【第十三話】離れた遺言
宗志が能面をつけ館の門を出ると、生まれたての太陽の光が家々を染め始めている。そしてその光と共に、空よりも青い髪の男が音もなく現れた。少しの間、両者はそれぞれの想いを秘めた瞳で向き合う。
「そのお面、よく似合ってるね」
「……」
「てか、君って意外と公明正大な性格なんだね。てっきり不意打ちでも仕掛けてくるかと思って、神経尖らしてたんだけど」
「そんな事する必要がねぇからだ」
「わあ! 凄い自信だ」
「馬鹿正直に早朝にやって来るなんざ、とんだいかれた野郎だな、お前」
「失礼な奴だね、君は」
瀬快はからからと笑う。宗志は眉間に深く皺を刻む。
「しかし安心したよ」
「あ?」
「昨日君の隣にいた子を斬らなくてすんで。あの子いい子そうだもんね、君と違ってさ」
何が面白いのか、また瀬快はけらけらと笑う。宗志は苦々しく舌打ちをする。
「何であんなにいい子が君みたいな悪人の代名詞みたいな奴と一緒にいるの?」
「……お前に教える義理はねぇ」
「あっそ。まっ、いいや。なんか君達って綺麗なほど本質が真逆だよね、気持ちいいくらいさ。善と悪ってやつ? あ、ちなみに君が悪だよ?」
「……そもそも女を攫って食うっていうお前が、善だの悪だの語っても滑稽なだけだろうが」
ドスの利いた鋭い声で宗志がそう言うと、瀬快は一瞬赤い目を丸くした後、すぐに何かを悟った様な顔をした。
「……ふうん、なるほどね。ま、どうでもいいや。てか君、たぶんもう二度と赤髪の子に会えないと思うけど、ちゃんと遺言的なの残しておいた?」
「ぐちゃぐちゃうるせぇ奴だな。ちんたらしてると俺から仕掛けるぜ」
「ごめんね、ずっと人里離れたとこにいて久しぶりに人と話せて、つい喋りすぎちゃったな。……お喋りはここまで」
相変わらずへらへらとした笑みを浮かべている瀬快だが、彼の赤い目に殺気が宿った。宗志も相手を切り裂く様な眼光を飛ばす。
「じゃあね……天狗くん」
一瞬のことだった。
二人の間合いは無になる。宗志の首へと伸びる様に動く剣先。
寸前のところで宗志は躱す。彼の首には一筋の赤い傷ができている。そしてその衝撃で面が外れ、瀬快の足元へと転がった。
宗志は瀬快から十分に間合いをとる。そして大通りに並行になる様に二人は対峙する。瀬快は足元にある面を見ると、にやりと笑い踏みつけた。新しい玩具を見つけた子供の様な無邪気な笑みを浮かべ何度も何度も踏みつける。面は砕け粉々になっていく。
「ごめん、壊しちゃった。大事な物だった?」
「……別に」
「そう、ならよかった。人の大切にしている物を壊すなんて心苦しいからね。てか、やっぱ君強いんだね。俺の居合、避けられたこと無かったんだけどなぁ。俺、居合かなり得意なんだけど」
「居合が得意、か。つまりお前は一発屋ってことだな」
「俺が一発屋かどうか、その身で試してごらん」
その言葉と同時に瀬快が間合いを詰める。宗志は間合いを取ろうとする。が、瀬快がそれを許さない。
矢継ぎ早に振り降ろされる刀。それを躱す宗志。間合いを切ろうと試みるがすぐに瀬快に詰められる。
「どうしたの? 俺の首を取るんじゃなかった?」
瀬快は宗志に攻撃させる機会を与えない。目にも止まらぬ斬撃。それを見切る宗志。
その刹那。宗志の視界から瀬快が消えた。反射的に宗志は振り返る。が、そこに瀬快はいない。
(違う、上だ……!)
そう気づいたと同時に降り注ぐ、クナイの雨。宗志は一瞬で左に避ける。だが避けきれない。右肩にはクナイが一本、深く刺さってしまう。
着地する瀬快。彼の目線は宗志から逸れている。その隙を宗志は見逃さない。横腹を殴りつけようと拳を握る。横に大きく振り翳す。そして横腹めがけて打ち付ける……が。
(くそっ、罠か)
瀬快の口元が弧を描く。躱される宗志の拳。瀬快は瞬時に宗志の死角に入る。
宗志も反射的に瀬快の方を向く。そこには体勢を低く剣先を下げ脇構えをした瀬快の姿。
(避けれねぇ……!)
