【第十二話】真っ赤な青
「……だりぃ」
「しかたないよ」
「そもそも、館の正門から入ってくる訳ねぇだろ。そんなの馬鹿か、相当な自惚れた野郎だけだ」
二人は柚月と暫くたわいのない話をした後、大蓮に正門の警護をしていて欲しいと頼まれたのだった。確かに宗志の言う通りで、これだけ人通りの多い賑わった通りに面している正門からわざわざ人を攫おうとする等、無に等しく白臣も感じてはいたのだが。
それから二人は流れる様に動く人の波を無言で眺めていた。
「……ハク、館に先に戻ってるか」
「大丈夫。……慣れてるから」
白臣は小さく笑ってみせた。宗志がそう言った訳は、道行く人々の彼女に注ぐ視線にあった。彼女の容姿は何処に行っても目立つ。普通ではない髪色と瞳の色をした彼女に嫌悪を含んだ視線を向ける人も珍しくなかった。志津国ではそれほどまでその様な視線を向けられはしなかったのだが、此処の地域の人達は普通ではない容姿を忌み嫌うようだ。聞こえる様な声の大きさで悪口を言う人さえいる。
白臣自身、偏見を持たれる事には致し方ないと、今となっては悔しさや悲しさよりも諦めの気持ちが勝っていた。
「……くだらねぇ」
宗志は苛立ちを込めてそう呟いた。白臣はそれが自分に向けられた言葉ではない事は分かったが、誰に向けられたものかは分からなかった。もしかしたら特定の人物に向けられたものではなく、もっと大きなものに向けられた言葉かもしれない、と彼女はなんとなくそう思ったのだった。
そんな時、宗志の肩にぽん、と軽く手が置かれた。
「すみません、八百屋がどこにあるか知ってますか……なんちゃって」
「あ?」
宗志は横目でぎろり、とその手の主を睨みつける。背丈は宗志と同じぐらいのようだ。編み笠を深く被っており顔はよく見えない。ただ、編み笠から強く波打った空よりも濃い青の髪がはみ出ている。宗志が殺気を込めた眼光で刺すと、青い髪の男は足の動きも見せずに一瞬で宗志から間合いを取った。
青い髪の男は愉快そうに笑い声を上げ、宗志と白臣の顔をゆっくり交互に眺めている。その瞳は真っ赤だ。
「やあ、はじめまして」
「一応訊いておくが、お前は普通の人間か?」
「まさか! 俺は瀬快。座敷童子と人間の混血さ」
「ご丁寧に妖怪名まで自己紹介しやがるとは、馬鹿か相当な自惚れ屋だな」
「だって自己紹介するのが礼儀でしょ? ね、天狗の宗志くん」
「……俺のことを知ってるなら話は早い。斬り刻まれたくなけりゃ、座敷童子は座敷童子らしく部屋の隅で縮こまってろ」
「失礼しちゃうなぁ。座敷童子ってたぶん神に最も近い妖怪なんだよ」
だからどうした、とでも言いたげに宗志は瀬快を睨みつけた。普通の人物なら後ずさりをしてしまう程の宗志の殺気をものとせず、瀬快はへらへらと笑っている。
「それに、君との決着は俺が君に触れた時点でもうついてるし」
「あ?」
「俺は君に制約をかける」
相変わらず相手を馬鹿にした様な笑顔を貼り付けたまま、瀬快は人差し指を立てた。
「壱、君は空を飛べない。弐、君は炎を扱えない。そして参、君は刀等の武器を使えない」
「……ふざけたこと抜かしてんじゃねぇ」
宗志が刀に手を掛けたその時だった。
「……っ、……くっ……」
「宗志! どうしたんだ、宗志!」
宗志は苦しそうに顔を歪め膝を折ってしまう。白臣も合わせる様に屈んで、彼の顔を心配そうに覗きこんだ。
宗志は肩で息をして胸元を押さえ、苦痛に耐えるかの様に歯を食いしばっている。その額には玉の汗を流していた。
大人数の敵を前にしても、矢が何本も刺さっても、ここまで余裕の無い顔を宗志はしなかった。白臣は心配そうに彼を見つめ、へらへらと笑っている瀬快を睨み上げた。
