虚ろな瞳で観客の方を見る。

 その小屋では蝋燭(ろうそく)(あかり)が数本あるだけなので薄暗い。舞台から客席を見ると、そのうっすらとした闇の中に白い能面がぼおっと浮かんでいるように見えるのだ。

 客達は全員能面をつけている。この見世物小屋では客達の個人個人が特定できないように、という配慮で能面を配っているのだ。不気味に笑う能面の奥の顔は宗志には見えないが、その面と変わらない表情を浮かべているのが彼には分かっていた。

 観客に語りかけるようにして進行係の男は声を上げる。


「何も変わった所がないって? いやいや、二日前に来てくれたお客様はもう分かるでしょう? あれだけの背中の傷がもう治っている。気味悪いでしょう? これが化け物である何よりの証拠です! 信じられないって? それじゃあ今からお見せしましょう!」


 その言葉と同時に、他の男達の手によって無理矢理四つん這いの体勢を取らされた。客達は興奮した声を上げ、中には身を乗り出している者もいる。

 誤って心臓に釘を打ってくれればいいのに、とここに来てから宗志は何度も思っていた。しかし、いつも急所は器用に外されてしまうのだ。

 背中にひやりとした感触を感じて宗志は身をこわばらせる。釘が当てられたのだ。後は進行係の男の合図で、その釘に金槌(かなずち)が振り下ろされる。彼は襲ってくる痛みに備えるために目を瞑り、拳を強く握って歯を食いしばった。


「では楽しんでください。私が合図したら……ッあ"」


 その時、客達の甲高い悲鳴で小屋の中が満たされた。宗志のことを取り押さえていた男達の手の感触もなくなっている。不審に思って彼は恐る恐る目を開けた。

 目の前には黒紫色(こくししょく)の髪に銀色の尖った耳、銀色の狐の尾が五本生えている男――堂林が立っていた。

 宗志はひっ、と息を飲む。堂林の右手には進行係の男の首があったのだ。堂林は宗志を隅々まで舐めるように見ると、鞘に納められた刀を彼に投げ渡した。


「餓鬼、これをてめぇにくれてやる」

「お前は……」

「堂林凌だ。……外に出たくはねぇか?」


 こくこくと頷く宗志ににんまりと堂林は笑う。そして左手で指を鳴らした。その瞬間、いとも簡単に手足と首の鎖が砕けたのだ。今起きていることに宗志の頭はついていかず、辺りを呆然と見回した。

 小屋の男達はそれぞれ刀を持ち堂林に刀を向けていた。客達は我先に逃げ出そうとして戸に向かって行く。だが戸は開かないらしく、女は泣き叫び男は戸を開けようと躍起になっていた。

 その中でただ一人、堂林だけが酷く落ち着いて立っている。


「餓鬼、思うがままに、血の言う通りに動いてみろ」

「……思うがまま? 血の言う通り?」

「そうだ。思い出してみろ、奴らにされた仕打ちを」

「勝手な真似を許すな! 妖狐(ようこ)も捕らえて出し物にしてやれ!」


 小屋の男の一人が叫ぶと、男達は今にも斬りかかってきそうな殺気を放つ。

 目を瞑り宗志は深く息を吸って吐いた。なのに息苦しさは増すばかりである。


 ――殺セ殺セ殺セ


 宗志の張り詰めた心臓がどくり、と大きな音を立てる。宗志の中でぷつり、と何かが切れた音がした。





 気がつくと宗志は血の海の中に立っていた。全身は血でびっしょりと濡れている。

 一瞬、堂林という男が殺ったのかと思ったが、すぐにそれは違うと悟る。自分の右手に血で真っ赤に染まった刀が固く握られていたからだ。


「俺が、殺ったのか……」


 そう言葉にしてみてやっと実感出来た。血の感触がぬるりとして気持ち悪い。

 クククッと喉の奥を鳴らして堂林は宗志の元へと近づいて来た。血の海に突っ立っている宗志に堂林は囁くように言う。


「どういう気分だ?」

「……最悪」

「時期に()くなるぜ」


 堂林は宗志の肩に手を置いてから、ついてくるように指で合図する。そして舞台から下りた。宗志もそれの後に続き舞台から飛び下りる。

 歩く度にぴちゃりぴちゃり、と音が鳴る。足の裏が生暖かく、不快感のあまり宗志は眉を(ひそ)めた。

 その時、宗志の足が止まった。彼の前には男女二人が倒れていたのだ。女を庇おうとしたのか、女の体に男の体が覆いかぶさっていた。

 そしてその二人の近くには大きな風呂敷包みが三つあり、その中には金塊が入っているようである。しかし、そんなこと宗志にはどうでも良かった。

 見覚えがある着物、見覚えがある紋章(もんしょう)の刻まれた刀。

 まさかまさかまさか……と嫌な予感で宗志は息が出来なかった。それでも意を決し、震える指先でその二人の能面二つを一気に外す。

 あまりの衝撃に宗志は尻餅をついた。顔の筋肉が引き()り体に力が入らない。気づけば堂林もそこに近づき、その二人と宗志の顔を交互に見比べた。



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