第5話
夫となるジエルドと出会ったのは、その少し後。
だからまだ、秋の学園祭の頃は、私は彼のことを知りませんでした。
その頃、私はレイエレンと多少親しくしていました。
かと言って付き合っているなんてことは一切なく、ただ話しやすい友人という間柄でした。
まだ幼さの残るレイエレンは、いたずらっぽく微笑んで、こう言いました。
「ウェリエスレ殿下にあんな風に言って、大丈夫か?」
レイエレンの発言は、それだけを聞くと心配しているように聞こえるかもしれません。
ですが。
「あいつの呆気にとられた顔、傑作だったな」
彼は完全に面白がっているようです。
「ま、あれだけ空気を悪くしたら、ライラナの鉄槌を食らっても仕方ないか」
「レイエレンも鉄槌が必要ですか?」
「おお、怖い。俺も持ち場で準備を進めることにするよ」
そう言うと、レイエレンは廊下へと去っていきました。
それと入れ違うように、クラスメイトの男子、フォリオンが入って来て、大きな声で言いました。
「大変だ! 内装のために準備していたボードが壊されている!」
その言葉に、作業をしていた全員が驚き、ざわめきが走りました。
「もしかして、ウェリエスレ殿下が腹いせに壊したんじゃない?」
「もしくはサイアスに壊させたのかも」
腹を立てたウェリエスレ殿下なら、確かにやりかねません。
ひとまず私たちは、その現場を見に行くことにしました。
作業用に確保した別室は、同じ階にあるのですぐに着きました。
扉を開けると、そこには内装用のボードが、明らかに誰かが蹴って壊したという感じで、ぼこぼこに壊されていました。
「ひどい」
「折角ここまで作ったのに」
作成した人たちからの、悲しみの声が聞こえてきました。
これまで数日かけてみんなで作っていたのですから、それは当然の嘆きでしょう。
「ここで最後に無事なボードを見たのは?」
私は冷静に尋ねました。
「多分私です。みんなで一度休憩しようってことになって、教室に戻る時に、最後にこの部屋を出たから」
クラスメイトの一人、マルグレアがそう答えました。いつも淡々としていて、感情に揺れることのない彼女は、この話をすることも躊躇う様子はなく、事実だけを述べているようでした。
「その時、何か気づいたことはありましたか?」
「特には。ボードは壊れていなかったし、ちょうど色を塗ったところで、乾かす状態だったから、それ以上することもなかったんだよね。それが確か、16時過ぎくらいかな」
マルグレアは淡々と、必要な情報を教えてくれました。
誰かが犯行に及んだのは、16時過ぎ以降。
その間、みんなから離れていた人物。
着色に使ったインクが乾いていない段階で蹴っているので、もしかしたら靴にインクが残っているかもしれません。実際、蹴られてぼこぼこになったボードには、靴跡がべったりとつき、インクも少し剥げています。
だとすると、みんなの靴を調べれば、犯人はわかるのでは?
ひとまず私たちは一度教室に戻ることにしました。
「きっとウェリエスレ殿下だよ」
「あの人ならやりかねない。さっき怒って出ていったし」
「ここまでやるなんて、ひどい……」
彼らはウェリエスレ殿下の犯行と、決めつけているようでした。
まだ確定ではないと言いたかったけれど、わからない以上それを止める気にはなりませんでした。
そこへサイアスがやって来ました。
どうやら、教室に残されていたウェリエスレ殿下の荷物を取りに来たようです。
「ちょっと待って」
サイアスが荷物を持って出ていこうとするのを、クラスメイトが取り囲みました。
「何ですか?」
サイアスはそのただならぬ空気に、少し怯えています。
「あのボードを壊したのは、ウェリエスレ殿下だよな?」
「ボード? 何のことですか?」
サイアスは困った様子で言います。
「何? じゃあウェリエスレ殿下の単独でやったってこと?」
「それとも、ウェリエスレ殿下に命じられて、あなたが一人でやったの?」
みんなに囲まれ、責められて、サイアスは困り果てているようでした。
「訳がわかりません。僕は何もやっていないですし、何のことか説明してください」
それを聞いて、クラスメイトの一人が言います。
「準備していた内装用のボードが、壊されていたんだよ。知らないふりをしたって無駄だから」
「そんなこと言われても、本当に何も知らないんですって」
サイアスは周囲を見回し、どうしていいかわからないのか、荷物を抱きかかえました。
「じゃあ、今まで何をしていたんだよ」
「それに答える義務はありません」
そこに、ウェリエスレ殿下のはっきりとした声が響きました。
「遅いと思って来てみれば。何をしているのですか? さっさと帰りますよ」
「ちょっと待ってもらえますか?」
クラスメイトたちは、犯人の登場だとばかりに、鋭い瞳を彼に向けました。
「こちらにも都合があります。あなた方の茶番に付き合う暇などありません」
「作っていたボードを壊したのは、あなたですか?」
私は単刀直入に、ウェリエスレ殿下に尋ねました。
「違うと言ったら?」
「一応靴を見せてもらえませんか?」
「勝手に跪いて確認するなら、構いませんよ」
私はそれを聞いて、ウェリエスレ殿下の靴を確認することにしました。別段しゃがみ込むこともなく。
ちなみに、サイアスの靴も見ていたのですが、上から見た範囲では、靴に何かがついている様子はありませんでした。
つまり、この二人は直接犯行に及んではいない、ということになります。もちろん、他の靴を用意していて、それで蹴ったという可能性もあり得ます。ですが、今の段階では、その可能性は低いのではないかと、私は思うのです。
「帰っても良いですか?」
ウェリエスレ殿下は苛立ち交じりにそう言いました。
「帰っても構いませんが、そうすると、あなたの無実を証明できなくなりますよ」
「どういうことですか?」
「あなたに罪を着せたい犯人の、思惑通りになるということです」
私がそう言うと、周囲はざわめき、ウェリエスレ殿下は鋭い瞳で周囲を見回しました。
「そんな輩、消してやりますよ」
その怒りを含んだウェリエスレ殿下の発言に、場はよりぴりぴりと緊張感を増しました。それと同時に、やはり彼は犯人ではないと、私は思いました。
だとしたら、一体誰が?