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血煙旅記  作者: 黒洋恵生
仙丹編
11/69

【第十話】下がる光




「貴様! それはどういう意味だ?」


 荒々しい表情で詰め寄る大名とは対照的に店主の表情は穏やかである。店主の瞳は強い意志を感じさせるものだった。


「どういう意味と言われましても、そのままの意味でございます」

「く、薬屋風情が、この俺を騙したのか!」

「私は腐っても薬屋です。人様に毒を売りつけるような事は出来ません」

「……おのれ!」


 大名は物凄い剣幕で店主に馬乗りになり店主の首を締め始めた。店主の口からは呻き声が漏れている。

 その瞬間、時雨が何の迷いもなく大名を後ろから一突きする。店主の首を締める大名の手から力が抜け、大名はそのまま息絶えてしまった。店主は酸素を求め、ぜえぜえと肩で息をしている。時雨は散らばっている白い巾着の一つを手に取り、店主の息が整ったのを見計らって訊ねた。


「貴方は何故この様な事をしたのだ?」

「……三年前に私の家内が亡くなりました。私は娘に母親がいないのが、不憫(ふびん)でならなかったのです」


 掠れる程の小さなこえで店主がぽつりぽつりと語りはじめる。

 店主は三人で暮らしていた頃の幸せを取り戻したいと切に願い、妻を生き返らせる(すべ)を探していた。そんな時、店主は海の向こうの大国〝明〟で死者の蘇生(そせい)に成功した、という噂を聞いたのである。

 明へ行くには莫大な金が必要だ。それになにより、妻の遺体を腐らない様にする必要があった。

 そんな矢先、志津国を治めるあの大名が俎豆屋を訪れ、ある計画を持ち出して来たのだ。その計画というのが、毒を寿命を伸ばす薬と偽って売ることだった。そして大名は、心が清らかな者しか効かない、健康な者が飲むと死ぬ、とすればもし薬を飲んだ者が死んだとしても不審に思われないだろうと続け、その薬を売れば全国から客が集まり売り上げも上がるだろう、とも続けた。

 大名は、病人が働くこともできず、年貢も納める事も出来ないのに、穀物を食べ当然のように生きているというのがどうも気に食わなく思っており、どうにかして病人を始末したいと思っていたのだ。また一人暮らしの老人も始末して、その者の土地を自分の物にすることも考えていたのである。

 大名は更に、毒を薬と偽って売れば遺体を富士山の氷で保存してやってもいい、とまで言い出した。

 その話を魔が差した店主は一度は引き受けたものの売る寸前になって躊躇い、結局毒を売るのを止めてしまった。しかし、売らないと親子共々牢獄行きにすると大名に脅され、店主は苦肉の策としてただの薬草を〝寿命を伸ばす薬〟として無償で配っていたのだ。


「しかし、人々の希望を踏みにじり、騙していたのには変わりません。裁きを受けて、死ぬ覚悟はできております」


 頭を地につけ深々と頭を下げる店主に時雨は近づいて、しゃがみこんだ。


「顔をお上げください」


 おそるおそる顔を上げる店主に、時雨は安心させる様に笑いかけた。


「貴方は普通の薬屋で、何処にでもいる優しい父親ではないか。裁きを受ける理由など何処にもなかろう」

「……でも――」

「良いのだ。貴方は悪くない。それでいいではないか。貴方は人々を(あや)めたわけでもなく、人々から金を騙し取ったわけでもないのだから」

「……本当に良いのですか?」

「ああ」

「……あ、ありがとうございます……!本当に、ありがとうございます……」


 何度も何度も頭を下げる店主。時雨は満足そうに頷いてから立ち上がった。

 宗志は手にかかった返り血を手ぬぐいで拭いながら口を開く。


「普通の人間は永遠に変わらない物を欲しがるそうだ。俺にはまったく理解できねぇが。あんたが死んだ妻とやらを蘇らせようとするのはあんたの勝手だし、俺にどうこう言う筋合いはない。だが、それをあんたが娘のためにやってるとしたら、それは少しズレてると思うぜ」

