【第二十四話】垢の輝き
「一瀬様からの御文でござる。心して読むように」
男はそれだけ言うと、ずかずかと出ていった。男がいなくなったのを確認して望月は露骨に嫌そうな顔をする。そしてその文を広げもせずに思いっきり破ってしまった。
そんな望月の行動に、麻子は心配そうに眉を顰める。
「そんなことして大丈夫か」
「どーせ〝刀はまだか〟とか〝余のために精魂込めて刀を打ちたまえ〟とか書いてあんだろ、どーせ! こちとらお前ぇみてぇに暇じゃねぇっつうーの!」
だるそうに望月はのっそりと立ち上がると草履を引っ掛ける様にして履き、鍛冶場の隅にある鉄くずや我楽多の山へと向かう。そしてその山を漁ると、あるものを引っ張り出してきた。
それはどうやら古びた刀のようだ。だが遠目でも判るほど、それは歪んでしまっている。それを望月は布を手に取り慣れた手つきで鞘を磨く。そして刀を鞘から抜くと、刃身をさっと布で拭いた。
そして望月は刀をまた鞘に納める。
「望月。まさかそれを一瀬様にお渡しするつもり?」
「ああ、そうとも!」
「もしバレたら首飛ぶよ? お前だけじゃなくて私も」
「お前の首が飛ぶのは困るなあ。だが安心しろ、バレたりしねぇからさ。それに万が一バレてしまっても、うちは他の大国の大名様に御贔屓されてる。みすみす俺らを殺させはしねぇだろ」
楽観的な望月の言い分に麻子は溜め息をつく。そしてふらっと立ち上がり草履を履くと、壁に掛けてある刀を一つ手に取った。
「せめてこれにしたら。いくらなんでも、それじゃあんまりだって」
「それは確か……」
「お前が腹を下した時に打った刀」
「あの人にはこれを渡すのも惜しい気がするんだけどなあ……」
不満そうに望月はそう漏らすが麻子が持っている刀を渋々受け取った。
「めんどくせぇが、届けに行ってくる。麻子、留守番頼んだぞ。えっと旅の者も何ももてなせはしねぇけど、寛いでくれや。あと、俺が帰った時には若狭守見せてくれよ? 絶対だぞ!」
「待って、望月。お前は他にも打たなきゃならない刀が大量にあるだろ? それは私が運びに行く」
「お前があ? いや、そうしてくれるならありがてぇんだけどよ……。一瀬様が治める国は治安が悪いって話だしなあ。女のお前を一人で――」
「なら僕が麻子ちゃんとご一緒します」
そう言った白臣に、望月は顔を向ける。そして困ったような顔をして顎を触った。
「坊主、お前さんの気持ちは嬉しいんだがなあ……今じゃ獅倉の名のつく刀は馬鹿みてぇに高く売れちまうんだよ。それを狙う破落戸はごまんといる。刀ぐれぇ持ってかれても困らねぇが、お前さんに怪我させちまったら申し訳――」
「ハクなら大丈夫だと思うぜ。人間の破落戸を追っ払うぐらいならな」
「そうかあ、兄ちゃんがそう言うなら……。坊主、名はえっと、は、はく……」
「白臣です」
「そうだ、白臣だ。お前さん、麻子に付いてってくれるか? お前さんの腕を信用してねぇ訳じゃねぇが、万が一のことがあったら刀なんぞおっ放って麻子を連れて逃げてくれ」
頭を下げる望月に、白臣は返事をして力強く頷いた。そして立ち上がり刀を腰に差し草履を履いた彼女に、望月は棚から取り出した笹の葉の包みを差し出す。
「これ持っててくれ。朝飯の残りの米で作った握り飯だ。腹が減った時にでも二人で食べてくれ」
「ありがとうございます」
「あ、そうだそうだ。恐らくお前さん達が帰ってくるのは夕方頃になっちまうだろう。寄り道なんかしてたら夜になっちまう。だから麻子が休憩したいって駄々捏ねても耳を貸さなくていいからな」
「望月じゃあるまいし、私がそんな事するもんか!」
「痛っ! わかった俺が悪かった! 冗談だって!」
麻子が望月の脛を容赦なく蹴りつけたのだ。望月は悲痛な声を漏らし、赤くなってしまった脛を撫でている。
「もう私行くから。白臣、よろしくね」
「うん。こちらこよろしく」
二人は〝行ってきます〟と言って鍛冶場を出て行った。
望月は暫く手を振った後、瞳を子供の様にきらきらと輝かせて宗志を見つめる。
「なあ、もうそろそろ見せてくれないか!? もう我慢の限界なんだ!」
「……ほら」
宗志が脇に置いていた刀を片手で差し出すと、望月は満面の笑を浮かべ両手で恭しく受け取った。そして様々な角度からそれを眺めている。
