表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
血煙旅記  作者: 黒洋恵生
かぐや姫編
17/69

【第十五話】興に飢える

 






 白臣が血の跡を辿(たど)って走り続けると森へと跡が続いている。足を止めずに森の中へと道なき道を行くと、木の生えていない開けた場所に辿り着いた。


「宗志!」


 そこには宗志が気だるそうに首を回して座っていた。その姿に白臣はほっと安心する。だが、宗志の前には固く(まぶた)を閉じ、ぴくりとも動かない瀬快の姿があった。

 間に合わなかったのだ。

 宗志は白臣の声に反応するように首を向け、白臣が背負っていた晴を見て怪訝そうな顔をして口を開いた。


「ハク、どういう了見(りょうけん)でその女を……」

「瀬快……! そんな……」


 宗志の言葉を(さえぎ)る様に晴は悲痛な叫び声を漏らし、動かなくなった瀬快に駆け寄った。その姿を見て白臣は居た(たま)れない思いにぐっと拳を握り、宗志は事を大方理解したような表情を浮かべる。

 ぼろぼろと涙を(こぼ)している晴に宗志は気だるそうに声をかけた。


「安心しろ。死んじゃいねぇよ、そいつ。勝手に意識飛ばしやがっただけだ」

「……え?」

 

 晴は形の良い大きな瞳を見開かせて宗志を見た後、横たわる瀬快の胸に手を当てる。そして安心した様に胸を()で下ろし、宗志に深々と頭を下げた。


「ありがとうございます……本当にありがとうございます……!」

「別にあんたに礼を言われるために()らなかった訳じゃねぇ」

「宗志、どうして、その、瀬快さんを……?」


 生かしたのか、という言葉を白臣は言外に匂わせた。


「……(きょう)()めた」

「興?」

「あんなしけた(つら)した野郎を殺るほど血に飢えちゃいねぇよ」


 眠い、と一言ぼそっと零して宗志は欠伸(あくび)をする。白臣は二人とも命に別条(べつじょう)は無いことに安堵(あんど)する、が。


「宗志! (ひど)い怪我してるじゃないか!」

「あ? ああ、寝れば治るだろ」

「そんなに深い傷……と、とにかく治療しなければ! まずは弟切草(おとぎりそう)を探さなくちゃ……」


 木々の中へ入ろうとする白臣を宗志は(あき)れを含んだ声で制止する。


「落ち着け。お前ら追われてんだろ。とりあえずこの場を離れる方が先だ」


 そう言って宗志はふらっと立ち上がると、瀬快を肩担ぐ。

 その時、宗志さん、と晴が声をかける。宗志はちらっと目だけで彼女の顔を見た。


「そのお怪我、瀬快の所為(せい)で出来たものですよね……。本当にごめんなさい」

「こちとら別にあんたに謝られる筋合(すじあ)いも、礼を言われる筋合いもねぇよ」


 こっちも十分に座敷童子(ざしきわらし)を殴っちまったしな、と宗志は付け加えてから、白臣に視線を移す。


「ハク、この女を背負えるか?」

「ああ、大丈夫だ」


 白臣が晴を背負ったのを確認して宗志は走り出した。その後を白臣が続く。

 木々がうねる道を()ける。薄暗い森が徐々に明るくなり、森の出口が近いことが分かる。

 そして宗志達が森を出た時。


「くそ、先回りされてたか」


 宗志は荒々しく舌打ちをする。目の前には二十人程が各々(おのおの)の武器を持ち待ち構えていた。しかも額には那智組(なちぐみ)紋章(もんしょう)が刻まれた額当てをつけている。 久野家に雇われでもしたのだろう。


