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血煙旅記  作者: 黒洋恵生
巫女編
20/69

【第十七話】腑抜けた腫れた

 





 ふいに男の手が首元から離される。そのまま地面に崩れ落ちるかと白臣は思ったが、そっと何かに支えられた。激しく咳き込んだ後、荒い息を整えようと大きく息をする。少し落ち着いてから自分を支えている腕の主を見上げた。


「そう、し……」

「生きてるか?」


 宗志は白臣の肩に手を添えて(かば)う様に自分の体に寄せ、もう片方の手に握っている刀を真っ直ぐ男に向ける。

 そこで白臣は男の姿を改めて注視(ちゅうし)した。銀色の八本の尾は狐のそれと違いがないように思えた。黒紫色(こくししょく)の髪で右目は隠れている。そして普通は大小の刀、本差(ほんざし)脇差(わきざし)を差すのだが、目の前にいる男は左右に二本ずつ尺の長い大刀(たち)を差している。しかもそれは(つば)のない刀である合口拵のようだ。

 宗志は目の前にいる男を殺気そのものである様な眼光で刺す。しかし男は刀に手を掛けようともせず、ただ薄ら笑いを浮かべるのみである。


「久しぶりだなァ宗志」

「てめぇ今更何の用だ、堂林」

「つれねぇなァ。恩人との久しぶりの再会だってぇのに」

「てめぇが恩人? 笑わせんじゃねぇよ。てめぇに恩を感じたのなんざ〝あの夜〟の一度きりだ」

「ひでぇ話じゃねぇか。俺がいなけりゃてめぇは娑婆(しゃば)の空気も吸えずに、この空も仰ぐことさえ出来ねぇってぇのに。てめぇに刀の握り方から人の斬り殺す快楽まで教えてやったってぇのによォ」


 そう言って宗志に堂林と呼ばれた目の前の男は再び喉を鳴らす様な笑い声を上げる。


「しかし随分腑抜(ふぬ)けた(つら)に成り下がっちまったもんだなァ、宗志。誰のせぇだ? 三つ目の瀬崎とかいう野郎のせいか? 違げぇよなァ、その出来損ないの女のせぇだろ?」


 堂林から注がれる殺気に白臣はびくっと体を強ばせる。宗志は白臣の肩に添えた手を安心させる様にぐっと力を込めた。


「それともあれか? てめぇともあろう者がその女に惚れたのか?」

生憎(あいにく)、俺は惚れた腫れたなんぞのくだらねぇ感情は持ち合わせちゃいないんでね」


 それを聞いて何が面白いのか、堂林は鼻の奥で笑う。宗志は眉間の(しわ)を深め刺々しい口調で尋ねる。


「で、てめぇが用があるのは俺か? それともこいつか?」

「気が変わった。本当はその女を殺してしめぇにするつもりだったが……、どうやらてめぇは骨の(ずい)まで駄作に成り下がっちまったらしいなァ。俺にとっちゃてめぇは俺の最高傑作だった。俺の芸術そのものだった。だがとんだ(ねずみ)(かじ)られちまったらしい。なら自分の手で壊すしかねぇだろ。手塩にかけた作品を自分で壊すってぇのは芸術家の醍醐味(だいごみ)ってもんだ、なぁ宗志」

「芸術家? 俺には理性の欠片もねぇ狂った獣にしか見えねぇけどな。その無粋(ぶすい)な感性、雪舟(せっしゅう)でも如拙(じょせつ)とやらにでも一から鍛え直してもらって来い」

「雪舟? 如拙? ああ、水墨画(すいぼくが)の野郎か。俺は涙なんぞで鼠を描きてぇ訳じゃねぇんだ」


 そこで堂林は言葉を切った。そして舌なめずりをして宗志と白臣にじっとりとした視線を注ぐと、再び口を開く。


「俺が描きてぇのは地獄だ。人間どもの血で描いた地獄絵図だ。ぞくぞくするだろ、なぁ宗志。昔のてめぇなら理解できたはずなんだがなァ。人間どもが消え失せた時の世の美しさが。俺はこの世を()べるべきなのは俺達だと、俺らを(はし)へ追いやった人間どもに知らしめなきゃならねぇ」

