決意
少なくとも迷宮主が居るこの最下層に居るのはシシー1人だけだ。感知スキルを用いて確認済みなので、それは間違いない。
だが、上の階層はどうなのであろうか?
シシーは迷宮主の魔力が障害となり、どうせ広くは探れないだろうと予想して、この階層だけにしか感知範囲を拡げていなかった。
ここで改めてシシーは感知スキルをフル活用して、範囲を限定せずに迷宮内を探れるだけ探ってみるが、やはり迷宮主が垂れ流しにしている膨大な魔力が邪魔をして、本来シシーが感知できる範囲よりも大分狭い3つ上までの階層までしか様子が分からない。
幸いな事にそこには人の気配は無く、支配種族とそれに競り負けない強さを誇る少数の魔物の気配があるのみだ。だからといって安心出来る事ではない。
100層前後ある迷宮の、たかが下から4つの階層の様子が分かったところで、あまり意味が無いのだから。
(私がソロで迷宮に潜ってるなら、それだけで充分なんだけどな……)
アドフィス学園は伝統と格式を備え、数多の賢人達の知識を今に伝えるだけでなく、新しい技術開発や古の英知の研究も行い、幅広い分野で現代の発展に大きく寄与している、各国からも一目置かれている学術機関である。
ちなみに戦闘職系の学科の生徒がDランクなのは入学条件だからである。毎年入学希望者が定員を大きく超えるため、選別するために設けられた条件であった。
そんな学園だけに、世界中の国から老若男女問わず才能豊かな者達が集まってくる場所である。
もし今回の強制転移が何者かによるテロ行為なのだとしたら? そう考えるとシシーは背中に氷塊を押し付けられたような心地になる。
それぞれの国の将来を担い、世界を牽引していく優秀な人材が集まった学園は恰好の餌食だ。当然、学園は最新の技術を駆使して厳重な警備体制をしき、全生徒や学園関係者にも最低限の、ランクで示すのならEランク相当の戦う術を仕込んである……だがここは、学園生の多くにとっては死地。
(それを潜り抜けて、ここへ飛ばしたのだとしたら?)
犯人は今頃高笑いしているだろうか。世界に対して、すぐには補充することの出来ぬ“人材”というかけがえのない財産を損ねる事に成功したと勝ち誇って。もしそうであるならば――。
「気に入らない」
温度の無い、低い声だった。
まだ事故の線は消えてない、けれどテロという線も消えていない。
どちらが正解であるのかを確かめる術など無いが、後者であるならば犯人の思い通りにさせてたまるか、という反抗心がシシーの中にふつふつと湧いてくる。
シシーは聖人君子でもなければ正義感が強い訳でもない。あるのは『アーラ』を名乗る者としての矜持。
「ここで何もしなかったら『アーラ・アノーノル』の名が泣くな」
シシーはこの瞬間、己が持つ総てを使って無事な生徒を全員連れて学園に帰ると決めた。テロでなければ、それはそれでいい。問題なのはテロであった場合に、自分が何もしなかった事だ。
(飛ばされて来てから経過した時間は15分くらいのはず。まだ生き残ってる率は高い)
その15分も決して無駄に過ごした時間ではない。状況を把握して居場所を特定し、支配種族の能力を直に確かめた、特に蜂酸の情報は有益だった。
シシーは、大抵の毒は効かない身体であるが故に、ただの毒だと思い込んで近づき浴びてしまっていたら、被害は大きかっただろう。
シシーの『アーラ』を名乗る者としての実力は本物であれど、油断をすれば足元を掬われるのだから。
「どうせ階段なんて無いんだから構わないでしょ。何より緊急事態だし」
支配種族相手には使わないと決めた矢を番え、シシーが狙い定める先は天井。
「破道の弓術……」
言葉に呼応するかのようにして輝く魔力がシシーの周囲を踊り始め、それに伴うようにして矢に魔力が籠っていき、やがて淡い燐光を発する。先の魔物を仕留めたさいには無かった現象である。
「――破砕の矢」
放たれた力の籠った矢は、燐光を散らしながら静かに、けれども素早く天井に浸食するようにして穴を開けながら突き進み、その後2つの天井を貫いて消えた。