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血煙旅記  作者: 黒洋恵生
仙丹編
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【第九話】荒々しい月





 前にいた人物は時雨と鳥野だった。彼はある甘味処を指さして、少し入らないか、と誘ってきたのだった。


「……甘いのは好みじゃねぇ」

「何言っているのだ。ひと仕事を終えた後の酒と甘味は最高だぞ。まあ、今日は俺が酒の気分じゃないから甘味処に入るが」

「じゃあ、俺先戻るわ」

「つれない奴だな、お前は。安心しろ、ここのみたらし団子は甘さ控えめで絶品だぞ。一昨日心を奪われたのだ。まさに恍然自失(こうぜんじしつ)!」


 時雨はそれでも乗り気ではない宗志から今度は白臣に視線を移し、少し屈んで顔を覗きこむ様にして訪ねた。


「白臣殿、甘味は好きか?」

「……好きです。というか大好きです」


 でも、と白臣は困った様にちらっと宗志を見上げた。


「宗志が屋敷に戻るなら僕も戻ります」

「おい、宗志聞いたか!? 白臣殿は甘味が好きで好きでたまらなく、むしろみたらし団子は俺の嫁という程なのに、お前のために諦めると言っているのだぞ! お前はなんとも思わないのか!」

「そこまで言ってないんですけど……」

「いいか白臣殿、〝大好き〟という言葉は嫁に取る者にしか言ってはならぬ。それが男というものだ!」

「はあ」


 時雨が熱弁している時、鳥野はさくさくと甘味処の玄関口まで来て振り返り三人を手招いた。


「宗志さん、ハクちゃん。(かしら)の話は長いです。金魚の記憶力がどのくらいの長さなのかを半月議論する様な男です。もう諦めてこちらに来るのが得策かと」

「違う、半月じゃない。厳密に言うと半月と四日と半刻だ」






 それから四人は甘味処に入って団子を頬張りながら、今日得た情報を小声で交換しあった。白臣は薬屋の中に入って原材料というものをおそらく全て見せてもらったが、何も毒草などはなかったと語る。宗志も俎豆屋に他に何かを隠す空間はなかったことを話した。

 さっきとは打って変わって時雨は無言で俯きぎみに考えこんでいる。宗志も甘味処の前を歩く人をぼんやりと眺め、気だるそうに首を回した。

 時雨は視線を起こして団子を美味しそうに味わって食べている白臣を見つめた。


(なんだ、白臣殿はこういう顔もできるではないか)


 それは時雨の新たな発見であった。彼は宗志の連れということで、恐らく白臣は宗志と似たような性格だろうと考えていた。それは初対面で割と落ち着いた印象だったことも影響している。

 だから時雨は白臣が団子一つでまるで無邪気な子供の様な顔をするとは思わなかったのだ。幸せそうに団子を食べている白臣を遠慮なく見ていると、彼はもっと白臣のいろんな表情が見たいと思うようになった。

 それは単なる興味なのか、それとももっと特別なものなのか……。

 すると団子からふと視線を上げた白臣は時雨の視線に気がついた。彼は取り(つくろ)う様に白臣に問いかける。


「白臣殿、団子は上手いか?」

「はい! とても美味しいです」


 そう言ってふわっと笑う白臣に時雨の心臓は不思議と騒ぎ出した。


(この感情は……! いや、違う、違くないと困る。この感情は男に対して湧いていいもんじゃない……)


 時雨は勢いよく顔を逸らす。胸を抑えて頬を染めている彼に宗志と鳥野は(あき)れを含んだ視線を注いでいたのだった。





 それから四人は甘味処を出て、時雨と鳥野は隣国の照妙国の依頼をしてきた大名に話をもう一度聞きに行き、宗志と白臣はとりあえず南燕会の屋敷に戻ることにし、屋敷目指して歩いていた。

 日は暮れて闇が深い中を月明かりを便りに道を進む。風が二人の髪を弄び、宗志はくすぐったそうに目を細める。

 白臣は本当に俎豆屋が無実で良かった、と安心しつつも、どこかすっきりしない気持ちを抱いていた。それはあの〝ぎょうじゃにんにく〟の葉が原因である。蝦夷から高い金をかけてわざわざ店に置く意味が分からなかったのだ。何かがひっかかる、そんなことを彼女は考えていた。


(曖昧な記憶だけど……ぎょうじゃにんにくというのは、主に蝦夷でも食用に用いられると教わった……はずだ。ただ、その葉が毒になることは無いと言いきれる。本当にこれで一件落着なのだろうか……?)