「人間にも妖怪にもなり切れねぇ俺らみてぇのが世を統べる……随分(ずいぶん)滑稽(こっけい)な妄想だな。消え失せてしかるべきなのは俺達の方だろ」

「そこまで腰抜けた野郎だとは思わなかったぜ、宗志。所詮(しょせん)てめぇもそれまでの器だったってことか」


 その時、湿っぽく生暖かい風がうねる様に木々の間を吹き抜けた。堂林はすっと目を細め喉を鳴らして笑い、(さげす)みを含んだ声音で続ける。


「俺はこの凡庸(ぼんよう)な奴らがのうのうと蔓延(はびこ)るこの世を地獄に変える。そして新たな世を作り上げてやる。それがこの娑婆(しゃば)に非凡な俺が生を受けた道理に違いあるめぇ」


 そう言葉を残すと堂林はさっと二人に背を向けた。その背中に向かって宗志は強い口調で問いかける。


「おい、てめぇ何処行くつもりだ」

「そんな腑抜(ふぬ)けた(つら)のてめぇをいくら斬ったところで、これっぽっちも面白味がねぇからなァ。それに赤目の野郎に派手にやられたみてぇだしよ。日を改めてやらァ」


 ククッと堂林は喉を鳴らして笑う。そして二人に顔を向け、地の底から湧き上がる様なぞっとする口調で続ける。


「宗志、てめぇの中の獣を引きずり出してやる。いい面させてやるよ。それまでにせいぜい首でも洗っとけ。てめぇもだ、女」


 その時、生暖かい強い風が吹き木々を揺らす。白臣が(まばた)きした瞬間にそこには堂林の姿はなかった。

 がくっと力が抜けて座り込みそうになるのを白臣はかろうじてこらえる。それほど堂林から放たれた殺気の重圧は凄まじいものであったのだ。首を絞められ、その手が離されてから息が整うまで十分に時間はあったのにもかかわらず、白臣の心臓は速く()つ激しく脈を打っていた。

 宗志はそんな彼女の様子を気にかけつつ、肩に添えた手をそっと離す。生暖かい風が二人の髪を(もてあそ)び、宗志はくすぐったそうに目を細めた。


「宗志……ごめん」

「あ? 何でお前が謝んだよ」

「だって、僕はまた君の手を(わずら)わせた」

「あのなぁ、あんなのに普通の人間が(かな)う方がおかしいだろ。それにあいつがお前を()ろうとしたのは、俺が元凶(げんきょう)みてぇだしな」


 悪かった、と宗志は白臣に小さく謝った。彼女はぶんぶんと首を振った後、気になっていた事をぽつりと(こぼ)した。


「あの堂林という男は僕達をいつからつけていたのだろう」


 堂林の口ぶりはまるで自分の目や耳で見ていた、聞いていた様なものであったと思ったのだ。白臣はたとえ跡をつけられていたとして、堂林の気配を自分が気づけなくとも、宗志が気づかないことはないのではないか、と思ったのである。

 白臣のその言葉に宗志は一瞬、躊躇(ためら)いを見せてから自分の着流しの左袖を肩までまくりあげた。


「それは……?」


 そこには(きつね)刺青(いれずみ)があったのだ。白臣の問いに対して宗志は淡々(たんたん)と答える。


「昔、あいつに刻まれた。これがついてると俺が見た物聞いた物を、あいつの気分次第で俺の目や耳を通して見たり聞いたりできるらしい」

「ってことは、今この会話も聞かれているかもしれないし、僕の顔も見られているかもしれないのか……」

「気味悪いったらありゃしねぇよ」


 宗志はそう言って溜め息を吐くと、まくりあげた左袖を元に戻した。欠伸(あくび)を一つ(こぼ)し白臣に目やる。


「お前、手から血でてる。……あいつか?」

「えっ? あ、違う違う! さっき君に渡した薬に入っている頭草(かぶしそう)という名の薬草は、茎も葉も花も薬になるんだけれど……茎には鋭い(とげ)があるんだ。それで昨日手を切っちゃって。その(かさぶた)が取れただけだ」

「お前な、人の治療するために自分が怪我してどうするんだよ。もっと自分の体を大事にしろ」

「君だけには絶対言われたくないっ!」


 はぁ、と宗志はもう一つ溜め息を吐いた。そして気だるそうに首を回して口を開く。


「……包帯とか、薬草とか余ってるのか」

「包帯は余ってるけど、そんな治療する程の怪我じゃない」


 大丈夫だと白臣は笑って見せた後、小さく躊躇(ためら)いの表情を浮かべる。そして口を開いて何か言いかけたが、結局口を閉じてしまう。宗志はそんな白臣の様子に眉を(ひそ)めた。


