【第一話】 賊の狼狽え
どこまで行けば、見つかるのだろう
その日は特別な日ではなかった。ただの昨日の続きであり、うんざりするほど退屈で、途方もないほど素晴らしい一生の内の一日でしかなかったはずだった。
だが、この一日で人生の筋書きが真逆にさえなりかねない出会いを経験する二人がいた。
その出会いはこの世に吉とでるのか凶とでるのか……それを知るのは神、または天人だけであろう。
……しかしその天人ですら分からぬ事が顕世にはまれにあるのだ。
木の上で昼寝をしていた黒い着流しを着た男は、ふと喧騒で目を覚ました。生まれてこのかた日焼けなどしたことないのではないかと思わせる程の彼の白い肌は、寝起きのせいか更に白さを増している。
彼は気だるそうに首を回し、なんとなく下の方を見た。すると彼のいる木のすぐ側にある吊り橋に人が集まっていたのだった。
吊り橋の中央には小柄な侍がいる。その者は刀に手にかけ威嚇しているようだ。そして吊り橋の両端には柄の悪い男が六人ずつ、各々の武器を弄びながら小柄な侍にジリジリと近づいていっている。
恐らく盗賊か何かがその小柄な侍の身ぐるみ剥がそうとでもしているのだろう、と興味なさげに男は目を逸らそうとした……が、その小柄な侍の姿に目が止まった。
赤い髪に、遠目でよく分からないが瞳の色も普通のそれとは違う。さぞ普通の家では生きづらい容姿であろう。下手すれば家族に殺されかけたこともあるに違いない。そういう世の中であることは彼はよく知っていた。
再び目を閉じて眠ろうとした彼だったが、なんとなく昼寝をする気分になれなかった。このまま寝てしまっても何の問題もないはずであるのだが確実に寝覚めが悪くなる気がしたのだ。
しかたねぇ、と舌を鳴らし男は能面をつけ、気だるい体で吊り橋の真ん中へ飛び立った。
「なんだあいつ!」
盗賊の一人が狼狽えながら叫ぶ。盗賊達に動揺が走りる。獲物を挟み撃ちにしあと少しでありつけると思ったところで、空から能面をつけた男が獲物の元に舞い降りてきたのだ。
驚いたのは盗賊だけではなく盗賊に狙われていた小柄な侍――藤生白臣も同じことであった。
「あんたら、俺の昼寝を妨害した罪は重いぜ」
「ひるむな、やっちまえ!」
誰かが叫んだと思うと両端から一斉に斬りかかってくる。白臣は最期を覚悟し、盗賊は自分達の勝利を確信した。
ひどく長い時間が流れた、様に白臣には感じられた。自分は死んでいるのか、まさか生きてられる訳がないと思いながらも心のどこかで期待していた。こんなところで死ぬ訳にはいかない、命に代えてでもやらなければならないことがあるという意志が胸を熱くする。
そして辺り一面に広がる気味の悪い静けさに白臣は押しつぶされそうに思いながら、おそるおそる瞼を開く。そこは目を背けたくなる様な地獄絵図が広がっていた。ついさっきまで人であった者は肉片と化し、周りに飛び散っている。そんな中で一人、能面をつけた男が返り血を手ぬぐいで拭っていた。
(この男が一人で……? これだけの人数を?)
そんなことを考えていた時。白臣の耳にぷつり、と何かが切れたような不吉な音が入ったのだ。それと同時にぐらりと橋が傾き白臣の体は宙に放り出されてしまう。
吊り橋の下は深い谷ぞこで助からないことは一目瞭然である。白臣は肉片と共に落ちていった。落ちていく肉片の中に一緒に落ちてくるはずの能面の男を探したがその男の姿はない。
空から人が舞い降りて来て、あれだけの人数を瞬殺したという現実を白臣は信じられずにいた。いや現実と言っていいのか、もはや分からなかったのである。
しかしもし現実だったのならばあの男は肉片と共に落ちてくるはずではないか、と死を目前とした頭はやけに速く回った。やはり幻覚でも見たのだろうそう思い白臣は瞼をきつくを閉じた。死への恐怖よりも、悲願を果たせない事の悔しさが喉を締めあげる。そして今度こそ本当に死を覚悟した。
……いつまで経っても岩肌に叩きつけられる痛みを感じないことを白臣は不審に思った。死ぬ時はゆっくりと時が流れると言うが、あまりにも遅すぎる。それとも既に死んでいるのだろうか。
白臣は意を決して目を開けた。すると下には深い谷ぞこが見えた。しかし自分の体は落ちていってる訳ではない。むしろ上がっているのだ。腕には掴まれている感触がある。首を上に向けると幻覚だと思っていた能面の男が自分の腕を掴んでいた。しかもその男の背には黒い翼が生えている。
(僕はやはり死んでしまったようだ)
そう結論づけたが、白臣はその人外の男に声をかけてみようと口を開く。それは死んだことによる、半分投げやりな気持ちがそうさせたのであった。
「あの、僕は死んだのか?」
そう男に声をかけると男はちらっと白臣に顔を向け、めんどくさそうな口調でその問に答えた。
「馬鹿言ってんじゃねぇ。落とすぞ。お前は死んじゃいねぇよ 」
「……死んでない?」
ではこの状況はなんと説明すれば良いのか。 翼の生えた男に運んでもらっているなど。有り得ないと普通の人間なら笑い飛ばしてしまうような非現実的な状況である。
何故自分を助けたのか、この男は何者なのか、多くの疑問が白臣の頭で渦を巻いて、一つも口から言葉になって出てこない。
「あの……君は……え……」
意味の無い単語が口から溢れ、文章にすることが今の白臣には出来なかった。
「……うるせぇ、落とされてぇのか」
それは困る。白臣は首がとれるぐらいぶんぶんと横に振った。
「じゃあ、黙ってろ」
その言葉に白臣はこくりと頷くしか術はなかったのである。