プロローグ2
「やっぱり今日も逃げられたわねぇ」
シシーの小さくなっていく後ろ姿を見ながら呟くフリージアは大して悔しそうでもなく、むしろ、こうなると分かっていたように見えた。
その姿は先程まで鬼気迫る勢いで猛攻を仕掛けていたのが嘘のように綺麗なままだ。髪型も服装も崩れず、そして息すらも乱していないのが怖ろしい。
場所は校舎西の出入口。
ここが鬼ごっこの終着点であり、校舎内で捕獲出来ればフリージアの勝ち、一歩でも足を外に踏み出せばシシーの勝ちと、いつの間にか決まっていた。
「フェイントにも引っかからない、どんな体制からも瞬時に持ち直す、なにより状態異常にかからないなんてどれだけ異常耐性高いのよ。自信なくすわ」
その声には多分な呆れを含んでいた。
フリージアの魔力属性にはもう一つ、闇の属性があった。
闇の魔法攻撃には相手を状態異常にかけるものが多く、周囲に分からないようにしながら何度かシシーにかけていたのだが、全く効果が無かったのだ。それは今回だけでなく、今までずっとだった。
フリージアの名誉の為に言うが、彼女が弱いのではない。それだけは決してない。
彼女は今でこそ学園の教師をしているが、若かりし頃は竜の単独討伐に数度も成功し、仲間と共に幾多の迷宮を攻略したりと数々の武勇伝を持つ女傑である。そんな人物が弱いと言われたら、世界の大半の者は最弱、もしくはそれ以下になってしまう。
その辺の耐性アイテムでは防げない強力な状態異常攻撃はフリージアの十八番であり、大抵の敵は確実に沈む。なのにそれを受けてもピンピンしているシシーの方が異常なのである。
「流石はアーラを名乗る者、ということかしら」
アーラ。
それは『翼』を意味する言葉である。
まだ人と神が同じ地に暮らしていた時代、神が自分の下で厳しく過酷な修練と鍛錬を成し遂げた末に、高みへと至った人を祝福した際に、自由に天翔ける翼を贈り己の眷属としたという故事にちなんで、師が己の弟子に持てる技と知識のすべてを継承した証に贈るようになった、現在では一種の称号として扱われるようになった言葉だ。
ちなみにアーラの後には師の名前をつけるのが慣例である。
「……でもアノーノルの名前は聞いたことが無いのよね。あの子やあの子の兄弟を見る限り、かなりの手練れだと思うんだけど…………」
シシーには兄と弟がおり、三人は同じ年にこの学園に入学してきた。
その二人もシシーと同じく『アーラ・アノーノル』を名乗っているのだが、やはりと言うべきか、その二人も卓抜した戦闘能力を有していた。
正直な話し、学園教師でこの三兄弟と1対1で互角に戦えるのは、フリージアを含めわずか数名だろうというのが学園職員共通の見解である。それだけ三人の戦闘スタイルは完成されていたのだ。
その三人の師であるのだからさぞ高名な人物かと思いきや、誰も聞いたことのない名前であるのが不思議であった。
唯一、長命種である学長だけが何か知っているようではあったが、フリージアが訊ねてみても、はぐらかして答えてはくれないだろう。
だが、それでイイとフリージアは思う。
もし知ってしまったら、若い頃に患った『強い者と戦いたい病』がぶり返しかねない。あれは中々に厄介なものだと、最近になって理解した。
そのせいで、ずいぶんと勿体無いことをしていたのだと気付かされたのは、ほんの少しだけ、フリージアにとっては苦い思い出だった。
それに今は将来有望な若手を扱く方がフリージアには楽しい。
その際、メガネの奥に隠されたフリージアの赤い瞳に獰猛な光が走ったが、幸いなことに誰も気付かなかった。
ただしその瞬間、悪寒を感じた生徒が多数いたとかいなかったとか……。
「さあ、今日はお終いよ! 散りなさい!」
外に背を向け、パンパンと軽く手を叩きながらまだ残っていた野次馬の生徒を散らしていきながら来た道を引き返して行く。
その直後だった。
フリージアが今しがた背を向けた方向から、大規模な魔力反応と魔力光が迸ったのは――――。