38 ミステリー。
オレの暮らすこの寮には、とある洗濯物ミステリーが存在する。
今日、その謎の洗礼を受けたのはオレだ。
洗濯物の入ったバッグを肩に掛け、廊下を歩きながら手に持った靴下を見つめる。洗濯前には左右そろっていたはずが、乾燥まで終わってみると片方だけになってた。
まあ、寮内ミステリーなんてこんなもんだ。
「そうですね、そろそろ……」
そんな声がもれ聞こえた。寮室の扉を開くと部屋には宗広先輩が一人だけで、椅子に座って耳に携帯を当てている。
だから誰と喋っていたのか解らなかったけど、大事な話だったのだと思う。オレが戻ったのを知って、会話は切り上げられた。少なくとも、そう見えた。
「じゃあ、その件は宜しくお願いします」
携帯の通話が切られると、部屋の中が静かになった。それが何だか居心地悪くて、オレは無意味に靴下をいじる。
「すいません。邪魔しました?」
「いや、終わったところだった」
こちらを向くと、先輩はあきれたように片眉を上げた。手元の靴下に気付いたらしい。
「だから、全部同じにしとけって言っただろ」
「ええー。だって、こんなになくなるとは思わないですよ」
バッグを肩から下ろし、唇を尖らせる。
謎としてはしょぼいが、洗濯物ミステリーは頻繁に起こった。オレもこれで五足目だ。
靴下は全部同じにして置け。その内に、残った靴下でペアができる。
ちょっとバカみたいな上級生たちのこの教訓は、今年の一年にも順調にしみ渡っているようだ。今のオレとか。
十月もなかばになった。
制服にはブレザーが重ねられ、校内の雰囲気をがらりと変えた。
胸のポケット部分に校章の刺繍が入った黒い制服は、ちょっと目立つ。これを着た集団がぞろぞろ歩く朝の通学路で、誰かがオレの背中を軽く叩いた。
「おはよう、倉持君」
制服をきっちり、そして優雅に着こなす旭副会長は今日もきれいにほほ笑んでいる。挨拶を返すと、オレを不思議そうに見た。
「一人? 多貴さんは?」
「さあ。何か、昨日からいないんですよ」
学校が終わって寮に戻ると、宗広先輩が玄関にいた。あちらはすでに私服に着替え、会ったついでに「今夜は帰らない」とだけ言って出掛けて行った。
それを聞いて、旭さんは「あぁ」と頷く。
「なら、実家だね。手伝いがあるとか言って、多貴さん月に一度は帰ってるみたいだから」
「……実家」
学校に向かっていた自分の足が、勝手に止まった。朝の薄青いような空気に冷たく見えるアスファルトが、落とした視線の先にある。
実家。実家か。お姉さんと、妹がいるって言ってたっけ。ご両親のことは聞いてないな。
先月はどうだったか。夏休みの間に外泊があったのは覚えているけど、アルバイトだと思ってた。手伝いで毎月帰るって、先輩の家はどんなことをしているおうちなんだろう。
立ち止まったオレに気付いて、副会長が振り返る。
「倉持君?」
「……宗広先輩のこと、何にも知らないんですね。オレ」
先輩の様子がおかしい。
最近、そう思っていた。だけど、本当にそうだったか? そんなことが解る程、オレはあの人を知っているか?
オレの前では余りしないけど、電話の回数が増えたと思う。
ふと、何か言いたげに口を開いてこちらを見ていることがあった。どうかしたかと尋ねても、ばくっと口を閉じて黙ってしまう。
何でもない。そう言う先輩を完全におかしいと思っていたが、本当に何でもないのかも知れない。
「様子が変だと思ってたけど……。ただ、先輩を解ってないだけかな」
ほとんど、ひとり言のつもりだった。旭さんには聞こえていると知っていたが、この人はなぐさめやアドバイスなんてしないだろう。
だけど、あきれたみたいに声は言う。
何を当たり前のこと言ってるの。
「そんなの、恋でしょ?」
彼女はオレの後ろにいた。
ピンク掛かった甘いブラウンの制服は、この場での違和感が半端ない。通学路にあふれる黒い上着に囲まれて、一人だけ明るい色の、しかも女子は文字通り異色だ。
忘れられない顔だった。
「すえきちさん?」
「いや、すえよしだから」
オレの間違いを即座に訂正する末吉理保子は、合成写真みたいに浮いていた。