22 まくらちゃん。
「まくらちゃーん、膝枕してー!」
と、調子こいてヤジを飛ばした舞台の下のお前とお前と、そこのお前。あとで、炭酸飲料にラムネ菓子を仕込んで差し入れてやる。覚悟して置け。
最近覚えたアルカイックスマイルを浮かべ、オレは舞台の上で考えた。これはどう言うことなのか。いや、解る気はするけど。
こうなってやっと、思い出す。オレが忘れていたのは、プロフィール用紙だ。
三日前のリハの時、すぐに書けと渡された紙。あれを制服のズボンに突っ込んだまま、忘れてしまっていた。それ切り催促もなかったのは、誰かが代わりに書いたからだ。
「倉持くん、今日凄く上手に歩けてたよ!」
「そうか? だとしたら、ぶつけようのない怒りが原動力だ」
ふりっふりに飾られたメイド服のスカートを弾ませて、自分のことみたいに喜ぶ石巌川は今日も安定したかわいさだ。オレはそれに、すさんだ気持ちでふっと笑う。
正直、あんなに恐かったランウェイをどう歩いたかも覚えていない。腹を立てるのに忙しくて。
本番を終え、重い気持ちで会場を出た。出た瞬間に、呆然とする。講堂の外には山のような人がいて、一歩も動けない状態だったからだ。
まじか。
「あのコ可愛い!」
「こっち向いて!」
携帯片手にきゃあきゃあと、騒いでいるのはほとんどが女子だ。その勢いに恐怖を覚え震えていると、彼女たちとは明らかに違う生き物が人波をがっしがっしとかき分ける。
その頼もしさにちょっと涙ぐむオレたちをつかまえ、でっかい体の先輩たちはあっと言う間にその場から離脱した。
「女って……!」
控え室代わりの被服室に放り込まれ、候補たちはぐったりとうな垂れた。
話には聞いていたが、会場には本当に女の客が多かった。成功したなら喜ぶべきだが、解らない。女装した男の、何がそんなにおもしろいのか。女と言うものは理解不能だ。
「あの、失礼します……。お疲れ様です」
カラカラカラ、と引き戸を開ける音にさえ元気がない。そしておずおずと被服室を覗き込む顔に、見覚えがあった。
「あっ! あのさあ!」
椅子を蹴って立ち上がり、駆け寄るとその後ろにもまだ誰かいる。珍しい。笑顔ではなく、完全に困り切った顔の旭副会長だ。
それで全部、解った気がした。
見覚えがあるのは、三日前リハを見にきた梨森といたからだ。生徒会の腕章を着けた生徒は深々と頭を下げ、バレーボールより一回り小さい球体をのせた紙皿を差し出す。
「あの、こちら、オカルト研究会クトゥルー焼き幻の全部入りです」
一年のオレたちにはぴんとこなかったが、居合わせた二、三年の先輩からはどよめきが起こった。
オカ研のクトゥルー焼きとは、つまりたこ焼きだ。中でも全部入りは、とにかく入手困難らしい。その大きさのため焼くのに時間が掛かり、数が出ない。ゆえに幻。
「この学校の全員が名字の神宮じゃなく、旭って呼ぶの不思議だと思わない?」
ほかの候補にも差し入れをして、副会長はオレに尋ねる。確かにそうだ。頷くと、その理由はミスコンにあると明かされた。
昨年参加した時、エントリーネームを旭にした。その名前が全校に浸透し、今に到る。
説明されて、よく解った。いつもきれいにほほ笑む顔が曇るのは、同情のためだ。
「だからもし優勝でもしたら、君もずっと呼ばれると思うよ。まくらちゃんって」
「すいません! 止めようとしたのですが、会長は倉持候補をご自分の手で立派な客寄せパンダにしてみせるとおっしゃって……」
受け取った紙を出さないままにオレが去り、あとに残った梨森は輝く目をして語ったと言う。オレの代わりにめちゃくちゃなプロフィール用紙を提出したのは、あの人だ。
必死に謝る役員が、良心の呵責に苦しんでいるのは見れば解る。取り乱し、客寄せパンダとか口走っているが。
まあ、例え副会長が一緒でも止めるのは難しかっただろうと思う。この人が、あの会長を止めようとするかどうかは別にして。
クトゥルー焼きから出てきたタコに、もっしゃもっしゃとかじり付く。
くっそー、梨森め。こんなもんでごまかされると思うなよ。いや、食うけど。そして意外にうまいけど。よく考えたら、これは副会長たちの差し入れだ。罪はない。
野谷渾身の衣装を着たまま、タコを丸々一匹食ってる姿は鬼気迫るものがあった。
のちに、目撃者たちはそう語った。