「それは……どういう意味ですか?」

「あんたの娘は寂しがってたよ。あんたが母親を生き返らせる事に頭がいっぱいで、自分と遊んでくれない、ってな」

「そんなことを言ってたのですか……」


 白臣は店主の元にそっと近づき、目線を合わせるようにしゃがみこむ。


「鈴蘭の花言葉には〝純粋〟以外にもあるんです」

「それとは……?」

「それは〝幸福の再来〟。いろいろ辛いことがあったとは思いますが、少しだけ、ほんの少しだけでも前を向けたら、亡くなった奥さんも喜んでくれるのではないでしょうか。貴方達の幸せは再び訪れるはずです」

「……ありがとうございます。私が娘のためと思ってしようとしてきた事は、結局は全て自分のためだった。娘は前を向いていこうとしていたのに。私が後ろばかり向いていたんですね。本当にしょうもない父親です。……でもこれからは、娘と二人で前を向いて生きていきたいと思います。それが、娘の意志、そして亡くなった家内の意志だと、今やっと気づくことができました」


 そう言って微笑んだ店主の顔は()き物が落ちた様な晴れ晴れとした顔だった。

 白臣もほっと顔を(ほころ)ばせた時、遠くの空にきらきらと光を放つものが見えた。どんどんこちらに近づいてくる。それは城から帰ってきた鳥野だ。


「どうやらあっちも無事に終わったようだ」


 鳥野は神秘的に月の光を反射する華奢(きゃしゃ)な羽を羽ばたかせ、時雨の元へと降り立った。


(かしら)、城の者は皆眠らせておきました」

「うむ、よくやった」

「あの眠らせたってどうやってですか?」


 思わず白臣が口を挟むと鳥野は、自分の羽を指さして丁寧に受け答える。


「私は蝶化人(ちょうけじん)という妖怪と人間の混血なの。この羽の鱗粉(りんぷん)には人を眠らせる効果があるのよ」


 まだ完全に使いこなせてはいないのだけどね、と鳥野は微笑んで続けた。


「え、妖怪の血が流れていても、能力を使いこなせないなんてあるんですか?」

「ああ、そうだよ白臣殿。俺や宗志の様にほとんど完璧に使いこなせている者もいれば、翼が生えたり尾が生えたりなどの形態変化で精一杯の奴もいるのだ。まあ、俺の力は戦闘向きではないのだがな」

「そうなんですか」

「そうだとも。まだ鳥野は十分に使いこなせているほうだ」


 なるほど、と白臣が相槌を打つ。

 時雨は首筋を撫でた後、店主に目を向けた。


「あの直輝殿。頼みがあるのだが、対妖怪用の解毒剤等は店にあるだろうか? 実は白臣殿の体が毒で犯されているのだ」

「ええ。物によりますが、すぐお渡しできると思いますよ。で、症状とかはどのようなものがございましたでしょうか?」


 店主の問に時雨の代わりに宗志が答えた。


「傷口から毒が入ったと思うんだが、その傷口の周りにミミズが這ったみてぇな青黒い痣があった」

「そうですかそうですか。恐らく化け物蜘蛛の毒でしょう。あれには〝いかりそう〟の粉末と〝ちまな〟と〝うど〟を干した物がよく効くのです」

「直輝殿、その薬の値段は……」

「貴方がたからお金などいただけません。ぜひ持って行って下さい」

「本当に良いのですか? 確かそう安い物ではないはずだと……」

「良いのです。お願いします。貰って下さい」

「……ではありがたくいただきます」


 そして店主は白臣に微笑みかけ、(いたわ)る様な声音で、お大事にしてくださいと続けた。白臣も〝ありがとうございます〟と頭を下げて礼を返す。

 その後、店主は遠くの山々をぼんやりと見つめ、独り言の様にぼそりと呟いた。


「でもやはり、もう俎豆屋は閉めようと思います」

「……どうしてですか?」


 白臣は昼間の女の子の言葉を思い出し、胸が締め付けられる様な感覚を覚えた。あの()は父親とあの俎豆屋で働くことを夢見ているのに、と悲しむ女の子を思い浮かべて胸が痛んだのである。