「何だ、何か言いてぇことでもあんのか」

「……聞いてもいい?」

「ん」

「あの堂林という男と君は、どういう関係なんだ?」

「……ただの顔見知りだ」


 そっか、と白臣は一言だけ返す。宗志が本当の事を言っていない事ぐらい彼女には分かっていた。宗志が言っていた〝あの夜〟のことも気になってはいた。だが、いつもの宗志の無愛想(ぶあいそう)な横顔は、まるで〝もう聞くな〟とでも言っているかの様で、白臣は結局それ以上を問うことが出来なかったのである。

 宗志はちらっとそんな白臣を見てから自分の頭をくしゃくしゃと()いた。


「で、湖はどっちだ?」

「この道を真っ直ぐ進めばあるんだけど、君は戻って休んでた方がいい」

「ここまで来ちまったんだ、大した労力じゃねぇよ。それに傷の方は完治したみてぇだしな」


 白臣はあれ、と小さく首を(かし)げた。宗志の着流しの破れ目が何も無かったかの様に塞がっていたのである。宗志はそんな白臣の疑問を感じ取り、それに応えた。


「前、これは松明丸(たいまつまる)っていう天狗の羽を織って作られてるって言っただろ」

「うん」

「この着流しは俺の体の一部に近い。松明丸の血が流れている奴が着ていれば、傷口が塞がるのと同じ原理で破れ目も塞がる。それだけだ」

「そっか。便利だな」

「どうだかな」


 そう言って宗志は眩しそうに空を見上げてから、再び白臣へと視線を流した。


「やっぱりお前、(おぼ)れそうだし付き合ってやる」

「なっ……君は僕をどれだけ子供扱いすれば気がすむんだっ!」

「冗談だ。ほらとっとと案内しろ」

「まったく。でも本当に怪我の方は大丈夫なのか……?」

「ああ」

「……分かった。ここからだと湖まではあと少しだ。行こう」


 ん、と宗志は返事を返す。そして二人は湖へと続く道を並んで歩きだした。








「……足りねぇ……血が……血が……剛健な者の血が……」


 銀の尾は返り血で赤く染まっている。堂林は血溜まりの中に立ち、天を(あお)いだ。その両手は紅く染まっている。そして視線を(おのれ)の両手へと向けると、ぺろりとそれに舌を()わした。


「……この飢えを、渇きを、あいつら殺るまでどうすりゃいいものか……」


 そう一人呟くと(けが)らわしい物を見るような目つきで、己の周りに散らばっている肉片を見下ろした。血溜まりの中には那智組(なちぐみ)紋章(もんしょう)が刻まれた額当(ひたいあ)てがいくつも沈んでいる。


「……この世ってぇのは何処行こうと(いや)しい奴等で溢れてやがる」


 苛立たしげに足元に転がっている肉片を踏み(つぶ)した時。茂みから気配を感じ、堂林はぎろりと眼光を注いだ。

 暫く間が空いてから、編み(がさ)をかぶった子供が出てきた。編み笠からはみ出ている髪の毛は眩しいほどの金色である。編み笠を深くかぶっているので顔はよく見えないが年は七、八歳ぐらいに見えた。背中には刀を背負っているようだ。そしてその子供には髪の毛と同じ眩しいほどに金色のふさふさとした尾が二本生えていた。

