【第二話】離れぬ血
やがて二人は林の中に着陸した。男は白臣を無造作に下ろすと、能面を外して木の根本に座り込んだ。
白臣は地に足を付けても生きている実感を得るのにだいぶ時間がかかった。白臣の頭は整理されている状態ではない。第一、普通なら確実に死んでいたはずなのである。九死に一生を得たことになるのだろうな、と白臣は人事のように思えた。
悲願を果たす事が出来る、と安堵こそしたものの、助けてもらったことへの感謝の情が素直には湧いてこなかった。
白臣の頭には肉片になるほど切り刻まれた盗賊達の姿が、生々しいほど鮮やかに思い出されていたのである。彼等は叫び声も悲鳴も上げる間もなく、肉片と化したのだろう。あの血なまぐさい嫌な臭いは、まだ鼻にこびりついていた。
そんな今までのことを思い出すと、胸に酷い嫌悪感がのしかかってきた。拒絶感で胃が重い。
気がつけば白臣は男の胸ぐらを掴み、彼の左頬を力任せに殴りつけていた。彼は不意を突かれたのかまともにくらってしまう。それは激しい嫌悪感による白臣の衝動的な行動であった。白臣自身その自分の行動に驚いてはいたが、鳩尾に溜まった拒絶感を無視する事は出来なかったのである。
男は鈍い痛みが残る左頬を掻きながら、白臣を鋭く睨みつける。礼を言われるつもりなど少しもなかったが、殴られる筋合いなどない。
「……痛ってぇな、殺されてぇのか?」
「あそこまでする必要なかっただろう!」
「自分を殺そうとした奴に情けをかけるなんざ、相当な偽善者だな」
「彼等が僕を殺すつもりだったのか分からないじゃないか! 話せば分かる相手だったかもしれ――」
「お前そんなこと本気で思ってんのか? だとしたら、とんだ傑作もんだ」
ふっ、と男は嘲笑った。彼にとっては白臣の容姿が不快だった。紅色の髪に白い肌、ほのかに桜色に染まる頬、まるで翡翠の様な美しい緑色の瞳。それに比べ、黒髪に死人の様な白さの肌、黒い着流しの自分。
「あんな酷い殺し方……」
「酷かろうが酷く無かろうが、人は斬っちまえばそれで終わりなんだよ。お前の腰に差しているのは何だ? お前だって人斬りの道具を持ち歩いてんじゃねぇか。それともそれはただの飾りか? それとも、あれか。刀は武士の魂だとかほざく甘ったれた野郎なのか? どっちにしろ、くだらねぇことに変わりはねぇけどな」
「それは……」
「もういい、どこへでも行っちまえ」
男は自分が何故こんなにも、苛ついているのか分からなかった。いつもなら気に入らない奴は斬ればいい、と思い実行してきたのだが、今はそんな気分にもなれないのだ。また返り血を拭うのがめんどうだという事もあったのだが。
しかし、白臣なかなか男から離れようとはしなかった。それどころか彼の側に座りこんだのである。白臣はしんみりとした表情を浮かべ、隣に座る彼の横顔を真っ直ぐと見つめては逸らしを数回繰り返した後、申し訳なさそうに口を開く。
「その……いきなり殴ってすまなかった。助けてもらった分際で、文句を言える立場じゃなかったよな、僕は」
「……」
「ともあれ、君が救ってくれなければ僕はあんなところで犬死にするとこだった。ありがとう、礼を言うよ」
「別に……」
先ほどの苛立ちが溶ける様に消えていったことに男は思わず眉を顰めた。本当に今日の自分はどこかおかしいらしい。
暫く間を開けて、白臣はぽつりと疑問を零した。
「君はもしや、妖怪と人との……」
「……見ての通りだ」
「さっきから気になってたんだけど、翼というのは生やしたり自由自在なのか? どうして着物が破けないのだ?」
「お前さ、聞けば何でも俺が答えるとでも思ってんのか?」
「そういう訳じゃ……」
男は射殺す様に見つめる。近くで見ると華奢な体つきで、こんな細い腕で刀が扱えるのか疑問だった。
剣術において筋肉達磨の方が必ずしも勝るわけではないが、殺し合いにおいては体格はいいに越したことはない。
(こりゃ本当に飾りかもしれねぇな……)
そんな事を男が考えている時。白臣は難しい顔をして、意を決した様に口を開いた。
「あ、あの! 僕に力を貸していただけないだろうか」
「あ?」
「どうしても殺したい奴がいるんだ。そいつが殺せればどうなってもいい。僕はそいつの息の根を止めなければならないんだ。なんだってする! 薬草の知識だってあるし、お金になるものもある。だから僕に――」
「お前、どうやったらそんなに面の皮が厚くなるんだ? 助けてもらっておいて殴りつけてくるわ、質問攻めしてくるわ、今度は力が借りたい? ふざけんじゃねぇ。人を利用してぇなら相手を選ぶこった」
入道雲のように湧き上がる苛立ちを男は感じ、荒々しく舌打ちしながら立ち上がる。いつもなら苛立ちを感じる前に殺してしまう宗志ではあるが、何故か今だけはどうしてもそんな気分にはなれなかった。
(今日は本当におかしいらしい)
翼を出して飛び立とうと、背中に軽く力を入れた時。茂みの向こうから微かに張り付く様な殺気を感じ取った。