 一方宗志は宗志で、あの店になんらかの違和感を感じていた。ただ、それは根拠などは無く、妖怪の血が流れる者特有の野生の勘でしかなかったのだが。

 そんな時、白臣が宗志の袖を掴んで足を止める。彼は怪訝(けげん)そうな顔をして白臣が言葉を発するのを待っていた。


「……戻ろう」

「なんでだ?」


 白臣は宗志の問いに答えずに、振り返ってもと来た道を走り出した。彼は訳も分からず彼女の後を追いかける。


「おい、理由を説明しろ」

「思い出したんだ。あの花は、鈴蘭は人を殺せるんだ」

「……鈴蘭が?」


 白臣が言うにはこうだった。

 鈴蘭は耳かき一杯分で大人を殺せるほどの強い毒を持つ。白臣は昔、村で誤って鈴蘭を生けた水を飲んだ人が死んだことを思い出したのだ。

 しかも鈴蘭の葉はぎょうじゃにんにくの葉に似ている。あの店に蝦夷産のぎょうじゃにんにくの葉など無かったのだ。


「だから気持ち悪りぃほど鈴蘭があったんだな」

「うん。とりあえず店主を止めよう。……これ以上彼の手を汚さないために」


 宗志は無言で頷く。その後二人は一言も交わさずに俎豆屋まで走りきった。

 薬屋の前に着くと、宗志が荒々しく戸を叩いた。が、返事もなければ戸を開ける気配もない。


「もしかして、この薬屋とは別の場所に家でもあるのだろうか」

「いや、そこまで裕福とは思えねぇな。それにさっき入った時、押入れに布団が入ってた」


 とうとう開く気配のない戸を宗志は勢いをつけて無理矢理打ち破った。部屋の隅では女の子が小さな寝息をたてて寝ており、その隣にはもぬけの殻の布団がある。

 部屋の中の鈴蘭の壺は、昼間来た時とは打って変わって散乱していた。壺が倒れ水が溢れて畳に染み込んでいる。そして大量の鈴蘭で隠れていた裏口が、半開きで部屋に風を通してゆらゆらと揺れている。


「宗志、あそこ!」


 白臣が女の子を起こさない様に小声で叫んで指さした裏口の先には、走っている男の背中が小さく見えた。恐らくあの店主の直輝だ。

 二人は静かに裏口から走り出た。そのまま店主の後を追いかけようとする白臣の肩を、宗志が掴んで止める。


「なんなんだ、離してくれ!」

「馬鹿、今追いかけたらすぐ追いついちまうだろうが。街中で騒ぎをおこせねぇだろ」


 宗志の言う通りだと白臣も判断し、二人は見失わない程度に店主の後を追う。周りに家が無くなったころを見計らって走る速度を速め、店主に追いつき宗志は強引に彼の右肩を掴んで引き止める。

 店主は両腕で持っていたあの〝寿命を伸ばす薬〟の入った木箱を力なく落とした。木箱は倒れ中身が散乱する。店主はへなへなと崩れる様に膝を地につけた。


「逃げるってことは、後ろめたいことがあるってことだよな?」

「……はい」


 白臣は散乱している薬の入った白い巾着を一つ手に取って、店主に一句一句に重みを感じさせる声音で問いかける。


「これは鈴蘭の粉末ではありませんか?」

「……はい」

「鈴蘭が猛毒だというのは貴方ならご存知ですよね……?」

「……はい」


 店主は(こうべ)を垂れて否定をしなかった。白臣はぐっと拳を握り、きつく唇を結んだ。これ以上何を言えば、どうすれば良いのか分からなかったのである。

 知らなければ良かった。でも、知ってて知らぬふりなどはできなかった。


「なんでそんなことしたんだ?」

「……お金が、お金が欲しかったんです」

「あんた、この国の分国法(ぶんこくほう)だと毒を薬と偽って売るっていうのは死罪か?」

「……おそらく」

 

 そうか、と一つ相槌を打つと刀に手をかけた……が、宗志の左隣にいた白臣が刀を抜こうとする彼の手を押さえた。彼は鋭利な視線で白臣を刺す。


「……おい、何のまねだ?」

「君は何をするつもりだ」

「見りゃわかるだろ」

「……殺すのか」

「当たり前だろ」


 白臣は押し黙ったが、それでも宗志の手を押さえたままだった。彼としては彼女の押さえなど振り払うのはいとも容易いことだったが、あえて力づくで刀を抜くことはしない。しばらくの重苦しい沈黙の後、彼女は(せき)を切ったように言葉を(つむ)ぎだす。