「天狗の宗志、久野家の令嬢(れいじょう)をすみやかにこちらに引き渡せ!」

「断る」


 宗志は那智組(なちぐみ)の者達を見据えながら隣にいる白臣に告げる。


「ハク、座敷童子(ざしきわらし)を運べるか?」

「まさか君は僕達に先に行けと言いたいのか」

(さっ)しがいいじゃねぇか」

「悪いが断らせてもらう」

「は?」


 理解出来ないという風に宗志はちらっと白臣に横目で視線を注ぐ。白臣は横にいる宗志を見上げながら口を開く。


「君はそんな怪我しているんだ。その役回りは僕がするべきだ」

「馬鹿、んなことお前に任せられるか」


 宗志はくしゃくしゃと頭を()いて溜め息をついた。


「俺はこいつらに()られるほど(やわ)じゃねぇよ。いくら腹に穴が空いていようがな。それに火を使えば一瞬で終る。お前が残るより早く片付くだろうが」

「宗志、君は瀬快さんに制約とやらを外してもらえたのか」

「……ああ」


 その返事に白臣は少し考えた後、しっかりと頷いて晴を下ろす。そして代わりに瀬快を背負い、その後ろで晴が瀬快の体を支える様な体勢をとる。


「右だ! 右に行け!」


 宗志の声に間髪(かんぱつ)を入れずに白臣と晴は瀬快を支えてたどたどしい足取りで走り出した。


「逃がすな! 追ええええ!」

「悪りいな、ちっと相手してもらうぜ」


 白臣達を追おうとする那智組の者の前に宗志は立ち(ふさ)がった。

 宗志が殺気を(はら)んだ視線で(にら)みつけると、那智組の者達はたじろいだ。


(ひる)むな! 相手は手負いだ! 一気にかかれえええ!」


 槍を持った男達が一斉に宗志に突きかかる。それを宗志は巧みに(かわ)す。そして間合(まあ)いを一気に詰める。がら空きの鳩尾(みぞおち)。拳に力を込め撃ち込んでいく。

 ばたばたと一人また一人と倒れていく。宗志の顔に疲労の色が浮かぶ。それでも俊敏(しゅんびん)に敵を撃ち倒す。

 振り降ろされる刀。横に躱し左脇腹を蹴りつける。拳を撃ち込み、手刀をおとす。それを繰り出し続ける。

 最後の一人を撃ち倒した時、宗志はぐったりと空を見上げた。


「……血、出しすぎた、かもな」


 その時だった。倒れていた男が突然上半身を起こす。それと同時に斬りかかってくる。宗志は咄嗟とっさに避ける。だが、右足を貫かれてしまう。体勢が崩れた所を容赦なく男は刀を振り下ろす。宗志はなんとか身を(ひるがえ)して躱す。そして顔面に拳を撃ち込んだ。


「これで、全部か?」


 転がっている那智組の男達。ぴくりとも動く気配がない。宗志がゆっくりと息を吐き出した刹那(せつな)

 宗志の視界の(すみ)で倒れていた男が立ち上がったかと思うと、走り出した。それは白臣達が進んだ方向である。

 追いかけようと宗志は(こころ)みるが、先程貫かれた足が思う様に動かない。

 宗志は転がっている槍を掴む。心臓に激痛が走った。それでも構わず槍を走っている男に投げつける。槍は男を貫いて、男は倒れて動かなくなった。


「ぐッ……あ"あ、うッあ"……」


 宗志は胸を()(むし)り、歯を食いしばった。(ひたい)には玉の汗が吹き出している。ぽたりぽたりと地面に斑点(はんてん)が描かれる。

 そんな時、宗志の頭上で聞き覚えのある(からす)の様な笑い声が聞こえた。


「よくもまあ、手負いで那智組(なちぐみ)の者達を()るとは。これだけの人数を雇うのに俺がどれほど金を積んだと思ってるんだ? お前といいあの赤毛の餓鬼といい、この俺を裏切りおって」