「明日、あの偽の薬を持っていかれた人々の家を回って謝ろうと思います。無償で配っていたとはいえ、人々の希望を踏みにじっていたことには変わりません。ただの薬草を寿命を伸ばす薬と偽ってたとなれば私の薬は信用を失い、誰も買いになど来なくなるでしょう。だから閉めるしかないんです」


 そう言って小さく笑う店主に白臣は()(たま)れない思いで見つめる。

 そんな時、時雨が店主の肩に軽く手を置いて、口を開いた。


「店を閉める必要などない。俺と鳥野に任せてくれぬか?」

「それはどういう事でしょうか?」

「明日の朝になれば分かるだろう。鳥野、直輝殿を家まで送ってあげなさい。その後、照妙国の依頼主のとこに先に行っててくれ」


 御意、と鳥野は一言残し、時雨の言葉が理解できていない様な顔をした店主を連れて俎豆屋に向かって歩き出した。

 それを見届けてから時雨は溜め息を一つ零し、あちらこちらに転がっている死体となった志津国の家来達を見渡した。


「これもどうにかしないとな。さすがにこのまま放っておく訳にはいくまい」

「おい、こいつらの中にまだ死んでねぇ奴らがいる」


 そう言って宗志はちらっと白臣に視線を向けた。そして事を理解した様な顔をし、白臣に確認するように訊ねる。


「お前、()ってないだろ」

「……うん」


 それが何かまずかったのだろうか、と白臣が疑問に思っていると、時雨が納得したような声音で話し出す。


「だから戦闘中に白臣殿の周りには、血飛沫(ちしぶき)が上がってなかったのだな」

「そんな悠長なこと言ってる場合じゃねぇだろ」


 宗志は気だるそうに首を回し、気を失っているだけの志津国の家来の一人に近づいていく。

 白臣は何をするのだろう、と宗志の動向をなんとなく眺めていると、宗志の行動に思わず目を見張った。彼は能面をつけて刀を抜いたかと思うと、息をしている一人の家来の首に刀を突き立てたのだ。

 能面の下の宗志の顔など白臣には分かるはずもないが、彼女には宗志の血も流れてない様な冷たい表情が見えた気がした。


「宗志、別に根絶やす必要はないだろ!」


 白臣の言葉に宗志は返事をせず、一人また一人と息が絶えていない者に無言で刀を急所に突き立てている。

 白臣が宗志を止めようと口を開こうとした時、また別の場所で肉が裂け血が噴き出す音がした。そこには転がっている家来の一人に槍を突き立てる時雨の姿があった。


「瀬崎さんまで……!」

「仕方がないのだ、白臣殿」


 時雨は返り血を腕で拭いながら伏し目がちに困ったように微笑んでみせた。


「こ奴らはな、〝目抄化(もくしょうか)〟してしまっている。目抄化というのは自我を失うことをいうのだ」

「自我を……?」

「ああ。原因は分かっていない。目抄化した者は己の身が滅びるまで周りの人間を殺し歩くのだ」


 白臣は言葉を失った。目抄化をする……ということはつまり、もうその人自身は死んでいるということなのか。


「……治せないのですか?……みんな、目抄化してしまうのですか?」

「今の時点では治せはしない。だが、皆が目抄化する訳ではないのだ。現に、南燕会で目抄化した者は一人もおらん。だがこの事は詳しいことは殆ど分かっていないのだ。今分かる事は目抄化すると自我を失う事、妖怪の血が最大限に濃くなり筋力や能力が上がる事。そして妖怪の血が流れている時点で、目抄化する可能性を誰もが持っているということだ」