瀬快の刀は宗志を右腹から左肩へと切り裂いた。顔を歪める宗志。返り血で朱に染まる瀬快。
だがそこに瞬間的な隙が生まれた。宗志は瀬快の顔面を鷲掴む。そして力任せに瀬快を投げつける。
物凄い速度で飛ばされる瀬快の体。彼は吹っ飛ぶ体の勢いを止めようと刀を地面に突き刺した。しかし飛ばされた瀬快の体は止まらない。
「止まれ、止まれ、止まれええええ!」
地面に突き刺す刀に力を込める。やっとのことで瀬快の体は止まった。間合いは大きく開かれ、遠くからゆっくり近づいてく宗志の姿が瀬快の赤い瞳に映る。
「痛てて……化け物だよ、あいつ」
自分も化け物なのだけれど、と瀬快は苦笑する。掴まれた蟀谷あたりの骨がずきすぎと痛む。骨に罅の一つや二つ入ってしまったかもしれない。陥没しなかっただけマシか、と瀬快は痛む蟀谷を撫でた。
「思ってたより余裕ないかも」
瀬快はそう小さく漏らした。丸腰の相手に反撃されるとは思っていなかった。いくら相手が〝天狗の宗志〟とはいえ。もし、対等に命のやり取りをしたら……、と思うと瀬快は背筋に冷たいものを感じた。
一方宗志は瀬快にゆっくりと近づきながら肩に刺さったクナイを引き抜いた。傷は深いが腕が動かなくなるほどの怪我ではなさそうだ。腹から肩まで斜めに斬られた傷は、右腹部分は深いものの、内臓が断ち切られた程ではないようである。
(……このままじゃ分が悪りぃな)
せめて刀さえ使えればな、と宗志は舌打ちをする。やはり相手は妖怪の血が流れているだけあり、一筋縄ではいかない様である。
そして瀬快が立ち上がった時、宗志はぴたりと足を止めた。
「どう? 俺なかなか強いでしょ?」
「……」
「本当は丸腰の相手に斬りかかる様な無粋なまね、したくないんだよね。でも相手が天下の極悪人なら話は別」
そう言って瀬快は刀を地面から抜き、剣先を宗志に向けて構える。宗志は殺気を放つ瀬快を臆することなく見据える。
「……黙って俺に斬り刻まれなよ」
地の底から湧き上がる様な低い声が晴天に響く。その刹那。宗志の目の前には瀬快の不敵な笑み。首へと伸びる刀。畳み掛ける様な攻撃。それを宗志は躱していく。そして突きをしたことにより伸びきった瀬快の腕を払う。
瀬快の顔から笑みが消える。宗志はがら空きの腹をねらう。渾身の力を込め拳を撃ち込んだ。
「くッ……ぐはっ……」
弾かれる様に瀬快の体が吹き飛んだ。刀を地面に突き刺す瀬快。そして体勢を整える。ゲホッと咳き込むと血へどを吐き出した。
瀬快は咆哮を上げ宗志に斬りかかる。先程の刀の冴えは見る影もない。力まかせに振り回している。まさに隙だらけだ。
それを容易に宗志は避ける。そして止めを刺そうとしたその時。
(なに……!?)
刀が蛇の様にうねった。いや、ように見えた。さっきまでの冴のない剣先。躱せる位置にあった剣先。それは大きく軌道を変える。そして真っ直ぐ宗志の心臓へと伸びる。
肉が裂ける音。瀬快の笑い声。
「ぐ……くっ、……う、あ……」
「勝負あったね。本当は心臓狙ったんだけど。どうだった? 痛みで我を忘れて馬鹿みたいに隙を作る雑魚の演技」
瀬快は宗志の体を貫いている刀をゆっくりと引き抜いた。崩れそうになる宗志の体。だが膝を折ることはない。血を地面に吐きながらも、獣の目で瀬快を睨みつけている。
そして傷口を押さえながら宗志は間合いをとった。すぐ瀬快は間合いを詰めてくるだろう、という宗志の予想に反して瀬快はその場に留まったままである。勝利を確信したことが彼をそうさせたのだろう、と宗志は解釈した。
「でも君強いよね。身を捻って急所からずらすなんて。褒めてあげる。冥土の土産として持っててよ」
「悪りぃが、今の俺は……死んじゃならねぇ……理由があん……だよ。だから……その土産、とやらは……受け取れねぇ……な」
「ふうん。ま、聞かないでおくけど。でもこの状況をひっくり返すこと出来ると思ってるの?」
このままでは勝機がない事は宗志にも分っていた。口から溢れる血を掌で拭い、苦々しく舌を打った。神経を尖らせ何かこの状況を逆転させる一手を探す。
ふとある事に気がついた。瀬快の呼吸だ。微かではあるが乱れている。まだ二人が殺り合ってからそれほど時間は経っていない。
(修羅場慣れしてねぇのか……?)
