44 願う。
オレは本当に、どうしようもない。
そう思い知ったのは、笑おうとしたからだ。
反射的に、誰かの目があると知った瞬間に。ごまかすためか、自嘲のためか。自分でもよく解らない。
しかしそれを察して、突っつくだけだった大きな足がちょっと強めにオレを蹴った。
「笑いたくねぇ時に、巧く笑ったりするなっつったろ」
「ひどいなあ、宗広先輩。ちょっとは優しくするもんじゃないっすか、普通」
あお向けに寝転がり、軽口を叩く。そうできたことに、内心でおどろいた。だけど相手が余りにいつも通りで、だからこちらも普段みたいに言葉が出てきた。
うるせえ。と、オレに言い、先輩は携帯の相手に「その内帰る」と伝えて切った。
「その内……」
「すぐ帰りたいか? まだバスこないぞ」
胃の辺りが、ぞわぞわとうずく。いたたまれないような、やるせないような何かで。
帰る。オレが? どこに。どうやって?
――あの頃、病室でよく携帯が鳴っていた。その着信のほとんどが中学や、高校でできたばかりの友達からのメールだった。
大丈夫? 元気出して。待ってるから。
その全てが、信じられなかった。文面の陰に興味や好奇心が隠れているとしか思えずに、事故でも生き残った携帯電話を病室の壁に投げ付けて壊した。
そして、逃げ出した。家を離れ、転校し、誰も何も知らない場所へ。
オレは――。
ばさり、と。音がして、目の前が暗くなった。頭にかぶせられたものをどけて、それがダウンの上着だと解った。
「ジャケット、石巌川からな。和菓子と水筒は梨森で、中身抹茶だからよく振って飲め。これは折仲。槻島からは伝言で、えぇと」
紺のダッフルコートに、斜め掛けした大きな鞄。そこから引っ張り出した色んな物を、ぽいぽいと芝生に放り投げる。紙パックのカフェオレを手放しながら、宗広先輩は伝言を思い出そうと首をひねった。
「峰岸のせいで不幸になんかなれないなら、さっさと帰ってこい。……だった、かな」
「何すかそれ」
「お前が言ったんだろ」
景色がいいな、ここは。
柵の向こうに目をやって、先輩が呟く。鞄から大きなカメラを取り出すと、レンズを向けてシャッターを切り始めた。
体を起こしてあぐらをかいて、カメラを構える先輩の姿をぼんやり眺めた。
この人が写真を撮るところ、初めて見るな。ふと思ったが、いや待て。違う。それよりも、気にするべきことがほかにある。
この人、何でこんな所にいるんだろう。何でオレの居場所が解ったんだろう。それに何で、尋ねようともしないんだろう。
不思議だった。けど、同じくらいに、どうでもいいって気もしていた。
何も聞かずにいてくれたから、逆に言えたのだと思う。
「オレ、母さんを殺しました」
言葉にしたら、どうなるんだろうと恐かった。思い出すだけで全身が冷たくなるような、きれいに忘れたつもりでいても心の底から浮かび上がるあの記憶。
「前は、例え話にしちゃいました。けどあれ、本当の話でした。オレのせいで死にました。オレが、母さんを死なせたんです」
背中を見せていた人が、カメラを下ろしてこちらに向いた。眉をひそめた不機嫌な顔で、あきれたみたいに言い放つ。
「ガキ」
「……あれ」
リアクションおかしいな、この人。オレ今ちゃんと、言ったよな。
困惑しながら立ち上がり、そばに寄る。それでも見上げなくてはならない顔は、やっぱり不機嫌なままだった。
「ふざけんな。事故だろ。どうにもならない中でお前は、助かっただけだ」
「先輩……?」
「奇麗事じゃねぇんだよ。そいつが傷付くくらいなら、自分が代わったほうがマシだって願うのは。むしろどうしようもない身勝手だ。だけど、あんだよ。人間は……、大人は」
何が言いたいのか、解らない。
そのはずなのに、思わず飲んだ冷たい空気が胸を刺した。揺さぶられる。
「不思議じゃないだろ。母親なら願っても」
「……先輩が、そう思うんですか」
母さんのことを知るわけないのに。
「違う。俺じゃない」
いや、それよりも。オレは宗広先輩に、事故だとはまだ言ってない。
「じゃあ誰が?」
「お前の、親父さんがそう言ったんだ」