宗志は何もすることがないので、その様子をぼんやりと眺めていた。
一通り眺め終わった次に望月は刀を丁寧に鞘から抜く。すると先ほどの嬉々とした表情とは打って変わり、堅い表情で真剣な瞳で刃身を見つめたり鎬地を指先で撫でたりしている。
そしていくらか時間が経った時。望月はおもむろに口を開いた。
「お前さん、この刀を長いこと使っているだろう?」
「……まあ」
「それなのにまったく刃こぼれしてねぇ。この刀が本物の若狭守である証拠であり、お前さんの腕が立つ証明ってとこだな。だが……」
望月はそこで一旦言葉を切った。彼の目線は手元の刀に注がれている。
「ずいぶんと血を吸ってやがる。とんでもねぇ量をな。こんなに血を吸った刀、初めて見た」
静かに望月はそう言った後、視線を手元の刀から宗志へと移す。その視線から避けるように宗志は目を逸らした。
すると望月は笑い出す。今までとは違った静かな笑い声だった。
「なーに、お前さんを責めるつもりはねぇよ。刀鍛冶は刀を打つのが仕事、侍どもは人を斬るのが仕事だからな。仕事熱心って事じゃねぇか。とはいってもお前さんは、なりから推測する限りじゃ忠義とは無縁そうだけどな」
望月は若狭守を鞘に納めてから、それを宗志に返した。そして近くの棚に手を伸ばし爪楊枝を取り出すと、それを使って爪の垢をほじくり出し始める。
「ま、俺らも間接的ではあるが人を斬ってることになるんだろうなあ。なんせ、俺らがいなけりゃお前さん達は人を斬れねぇんだから。俺ら刀鍛冶がお前さん、侍達の牙を拵えてんだからなあ」
独り言のように望月はそう言った。そしてまた言葉を続ける。
「そんな刀を持つお前さんの隣に、あの赤毛の、坊主……えっと、白臣だっけか? あいつがいるのは道理っちゃ道理なのかもしれねぇなあ。なんせ人っつうのは自分に無いもんを他人に求めちまう性分らしいからよお。あいつの刀は血を一滴も吸っちゃいねぇだろ。まあ、新しい刀をぶら下げてんのかもしれねぇけど」
「……そんなことも判るのか」
「いやあ、なんてったって俺は日本一の刀鍛冶だからなあ。そんぐらい判って当然よ」
望月はがはがはと豪快な笑い声を上げた。そして一通り笑った後、持っていた楊枝をくず入れに投げ入れる。そしてすっと宗志へと視線を戻した。
「お前さん、話は変わっちまうんだけどよお、あのな、闇夜を導いてくれる月が無くなっちまったと、ずーっと嘆き悲しんじまうとなあ。その涙で星さえ見えなくなっちまうんだぜ」
さーて俺は仕事に戻るとすっかな、そう最後に付け加えて望月は立ち上がる。
その脈絡の無い望月の言葉を宗志は槌で鋼を打つ高い音を聞きながら、その言葉の真意を考えていたのだった。
白臣と麻子は無事一ノ瀬という名の大名が治める国に無事たどり着き、刀をその大名に仕える武士に託す事が出来た。
思ったより早く戻れるかもしれない、と白臣はのんびりと思いながら獅倉の鍛冶場へと続く大道を歩く。
「良かったね、早く帰れそうで。この調子だと夕方よりも早く鍛冶場に着きそうだ」
「うん。あいつ、私が少しでも帰りが遅くなると職人町の人達全員引き連れて捜索始めるんだよ。ほんと大袈裟なやつで困る」
「望月さんは麻子ちゃんを可愛がってるんだよ。自分の子供みたいに」
白臣の言葉に麻子は不満そうに口を尖らせる。しかしすぐ澄ました表情に戻った。そしてぽろりと胸のうちを零す。
「あいつさ、弟子取ってないんだよ。私以外に。だから私が獅倉の後継者にならなきゃいけないんだ」
「それは本当? 凄いじゃないか! 獅倉の刀の後継者だなんて」
興奮ぎみに白臣はそう言うが、麻子は心做しか暗い顔をしていた。そんな彼女の様子に白臣は心配そうに少し顔を覗き込む。
「どうした? なんか不安な事でもあるの?」
「……あいつ、弟子入り希望は週に何人も来てるのに、これから先もずっと断り続けるんだって」
一般的に流派を次の世代に残す為、職人は弟子を多く取るという。そしてその中で一番優れた腕の者を後継者として指名するのだ。
不思議そうに白臣が首を傾けると、麻子はその疑問に答える。
「望月はどこの馬の骨か分からない人に獅倉の刀を教えたくないんだってさ」
「なるほど」