 白臣は唇をきつく結んで俯いた。自分の先程の発言がどれほど愚かで軽率で偽善的であったのか悟った。


「……瀬崎さんも目抄化するかもしれないんですか……?」

「ああ」

「……鳥野さんも……?」

「ああ」

「じゃあ……宗志も……?」

「あたりめぇだろ」


 宗志が刀を振り下ろしながらぶっきらぼうに答える。その能面の奥の顔にさっきとは違う悲しい色を白臣は感じとった。

 悲愴(ひそう)面持(おもも)ちの白臣に、時雨はわざと声色を明るくして、血が付いていない方の手で白臣の肩を軽く叩いた。


「白臣殿はそんな顔する必要はない。」

「……怖くないんですか?」

「目抄化がか?」


 白臣は顔を起こし、時雨の顔をじっと見つめてから静かに頷く。

 時雨は少し押し黙ってから、月を見上げながら口を開いた。


「そりゃ怖いさ。大事な仲間や友を己の手で殺してしまうかもしれないのだからな」


 時雨がそう言うと同時に風が吹き、彼の長い髪を(なび)かせる。それは夜の闇に浮かぶ月を落とすのではないかと思わせるほどの強い風であった。


「安心しろ、時雨。お前が化け物の血に身体を乗っ取られた時には殺してやっから」


 宗志はそう言って血を払う様に空を斬る。

 宗志なら迷わず本当に殺すのだろう、と白臣は思った。それが彼にとっての優しさなのだ、とも。なにより時雨が誰よりもそれを望むはずなのだから。


「宗志、もう片付いたか」

「いや、あとそいつで最後だ」


 そう言って宗志が指をさしたのは白臣の足元で倒れている目抄化した家来だった。宗志が息の根を止めるために近づいて来る。


「待ってくれ!」


 白臣の叫びに、宗志が怪訝そうな顔をして足を止めた。彼女はゆっくりと刀を抜く。


「僕が……殺る」


 そう自分に言い聞かせる様に言って刀を握る手に力を込める。もともとは自分が殺らなくてはならなかった敵だ。ならば、自分の手で終わらせるべきじゃないか、と心の中で反復する。

 宗志は眉間の皺を深くしたかと思うと、一瞬で白臣との間合いを詰めた。

 白臣の手から刀が飛び、高く弧を描いて地面に突き刺さる。宗志に刀を払い飛ばされたのだ、と彼女が理解するのは、宗志が彼女の足元に倒れている家来の胸を貫いた後であった。


「僕が、殺るって言ったはずだ……」

「強がってんじゃねぇ。そんなに震えた手じゃ鼠一匹、斬れやしねぇよ」


 白臣が自分の両手に視線を落とした。自分の手かと疑わしく思うほど小刻みに震えている。震える右手で左手の震えを抑えようと握っても、止まりはしない。ぐっと唇を結び自分の震える両手を睨みつける。


(僕は……卑怯だ、卑怯者だ……!)


 今だに止まることを知らない両手。自分の弱さ、浅はかさ、そして(ずる)さに、行き場の無い腹立たしさで目眩がした。

 自分の手は汚さずに人の手を汚させ、自分の口から出るのは偽善的な事ばかり。そんな自分に嫌気が差した。今まで正しいと信じていたことが崩れ、この強風と共に流されてしまうような恐怖を覚えた。