「そんな怖い顔して見ないでよ。君にそんな顔は似合わないよ?」
「茶化すな! お前、宗志に何をした!」
「あー、怖い怖い。何ってその天狗くんが最後まで人の話を聞かないで抜刀しようとしたのがいけないんでしょ? 俺は親切にも制約を破るとどうなるか教えてあげようとしてたのに。手が早いのは困るね」
瀬快は大袈裟に溜め息をついた後、宗志を見下ろす。その瞳には嘲りの色が見てとれた。宗志は瀬快を睨み上げるが、息は今もまだ荒いままだ。
「君は制約を破る度に、炎で赤くなるまで熱した鉄の杭で胸を貫かれる痛みを味わう事になる。ま、俺は経験したことないからよく分かんないけどね」
「なら宗志じゃなく僕が相手になる!」
白臣は刀に手を掛け、何時でも刀を抜ける状態をとる。瀬快は真っ赤な目を見開いてから声高く笑い声を上げ、そして愉快そうに目を細めて彼女を見つめた。
「やめときなって。俺、強いよ? この天狗くんよりは弱いだろうけどね。本当はさ、この制約って相手の能力が分からないと使えないんだ。まさか天狗の宗志と殺り合うとは思わなかったけど、ある意味有名人で良かったかも。俺的にはね。制約かけた時点で天狗くんには勝ったも同然だし」
「だから僕が相手になると言っている!」
「強情だね、君。命は大事にしたほうがいいんじゃない?」
白臣が今にも抜刀して斬りかかろうとした時。宗志が搾り出す様な低い声で彼女を制した。彼女は不服そうな顔をする。
「……どうして?」
「いいから……少し落ち着け」
白臣はまだ納得してはいないようだったが渋々刀から手を話した。だが鋭い視線は瀬快に向けたままだ。
「あともう一つ良いこと教えてあげる。この制約はね、ただ苦しみを与えるだけじゃないんだ。普通の人間は一回でも制約を破った時点で心臓が潰れ、血を吐いて死ぬ。良かったね、君は純人間じゃなくて」
けらけらと瀬快は笑う。その笑顔は子供の様に無邪気で、それが逆に白臣をぞっとさせた。彼は頬を掻いて再び口を開く。
「ちなみに君みたいな妖怪の血が流れた人間はだいたい3回制約を破った時点でみんな死んだっけな。血を吐いてさ。でもさすが悪名高い〝天狗の宗志〟だね。いくら妖怪の血が流れた奴だって、制約を破った時は絶叫上げて七転八倒するものなのに」
まあせいぜい気をつけなよ、と言葉を残し瀬快は二人に背を向けた。
「待て! 君はどこへ行くつもりだ?」
「そんな事まで言わなきゃいけないの? 俺は八百屋にちょっと用があってね。欲しいものがあるんだ、今の時期にあるかわかんないけど」
瀬快は振り返って嫌味な程の笑顔を二人に向けた。そしてその笑顔には似合わない程の低く鋭い声で呟くように告げる。
「ちなみに俺がここに攫いに来るのは明日の早朝。君達はどうせ金積まれて雇われてるんでしょ? 悪いことは言わないから諦めて逃げた方がいいよ? 命が惜しければね」
そう言って瀬快は二人に手を振り、人混みの中に流れる様に消えていった。白臣は悔しそうな表情で先程まで瀬快がいた場所を睨みつけていたが、はっと気づいた様に宗志に声を掛けた。
「宗志、大丈夫……?」
「……ああ。とりあえず今のところはな」
宗志は気だるそうに立ち上がりながら自分の着流しの懐をちらっと覗いた。胸の真ん中より少し左側に赤い焼印のような痣がある。彼は苦々しく舌打ちをし、頭をくしゃくしゃと掻く。
それから白臣が宗志を半ば引っ張る形で、二人は館に戻った。そして大蓮に客間に通され、促されるまま二人は座る。大蓮の隣には大蓮の妻であり、柚月の母親が座っている。
