36 過去。
今はそいつもこの学校にいないが、当時、香川には折り合いの悪い教師がいた。
生徒が教師ともめたりしたら、圧倒的に生徒が不利だ。そんなことは、ちょっと考えたらすぐに解る。
「辞めさせられたって……、何すかそれ」
「そう言う話があっただけだ」
「結局、香川は何も言わずにいなくなったからな。誰にも相談しなかったって……」
折仲はそこで一度言葉を切って、自分の拳を口に当てて考え込んだ。
「もしかすると、郡司はそれを気にして候補に過保護なのか?」
「あ、ミスコン……」
香川は、優勝した。候補でさえ、この学校の中では目立つ。優勝者ならなおさらだ。それは、原因になっただろうか。
オレの呟きに、折仲が少し考えるように視線を床に落とした。
「直接の理由ではないと思う。けど、目をつけられるきっかけにはなったかも知れない」
「本当の事は何も解らない。倉持、俺達は何もできなかった。しなかったと言う方が、正しいだろうな」
香川は、誰にも相談しなかった。
一人で苦しみ、一人で耐えて、一人で去った。今の三年が、一年だった頃の話だ。
「宗広、覚えてないか? 郡司って、香川と同じクラスだっただろ?」
身近だった分、忘れにくいのかも知れない。まだ、気にしてたんだなあ。
そう言って、ぼんやりと天井を見上げた折仲も。忘れてはいないんだと思う。椅子の上で、不機嫌な顔に少し苦さをまぜる人も。
……ああ、そうか。
直接関係はないかも知れない。それでもこれは、この人たちに取っても過去なんだ。
誰かの話ではない。自分たちが悔やんでいる、苦い過去だ。
「たった三年って気がするのにな」
まいった、とでも言うように。折仲が天井を見たまま息を吐いた。
「本当、いろいろあったな。高校って所は」
「香川も、誰かに相談すればよかったんだ。一人で抱えるなんて、最悪だろう」
折仲が自分の部屋に戻って行って、二人になると宗広先輩がそんなことを言った。
着替えの手を止め、声のほうを見る。
パソコンの電源は入っているが、視線はそれをとらえていない。腕を組んで机に向かった先輩は、難しい顔でぼそりとこぼした。
この学校を捨てる程に辛かったのに、どうして誰も頼らずにいたのか。解らない。
――それを聞いて、強い、と思う。
強いなあ、この人は。
強いから、解らないんだろう。
オレには、無理もないと思えることが。
本当につらくて苦しいことを、誰かに言うのは恐ろしい。ばっくり開いた傷口をさらにえぐられるみたいな気がして、いっそ痛みを知られたくない。
なかったことにしたいとは、自分が一番思っているんだ。
「倉持。だからお前は、ちゃんと言えよ」
唐突だ。どう考えても、唐突だと思う。
オレ別に、教師ともめたりしてねえし。あ、でも、峰岸がいるか。……ん? 峰岸?
頭の中で、何かが引っ掛かる。何だっけ。
首をひねって悩むオレに、宗広先輩がその答えを不機嫌そうに教えてくれた。
「あぁ言う事は、峰岸みたいな奴じゃなくて俺に言え」
それか。
用具倉庫の外で、金田はオレのバカ笑いを聞いたと言った。先輩たちも一緒だったはずだ。それからすぐに、助けに入ってくれたんだから。だったら、そうだよな。そのあとの、どうでもいい話も聞いてたってことだ。
「それで、怒ってたんですか? オレはてっきり、こっちのせいかと思ってたのに」
手をやって、自分の顔を示す。
助けにきた先輩がどう見ても怒ってたのは、峰岸の暴力に対してだと思い込んでいた。まさか、オレの無駄口が理由とは。
「……無理に聞かないっつっといて、だせぇのは解ってる」
「いや。あれは、どうでもいい相手だから何でも言えたって言うか」
「何だよそりゃ」
「だから……。さすがにオレも、宗広先輩に軽蔑とかされたらキツイってことです」
「しねぇよ」
いや、するよ。
「……じゃあ、例えば。オレが人を殺したって言ったら、どうします?」
先輩は一瞬息をつめ、それから眉をひそめてオレを見た。
趣味の悪い質問だったと、口先で謝る。
「例えですよ、宗広先輩」