 ぐったりと白臣は地面に座りこむ。死体の処理をしている宗志と時雨を虚ろに眺める事しか出来なかった。






 それから時雨はまだやることがある、と志津国に残り、宗志と白臣は先に南燕会の屋敷に戻ることになった。

 深い闇の中を月明かりだけをたよりに進んで行く。白臣は前を歩く宗志の背中を見つめる。そして(おもむ)ろに口を開いた。


「宗志」

「……ん?」

「僕は、狡い」


 白臣は宗志に言うつもりなど少しもなかったのに、一度口を開くと雪崩の様に言葉が口から流れ出る。


「僕は狡い卑怯者だ。……人を斬る覚悟が無いことを、人を斬らないことが正しい事だと思い込むことで、自分の弱さを隠してきた偽善者だ。僕はただ覚悟が無かっただけなんだよ。そのくせ宗志に自分の代わりに人を斬らせているんだ、僕は。君と出会った時だってそうだ。そしてさっきのことも。僕はそんな自分が許せない、憎い」


 白臣は一息で言い終わると、ぎゅっと拳を握った。宗志は後ろを歩く彼女にちらっと目をやる。そして口を開きかけたが、結局何も言わずに目線を前に戻した。彼女は自嘲気味に小さく笑い更に拳を強く握る。爪が食い込むほどに。


(馬鹿だと笑っているのか、卑怯だと軽蔑しているのか……それともその両方かもしれない)


 宗志の無言を白臣はそう解釈した。彼女にとって、これ程までに自分を卑しいと思ったのは生まれて初めての事だ。

 そして二人は屋敷にたどり着き、屋敷の者に風呂へと案内された。そこの棚には時雨が用意してくれた浴衣が綺麗に置いてある。先に白臣が入り、その後に宗志が入った。

 宗志が風呂に入っている間、白臣は屋敷を勝手に歩き回る訳にもいかないため、彼が上がってくるのを風呂場の外で待っていた。きちんとした風呂は久しぶりで、体はさっぱりとしたが、相変わらず心のもやが晴れる事はなかった。

 宗志が風呂場から出て来て二人はとりあえず屋敷の中央部分である正殿(せいでん)に戻ることにした。虫の鳴き声一つしない夜に渡り廊下を歩く二人の足音がやけに大きく響く。

 ぴたり、と宗志の足が止まった。不思議に思いながらも白臣も足を止める。


「いつまでそんなしけた(つら)してるつもりだ?」


 白臣はなんと答えて良いか分からず、口を(つぐ)んでいた。宗志は振り返らずにそのまま話しを続ける。


「お前が善人なのか偽善者なのか神や仏じゃあるめぇし、俺には分かりゃしねぇ。だが一つ言えることは、お前がいなけりゃ、俺は餓鬼の父親を確実に殺してた」


 そこまで言うと宗志は黙ってしまった。暫くして、宗志は白臣に背を向けたまま口を開く。


「俺は偽善でも十分だと思うぜ。偽善者だろうが〝善〟であることには変わらねぇ。俺みたいな奴は、善人どころか偽善者にさえもなれやしねぇんだ」


 いつもよりも細い闇に溶けてしまいそうな宗志の声に、白臣は何か言わなくてはと考えてはみたが、うまい言葉が見つからない。

 宗志は独り言の様に静かに続けた。


「お前の手は血を知らない綺麗な手だ。その手がどれほど尊いものかは無くして初めて分かる。だから、お前みたいなのはわざわざ汚れる必要はねぇ。汚れた事は俺みたいのに任せときゃいいんだ」


 それが俺みたいな奴が唯一(ゆいいつ)してやれる事だ、と宗志は続けて歩きだす。白臣には心なしかその背中がいつもより小さく見えた。


「宗志!」


 気づけばその背に向かって叫ぶように、前を歩く彼の名を呼んでいた。

 宗志は立ち止まって自分の後ろにいる白臣にちらっと目線を向ける。


「君は悪人なんかじゃない! 汚れてなんかいない!」


 白臣の言葉に宗志ははっとして切れ長の目を見開いた。そしてふっと口元を緩め、適当な事を言いやがって、と軽く悪態をつく。そしてくしゃっと頭を掻いた。


「ほら、さっさと行くぞ。こんなとこに長居したら冷えちまう」

「うん!」


 いつもの声音に戻った宗志に安心して、白臣は前にいる彼の背中を追いけた。

 正殿に戻ると時雨と鳥野が座布団に座って白湯を飲みながら二人が来るのを待っていた。時雨は血のついた着物を着替えたようである。彼は宗志達に座る様に目配せをして、二人が彼らと向かい合う様に座ると彼はゆっくりと口を開いた。


