【第二十一話】尽きた刺客
振背村に帰ってくると、葵は椿のいる座敷牢へと向かった。それは自分がしてしまった事を全て話すためだ。
もし全てを話してしまったら椿は自分に笑顔を向けてはくれなくなる事も、話をすることさえもしてくれなくなる事も葵は覚悟のうえだった。そしてそれは葵にとって自分への罰でもあったのだ。
一刻ばかりたわいのない話をして本題に切り出そう、と葵は固く心に決める。その一刻が椿と笑い合える最後の時間になるだろう、と切ない想いを押し殺す。
そしてとうとう葵は椿のいる座敷牢の前に立っていた。出来るだけいつもと変わらない笑顔を浮かべる。
「椿、入るわよ」
葵は椿の返事を待たず戸を開ける。
「え?」
その部屋はもぬけの殻だった。風呂や厠に行っているならば、戸の横に掛札があるはずである。だがそのようなものは無かった。
おかしい、と思い葵は眉を寄せる。殺風景なこの部屋には子供一人さえ隠れる事が出来ないというのに。
もしかしたら既に座敷牢から出してもらえたのかもしれない、と葵はその場を後にしたのだった。
葵は他の巫女にも声を掛けて椿を探し始める。椿が座敷牢に入る前に使っていた自室、椿のお気に入りの場所である、こじんまりとした中庭。思い当たる場所を回ってみたが、どこにも椿の姿は無かった。
そして葵が大広間の襖を開けた時。そこには志穂や他の巫女が既に集まっていた。
「葵! 椿はいた?」
「いいえ。そっちは?」
「こっちもいなかった。近隣の国でも行ったのかな……?」
「だといいんだけれど……」
「葵様、こちらもいませんでした。大婆婆様に椿様の居場所をお尋ねしようと思ったのですが……大婆婆様もどこにもいらっしゃらなくて」
二人で何処かへ出掛けたのだろうか、と葵は不審に思い眉を顰める。他の巫女も椿を見掛けた者はいなかった。
その時だ。高らかな笑い声が聞こえたかと思うと、吉橋を先頭に巫女の長がぞろぞろと大広間に入って来たのである。
「皆の者、長旅ご苦労であった。誰一人として怪我もなく無事に帰って来たこと非常に嬉しく思うぞ」
「吉橋様、あの子は……椿は何処にいるのですか……!」
「そう慌てるな、葵よ」
吉橋は葵の問いに答えずに、口元を吊り上げたまま懐に手を入れた。そしてある物を取り出すと、それを葵の足元へと放り投げる。
それに葵は視線を落とす。それは……|艶
《つや》やかな黒い髪の束だった。
まさかまさかまさか、と葵はただただその髪の束を虚ろな瞳で凝視する。胸が冷たく重苦しい。
そんな葵の様子を見て吉橋は、にんまりと満足げに喉を鳴らす様な笑い声を上げる。
「椿の居場所を聞きたいんだろう? 教えてやろう。……深く、くらーい土の中だ」
その言葉に弾かれた様に葵は顔を上げた。彼女の顔は悲しみ憎しみ怒り、そして殺意で歪んでいる。その感情に任せ、葵は吉橋に掴みかかろうとする、が。葵の手が吉橋の襟に届く寸前に、他の巫女が葵を羽交い締めにして吉橋から引き離した。
「お願い! 離して! 離してええええ!」
「なんと野蛮なことか。そもそも茅高家の下文など得られるわけなかろう?」
「吉橋様、下文を偽造することは重罪のはずです。貴女なら知らないわけないでしょう!」
そう言って鋭い眼光を飛ばす志穂に、無論だとでも言うかの様に吉橋はゆっくりと頷いた。そして笑みを絶やさぬまま葵の全身にべっとりとした視線を注ぐ。
「どんな気分だ? 悲しいか? 苦しいか? それとも私が憎いか?」
「黙れ……黙れ黙れ黙れ……!」
「何と汚い言葉遣いだこと。怨むなら愚かな自分を怨むんだな」
高らかに吉橋は笑い声を上げる。それに同調するかの様に他の十一人の巫女の長もクスクスと笑い声を漏らす。
葵の瞳からは涙がとめどなく流れている。
「返して……椿を……椿を、返してよ……!」
自分が取り乱せば取り乱すほど、吉橋の喜びが増すことなど葵には分かっていた。漏れそうになる嗚咽を唇を噛んで抑える。鉄の味が口の中に広がっていた。
「良かったではないか。今頃あの世で二人仲良くやってるのではないか? いや、直ぐに親子三人になるがな」
