20 責任感。
「だから?」
白雪のほうを見もせずに、淡々と言う。
「何の理由になるんだ、それは」
宗広先輩の言葉は、オレでさえ突き放した言い方に聞こえた。言われた本人には多分、もっときつく響いたはずだ。白雪は喉がつまったように息を止め、顔を逸らした。
苦しげなままの横顔が、息を吐く。
「……貴方が三年になった時、夏までは部に残ってくれるものと」
けれども春には退部した。
「仕方がないのだろうと、一度は思いました。しかし今になって、彼の面倒を見ている。自分達には貰えなかった時間を、彼のために割いている。それが許せませんでした」
白雪は、自嘲するように顔を歪ませた。
「嫉妬です。済みませんでした」
やっと足のしびれが消えた。オレは畳の上にあぐらをかいて、その人を見上げる。
「それって、白雪さんだけの意見? オレには、尊敬してるって聞こえる。宗広先輩にいて欲しいって、そう言うことでしょ?」
少しおどろきながら、男は答える。
「この場にいる部員は、皆そうだ。二年は、殆どかな」
「へえ、凄い。宗広先輩のこと、そんなふうに思う人がこんなにいるんだ」
何しろ、今まで見てきた先輩の知り合いは厄介そうなのばっかりだからな。まあ、人の話は聞かないし行動は極端だが、この人たちが宗広先輩を好いているのは確かだろう。
新鮮な思いで胸をいっぱいにしていると、先輩は面倒くさそうに目を細めた。さっと立ち上がると、大きな歩幅で出口に向かう。
「行くぞ」
「あ、はい」
それを追おうと慌てるオレに、苦そうな顔で白雪さんが謝る。
「倉持君、済まなかった」
「あー、いえ。連れてこられた時はすんげえ嫌でしたけど」
「勝手をした。腹を立てて当然だ」
「そうですよねー。だけど、あの人わりと一人でいるから。宗広先輩に白雪さんたちみたいな人がいるって解って、嬉しい、かな」
そう言うと、白雪は今度は少しではなく、心底おどろいたみたいだった。
その顔を見ていたら、言いたくなった。
責任感の強い人だ。こんなふうに尊敬されたり、信頼されたり、憧れの目で見られたら。宗広先輩は、裏切れなかっただろうと思う。途中で部を辞めることは、できなかった。
「でも――」
言葉は、ほとんど勝手に口からこぼれた。
「でも、本当に大事な人なら、その人が何を選んでも構わない。オレは、そう思います」
言って、すぐにはっとした。うわっ、と思う。冷や汗が全身から吹き出した。
あーあ、やっちゃった。人に間違ってるとか言える程、オレは偉かねえだろう。うわー、うざい。バカかオレは。自分が嫌過ぎる。
急いで白雪に頭を下げると、逃げるように背中を向けた。て言うか、逃げた。
道場の出口で宗広先輩に追い付くと、その大きな手に頭をつかまれる。そしてガシガシとオレの髪をかきまぜる先輩の顔は、あきれているみたいだった。
「あぁ、無事でしたか。良かった」
柔道場を出て、少し歩いた場所で会った。生徒会の腕章を着け、旭副会長は少し息を弾ませている。どうやら走ってきたらしい。
「倉持君が連れて行かれたと知らせが入って、急いだんですが。必要ありませんでしたね」
「終わったところだ。こいつが白雪に気に入られたから、もう心配ない」
「何ですかそれ」
自分のことだ、きっぱり言える。そんな感じは一切ない。しかし、先輩は首を振った。
「あれは気に入ってるだろう。最後、笑ってたぞ。ミスコン、柔道部の組織票入ったら結構いい勝負になるかもな、お前」
「へぇ、柔道部公認ですか。意外だな。白雪は多貴さんが大好きだから、無茶するかと思って心配したのに」
白雪部長のステータスを的確に表現した副会長に、宗広先輩は嫌な顔を隠さなかった。
「旭、言葉を選べ。自重しろ。昔の仲間に愛着もないのか? 元はお前も柔道部だろ」
「うそっ! 旭さん柔道部だったんですか!」
「そう。生徒会選挙の後、辞めたけどね」
ここの柔道部は、人の話聞かない人間の集まりか。だとしたらスゲー納得だ。
「柔道部にいた頃から、顔に似合わない事を平気でする奴でな。……お前もなぁ、倉持。転入するなり旭に目ぇ付けられて、絶対苦労するって最初から決まってたんだ」
そっとオレの頭に手をのせて、宗広先輩が寄越すのは憐れむような目にほかならない。
あれ? と思う。同情か? もしかして、それでオレを預かったのかこの人は。