「この人はあの子の父親なんだ。この人がいなくなったらこの人の娘はどうなる? あの子は将来、父親と一緒に薬屋やるって……」

「それが?」


 白臣は宗志の余りにも心無い一言に驚きのあまり目を見開いて絶句(ぜっく)した。ふるふると細かく唇が震えるが、言葉が一つも口から滑り出てこない。

 宗志はそんな白臣を刺すような視線で見下ろした。いっこうに譲る気のない彼女の襟を左手で荒々しく掴み、いつもより低く、冷たい静かな声で怒鳴りつける。


「お前は何も分かっちゃいねぇ。どうせこいつは悪事を隠し通せねぇで、国の役人に捕まるのが落ちだ。そしたら下手すりゃ(さら)し首になっちまう。それが何を意味するか分かるか?」


 宗志はふっと白臣の襟から手を放した。彼女は彼から視線を落として目を伏せる。

 もし、この店主が罪人として捕まればあの子は罪人の娘ということになる。罪人の娘となれば、養子にとってくれる人も無く、働かせてもらうことさえ出来ず、最悪の場合国から追い出される。自分の身を守る術を持たない者が放浪して生きていける世の中ではない、つまり……そうなればあの女の子を待っているのは〝死〟だ。

 宗志の言っている事はもっともだ、と白臣は分かっていたのだが、それでも彼の手を押さえたまま動けずにいた。本当にこんな選択肢しかないのだろうか。


「もし、あの子が自分の父親を殺したのが君だと知ったら……」

「俺を恨んで殺しにくるか、殺し屋を雇うだろうな」


 実の親を恨むよりはましじゃねえか、と宗志は小さく吐き捨てた。白臣は力なく彼を押さえていた手をどかす。


「見たくなきゃ、目でも瞑ってろ」


 さっきよりは鋭さが丸くなった声で宗志は呟く様に言うと、刀を鞘から抜き懐から能面をとりだし顔に当てた。

 白臣は目を瞑ることなく、唇をきつく結んで目を逸らさず店主をじっと耐える様に見つめていた。その時だった。


「そいつを殺されたら困るんだよなぁ。悪いが……死んでくれるか?」


 どこからかそんな声がしたかと思うと、ざっと人が現れ三人を囲んだ。宗志は目をぎらつかせ、白臣は刀に手をかけた。

 すると三人を囲んでいる人々の中から偉そうにふんぞり返った男が前に出てきた。


「お、お殿様……!」

「殿様?」


 店主に殿様と呼ばれた男は(あご)を触りながら宗志と白臣の顔をまじまじと交互に見て、宗志を指さして傍にいる家来に尋ねた。


「この男、何処かで見たことないか?」

「恐らくお尋ね者の人と天狗の混血児だと思われます。手配書に似顔絵が載っておりました」


 殿様の少し後ろにいた家来が丁寧にそう答えた。ほう、と相槌(あいづち)を打ち、彼は顎を触り続けて、不躾(ぶしつけ)な視線を二人に容赦なくぶつけている。三人を囲む家来達はじりじりと近づいてきて、輪が少しづつ小さくなっていく。

 宗志も白臣も志津国を治める大名と思われる男を睨みつけていた。彼女の手に汗が滲む。宗志は周りをちらっと見渡すと、三人を囲んでいる家来の目は、赤や青、金色に光っている。よくよく見ると角が生えている者もいれば、尾が生えているもの、腕が六本生えている者もいるようだ。


(こりゃ、面倒なことになった。俺と同じ人と妖怪の混血児か)


 宗志は隣にいる白臣の顔を横目でちらっと見る。彼女の顔に恐れの色は無い。


「おい、ハク。こいつらはお前の手には負えねぇだろ。退路は作ってやっから逃げろ」

「それはできない。僕だってたまには身体を動かさないと腕が鈍ってしまう」


 そう言うと白臣は刀をすっと抜いた。月明かりに照らされて刃が銀色の光を放っている。


「お前、死んでも知らねぇぞ」

「……その時はその時だ」


 宗志は白臣の翡翠色の瞳に覚悟の色を読み取った。ククッと喉を鳴らすような笑い声を上げ、刀の先を前に向け構える。


「お前は見た目と違って我が強いよな」

「……それは褒め言葉として受け取っておく」


 そう言っている間にも、周りにいる家来の輪は小さくなって行く。大名と店主は輪の外にいるようで輪の中には二人しかいない。二人は背中を合わせ、今にも飛びかかってきそうな敵に刀を向け、神経をこれ以上に無いぐらい(とが)らせた。


