42 どこかで。
十一月に入って、通学路はまた少し姿を変えた。
制服にもう一枚上着を重ね、色を混ぜるのは通学生だ。黒いブレザーだけなのは寮生で、通学時間三分の距離をちょっと走る。
朝がつらい季節になったねえ。
ひなたぼっこするじいちゃんみたいな会話をクラスメイトとしていると、教室の外が騒がしくなった。
ただ騒がしいのとは、少し違う。遠くからざわざわと空気が荒れて、それが段々と近付いてくる感じ。
どうしてなのかは、すぐに解った。
「クラモチくーん」
ちょっと遊んでよ。
まるでそんなふうに気軽な感じで、教室の戸を開けて峰岸が現れた。
この顔を見せられて、悪いほうに行かなかったことはない。だから、多分。オレはどこかで解っていたと思う。
峰岸は来客用のスリッパを履いていた。生徒なら、上履きだ。そのことでさえ、オレのせいだと責めている気がした。
勝手に前の席から椅子を引き、背もたれにヒジをのせて後ろ向きに座る。峰岸は自分の席にいるオレと、向かい合う格好になって楽しそうに言った。
「こないださ、クラモチくんのお友達ってコに会ったんだよね」
「へえ、わざわざ? ヒマですね」
オレの地元は、かなり遠い。偶然ってことはないだろう。
意識的に素っ気なく言ったが、相手は気にする様子もなかった。余裕たっぷりに、にやにやと笑う。これはもうダメなんだと、それを見て悟った。
教室には、クラスメイトたちがいた。峰岸の存在がそうさせるのか、動揺し、少し距離を置いてオレたちを見ている。どうすべきか解らない。そんなふうに。
助けて欲しいとは言わないけど、何もしないならいてくれないほうが楽だ。身勝手だとは解っていたが、苛ついた。
窓からは、広い校庭と空が見える。
天気がいい。
外に目をやったオレに向かって、前の席から楽しむような声が言う。
「さすがに俺もさあ、びっくりしたよ。クラモチくん、お母さん殺しちゃったんだってねえ」
峰岸の発言に、教室の中がざわりと揺れた。
この男は本当に、人の痛い所を突っつくのがうまい。
体の内側を拳でどんどんと叩かれるみたいに、心臓が激しく騒いでいた。体が熱い。それなのに、頭だけが冷たかった。
いつか言っていた通り、峰岸はオレをぐちゃぐちゃにした。たった一言で、心の中がぐちゃぐちゃだった。
だけど、平気そうに見えると思う。そう言うことが極端に、表に出ない性分らしい。
何度も言われてきたことだ。
母親が自分のせいで死んだのに、あの子は何とも思わないみたいだ。
運び込まれた病院で、退院して戻った自宅の近所で。誰かが囁いているのをたまたま聞くことがあったから、実際はもっと言われていたのだろう。
それで構わなかった。
かわいそうにね、だとか。
キミのせいじゃない、なんて。
言われたくもなかった。
ガタン、と。立ち上がり、教室から出た。止められる前に、急いで逃げた。
ブレザーは着たままだ。それ以外の上着はない。席に置いてきた鞄には教科書だけで、サイフはズボンのポケットにある。大して入ってはいないけど、ないよりはましだろう。
早足に廊下を抜け、階段までたどり着いたところでスリッパの足音に追い付かれる。逃がさない。そんなふうに、目の前をふさぐ。
「話くらい聞かせてよ。せっかくだからさ、この学校のお友達にも聞いてもらえば?」
愉悦。
まるで獲物をいたぶるかのようなもの言いに、自分の顔が歪むのが解った。不審で、だ。
何を、誰から。どこまで聞いたのか知らないが、話が行き違っている気がする。多分、この男が期待するようなことにはならない。
誰も、オレを責めはしない。だからこそ。誰もオレを責めないから、オレがオレを責めるしかない。忘れ掛けていたそんな思いが、胸の底から引きずり出された。
「どうしたの? クラモチくん。大変だねえ、恐くなっちゃった?」
「いや。ここからあんたを突き落としたら、もう二度と顔を見なくて済むのかと思って」
オレは、下に行きたかった。それを止める自分の後ろは当然下りの階段だと、峰岸が気付いて顔を強張らせるのは少し愉快だった。