「それはどういう意味ですか吉橋様!」
噛み付くような目つきで志穂は吉橋を睨みつける。吉橋は葵から志穂へと視線を移し、やけにゆっくりとした口調でその問に答えた。
「なーに簡単な事さ。椿の子を殺すために刺客を送ったまでのこと」
「貴様……!」
「葵、立場を弁えよ。お前はこの私にその様な口をきいて良いと思っているのか」
その時だった。大広間に勢い良く三人の巫女が飛び込んで来たのだ。それは葵が藍介の村に残しておいた巫女達だった。三人は息が絶え絶えになりながらも言葉を紡ぎ始める。
「葵様……申し訳、ありません……!」
「彼女が、村の者によって……」
「谷ぞこに……突き落とされて、しまいました……!」
「自分達がいながら……本当に、申し訳、ございません……!」
葵は目を見開いて絶句する。吉橋は声高く笑っている。
「……これは刺客など雇う必要はなかったな。良かったではないか、これで親子共になれたのだから! この私に目を付けられたのが運の尽きであったな、あやつらは」
憎い憎い憎い……、それは葵にとって今まで感じた事のない感情だった。
吉橋は葵の憎悪で燃える瞳を、怒りで震えている唇を、舐め回す様に見つめる。そして満足げに再度笑い声を上げると背を向けた、が。ちらっと振り向いて言葉を付け加えた。
「忘れておった。あのババアが椿がどうのこうの喚いていたのでな。あまりにも耳障りだったので蔵の柱に縛り付けておいた。解放してやれ。そのままにしておくと死んでしまうぞ? まあ、私は一向に構わんがな」
吉橋は鼻で笑って大広間を出て行った。他の巫女の長達もぞろぞろと部屋を後にする。
葵は更に強く唇を噛み締めた。鉄の味が舌にまとわりつく。
葵の瞳から雫が、口の端からは生血が、静かに溢れ 頬を伝い畳に染み込んでいった。
「その女は、吉橋という女は何処にいるんですか!」
「……もうこの世の者ではないわ」
そんな葵の言葉に、悲痛な声を白臣は漏らし、俯いた。葵は白臣から目を逸らして涙を指で拭いながら言葉を続ける。
「その後、茅高家の下文だと偽った吉橋という巫女は罪に問われた。本当ならそれは島流しの刑となるほどの重罪だわ。けれど彼女は公家の後ろ盾を駆使し、その刑を受けることは無かったの」
怒り、憎しみ、悲しみ。その全ての感情が白臣の心の奥に染み込んだ。体が心が、きりきりと痛む。
葵は更に言葉を紡ぎ続ける。
「けれど、その一件で私達の村は公家や武家の方々の信用を失ってしまった。この村の力は少しづつ衰えていき、とうとう巫女狩り対策のためのお侍様を雇う財も無くなったわ。そんな時、この村の巫女は巫女狩りの餌食となった」
そこで葵は一旦言葉を切ると、遠い目をした。
「その時に、吉橋という巫女も、大婆婆様以外の巫女の長も、私の親友の志穂も、その他の巫女も、みんなみんな殺されてしまったわ。そして肉も骨も全て各地に売り飛ばされてしまった」
「それなら僕はどうやって仇を討てばいいんですか! 僕は誰を殺せばいいんですか! 僕は何のために――」
「白臣さん。居るじゃないですか、貴女のお父様の仇は。貴女の目の前に」
やるせない思いに胸を震わせながら、白臣は俯いていた顔を上げる。葵は酷く穏やかに微笑んでいた。
「私はずっと疑問に思っていたわ。あの日、一番に死ぬべきだった罪人の私が、どうして生きながらえてしまったのか。でも今日やっとその理由が分かったの」
葵の言葉の続きを、白臣は押し黙って待った。葵は白臣を見つめ、ゆっくりとした口調で告げる。
「それは貴女の仇討ちのため。貴女の手によって地獄へと送られるため。貴女に裁かれるためだわ」
そう言って微笑んでいる葵から白臣は視線を逸らす。行き場を失った怒りや憎しみの情は彼女の心を縛りつけ、刃物の様な悲しみは彼女の心に深く突き刺さった。
葵はそんな白臣に優しく諭すように言葉をかける。
「全ては私の愚かさが招いたこと。藍介さんを殺めたばかりか、たった一人の妹さえ守れなかった。貴女に辛い思いをさせてしまった事、本当にごめんなさい」