 だから化け物は信用ならんのだ、と大蓮(だいれん)は吐き捨てると刀を大袈裟(おおげさ)に大きく抜いた。そしてにんまりと笑って口を開く。


「本当は共倒れしたお前らの首を(もら)おうと思っていたんだがなぁ。まあ良い、瀬快の首など天狗(てんぐ)の宗志の首に比べれば取るに足らぬ。残念だったな、柚月を今逃がした所で、俺の手元に引き戻すなど俺の財力を持ってすれば意図も容易い。お前のしたこと全てが無駄だったんだよ!」


 大蓮はげらげらと笑い声をあげる。宗志はそんな男を睨み上げるものの、制約を破ったことによる胸の痛みに全身を支配され、身体を動かすこともままならなかった。


「せいぜい我ら久野家の栄華の(いしずえ)となれ!」


 大蓮の振り上げた刀は宗志目掛けて振り下ろされる。

 その時。金属と金属がぶつかる高い音が晴天に響いた。


「くそ……お前は……っ!」

「宗志! 大丈夫か」


 白臣は大蓮(だいれん)の刀をやすやすと受け止める。そして鍔迫(つばぜ)()いの状態に持っていく。交差する刀。白臣は大蓮を押し切った。

 大蓮はさっと間合いをとる。


「ちッ、邪魔が入ったか。死に損なったな天狗(てんぐ)の宗志! 少し待っていろ、お前は餓鬼を()った後だ」

「お前が僕を殺れるとでも?」

「当然だろ? 俺は黒白流(こくびゃくりゅう)鏤金派(るきんは)師範代(しはんだい)なんだぞ」


 相手が悪かったな、と大蓮は天を(あお)ぐ様に笑う。


「もう一つ良いことを教えてやろう。俺が潰した村の数を」

「……」

「十三だ。柚月の村が最後だったかなぁ」

「……何で、何で晴さんの家族を殺す必要があった? 村の人達を殺す必要があった? 村を潰す必要が何処にあったんだ!」


 そう叫ぶ様に問う白臣に、大蓮はにんまりとした笑みを顔に貼り付けたまま(わらべ)(さと)す様な、やけにゆっくりとした口調で言葉を返した。


「それはな、柚月の居場所を帰る場所を無くすためだ。自分の居場所が久野家しかないと思わせれば外に逃げようと考えなくなる。頼れるのは俺しかいないと思わせれば、俺の言う事に逆らおうとは考えなくなる。そのためにはあいつと外との繋がりを完全に断つ必要があったのだ。上手くいくはずだった、瀬快という化け物が余計な事をしなければ」

「……下衆が」

「下衆で結構。栄華には犠牲が付き物だからな」


 大蓮は()り上げていた口角を下ろし、剣尖(けんせん)を白臣に向け、それと同時に地を蹴った。


「我が栄華の(いしずえ)になれえええええ!」


 振り下ろされる刀。その刃は肉を裂く……はずであった。


「な、なにっ……!?」

「刀ぐらいしっかり握ったらどうだ?」


 大蓮の持っていた刀は白臣の刀に払われ、大きく()を描いて茂みの中に消えていった。


「とりあえずお前が下衆なのと、黒白流鏤金派とやらが大したことない事は良く分かった」


 大蓮は狼狽(うろた)えた後、背を向けて逃げ出した。が、すぐに転んでしまう。逃げ出そうするが、腰が抜けてしまったのか立ち上がることさえままならないようだ。

 白臣はそんな大蓮に殺気を保ったままゆっくりと近づいていく。


「まっ、待ってくれ! 殺さないでくれ! 頼む!」

「断る」

「そうだ、金をやろう。いくらほしいんだ!? 言ってみろ」

「お前の薄汚れた金など欲しくはない」


 ひぃ、と大蓮は(かす)れた悲鳴を上げる。白臣の瞳にはただ一つの意思しか宿ってはいない。


「お前は何が望みだ? 何が欲しいんだ? 俺の持つ権力を持ってすればお前の願いを何でも叶えられる! だから殺さないで」

「僕の欲しいモノは、望むモノはお前には出せない」

「そ、そんな……っ! お願いいたします、殺さないでください……! (わたくし)には養わなければならない大事な妻と部下がいるのです! (わたくし)がいなければ、皆路頭に迷う事になる……!」