いや、それは考えにくい。殺し合いの最中に隙をわざと作るなど、相当な修羅場慣れをしてない限り出来る訳が無い。もし修羅場慣れしてないならば、精神をすり減らして過剰に体力を消費していると説明がつくのだが。
ではただ単に体力がないのか。それも考えにくいと宗志は自己完結をする。このぐらいの戦闘時間ならばそこらの純人間でも息が乱れることはない。まして妖怪の血が流れていればなおさらである。宗志が殴りつけたのは腹であり、内臓一つ潰した手応えはあったものの、呼吸器官に深手を負わせてはいない。
ということは考えられる可能性は、あと一つ。宗志は内心ほくそ笑んだ。
(だが、あいつが俺にどれだけ執着しているか測らなきゃならねぇな)
試してみる価値はある。宗志はこれに賭けた。
「なぁ、座敷童子。もし俺が見逃して欲しいって言ったら……お前はどうする?」
「君とあろうものが命乞いか。天下の極悪人もたいした事ないんだね。でも残念。君を見逃す気はないよ。君の首を欲しがってる奴たくさんいるでしょ? 君の首は金になるからね。これからやる事の資金にもしたいし。悪いけど、首は貰ってくよ」
「そうか……そりゃ残念だな」
宗志は真っ直ぐ瀬快を見据える。そして瀬快に向かって地面を蹴った。
「真正面からとか馬鹿じゃないの? いいよ、もう終わりにしてあげる」
宗志は瀬快の間空いに入る。その瞬間を狙い瀬快は水平に刀を振りきった。
「な……!?」
宗志が消えた。背後をとられた、と慌てて瀬快は振り返る。そこには自分に背を向けて人間離れした速さで走り去る宗志の背中が見えた。そこで瀬快は、宗志が消えたのではなく自分の上を飛び越えた事、そして逃げ出したと理解した。
「逃がすものか……!」
瀬快は刀を鞘に戻すと同時に、こちらも人間離れした速さで宗志の黒い背中を追った。
一方宗志は瀬快が自分を追っているか確認しながら走っていた。ある程度の距離を保ちながら人気のない通りを抜け、木々の生い茂る森に入る。
木が入り組んでいる細い道を不規則にじぐざぐと走り抜ける。むわっとする湿気と、自分から流れでる血の臭いが宗志の鼻を支配する。その不快さに眉を顰め、瀬快が後ろから投げつけてくる、クナイを器用に躱していく。
宗志の後ろから瀬快の苛立ちを含んだ声が聞こえる。
「……っ、逃げないで……勝負しなよ、卑怯……者!」
宗志はにやりと口元を吊り上げた。理由がどうであれ、自分の読みはあながち外れていないようだ。
宗志は足を止めず鬱蒼とした森を駆け抜けた。
「もう……逃げるのを……やめたん……だね」
宗志は森の中にある木の生えていない開けた場所に着くと足を止め、振り返り瀬快と向き合った。
瀬快は肩で息をしながらも、殺気の含んだ赤い目で宗志を睨みつけている。
「随分とお疲れじゃねぇか、座敷童子」
「……だからなに?……別に支障なんて……ないんだから」
「そりゃ良かったじゃねぇか。……それが本当ならな」
「なにが言いたい……のさ?」
宗志は答えようとしない。瀬快は苛立たしげに頭をぐしゃぐしゃと掻いた。
「……相手の力を規制する、そんな都合の良い胡散臭せぇ術、代償があって当たり前っちゃ当たり前か」
「……っ!」
「どうやら図星みてぇだな」
ぎりっ、と音が聞こえてきそうなほど瀬快は歯を食いしばっている。だがすぐに余裕を持った笑顔を浮かべ始める。
「そういう君も顔色悪いよ? 血出しすぎたんじゃないの?」