「死ぬんじゃねぇぞ」

「当然だ……!」


 白臣がそう言うと同時に二人は地面を蹴った。月夜にこだまする金属と金属がぶつかる音。

 白臣は腕に渾身(こんしん)の力を込めて刀を振り下ろす。敵は呻き声と共に倒れていく。斬りかかってくる敵の攻撃をひらりひらりと柳の様に躱していく。そして確実に急所に蹴りを入れる。

 宗志は目の前の敵を斬り殺す。両側から斬りかかってくる敵を炎で一瞬で炭にする。後ろから斬りかかってきた相手の刀を躱して胸を貫く。すばやく引き抜いて、真上から落ちる様に斬りかかってきた敵の斬撃を受け止める。そして一瞬片手を柄から放す。そして素手で敵の目を潰す。痛みで(ひる)んだとこを狙い斬り倒した。


(斬っても斬っても減りゃしねぇ……!)


 前の敵を切り倒しながら宗志は横目で白臣を見る。今のところ怪我一つしてないようである。しかし、妖怪の血が流れる人間の斬撃は重いのか体力を消耗しているようだ。

 早めに片付けるべきなのは分かるが、何より人数が多過ぎる。そんな時だった。

 視界の隅にいた白臣がふわっと浮いた。宗志が敵を斬りながらそちらに顔を向けると、翼の生えた家来の一人が白臣を掴んで物凄い勢いで上昇している。

 まずい、と宗志も翼を生やして追いかけようとした……が。遠い所から大名の叫び声が聞こえる。


「天狗を追わせるな! 一気にかかれ!」


 何十人が矢継(やつ)(ばや)に斬りかかってきて、飛び立つ隙がない。

 翼が生えた男は白臣を上空に連れていったかと思うと勢いをつけ地上に投げ飛ばした。


「ハク――――…ッ!」


 全て一瞬の出来事であった。白臣は凄まじい速度で落ちていき、林の中に消えていった。

 あの高さでは、生きている可能性は無に等しい。落ちる白臣の姿が宗志の網膜(もうまく)に焼き付くようだった。彼は剣先を地に向け、地面を睨みつける。

 癇に障る大名の不快な笑い声が夜空に響く。


「どうした天狗よ。あの赤毛の化け物がそんなに大切だったのか?」

「……つ……な……ねぇ……」

「ん? 聞こえんぞ。もっと腹から声を出したまえ」


 にやにやと笑う大名に宗志はじっとりと視線を向けた。大名と宗志の距離はかなりあるというのに、まるで鼻先に宗志がいるような殺気に大名は後ずさった。


「あいつは、化け物なんかじゃ、ねえええ!」


 宗志がそう叫んだのと同時に周りにいた家来が炎に包まれ、瞬く間に灰となり夜風に飛ばされた。一歩一歩大名にゆっくりと近づいていく。大名はさらに後ずさり、声を裏返して悲鳴の様な声で命令する。


「お前ら、なにやってるっ! 早く奴を片付けろ!」


 宗志を斬り殺そうと敵が束になって襲いかかる。宗志の刀の先は地に向いたままだ。

 ザザァと宗志の上に血の雨が降る。それに少し遅れて宗志の周りにごろっと首がいくつか転がった。彼の刀は紅く彩られている。目にも留まらぬ刀(さば)きだ。

 その時、宗志の肩に手が置かれた。だが宗志は振り返ろうとはしない。


「宗志、落ち着け」

「時雨……か。邪魔するな」

「むしろ助太刀しにきたのだが」


 宗志はそれでも振り返ろうとはしない。時雨は先程よりも力を込めて宗志の肩を掴む。


「時雨、今の俺は虫の居場所が悪いんだ」

「見れば分かる。まさに……灼然炳乎(しゃくぜんへいこ)