 その姿を見て堂林はにったりと笑う。普通ならば泣き出してしまう様な残虐な光景をものともせず、編み笠をかぶったその子供は堂林の前に膝まづいた。


「あなた様は妖狐(ようこ)と人の混血のどうばやち様とお見うけしますっ」

「ほう、俺の事知ってんのか」

「もちろんでございますっ。われら妖狐族のもので、どうばやち様を知らぬものはございませんでしたっ」

「妖狐族……」

「あ、申しおくれましたっ。オレは妖狐族の生きのこり、雪といいますっ。あの冷たい雪と同じ漢字でございますっ」


 堂林は喉の奥を鳴らす様な笑い声を漏らしてから、その子供を見下ろして舌なめずりをした。


「妖狐族……つまりてめぇは純血の妖怪ってことか」

「はいっ! そうでございますっ! あの、どうばやち様にお願いがあるですっ」

「あ?」

「オレに修行をつけてくださいっ。ダメですかっ?」

「修行なんざ、てめぇには必要ねぇだろ」


 へ? と雪は不思議そうに首を傾げた。堂林は口元を()り上げて地の底から湧き上がる様な不気味な声で言った。


「今日てめぇは死ぬんだからなァ。純血の妖怪なら少しは俺を楽しませてくれよ」

「待ってくださいっ、どうばやち様! オレはあなた様に刀をむける理由はないですっ」

「てめぇに無くても俺にあるんだ。とっとと刀抜かねぇと後悔するぜ」

「出来ませんっ、どうばやち様!」


 一向に刀を抜く気配がない雪を堂林は荒々しく舌打ちをして見下ろす。そして左手で右腰に差している刀をゆっくりと引き抜いた。


「どいつもこいつも腑抜(ふぬ)けた野郎ばかりだ」

「やめてぇっ、どうばやち様っ! オレは修行つけてほしいだけなんですっ」

「……純妖怪ってぇのが嘘か誠か知りやしねぇが、妖狐(ようこ)の血が流るる者である事に敬意を表し、刀の(さび)にしてやらァ。地獄で感謝しろ」

「待ってっ、ヤダよぉ……修行つけてよぉ」


 堂林はにったりと笑って刀を斜めに振り上げた。雪は堂林の殺気に腰が抜けたのか逃げたくても逃げられないようだ。涙で潤んだ瞳で堂林を見上げるばかりである。その瞳と堂林の狂気の瞳が合った時。

 ぴたり、と振り下ろされる刀の動きが止まった。刀は雪の首を切り裂く寸前で静止しているのである。


「……こいつ……」

「へ?」


 眉を(ひそ)め舌打ちをして堂林は刀を納める。そして無防備な雪の腹に突然、蹴りを入れたのだ。

 雪の体は物凄い勢いで吹っ飛び大木に叩きつけられた。大木は枝葉を揺らし、ミシミシと音がしたかと思うと、いとも簡単に折れ地響きを立てて倒れる。その折れた大木の傍には、ぐったりと動かなくなった雪が倒れているのが見えた。口の端からは血を流している。


「……胸糞悪りぃの見ちまった」


 そう吐き捨てると堂林は倒れている雪に背を向け、ふらりと歩き始めた。


「そういや、今宵(こよい)は満月だったけなァ。……花街にでも行くか。月夜の晩に遊女の首を並べ、それを(さかな)に酒呑むってぇのも粋なもんだ」


 ククッと喉の奥を鳴らす様な笑い声をあげて、堂林はその場から風と共に消えたのであった。








 心地良い陽の光を感じながら二人は振背村(ふりせむら)へ向かって歩いていた。時折吹くひんやりとした風が寝起きでぼんやりとする頭を覚ましてくれる。白臣はぐっと伸びをしながら大きな欠伸(あくび)を零した。


「なんだ、寝れなかったのか」

「うん。昨日の夜は眩しかったから」

「ああ、満月だったもんな」


 そんなことを話しながら歩き続けると、遠くに村が見えた。だが少し様子がおかしい。早朝から人々の怒鳴り声や(やかま)しく叫ぶ様な声が聞こえてきた。そして渦を巻いて黒い煙がむくむくと立ち昇っていたのである。


「火事だ!」

「そうみてぇだな」

「宗志、急ごう!」

「おい、……ったく」


 宗志の返事を聞かずに白臣は走り出してしまっている。彼は額に手を当て溜め息をつくと、その背中を追いかけた。

 二人が村に入ると事の全貌(ぜんぼう)が現れる。村の中心部であると思われる場所に建っている(くら)の一部が燃えていたのだ。周りには地べたに座り込んで嘆いている人々や、興奮気味に怒鳴っている人々で騒がしい。