「宗志、お前はさっきの目抄化した者達についてどう思うか?」

「あの数は異常だろ。妖怪の血が流れる人間だってあの数を探すのには苦労するはずだ。目抄化した奴なんてもってのほかだ」

「俺も同感だ。何か怪しい匂いがする。まさに奇怪千万(きっかいせんばん)。俺は目抄化には裏があると考えている。本当はあの大名に話を聞ければ良かったのだが……」

「お前が早々と()っちまうから」

「仕方が無いだろう。もたつけば直樹殿が殺されていたのだからな」


 それで本題はここからだ、と時雨は続けて白湯をずずっと啜った。そして腕を組んで、少し間を空けて口を開いた。


「宗志、お前はまだ〝御潮斎(おしおい)の巫女〟を探しているのか?」

「……悪いか」

「いや、それはお前の自由だ。まさに自在不羈(じざいふき)

「すみません、その〝御潮斎の巫女〟とは何なのですか?」


 今まで二人のやり取りを黙って聞いていた白臣はつい口を挟んだ。

 巫女というのは神に仕える生涯未婚の女性の事を指す。彼女達は神の言葉を伝え、人々を津波や火事などから守っていたと聞く。しかし、その血肉を食すと死病が治る、などの根拠のない噂のせいで巫女狩りが各地で起こってしまった。彼女達は巫女を辞めて身を隠したり、噂を鵜呑(うの)みにした人々に殺されたりしたせいで、何十年も前に絶滅したと白臣は聞いていたのだ。


「御潮斎の巫女を説明するには、まず俺達のことを教えねばな」

「ハクちゃん、私達はなぜ妖怪の血が流れる様になったと思う?」

「……御両親のどちらかが妖怪だから、ですよね?」

「いいえ、違うの」


 鳥野はそう言って静かに首を横に振る。そして長い髪を耳にかけながら続けた。


「確かにそういう方々も、(まれ)にいるわ。でも(ほとん)どはそうじゃない」

「俺も鳥野も、そして宗志も両親は人間なのだ。普通のな」

「じゃあどうして……?」

「はっきりした事は分かって無いのだが、母体に妖怪の霊魂が憑依(ひょうい)し、その状態で子を産んでしまうと、産まれた子に妖怪の血が流れてしまうと考えられている」


 理解した、と言うように白臣は静かに頷いた。隣に座っている宗志をちらっと横目で見ると相変わらずの無表情。彼のその目はどこを見るでもなく、むしろ何も映してないかの様に見えた。


「それで〝御潮斎の巫女〟というのは、我々の様に両親が人間であるのに、妖怪の血が混じってしまった者を、普通の純血の人間にする力を持つと言い伝えられている」

「それは本当なんですか?」

「それは分からないわ。ただの作り話かもしれないし、そもそもそんな御潮斎の巫女なんていないのかもしれない」


 そんな架空の存在かもしれない巫女を探すほど宗志は普通の人間の、普通の暮らしを望んでいる事が、白臣には意外だった。


「宗志は、純血の人間になって何をしたいの?」


 思わず口を出た(とい)に、宗志は固く口を結んでいる。白臣の方を見ようともしなかった。


「時雨、それでお前は何が言いたいんだよ」

「実はな、御潮斎の巫女が見つかった訳ではないのだが……絶滅したとされる巫女が未だに存在する村があったのだ」

「それは何処にあるんだ」

振脊(ふりせ)村という村がある。此処から西の方角にあるらしい。そう離れた場所ではないはずだ。恐らく、二日ほど歩けば着くだろう。そして、白臣殿。この振脊村には、君に関係しているのではないか、と思われる事があるのだよ」


