敵を知る 前編
シシーの手から離れた矢は、目にもとまらぬ速さで空を切り裂きながら突き進み、少しの間をおいてから狙い通りに標的を仕留めた。
そのことをシシーは第六感と『蠱毒の法』によって流れ込んでくる魔力で確認した。
蠱毒とは、1つの器に数種類の虫を入れて封をして放置し、中の虫を互いに喰い合わせ、最後に残った強い個体を使って呪いをする呪術である。
迷宮はこの法を利用して成長するれっきとした“生き物”だった。
器が迷宮、数種類の虫が探索者と魔物。弱者は強者に喰われ、強者は敗者の魔力を取り込み強くなり、迷宮は敗者の朽ちた骸から魔素を取り込み、強者を支配種族に襲わせて喰らい、その支配種族を迷宮主が喰らって最強の個体を目指す、迷宮とは、そんな生き物なのだった。
そして恐るべきことに、力を蓄えた支配種族は自ら進んで迷宮主の餌となるのだ、究極の忠誠心とでも言おうか。
いまシシーが仕留めた魔物も、正に喰らわれるために迷宮主の元へと向かっていた個体なのだろう。魔物にとっては運が無かった。
一方の魔物を仕留めたシシーはといえば、手応えがありすぎた事に微妙な表情をしていた。
確認のために仕留めた魔物の元まで速足でシシーが歩み寄ってみれば、予想通りそこにあったのは無残なバラバラ死体……いや、粉砕死体とでもいうべき残骸である。
『アーラ』を名乗る者としてはCランクの魔物相手に当然の実力ではあるが……。
(あっちゃ~、これじゃ素材の剥ぎ取りどころか、スペックの推測も出来ないや……)
無駄に力が入り過ぎていた。
一応シシーとしては普段と比べて半分の力で矢を放ったのだが、それでもやり過ぎの域だったらしい。それとも納品が間に合わない恨みで無意識に力をこめてしまったのだろうか。
おもわず確認のために弦を引いてみるシシーである。
シシーが使う長弓は、力に恵まれている獣人ですら容易には引けぬ強弓で、普通は木や竹で作られるところを金属で誂えた特別な弓であり、繊細な装飾を施された優美な見た目からは想像できないほどの重量が、実はある。
それを軽々と扱う所にシシーの非常識ぶりを垣間見れるが、何を言いたいのかというと、弓の性能とシシーが使う破道の弓術が組み合わされれば、その破壊力は凄まじい、この一言に尽きるのだった。
(……分からん。けど、とりあえず矢は使わないでおこう。これなら魔法矢でも充分だろうし)
シシー愛用の長弓は、固有能力で光と風の魔法の矢を生成できる。魔法耐性が高いのなら粉砕死体にはならないはずだと考えるシシーだったが、半分以上が願望である。
そこへ丁度良く次の獲物が向かってくるのを察知したので、気を取り直して弓を構え、右手が弦に触れると風の魔素が集結して矢の形に成形されていく。
魔法矢は飛距離が伸びると魔素の結合が弱まり分解していってしまうため、射程距離が狭まってしまう欠点がある。そのためギリギリまで我慢し、魔法矢の威力を損なわせない距離まで敵が近づいてくるのをじっと待つ必要があるのだった。
呼吸を10数えた頃だろうか、暗闇の向こうから、高速で動く力強い翅音が聞こえてきた。またたく間に音はどんどん大きくなってくる。
(まだ早い……もう少し……今!)
絶好のタイミングで矢を放す。
軽い音がした後に、重い物が地に落ちる音がした。音から察するに今度は無事、粉砕せずに済んだようで安堵の息を吐いて肩の力を抜くシシー。
やおら歩み寄り、亡骸を検める。魔法矢は蜂の首と胴体を綺麗に切断したようで、2つは少し離れた位置で転がっていた。大きさが大きさなので、大小の岩が転がっているようである。全長は人1人分くらいであろうか。
蜂は亡骸になっても手で触れるのをためらってしまいそうになる威容を誇っているのだが、シシーは目隠ししているせいか躊躇せず手に取って調べ始める。すでに長弓は道具袋の中だ。
怪我をしないように気を付けつつも、手早く、かつ正確に、特徴と形状から読み取れる情報を無駄なく拾っていく様は実に手慣れており、シシーが幾度となくこの作業を繰り返してきた事を示している。
「口についてる牙が鋭いな、取りついたら噛みついてくるか……足は棘がついてて侮れないけど、一番は尾針だよな。穴が通ってるから毒か何か飛ばしてくる……突き刺して注入、は反しがついてて簡単には抜けないようになってるから最終手段かな? あとは翅で風の刃でも起こすとみるべきか」
「殺虫剤とか効くのかな?」
ぽつりと呟いた声は楽しげであった。