「で?」


 白臣は表情を変えずに刀を大蓮の眉間に向ける。これから人を斬り殺すというのにやけに落ち着いている自分を気味悪く感じた。志津国(しづこく)目抄化(もくしょうか)した自我を失った者達の息の根を止めようとしただけで、自分のものとは思えないほど震えた両手は、今はしっかりと(つか)を握っている。

 憎悪と嫌悪が自分を突き動かしている、白臣はそう感じ取った。


「どうか……お許しを!」

()ちろ。奈落(ならく)の底に」


 白臣が刀を大きく振り上げたその刹那(せつな)。大蓮の体に火が付いたかと思うと、瞬く間に燃え上がった。

 白臣が振り返るとふらりと宗志が彼女の後ろに立っていた。宗志の顔色は非常に悪く、立っているのがやっとのように白臣には見えた。


「熱い熱い熱い熱い熱い熱いいぃ……」


 炎に包まれた残虐の限りを尽くした男は(しばら)藻掻(もが)いた後、やがて動かなくなった。動かなくなった後も肉塊(にくかい)は静かに燃え続けている。


「宗志……」

「あんな汚ねぇ野郎のために、お前が汚れる必要なんか……ねぇ、だ……ろ……」


 宗志はそう言い終わらないうちに(ひざまず)き、激しく咳き込んだ。口元を押さえる手の指の隙間からおびただしい赤黒い血が溢れ落ちる。


「宗志!」


 白臣は宗志の傍に行きしゃがみこんで背中を(さす)る。赤黒い血が地面をべったりと染め上げていく。それでも宗志は咳き込む様に血を吐き続けている。


「宗志、もしかして……規制外してもらってないのか……! なんで、なんで嘘なんか吐いたんだ!」


 白臣は瀬快が言っていた〝妖怪の血が流れる人間は三回制約を破ると血を吐いて死ぬ〟という言葉を思い出した。

 そんなに自分が信用ならないのか、何故自分が手を汚すことに対して過剰に避けさせようとするのか、白臣の中で様々な疑問が、感情が(うず)を巻いた。

 いくらか時間が経って宗志は咳き込んではいたが、やっと吐血は止まったようだ。しかし、肩で息をして、痛みに耐える様に歯を食いしばっている。そして時折(ときおり)(かす)れた小さな(うめ)き声が()れていた。


「嫌だ……お願いだから、死なないでくれ……頼む……」


 白臣はそう願いを込める様に少し力を込めてその背中を摩り続けた。

 そうして(しばら)くした(ころ)


「もういい……行くぞ」

「宗志、大丈夫か? 良かった……死んでしまうかと思った」

「そんな、(やわ)じゃ……ねぇよ。ほら……行く、ぞ……」

「駄目だ。まだ安静にしないと! 君はもっと自分を大事にするべきだ」

「こんなとこで、ちんたら、してらんねぇ、だろう……が。那智組(なちぐみ)の、増援が、来るかも……しれ、ねぇ」


 そう言って宗志はふらりと立ち上がり、歩きはじめる。覚束無(おぼつかな)い足取りで一歩一歩進む。時折(ときおり)よろけては体勢を立て直し、また一歩足を前に進めている。 