 時雨がそう言うと、鳥野はすっと立ち上がり積み重なっている書物の中から一つを抜き取り、ある一面を開いて畳の上に置いた。


「ここにはね、その振脊村についての事が書いてあるの。それでハクちゃん、貴方歳はいくつ?」

「今年で十五になります」


 何故そんな事を訊くのかと疑問を抱きながらも白臣がそう答えると、時雨と鳥野は、はっと顔を見合わせた。


「この一面にはだな、白臣殿の事ではないかと思われる記述があるのだ。俺も先程思い出したのだが。この記述は今から十四年と数ヶ月前に書かれたものだ」

「そこには〝振脊村で霜月(しもつき)の十三日に不可思議な髪色と瞳の色の赤子が生まれた〟と書いてあるのよ」

「霜月の十三日、その日は僕が生まれた日です」


 これには時雨、鳥野だけではなく宗志も驚いた様な表情を見せた。

 白臣は隣に座る宗志に軽く膝を向ける。


「宗志、僕はこの村に行きたい。父を殺した人物について何か分かるかもしれない」

「決まりだな。俺もこの村には用がある」

「そうか、そうか。ならば明日にでも地図を書いて渡そう」

「瀬崎さん、鳥野さん。お力添えありがとうございました」


 宗志は立ち上がり、気だるそうに回す。白臣も合わせて立ち上がり、ぺこりと頭を下げる。そして部屋を出ようとする二人を時雨が呼び止めた。


「宗志、寝所(ねどこ)のことなんだが。お前の専用の部屋で二人で寝てくれるか」

「ああ」

「実は布団が一組しかなくてな。別にかまわんだろ」


 からからっと笑う時雨に、宗志が(がん)を飛ばす。


「お前んとこの布団は普通の布団より小せぇだろうが。お前のよこせ」

「まったく駄々を()ねおって。お前は本当に恣意的しいてきな男だ。まさに横行跋扈(おうこうばっこ)

「駄々なんか捏ねてねぇ」


 ぎろりと睨む宗志を時雨は気にも留めず、立ち上がって白い歯を見せて笑いながら、白臣の肩を抱いた。


「じゃあ白臣殿。宗志とではなく俺の布団で共に寝ないか? 君の様な可愛くて誠実な男なら大歓迎だ。まさに紅顔可憐(こうがんかれん)。大丈夫だ、俺は宗志と違って男色ではないから手を出したりはせぬぞ」

「だから俺は男色じゃねぇって言ってんだろ!」

「照れるな宗志。愛とは大事な物だ。別に友が男を好いていようが俺は気にせぬ。まあ理解は出来ないがな。どうする白臣殿? むしろ俺の隣の方が安全だと思うぞ」 

「え、その……」

「あれならば、特別に腕枕をしてやってもいいぞ。俺の腕枕は女子(おなご)達の評判が良くてな。まさに名声赫々(めいせいかくかく)。本当は女子(おなご)達のために俺の腕枕はあるのだが、白臣殿なら大歓迎だ……っておい」


 時雨が言い終わらないうちに、宗志が白臣の腕を掴んで引っ張り、そのまま部屋を出て行った。時雨はやれやれ、と頭を掻く。


「しかし宗志が男色とは。だから特定の女子(おなご)を作らなかったのだな。って事はもしや、俺のこともそういう目で見ていたのだろうか!」

「それは無いと断言できます、(かしら)

「何故そう言いきれるのだ!?」

「ですが、宗志さんが、たわしに欲情するならば、こんな(かしら)にも欲情する事が出来るかもしれませんね」

「それって……それって……」

「はい?」

「たわしとは、俺の様に魅力的で大人の男の色気溢れる道具ってことではないか!」


 この男は自己肯定力を擬人化(ぎじんか)した様な奴だった、と鳥野は大きな溜め息を零したのだった。

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