「だけど私、正直無理だと思うんだ。私が何年刀を打ったところで獅倉の刀として世に出せるものは作れない。だから私なんかよりもっと優秀な人に獅倉の刀を受け継いで欲しいんだ」
「まだそう決めつけるのは早いんじゃない? だって麻子ちゃんは裳着も迎えてないでしょ? まだまだこれからいくらでも技術を磨けると思う」
「……望月もそんな感じのこと言ってた。でも駄目なんだ。私、どう頑張っても男にはなれないでしょ。力だって弱いし。本当はさ、望月が誰かを奥さんにして、子供でも産んで、そこ子が後継者になればいいんだけど……あいつ、私に遠慮してんのか縁談全部断っちゃってるんだ。馬鹿だよ、あいつ。このままじゃ獅倉の刀が滅んじゃうのに」
少し俯きぎみの麻子はぽつりぽつりとそう言う。白臣は麻子の横を歩きながらその話を黙って聞いていた。職人の世界も武士の世界も男の世界だ。女では、やはりどうしても不利な部分は多々あるのである。
白臣は隣を歩いている麻子の顔を盗み見た。年の割には大人びてしまった横顔に、 白臣は彼女の苦労を感じ取った。少しでも彼女の気持ちを軽くしてあげたい思いで、白臣は口を開く。
「でもさ、望月さんが麻子ちゃんを後継者に指名したんだ。自信持っても良いと思う。麻子ちゃんの才能や技術が秀でているから、他に弟子を取る必要がないんじゃないか」
「……そうだったらいいと思う。でも違うんだ、残念ながら」
「そうかなあ……」
「そうだよ。私は刀鍛冶だから、どれだけ獅倉の刀が、望月の刀がいいものであるか分る。獅倉の刀は後世に残さなきゃ駄目なんだ」
そうきっぱり言って麻子は立ち止まった。不思議に思いながら白臣も足を止める。
麻子はしっかりと白臣を見据えて、はっきりとした口調で言った。
「白臣、私はここでお別れ」
「え? それはどういう意味!?」
「だからここでお別れ。私、望月に引き取られたって言ったでしょ? 私さ、遊女の子供なんだ。父親は不明、母親は私を産んですぐ死んだんだらしい」
淡々と麻子は自分の事を話す。そして白臣の目を見て言葉を続ける。
「望月には私の本当の父親が迎えに来たとでも言っといて。そうすればあいつも私を探そうなんて思わないだろうし」
「……麻子ちゃんはこれからどうするの?」
「分からない。まあ適当に生きてく」
「でも麻子ちゃんがいなくなったら、望月さんかなしむだろう」
「まああいつのことだし、それなりに悲しんではくれるかな。でも白臣、分かって。これが一番獅倉にとっていい方法なんだ。私がいなくなればさすがの望月も弟子を取らざるを得なくなる。他の才能のある奴が後継者になれば獅倉の刀は何百年も何千年も生き続けられるんだ」
麻子はしっかりとした口調でそう語ると、じゃあね、と一言白臣にかけて背を向ける。そして鍛冶場とは反対の道へと歩きだそうとしたが。
そんな麻子の腕を白臣が強く掴んだのだ。彼女は白臣の手を振り払おうとするが、彼女の腕を掴む白臣の手は緩まることはない。
麻子は感情的に喉から声を絞り上げた。
「放して! 放してよ!」
「麻子ちゃん。僕は刀鍛冶の世界のことは何一つ分からない。だけど僕なりに君が獅倉の伝統に重圧を感じていることは分かっているつもりだ」
「分かってるなら放して!」
「でも僕は君が後継者を降りる降りないにしろ、望月さんとちゃんと話し合うべきだと思う。こんなこと、勝手に判断するべきじゃない」
「白臣には関係ないだろ! 放せよ!」
そう叫んだ麻子は白臣の腕を振り払おうと、手足をめちゃくちゃに振り回す。それでも白臣は彼女の腕をがっしりと掴んで放さない。
その時だ。麻子の振り回していた手が白臣の首飾りに引っかかった。
「あ……!」
白臣の首飾りは引きちぎれ、地面に落ちてしまった。首飾りの装飾である翡翠色の玉は乾いた音を立てて散らばってしまう。それを拾おうと思わず彼女は麻子の手を放してしまった。
地面に四散した首飾りに、麻子は申し訳なさそうに眉を下げたが、すぐ背を向けて走り出す。白臣はその背中に向かって叫んだ。
「待って! 麻子ちゃん!」
しかしその声に麻子は振り返ることはない。白臣は急いで首飾りの玉を拾い集め麻子を追いかけようと、しゃがみこんだその時だ。
ぞくり、と白臣の背筋が粟立った。指先が震え、拾い集めた翡翠色の玉がぼろぼろと溢れ落ちる。