「……」
「白臣さん、言ったでしょう。貴女の悲願は今宵果たされるって。だから刀を持って立って。そしてそれを私に向けるの」
白臣は無言でじっと考え込んでいる。長い様な短い様な沈黙が流れた後、白臣はゆっくりと刀を握り立ち上がった。
震える手で葵に刀を向ける。その状態で再び沈黙が訪れる。
そして暫く時間が経った後。白臣は右手を離し、だらりと力無く剣先を下げてしまう。そして左手からは力が抜け、刀は畳の上に小さな音を立てて落ちてしまった。
「どうしたの。白臣さん、刀を持って」
「……葵さん、貴女は父の仇じゃありません」
「そんなことないわ! あの日、私が藍介さんを――」
「違う! 貴女は父の仇じゃない! だって父の仇は……」
悲愴な面持ちで白臣は震える声で続ける。
「父の仇は、いや父と母の仇は……この僕自身だから!」
「ハク!」
部屋から飛び出していった白臣を追いかけようと、宗志は白臣の落とした刀を掴み立ち上がった。そして部屋を出ようとした時。
「待って! 宗志さん」
そんな葵の声に宗志は立ち止まり、彼女を見下ろした。葵は申し訳なさそうに告げる。
「白臣さんに伝え忘れた事があるの。彼女に伝えて欲しいのだけれど、頼んでもいいかしら」
宗志は小さく頷く。それを確認して葵は話し始める。
そして彼女の話を最後まで聞いた後、宗志は部屋を後にしたのだった。
「ったく……ハクの奴、何処行きやがったんだ」
くしゃくしゃと宗志は頭を掻く。宗志はてっきり白臣は境内に居ると思っていたのである。しかし、彼が境内を探し回っても白臣の姿は無いのだ。
ここに居ないとなると村か森の何処かに居る事になるのだろう、と宗志は考えを巡らせる。彼は焦りを隠し切れずに、また頭を荒々しく掻いた。
(夜に丸腰で出掛けるなんざ、自殺行為じゃねぇか……! 山犬にでも出会したら、どうする気なんだ……!)
宗志が白臣を探している間に山犬の遠吠えが何回も聞こえてきたのである。しかもそれほど遠い場所からではない。山犬に遭遇してしまったら大の男でも逃げ切るのは難しいのだ。
危惧するべきは山犬だけではない。辻斬りだって頻繁におこる世の中だ。近頃では女子供は勿論のこと、男だって無闇やたらに夜は出歩かない世上なのである。
「上から探した方が早いか」
溜め息を零し、宗志は黒ぐろとした翼を生やす。そして地面を蹴って薄曇がかった夜空へと羽ばたいていった。
少し程飛んだ所で宗志の目は木々の隙間から月の光に照らされた赤い髪の人物をとらえる。そして彼がそこに降り立つと、目の前には昨日二人で魚を採った湖があった。白臣は湖の辺で小さくなって座っている。怪我一つしていないその姿に、宗志はひとまず安堵した。
彼は白臣の後ろから声をかける。
「おい……」
「……宗志、か」
ちらっと白臣は振り返り、小さく笑う。けれどすぐ視線を前に戻してしまった。
「お前、刀忘れてっぞ」
「……わざわざ持ってきてくれたのか。ありがとう。そこら辺に置いといてくれ」
それっきり二人の会話は途切れてしまう。宗志は白臣の小さな背中を、木に寄りかかりながら見つめていた。
そんな時、白臣は思い出したかの様に言葉を紡ぎ始める。
「宗志。君と僕とを繋ぐものはもう無くなった。僕の復讐はここで終わりだから。……今までつきまとって悪かった。もう足手まといの僕なんか気にせず自由にしてくれて構わない」
「お前……」
「それと今までありがとう。短い間だったけど、楽しかった」
一方的に白臣はそう告げると再び黙ってしまった。宗志は溜め息をついて彼女の刀を地面に突き刺す。そして彼女の隣にどかりと座り込んだ。
「宗志、どうしたんだ? もう君は僕の事なんか気にする必要はないんだ。だから何処へでも自由に――」
「別に俺が何処で何しようが俺の勝手だろ」
「……確かに、その通りだ」
再びそこで会話は途切れてしまう。二人は無言で湖に映る月をぼんやりと眺めていた。