白臣は淡々と先程の事を述べた。瀬快の容姿、能力、そして明日の早朝に柚月を攫いにくる事を。そして最後に宗志の事も。
大蓮は腕を組んで瞳を閉じて考え込んでいる様子で、その隣に座る大蓮の妻は明らかに心穏やかではない表情をしている。彼女は苦々しい顔で声を荒らげた。
「刀さえ扱えないで柚月を守りきれるんですか……! 何でそんな迂闊な事をしたのよ!?」
「こら、みっともないから止めなさい」
隣にいる大蓮が宥めるものの彼女の怒りは収まりそうにはない。
白臣の隣に座っていた宗志はそんな彼女を目にしても表情一つ変えずに立ち上がった。
「ハク、行くぞ」
「え、あ、うん」
「ちょっとお待ちなさいよ! まさか逃げるつもりじゃないでしょうね?」
その言葉で今まで怒りを顕にする彼女を相手にしなかった宗志の手が襖に手をかけた状態で止まった。
「逃げる? あんた、俺は確かに刀さえ使えやしねぇが、逃げるとも勝てねぇとも言ってないぜ」
「あら、凄い自信ね。まあ、貴方は今や那智組に最も危険視されている妖怪の血が流れる人間の中の一人だと聞いているわ。さぞ多くの修羅場をくぐってきたのでしょう。ま、天狗にならないことね。あら、私としたことが、貴方はもともと天狗でしたわ」
嫌味な口調で彼女は早口でそう言うと、高らかに笑い出した。宗志は舌打ちをして客間を出る。白臣もその後に続く。
二人は柚月のいる隠し部屋に続く隠し扉がある部屋に向かった。その部屋に着くと隠し扉を開け、暗闇の中を感覚を頼りに進んだ。
「宗志、あの、ごめん」
「……何でお前が謝んだよ?」
「だって僕がこの話を受けようなんか言ったから……こんなことになってしまった」
「あのなぁ、別に俺がこの話を受けたのは、あの女のためでもお前のためでもねぇよ。生憎、俺はそこまでできた人間じゃないんでね。俺はやりたいようにやりたい事を好き勝手やってるだけだ」
だからお前も好き勝手やれ、そう最後に付け加えると宗志は暗闇の中で止めて滑りの悪い戸を開けた。
それから長い時間が経った。瀬快は早朝に来るとは言っていたが、彼が嘘を言っていない保証がないため二人は寝ずに待機することになったのだ。早朝に来ると言っておいて油断させ、夜襲をかけてくる可能性だってある。その時は久野家の家の者が呼びに来ることになっているが、今のところその様なことにはなっていないらしい。
「もうそろそろ夜が明けるな」
「宗志、やっぱり……」
白臣が言いかけた時、戸を軽く叩く乾いた音が室内に響いた。その音に反応するかの様に灯明皿の炎がゆらゆらと揺れる。
「もうじきに夜が明けます」
戸の向こうからそう告げられる。宗志は気だるそうに立ち上がり戸に手をかけたが、白臣は思わず部屋を出ていこうとする彼の袖を掴んでいた。
「……なんだ?」
「宗志、やっぱり僕が行く」
白臣は宗志の目をしっかりと見つめ凛とした声ではっきりと言う。宗志はそんな彼女の目を十分に見つめた後、ふっと口元を緩めて彼女の赤い髪を荒々しく撫でた。
「安心しろ、お前の復讐が終わるまでは死なないでやる」
「そういう問題じゃなくて……!」
「いいか、よく聞け。俺はあんな奴に殺られやしねぇし、あいつをこの場所に近づけやしねぇから。だからお前はごちゃごちゃ考えないで女の話相手にでもなってやれ」
「宗志……」
気をつけて、という言葉を白臣は飲み込んだ。そんな安い言葉、言うことが出来なかったのである。宗志はもう一度彼女の頭をくしゃくしゃと撫でた後、部屋を出て行った。彼女は宗志が出て再び閉じられた戸を暫くの間見つめていたのだった。