 白臣は前を行く宗志を追いかけ、隣に並んだ。


「宗志、僕の肩を使ってくれ」

「……いい」

「いいから、使って」

「……」


 少し間が空いた後、悪りぃ、と宗志は掠れた声で呟く様に言うと、白臣の肩に腕を回した。二人はとりあえず、瀬快と晴のいる場所を目指して再び歩き始めた。

 上空に(からす)が何羽となく円を描く様に飛んでいる。鴉は横についた目をぎょろぎょろ動かして獲物を探していた。


「僕、強くなるから……」


 白臣の決意を込めたその呟きは、鴉の甲高(かんだか)い鳴き声にかき消された。






「宗志様、白臣様どうぞこちらへ」


 瀬快と晴がいる空き家に戻ると、晴はさっと二人のために場所を空けた。その空き家は白臣と晴が瀬快を運んでいる時に偶然見つけたものである。宗志と白臣が腰を下ろすとみしみしと(きし)んだ音が響く。部屋の隅には(ほこり)が溜まっている。(いた)る所で蜘蛛(くも)が糸を吐き出し住処すみかをせっせと作っている。


「宗志、大丈夫か?」

「……ん」


 もともと肌が白い宗志だったが、今は血を出しすぎたせいか青白い。彼はゆっくりと息を吐き出すと、ぐったりと隙間の空いた薄い壁に寄りかかった。

 白臣はそんな宗志を心配そうに見つめた後に、視線を固く(まぶた)を閉じて横たわる瀬快に移す。


「晴さん、瀬快さんはまだ目を……」


 晴は静かに首を振る。そうですか、と白臣は視線を落とした。

 この場所に二人が回復するまで留まる事が出来ればそれに越したことは無いが、那智組(なちぐみ)がみすみす見逃してくれるとは考えにくい。もし、戦わなければならない場面になれば自分がどうにかするしかない、と白臣はぎゅっと(こぶし)を握り締めた。

 いくらか静かな時間が流れた。

 瀬快は相変わらず目を覚ますことはなく、宗志はぐったりと(まぶた)を閉じて壁に寄りかかったままである。晴はそんな二人に心配そうな眼差(まなざ)しを向け、ただ何をするでもなく、ちょこんと座っていた。

 白臣は時折(ときおり)、壁の少し大きな隙間から外の様子を(のぞ)き見ていた。特に変わった事柄は見受けられない。しいて言うならば、(からす)が少々集まっている事ぐらいだろうか。


「白臣様、追っ手の姿はありますか?」

「いいえ。今の所その様な者はいませ……」


 隙間から外を覗き見ながら晴の問に答えるを白臣の言葉を(さえぎ)る様に、鴉が(やかま)しい鳴き声を上げ、一斉に飛び立った。それと同時に遠くに武器を所持している男達の姿を白臣の翡翠(ひすい)色の瞳は捉えた。彼らは余裕の笑みを浮かべて真っ直ぐにこちらに向かって歩いている。

 白臣はここに隠れていれば那智組(なちぐみ)をやり過ごせるだろう、と憶測した……が。


(しまった……!)