全身を舐められている様な、喉元に爪を立てられている様な、殺気。あの男だ。あの男が放つものだと白臣は直感的に感じ取った。
そしてそれは麻子が走って行った方向から放たれている、とも。
白臣は震える唇で声の限り叫んだ。
「待って……駄目だ……そっちは駄目だ……! 麻子ちゃあああああん!」
その叫び声は麻子を呼び止める事ができず、虚しく空に響いた。地獄絵図の中で倒れる朱に染まった彼女の姿が自然と白臣の頭に浮かぶ。予感と言うよりはむしろ確信じみたものである。
白臣は震える足を鼓舞して立ち上がった。そして麻子が走り去った方向へと全速力で走り始める。
残された翡翠色の玉の光が、どんよりと曇っていた。
「しっかし、遅いなあ」
望月は落ち着かないのか、金槌を弄びながら鍛冶場を行ったり来たりしていた。
赤すぎる不気味な夕日が職人町を染めている。夕日に染まっていく町は、血に染められているかのように赤い。夜の気配が段々と強くなっていく。
宗志も嫌な予感を振り払う様に頭をくしゃくしゃと掻いた、その時だった。
鍛冶場に麻子が飛び込んできたのだ。彼女は鍛冶場に入るなり崩れ落ちた。体中に擦り傷を作り、白い職人装束も土で汚れている。
麻子は何か話そうとしているが息切れしているせいで上手く言葉に出来ないようである。それでも途切れ途切れに言葉を吐き出した。
「……助け、て……はく、お……みを……! あいつ、私を、守……って……」
「麻子? 一体何があった?」
「おい! あいつは何処にいんだ!」
焦りを隠しきれない宗志は、麻子に荒い口調で訊ねる。望月は水が入った湯呑を持ってきて彼女に飲ませた。
麻子は水を口にすると、息切れが少し治まったようである。
「私がいけないんだ……私が……」
「何があったんだ! 言え!」
「あの男……手配書で見たことあるんだ……銀色の尾を生やした――」
「堂林か!」
こくり、と麻子は頷いた。宗志は間髪を入れずに怒鳴る様に彼女に訊ねる。
「おい、どっちだ! どっちの方角だ!」
「……北……北だ……」
その返答を聞くと宗志はござの上に置いてある刀を掴むと鍛冶場を飛び出した。それと同時に黒々とした翼を生やし地を強く蹴る。そして北の方角へ飛び立ったのだった。
暫く飛んでいると、眼下に赤い髪の侍の姿が見える。夕日で赤く染められた町の中でも分かる、温かみのある赤。間違いない、白臣だ。
宗志は安堵の息を漏らすと白臣の元へ降り立った。
白臣は空から降りてきた宗志に、驚いたような表情を見せてからにっこりと微笑んだ。宗志は無表情で彼女を見る。
「てめぇ……」
「宗志! 探しに来てくれたのか! すまない、手間を掛けさせてしまって。それと、ありがとう」
その時。宗志は刀に手を掛け抜刀すると同時に彼女目掛けて刀を振り下ろした。血しぶきが上がる。
彼女は傷口を片手で押さえた。痛みで顔を歪めている。
「そう、し……どうして……」
「どうしてじゃねぇよ。堂林」
宗志が鋭い眼光を向けると、白臣の姿をした堂林は喉を鳴らす様な笑い声を上げた。
「……何故わかったんだァ、宗志」
「匂いだよ。どれだけ拭おうと、どれだけ洗おうと、消えやしねぇ体に染みついちまった血の匂い。……俺と同じ匂いだ」
白臣の姿をした堂林はねっとりと舌なめずりをする。その時、小さな爆発音と共に堂林は白い煙に包まれた。
そして煙が消えると、銀色の尖った耳に八本の太い尾を生やした男――堂林の姿がそこにあったのだ。
「よォ、宗志」
「てめぇ、ハクを何処にした……!」
「そう焦んじゃねぇ。しかし、良かったなァ。もしてめぇが俺だと気づかなかったら、今頃俺はてめぇの首で蹴鞠でもしてたぜ」
「聞こえなかったのか? ハクを何処にしたって聞いてんだ!」
今にも斬りかかりそうな気迫の宗志を目の前にしても、堂林は不気味な笑みを浮かべたままである。そして堂林は己の傷口を指で撫でると、指先に付着した血を舐めとった。
「だが良いことおしえてやらァ」
「……!」
宗志の前にいた堂林の姿がゆらりと溶ける様に消えたのだ。
そして真後ろから感じる殺気。
「そいつは影分身だ」
その言葉と共に、宗志は後頭部に強い衝撃を受ける。そして崩れる様に倒れ意識を手放してしまったのだった。