「おい! どうすんだよ、これ!」

「ちょっと、水はないの!」

「何でこんな時に限って井戸が壊れてんだ!」

「湖がある! あそこから水を()んでこよう」

「無理よ、汲みに行っている間に燃え尽きてしまうわ!」

「どうすんだよ、ここには村中の米やら野菜やらがあんだぞ!」

「これじゃあ年貢どころか、明日食べる物もないじゃないの!」

「もうおしまいだ……嗚呼(ああ)、神様、仏様……雨を! どうか雨を……!」

「誰か、誰かあ! 助けてくれえ! 中に、中に千尋(ちひろ)がいるんだ! お腹には俺の子が……」


 その言葉を聞いた途端、白臣は蔵の裏へと走り出した。宗志の制止する声も聞かずに。

 そんな彼女の姿に、宗志は気だるそうに首を回して再びその背中を追いかけた。

 蔵の裏へと回ったところで宗志は白臣の肩を掴む。そして溜め息混じりに訊ねた。


「お前さ、まあ聞かなくとも大方(おおかた)見当はついちゃいるが……何しようとしてんだ?」

「何って、中に人がいるらしいじゃないか! 早くしないと! まだ蔵全体に火は回ってないみたいだし、裏戸を壊して中に入れれば間に合うかも!」

「お前のお人好しっぷりには呆れるわ。つかお前が行ってどうすんだよ……もういい、下がって見てろ」


 宗志はそう言うと同時に背中から黒い翼を生やした。そしてその翼の羽根を左手で五本引き抜くと、それを(おうぎ)を作る様に広げる。そして右手の親指の爪で右手の人差し指に傷をつくると、その傷からじんわりと血が出てきた。その血を羽根に軽く撫でる様につけ、ふっと息を吹きかける。

 すると小さな爆発音が鳴り、その羽根は巨大な団扇(うちわ)となった。宗志はそれを持ったまま裏戸を蹴り壊す。中からは熱気と共に煙がうねる様に裏口から出てくる。

 宗志はあからさまに顔を(しか)め、その団扇でひと(あお)ぎした。するとうねる様に出ていた煙も熱気も、嘘であったかのように消え失せてしまう。ただ木が燃える匂いだけが残っているばかりである。


(すご)い! そんな事も出来るのか」

「……あんま使った事はねぇけどな」

「ちょっと中に行ってくる」

「炭になってるかもしれねぇぞ」

「そんな縁起でもないこと……」

「まずい」


 白臣が言い終わらないうちに宗志はそう口にする。彼女は首を(かし)げながら宗志が見ている方に視線を向け、彼が言っている言葉の意味を理解した。

 そこには無言で蔵の影から恐る恐るこちらを(うかが)っている村人達の姿があったのだ。宗志は()ぐに翼を元に戻すものの時すでに遅しというやつであった。確実に見られてしまっている。

 気を抜きすぎた、と彼は溜め息をついた。自分の迂闊(うかつ)さに苛立ちよりも呆れの方が勝り、頭を力なくくしゃくしゃと()く。そして宗志はぎろりと村人達を見据える。

 暫く時間が静かに流れた。宗志は鋭い視線を村人達へと向けたまま、村人達も落ち着かない様子で二人に視線を注いだままである。そんな空気に白臣もそわそわと、その場に留まる事しか出来なかった。