 自分の迂闊(うかつ)さのあまり白臣は歯を食いしばった。那智組(なちぐみ)の者達は自分達がこの空き家にいるのを分かっている。だからあんなに余裕な顔が出来るのだ。

 白臣がそう判断したのはまるで導く様に転々と血の跡が残ってしまっていたのだ。何故今まで気づかなかったのだろう、と白臣は悔いたが今となってはもう遅い。

 ならば先に仕掛けた方が()があるはずだ、と立ち上がり戸に手を掛ける。そのとたん白臣は腕を掴まれた。


「……どこに行く、つもりだ?」

「ちょっと辺りを見ようと」

「ったく、見え透いた……嘘ついてんじゃ、ねぇよ」


 宗志はふらりと立ち上がった。それだけで額には玉の汗が吹き出している。


「無茶だ! 死に行く様な物じゃないか!」

「あんな奴等……に()られる、様だったら、とっくに……死んでる」

「駄目だ。君を行かせる訳にはいかない。僕が行く」

「うるせぇ。お前は、黙って……こいつ、ら見てろ」

天狗(てんぐ)くん、そんなへろへろの体じゃ犬一匹追い払えないんじゃない?」


 その声に同時に二人は振り返った。そこには大きな欠伸(あくび)をしながら伸びをする瀬快の姿。


「瀬快……良かった……!」

「晴……! 会いたかった、会いたかったよ。君に会うためだけに、俺は今日まで生きてきた」

「私だって、この日をどれだけ待ち望んでいたことか……」

「現実味がないや。夢なんじゃないかって。もしかして俺は死んでるんじゃないかって。君が俺の隣にいる事も、俺が生きてるって事も、全部が全部、夢みたいだ」


 瀬快はそっと晴の(つや)やかな髪を指で()くと懐から(つつ)みを取り出した。


「これを君に」

「これは?」

蜜柑飴(みかんあめ)。本当は蜜柑を探してたんだけど、今の季節にはやっぱり無いみたいで。はいどうぞ。ちょっと(くだ)けちゃってるけど。この国を出て、出来れば静かな場所で……蜜柑畑を作ろう? 晴の故郷に負けないくらい大きな蜜柑畑を」

「うん……! あれ、おかしい……な、嬉しいのに涙が出てきた」


 瀬快はそっと指で晴の涙をすくう。二人は本当に幸せそうに白臣には見えた。

 少しして落ち着いてから晴は手短に白臣に外に連れ出してもらったこと、その後に宗志と瀬快と合流し、ここまで逃げてきたことを手短に説明した。


座敷童子(ざしきわらし)、さっさ……とこの規制、外、せ」


 宗志はそう言ってどかりと瀬快の前に腰を下ろす。瀬快はもちろん、と返して瀬快の胸に手をかざした。


「ちょっと熱いかも知れないけど我慢してね」

「ん」


 瀬快が宗志の胸に手を当てると瀬快の手から赤い光が溢れ出る。宗志は一瞬顔をしかめた。


「はい、終わり。天狗(てんぐ)くん、もしかして規制三回破ったでしょ?」


 宗志はその問に答えずにふらりと立ち上がった。瀬快は宗志の無言を肯定と受け取ったのか話を続ける。


「何で生きてるのか俺でも分からないけど、さすが天狗の宗志は違うね。ただ、これ以上君は戦えない、いや戦っちゃいけない」

「……お前、何、言いてぇん、だよ」


  疲労が(にじ)み出た(かす)れた声で宗志は言葉を絞り出して視線を瀬快に向ける。そこには床につくほど頭を深々と下げた瀬快の姿があった。


「まずお礼を言わせて。本当にありがとう。君には、いや君達にはなんとお礼を言っていいか分からない」

「宗志様、白臣様ありがとうございました」


 晴もそれに合わせて瀬快の隣で深く頭下げた。宗志は眉間に(しわ)を寄せて居心地が悪そうな表情で首を回した。


「礼はいい……から話、続け、ろ」

「君は規制を三回破ったけど死ななかった。だけど、それでめでたしめでたしとはならないんだ。死ななかったとはいえ、心臓に大きな損害を受けていることに変わりはない。血を吐いた事が何よりの証拠ってこと」

「別に、血なん、か吐いて……」

「嘘つき。口の端に血がついてる」


 宗志は苦々しく舌打ちをし、手の甲で血を(ぬぐ)う。


「で、君達はこれから行く先とか決まってたりするの?」


 その問に答えずに宗志は懐から丁寧に折りたたまれた地図を取り出すと、それを瀬快に投げ渡す。瀬快はそれを受け取り広げた。


「君達が行きたいのって、振背村(ふりせむら)?」

「ああ」

「僕たちは地図の通りに歩いてきたつもりだったんですけど、道に迷ってしまって。どこにあるかご存知ないですか?」


 なるほどね、と瀬快は漏らし地図のある部分を指さした。


「この曲がり角に目印に書いてある(ほこら)、ほんのつい最近に壊されちゃってるんだ。だから道に迷ったんだろうね。でも君達は運がいい。ここから振背村(ふりせむら)に行くのにいい近道がある。案内してあげたいところなんだけど、問題は……」