本当に静かな夜である。この世に二人しか存在しないのではないかと思わせる程に。さっきまで夜空に響いていた山犬の遠吠えも、もう聞こえなくなっていた。
どれくらい二人でそうしていただろうか。不意に白臣が乾いた笑い声を上げた。
「……本当、おかしな話だろう。君も笑ってくれて構わない。馬鹿な奴ってさ」
宗志は黙ったまま、ちらりと白臣を見る。彼女は乾いた笑い声をまた上げて、言葉を続けた。
「父の仇を討つために必死になって剣術を磨いてきたのに、まさか父の仇は、いや父だけじゃない。父と母の仇はこの僕自身だったなんて」
「ハク……」
「僕はずっと不思議だった。何で僕はこんな醜い髪と目の色をしているんだろう、って。僕は何も悪い事してないのに何でだろう、って。だけど今日、やっとその理由が分かったよ」
白臣は自嘲的に笑う。
「この醜い髪と目の色は、僕の罪の証なんだ。僕の存在そのものが罪なんだよ……! 僕さえ、僕さえ生まれなければ、父も母も死なずに済んだのに……!」
そう静かに、けれど感情的に白臣は叫ぶと再び乾いた笑い声を上げた。ひとしきり笑った後、彼女は言葉を続ける。
「それに僕の体には、汚い男の汚い血が流れてる。僕は醜い。僕は汚い。……父も母も心の底では僕の事を恨んでいたと思う。お前さえいなければ、って」
最後の方の言葉は聞こえるか聞こえないかのか細い声だった。且つ酷く悲しい響きを持った声だった。白臣は口を噤み、虚ろな瞳で水面に映る月を見つめている。
静かな時が流れた。宗志は隣に小さくなって座っている白臣に、ちらっと目をやって静かに息を吐き出す。
「不思議なもんだよな。実の餓鬼を金欲しさに売り飛ばしちまうような親を持つ餓鬼もいれば、血も繋がらねぇ餓鬼を命投げうってでも護ろうとする父親と、自分の身を顧みねぇで餓鬼の幸せを願い続ける母親を持つ餓鬼もいるんだからよ。だが何れにしたって、それは親子の形だ」
「……」
「親子の情には無縁な俺だけどな、後者の親子の方が良い事ぐれぇ解る。確かに血の繋がりも、体の中を流れる血も、どうあがいたって変える事は出来ねぇ。だけどよ、そんなもんを簡単に超えちまう頑丈な繋がりが、この世にはあるんだと」
「頑丈な、繋がり……」
「ああ。それに親子っていうのはよく似るもんだって聞いたことあるぜ。お前のお人よしっぷりはどう考えたって父親譲りであり、母親譲りだろうが。そんな生粋のお人よしの両親が娘を恨むなんて、到底ありえねぇ話だ」
宗志は気だるそうに首を回す。白臣は目を伏せて黙り込んでしまう。そして暫く間が開いてから小さく微笑んだ。
「ありがとう。君はいつも僕が心の何処かで欲しいと思っている言葉をくれる。……大丈夫、僕はもう大丈夫だから」
前を向いたま微笑んだ白臣を、彼はちらりと横目で見て眉間に皺を寄せる。彼には何故か白臣の微笑んだ顔が、泣き顔に見えたのだ。白臣の翡翠色の瞳から涙など零れてないというのに。彼は更に眉間の皺を深くする。そして白臣の頭を自分の左胸にそっと抱き寄せた。
「な、な、何するんだっ。気でも狂ったのか」
「……失礼な奴だな。俺は至って正常だ」
「なら放してくれっ」
ジタバタと白臣は宗志から離れようと試みるものの、彼の力に適うはずはない。彼は白臣の頭を押さえる手の力を弱める事無く口を開いた。
「お前、親父の亡骸を見た時、餓鬼のくせに泣きもしなかったクチだろ」
「君は超能力者か陰陽師の何かか? ……何で、分かったんだ」
やっぱりな、と宗志は呟くと白臣の頭を押さえる手から力を少しばかり抜いた。それは白臣が抵抗を止めたからである。
「なら泣け。今すぐに」
「……君の言っている事がさっぱり分からない」
「いいんだよ、分からなくても」
「よくない」
「本当、お前って強情なのな」
はあ、と宗志は溜め息をつく。白臣が再び離れようと試みたため、彼は白臣の頭を押さえる手に少し力を入れる。
白臣はジタバタしながら、どっと押し寄せる感情を殺した声で言う。
「……第一、僕は侍だ。男だ。武家の男は泣いたりなんかしない! それに……僕には泣く理由がない。悲しくなんかない!」