 そんな沈黙を破ったのは蔵の中から聞こえてきた高い女性の声である。


「貴方……! 怖かった……怖かった……!」


 そんなか細い声と共に女性が飛び出してきたのだ。心做(こころな)しか彼女の腹はふっくらとしている。彼女の声に村人達は、はっとした様な顔をして口々に叫んだ。


「奇跡だ!」

「神様よ! 神様の化身に違いないわ!」

「いいや、あれは仏様さ! 仏様の化身だろう!」


 村人達は歓声を上げて宗志を取り巻いた。そして(やかま)しく騒ぎ始める。


「ありがとうございます、ありがとうございます……! この恩をどうお返ししたらいいものか……」

「今晩の宿はお決まりで? 御予定がなければぜひ我が家に!」

「何言ってんだよ、お前んちは狭いじゃないか。俺の家が適任さ!」

「お前らとっとと俺から離れ――」

「あの、良かったら私の家に遊びに来てくださりませんか?」

「ちょっと抜けがけするんじゃないわよ! ぜひ私の家に!」

「貴女達ぶすは黙ってなさい! 私の家に寄ってくださらないかしら? もちろん夜でも歓迎するわ」

「触んじゃねぇ……おい、ハク! こいつら何とかしろ」


 群がる村人達を一歩下がった所で微笑みながら見ている白臣に、宗志は声を掛けた。彼女は小さくきょとんとした顔をしてから宗志に言葉を返す。


「いいじゃないか。喜んでいるみたいだし」


 宗志の小さな溜め息は、村人達の喧騒(けんそう)にかき消されたのであった。





「ああ……疲れた」

「お疲れさま。でも本当に良かった。中にいた女性も無傷だったし、蔵に保存してた食料も一部燃えただけで済んだみたいだったし」


 良かった良かった、と白臣はほっとした表情で歩きながら頷いた。その隣を宗志は気だるそうに歩いている。

 二人は村人達から巫女がいる場所を訊き、村の端の方にあるという神社に向かって歩いているのだ。(しばら)く歩いて行くと家も畑や水田も見えなくなり、林へと道が続いている。その林は木々がびっしりとすき間がなく生えているため、全くと言っていいほど日が差し込んでこない。朝なのに夜であるかのように錯覚させる。そこを抜けると目の前には古びた石段があった。それは中々(なかなか)の急な角度であり、所々に(こけ)が生えている。

 足場の悪いその石段を二人は慎重に登っていく。一段一段の段差が違うため非常に登りづらい。やっと登り終えた所で白臣は後ろを振り返った。思っていた以上の高さで、村も森も二人が魚を捕まえたあの湖も一望できる。和歌などの(たぐい)に今まで余り興味がなかった白臣にさえ、何か詠んでみたいと思わせるほどの絶景である。

 そして大きな石の鳥居を(くぐ)り進んでいくと、堂々とした社が見えた。あちこちが少し古びて壊れてはいるが、精巧な細工の行き届いた立派な造りの社である。大きさも白臣が今まで見たことのある社の中で一番大きいものだ。

 白臣は人気(ひとけ)のない静寂(せいじゃく)に包まれた境内で声を張り上げた。


「ごめんくださーい。どなたかいらっしゃいませんかー?」


 返事はない。ただ枝葉がかさかさと風に揺れているばかりである。


「留守、かな?」


 宗志は少し考えた後、五段程の短い階段を登り、さい銭箱の奥にある社の扉に手を掛け力を入れる。それは滑りの悪い(きし)んだ音を立てて開いた。鍵はかかってないようである。


「こっから入れるぞ」

「勝手に入っていいのか……? しかも罰当たりな気が……」

「んなこと気にしてられっか。それにここ以外で戸らしき物は見当たらねぇしな」


 早くしろ、とでも言いたげに宗志は白臣を見る。その時、彼女の脇を低く飛んだ燕が通り過ぎた。彼女が空を見上げると、さっきまで広がっていた青空は鳴りを潜め、分厚い雲に覆われている。


「もうじき雨が降る。いつまでもそこに突っ立ってたら濡れちまうぜ」

「……仕方無い、か」


 渋々(しぶしぶ)、白臣は頷くと短い階段を駆け登る。そして二人は丁寧に草履を揃えると、神社の社に足を踏み入れた。

 社の中は掃除が行き届いているのか(ほこり)は一つも落ちていない。一通り見回した時だった。


「ハク、後ろ」

「ひっ……!?」


 白臣が首を傾げて振り向くと、そこには身長よりも長い白い髪の老婆がいた。顔は髪で隠れていてよく見えない。巫女装束を着ていることから彼女は恐らく巫女であるのだろうと白臣は結論づけた。

 白臣はその老婆に対して礼儀正しく話しかける。


「すいません、勝手に入ってしまって。僕は藤生白臣と申します。それで黒い着流しを着ているのが宗志といいます」

「……」

「あの僕達はこの村の巫女でいらっしゃる方々に話を聞きたくて……」

「……」

「この婆さん寝てんじゃねぇの」


 めんどくさそうに宗志がそう口にした時。老婆の髪の毛に隠れた両眼がぎろりと光る。


「誰がケツでか女じゃ! 長芋の如くとろとろにしてやろうか」

「いや言ってねぇよ」

「ケツでかで何が悪いんじゃ? ケツでかい女はいいじょー! 安産じゃ」

「こいつ恐ろしいほど話噛み合わねぇ」


 ひょひょひょ、と老婆は奇妙な笑い声を上げて二人を手招いた。


「聞きたいことがあるのじゃろう? 来るが良い」


 宗志と白臣は顔を見合わせ、その小さな背中の後に続いた。


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