第7話
学園祭が無事終わった頃、私は進路に悩んでいました。
進路。
そもそも一般的には、私のような貴族は進路を気にする必要などありません。
それよりも、どこに嫁ぐかの方が問題です。
この頃、私には様々な縁談が舞い込んできていましたが、どれも乗り気にはなれませんでした。
私は、相手の顔色を窺って生きるような生き方は嫌だったからです。
気立てが悪いから、子が産めないから、夫の家族とうまくやれないから、そんな理由で、苦しんでいる女性たちを知っていました。
面倒見がよく、優しく話を聞く母のもとには、たくさんの女性がやって来ては泣いて話をしていたものです。
そんな女性たちを助けるような仕事がしたいと、私は思っていました。
そのために、大抵の婚姻は、ただただ邪魔でした。
話を聞いてあげる存在なら、カウンセラーのようなものがいいかしら?
だけど話を聞いてあげるだけでは、本当に大変な時に力を貸すことができるでしょうか?
本当に大変な時。相手が理不尽な離縁を申し込んできた時など、力を貸せるのはむしろ、法律を学んだ弁護士なのでは?
私がそんなことを考えて、進路に悩んでいた時。
ウェリエスレ殿下は言いました。
「多くの縁談を断っているらしいですね」
いつも連れているサイアスの姿はなく、静かな廊下で彼はそう言って私の様子を伺っていました。
「ええ、まあ」
「何かしたいことでもあるんですか?」
私はウェリエスレ殿下に本当のことを話すべきか躊躇いました。
すると。
「私を選べば何不自由なく暮らせますよ?」
ウェリエスレ殿下はそう言って、口元をついっと上げて微笑みました。
私は彼の提案が意外で、しばしその言葉の意味を考えていました。
ウェリエスレ殿下が、そこまで私のことを気に入っているとは、思っていなかったからです。
こうなってくると、本当のことを話すしかありません。断るなら早く、そしてしっかりと断った方が、面倒ではないから。
「私は以前から、困っている人の助けになりたいと思っていました」
殿下は話を中断することなく、聞いてくれていました。
「私はこれまで、既婚女性が相手の男性に頼らざるを得なくなり、泣いて相談するのを大勢見て来ました。だから結婚に夢は描けなくて、結婚する気が今は無いのです。いざという時に彼女たちを助けられるよう、法を学び、可能なら弁護士になりたいと思っています」
私がそう話すと、ウェリエスレ殿下は苦笑していました。
「なるほど。では、困っている私を助けてはくれないのですか?」
彼はそんなことを言いました。
「困っているのですか?」
「ええ」
私は彼の、青い鋭い瞳を見つめました。
「国に帰ったら、つまらない相手と、無理矢理結婚しなければなりません。立場上結婚するだけの、つまらない結婚。ですが、そうですね。忘れてください」
ウェリエスレ殿下はそう言って、小さくため息をつきました。
「あなたが私の国に来たら、きっとつまらなくなる。あなたはここで、この国で、つまらない結婚をして女性を迫害する連中を、縦横無尽に裁いていていたらいい」
「殿下、あの……」
「あなたと婚約すれば、あなたに断られた連中をからかえると思っただけです。本気にしたんですか?」
そう言うと、ウェリエスレ殿下は足早に去っていきました。
彼は、本当に私のことを、好きでいてくれたのかもしれません。
だから私が自由に生きられるように、身を引いてくれた。
そうだとしたら。
現在の私は、暖炉の火を眺めながら、ふと我に返っていました。
ウェリエスレ殿下は、夫ジエルドを連れ去ることなどしないのでは?
私が自由に生きられるよう、身を引いた彼が、今更そんなことをするでしょうか?
それなら、一体誰が、何のために?
もしかしたら、ウェリエスレ殿下に罪を被せたい誰かがいるのかもしれません。
私はそう考えて、それ以上考えることは一旦辞めることにしました。
今日はもう寝ることにしましょう。
私はベッドに入り、眠ることにしました。
だけど眠気はまったくなくて、ジエルドのこと、ウェリエスレ殿下のこと、周囲を取り巻く様々な厄介事を思い、小さくため息をつきました。
ジエルド。
私は彼と出会った時のことを思い出していました。
彼と出会ったのは、私が魔法学校の最終学年になった時のこと。
それまでほとんどメンバーが固定されていたA組に、彼が入って来たのです。
成績順でクラスが決まるこの学校では、大きな入れ替わりは基本ありません。魔力の高さは生まれつき決まっていて、それが変わることは基本ないからです。
聞いた話では、ジエルドは急に魔力が高くなり、クラスを変えた方が良いと判断されたようでした。
そのことで、周囲は様々な憶測をしていました。
何か裏で、成績評価を変えるようなことをしたのではないか、とか。
闇の儀式をすることで魔力を上げたのではないか、みたいに。
私がジエルドを見た時、そのどちらもないだろうと思いました。
にこやかで穏やかで、野心のなさそうな呑気な彼が、そんなことをするとは思えなかったからです。
人の良さそうな、言い方を悪くすれば素直なおバカの彼が、そこまでしそうには見えなかったのです。
実際、すぐにその噂は消えていきました。
ジエルドと接するうちに、そんな人ではないとすぐにわかったのでしょう。
彼と隣の席になった際、私はたまたまテキストを忘れたことがありました。「少し見せてもらえませんか」と彼に尋ねると、彼はテキストをまるっと私に渡しました。
「それでは、あなたが困るのでは?」
私がそう言ってテキストを返そうとすると、
「大丈夫。俺はこの授業、寝るつもりだから」
そう言って、本当にすやすやと眠ってしまいました。
そういう人なのです。
善意からなのか、ポーズなのか、よくわからないけれど、いつも親切で。
こちらの毒気を抜いてしまうところがある人でした。
居心地の良い彼の周りには、男女問わず様々な人がいました。
彼を慕う女子がいるのも、知っていました。
私が彼のことを、特別好きだったわけではありません。
だからもしかしたら、そのことで恨まれているのかもしれません。
ジエルドを連れ去った相手が女性だとして、彼のことを好いているのなら、悪いようにはしないはず。そうだったらいいのですが。
ジエルドは今、どうしているのでしょう?
彼の無事をただ祈ることしかできない自分を、ひどく歯がゆく思ったのでした。