「だから見え透いた嘘つくんじゃねぇって前も言っただろ。……笑えねぇくせに無理して笑おうとすんじゃねぇよ。大丈夫じゃねぇくせに〝大丈夫〟なんて言うんじゃねぇよ。馬鹿やろうが」
「……」
「なあ、ハク。人はいつ死ぬか分からねぇし、国はいつ滅ぶか分からねぇ。だが、人の想いって奴はいつになっても死なねぇと思うぜ」
そこで宗志は言葉を切る。白臣は黙ってその言葉の続きを待った。
「それはな俺が思うに、人の想いって奴は受け継がれていくものだからだ。間違いなく藤生藍介という名の侍と、秋橋椿という名の巫女の、強い想いは強い意志は、お前の血となって生きてる」
「僕の血……?」
「そうだ。俺みてぇな人斬りはそんなもん受け継いじゃいねぇ。あるのは殺した奴らの恨み辛みだけだ。お前は……もっと誇ってもいいと思うぜ。藤生藍介という父親を。秋橋椿という母親を。何より……」
宗志は言葉の途中で黙ってしまう。不思議に思った白臣は宗志の体から顔を少し離して、彼を見上げた。
はっと白臣は目を見開く。それは彼女が今まで見たことがない程の穏やかな表情を宗志がしていたからだ。宗志は柔らかい眼差しで彼女を見つめると、徐に口を開いた。
「何より、そんな二人の想いを受け継ぎ、そんな二人の娘であるお前自身を」
そう言う宗志の顔は何故か泣く寸前の様な、想いを殺した様な顔に白臣には見えた。彼女は宗志から視線を逸らさずに、じっと宗志の顔を見つめる。彼女の瞳が潤み出し雫が溢れ始めるまで、そう時間はかからなかった。
気づけば白臣は宗志にしがみつき、ぼろぼろと泣き始めた。彼女の胸にあった憎しみ、怒りを全て吐き出す様に。泣けば泣くほど悲しみが膨れ上がる。どうしようもない悲しみがせりあげる。彼女は涙ながら途切れ途切れに言葉を紡いだ。
「……いいの、かなぁ……。僕のせいで、父も……母も……死んじゃったのに……! 僕、なんかが……生きてても……いいの、かなぁ……!」
「良いに決まってんだろ」
「……僕の、せいなのに……僕のせいなのに……!」
「お前のせいじゃねぇよ。全部しょうがなかったんだ、全部な」
嗚咽を漏らさない様に啜り泣く白臣の頭を、宗志はぎこちないながらも出来るだけ優しく撫で続ける。
宗志の言葉が、声が、手のぬくもりが、白臣には温かすぎて優しすぎて胸が苦しくなった。もうどうしようもなく苦しくて悲しくて温かくて、彼女は涙を止める事など出来なかったのである。
夜空に咽び泣く白臣の小さな嗚咽だけが静かに響いていた。
泣き疲れたのか、白臣は宗志にしがみついたまま寝てしまったようである。宗志は胡座をかいた自分の膝に彼女の頭を乗せてやり、無理のない楽な体勢になるようにと彼女の体をそっと動かした。
穏やかな寝息を立てる白臣の寝顔に宗志は思わず口元を綻ばせる。そして親指の腹で彼女の涙の跡を拭き取った。余りにも自分らしくない行動に宗志は苦笑する。
「こいつといると俺もちったぁましな人間になれたんじゃねぇかって錯覚しちまう。……んなわけねぇのにな」
宗志は白臣の赤い髪を一房掬い弄んでは流し、掬っては流しを何回か繰り返した。
「……醜くなんかねぇ。汚くなんかねぇよ。髪も目もお前も」
ぽつり、と宗志の口からそんな想いが溢れた。白臣の髪の赤は彼のよく知る“血の赤”とは全くの別物だった。温かみのある赤。どこか懐かしい赤。
彼は心の底から、この赤を綺麗だと思った。それと同時に大切にしたいと思ったのだ。この赤を、そしてなにより……、とそこまで考えて宗志は苦笑する。その自分らしくない思考にくすぐったい様な温かさを感じていた。けれどその一方で氷の様に冷たい罪悪感で、鳩尾がじくじくと疼いていたのである。
(俺は……お前が思っているような奴じゃねぇ……)
宗志はそっと白臣の髪から指先を離し、膝に掛かる心地よい重みを感じながら夜空を見上げた。少しばかり欠けてしまったようにも見える月が薄い雲から覗いている。
規則正しい寝息を立てている白臣の唇を宗志は暫く見つめ、ゆっくりと瞼を閉じたのだった。