「邪魔すんじゃねぇって言ってんだろ」

「だから落ち着けと言っている!」

「どうやって落ち着けっていうんだよ……!」


 宗志が怒鳴りながら時雨の方を向くと、時雨の後ろには蝶の様な羽を生やした鳥野とそして……。


「……ハク?」

「宗志! ヘマをしてすまない」


 白臣が言うには、落ちたところを鳥野が受け止めてくれたらしい。宗志はその姿に安堵(あんど)の溜め息をし、決まり悪そうに頭を掻いた。


「つか、なんで戦場のど真ん中にこいつを連れてきたんだよ?」

「いやー、大勢の方がいいかなーって」


 ただでさえ相手は多いんだからな、と時雨は続ける。そして自分の身長より長い槍を構えた。


「鳥野! お前は城に居る者を片付けろ!」

「ここは良いのですか? こちらを終えてからでも……」

「増援でも呼ばれたら面倒だ。行け!」

「御意」


 鳥野は月の光できらきらと輝く羽を羽ばたかせ空に舞い上がった。翼の生えた敵数人が鳥野を追おうと飛び立つが、すかさず時雨がクナイを投げつけ、敵は呻き声を漏らし力なく落ちてきた。


「この者たちはどうやら目抄化(もくしょうか)しているようだな。哀れなものだ。まさに判官贔屓(ほうがんびいき)

「ああ、そうみてぇだな」


 白臣は二人の言う〝目抄化〟とは何か分からなかったのだが、今はそんな事を言っている場合ではない。まだ敵の数は多く残っているのだ。それに二人の足を引っ張るわけにはいかない。

 白臣は敵と刀を交えながら叫んだ。


「瀬崎さん! 鳥野さんは一人で大丈夫なのですか?」

「案ずるな、鳥野は優秀な俺の部下だ」


 時雨が敵を突き刺しながら叫ぶように答えた。彼のその言いっぷりが、彼が鳥野に絶大なる信頼を置いているのがわかる。


「宗志、白臣殿、死ぬでないぞ!」

「はいっ!」

「当たり前だ……!」


 宗志は前方にいる敵の首を()ねる。その時。彼を両側から一斉に斬りかかってくる二人の敵。瞬時に刀を左手で持ち左側の敵を斬り倒し、右手で右側の敵の腕を引きちぎる。ひるんだすきに両手で刀を持ち直し、その敵を容赦なく切り捨てた。そして血を払う様に空を斬る。

 白臣は敵の刀を交えずに、俊敏(しゅんびん)に躱していく。そして高く飛び上がり重力を利用して刀を振り下ろす。

 時雨は槍を振り回して敵をふき飛ばす。後ろから斬りかかってきた敵の斬撃を槍で受け止め、躱し、足をかけて敵が体勢を崩したところを槍で一突きした。

 時雨が一突きした敵が最後の様で、時雨は返り血を腕で拭う。宗志も能面を外し、手ぬぐいで面に付いた血を、丁寧に拭き取ってから懐にしまった。

 小さな国の小さな軍とはいえ、白臣がかすり傷一つ負っていないのに時雨は驚きを覚えた。それは宗志とて同じことで、彼女が敵に遅れを取るようであれば、力づくで戦場の外に連れ出そうと思っていたのだが、その必要が無かった事に感心して口元を微かに吊り上げた。

 白臣は鳥野の安否が心配でならなかったのだが、全滅したにもかかわらず増援が来なかったということは、彼女が上手くやってくれたのだろうと自分に言い聞かせて納得させた。

 そして三人は志津国を治める大名と俎豆屋の店主に向き直り、ゆっくりと近づいていった。


「く、くそ……!」


 大名は刀を抜いた。三人は斬りかかってくるかと身構えたが、大名は刃先を自分の腹に向ける。自害する気だ。

 その時、金属が割れた音と共に大名の刀が砕けた。宗志が一瞬で間合いをつめて大名の刀を粉砕したのだ。


「お前に切腹なんて、大層な死に方はもったいねぇよ」


 聞きたいこともあるしな、と宗志は続けて刀を鞘に納めた。大名は悔しそうに顔を歪めている。そして散らばっている白い巾着に手を伸ばし中の粉末をひと飲みした。

 三人が阻止しようと手を伸ばしたが、時既に遅しであった。

 長い沈黙が流れる。大名に何の変化も起らない。白臣達も大名自身も不審に思っている状況で、店主だけが落ち着いた表情でゆっくりと口を開いた。


「その薬は……寿命を伸ばす薬などではございません。ですが、お殿様の思ってらっしゃる様な毒でもございません」

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