 瀬快はそこで言葉を区切って壁の隙間(すきま)からその様子を(うかが)う。


「ここをどうやって切り抜けるのか、ということ。しかも敵は普通の人間とはいえ結構な人数だし」

「僕が行きます」

「俺が、()る」

「ちょっと君達、落ち着きなよ。ここにいるぶんにはあいつらだって攻撃は仕掛けてこないよ。なんてったって、こちらには晴がいるからね。人間の、しかも戦えない女の子を危険なめには合わせようとは奴らもしないはずじゃない?」

「なら……、ここに(しばら)くいれないでしょうか? その、宗志の傷が()えるまで」


 白臣の言葉に瀬快は少し考えた後、首を振った。


「それは賢い行動だとは思えないね。奴らが長々と待ってくれるほど気の長い連中だとは思えない。(しび)れを切らして攻撃を仕掛けてくる可能性だって十分にある。たとえ晴が死んでしまったとしても、俺達を皆殺しにすれば晴を殺した罪を俺達に(なす)り付けるなんて容易だ」

「なら……さっさと、行く、ぞ。退路は、俺が……作る」

「駄目だ宗志! 僕が行く!」

天狗(てんぐ)くん、話聞いてなかったのかな? 君は気づいてないのかもしれないけど、いや、どうせ君は気づいているんだろうけど君の体は、ぼろぼろなんだ」

「うる、せぇ……」


 大袈裟(おおげさ)(あき)れを込めた溜め息を瀬快は一つ吐いた。そして赤い瞳をすっと細めて見通す様に宗志の顔をじっと見る。


「君、死ぬ気?」

「俺は、どうせ、死にやしねぇ……」

「どこからくるのさ、その自信は」


 けらけらっと瀬快は場違いな笑い声を上げた。そして弾む様に軽やかに立ち上がる。


「俺が一肌(ひとはだ)脱ぐとするよ。こんなんで君達に恩は返せるとは思わないけど。でも、少しでもお礼がしたいんだ」


 瀬快は晴の手を取って立たせると、古びた押入れを開けた。むわっと(ほこり)っぽい(かび)くさい臭いが空き家の中に充満する。その臭いに瀬快はあからさまに顔を(しか)めた。


「晴、万が一の事があるかもしれないから、ここに隠れてて。ちょっと臭いが気になるけど。あ、そうだ」


 瀬快は羽織(はお)っていた羽織(はおり)を脱ぐと、頭から晴に(かぶ)せ、押入れへと誘導する。


「これで少しはましになるかな。少しの間だけ我慢してて。ねぇ、晴」

「何?」

「今更なんだけど、俺はもう君が知ってる俺じゃない。何人も傷つけてる。そしてそのうちの何人かは、たぶん死んでる。今ならまだ戻れるよ? 別に戻らないとしても、俺と一緒にいなきゃいけないなんて事はないんだ」

「何言ってるの。瀬快は今も昔も変わってないよ。もう何年も前から私の心はとっくに決まってる。……だから、一人にしたら許さないんだから」

「よかった。大丈夫、すぐ戻る」


 晴は瀬快の言葉に(うなず)いて、彼の後ろに立っている宗志と白臣に視線を移した。


「宗志様、白臣様。このご恩は一生忘れる事はございません。どうか、ご武運を」


 その言葉に白臣はしっかりと(うなず)く。そして瀬快は晴の入った押入れの(すべ)りの悪い戸を閉めた。

 その後、三人は顔を見合わせてから、瀬快は宗志と白臣の前に立ち、戸に手をかける。その後ろで白臣は足元が覚束(おぼつか)無い宗志をそっと支える。


「準備はいい? 開けるよ」


 軋んだ音を立てて戸が開く。それとほぼ同時に瀬快は空き家から飛び出した。その後に二人も続く。

 その瞬間。三人目掛けて数十本の矢が放たれた。白臣が最期を意識した時。

 矢を防ぐ様に分厚い炎の牆壁(しょうへき)がそびえ立った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