それは事実だった。そして瀬快の息は整い始めている。だが、肉体の疲労は確実に積み重なっていると宗志は踏んでいた。恐らく瀬快の能力は体力を大きく消耗してしまうものなのだろう。問題は自分の体がどれだけ持つかだ。
「大丈夫だよ、君の体が血を出しすぎてぶっ倒れる前に……俺が君の首を、取ってあげるからさああああ!」
瀬快が真正面から間合いを瞬時に無にする。確実に急所を狙う剣先。宗志は寸前で躱す。
そして瀬快の上を軽々と飛び越える。背後をとられた瀬快。彼の目付けが離れた刹那。
宗志は容赦なく蹴り飛ばす。瀬快の体は大木に叩きつけられる。大木が衝撃で抉られたようにへこむ。
「くそおおお!」
瀬快は大木を蹴って勢いをつける。そして宗志に飛びかかった。
間髪入れずに繰り出される斬撃。それを宗志は柳の様に躱す。瀬快の顔に浮かぶ疲労の色。刀裁きが荒くなったその時。
「くっ……!」
「……捕まえた」
揶揄う様な宗志の声音。宗志に捕まれて静止する瀬快の腕。赤い目に宿る刺し殺す様な眼光。
その瞬間。瀬快は宗志の胸の傷に左手を突き刺した。抉る様に深く。
「ぐ……あッ……」
顔を歪める宗志。だが瀬快の腕を掴む手は緩めはしない。そして瀬快の腹に拳を撃ち込んだ。
木よりも高く真上に弾け飛ぶ瀬快の体。
「……くそっ」
なんとか空中で体勢を整える。そして懐に手を入れ、クナイを握る。地上にいる宗志に投げつける……が。
「嘘……でしょ……?」
宗志の姿が一瞬で消えた。瀬快はひやりと冷たいものを感じる。
背中が殺気で焼かれているかの様に熱い。彼は空中で恐る恐る振り返る。そこには口元を吊り上げた黒い人影。
「……お前の負けだ、座敷童子」
その声と同時に撃ち込まれる拳。激烈な速さで地面に向かって落ちていく瀬快の体。そして乾いた地面にその勢いのまま叩きつけられる。抉れた様にへこむ地面がどれほどの勢いであったか物語っていた。
「もうダメ……動けそうにないや……」
瀬快の目前には嫌味なほどに青い空が広がっている。視界の隅には無表情で見下ろす宗志の姿。しかし瀬快の体は逃げることもままならなかった。その原因は全身を強打した事よりはむしろ、全ての体力を使い果たしてしまったことにある。
「……おい、死ぬ前にこの制約とやらを外せ」
「悪いけど……もう、その制約を、外す力も……残ってないん、だ」
「……ふざけんじゃねぇよ」
「安心し、てよ。俺の命、が尽きれば……自然と、その、規制も消える……から。その胸にある、痣もね」
ハハっ、と瀬快は力なく笑いかける。それを宗志は無言で見下ろす。
「ねぇ……、最後に教え……て? 君が殺し、た奴の中で、俺は……何番目に、強……かった?」
「いちいち殺った奴のことなんざ覚えてねぇよ」
「そうか、そうだよ……ね。それでこそ、天下の極悪人……天狗の宗志、だ」
瀬快のぼんやりとした瞳で宗志をじっと見つめ、再び力なく笑う。
「早く、殺り、なよ」
「言われなくてもそうする」
「そっか、そうだ、よね」
「……冥土の土産とやらは受け取れねぇが、辞世の句ぐれぇなら受け取ってやってもいいぜ」
「別にいいや。俺、そういうの、興味ない……し」
そうか、と宗志は小さく答える。そしてゆっくりと拳に力を込め、静かに振り上げた。瀬快はその拳をぼんやりと見つめる。
この男は人を殺す時に顔色一つ変えないのだな、と人事の様に頭の片隅で思った。
この世に未練はない。ただ一つ思い残す事があるとすれば……いや、思い残りなんて、安い言葉で片付けられるものではない。
あの日、己に立てた血の誓い。
「……ごめん……ね……晴……」
――俺、約束、守れなかった。