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キンモクセイは夏の記憶とともに  作者: 広崎之斗
偶然とは、必然の上に成り立つ
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偶然とは、必然の上に成り立つ (6)

 その日は閉店間際まで人の波は途切れなかった。

 時折、常連客が顔を覗かせてテイクアウトを注文する。

 それらは殆ど近所に事務所を構えるクリエイター達だ。

 見慣れた顔に声を掛けられると、悠人もぱっと顔を明るくしてそちらへ向かった。


「いつもの、できる?」

「大丈夫ですよ、ちょっと待っててください」


 そう言って悠人はキッチンにオーダーを通しに行く。

 ディナータイムのテイクアウトは弁当のみ。その時、余りそうな食材で作ったおかずを中心に詰め合わせ、飲み物が付く。

 常連客向けの隠しメニューだ。

 テイクアウトの注文は殆ど修羅場中のクリエイターによるものなので、飲み物はコーヒーが殆どだ。

 会計を冬真がして雑談を交わす間、テキパキと袋に詰めてセットしたものを持っていく。


「ほどほどに頑張ってください。また普通に食べに来て下さいよ?」

「もちろん。またみんなで飲みに来るよ」

 一日に三人程度は必ずこういった常連がやってくる。

 気分転換に夜の街を歩いて来た客を見送って、悠人は再び片付けの作業に取りかかった。

 食べ物類の食器は殆ど下げていたので、キッチンはそれらを洗うとクローズ体制で掃除や明日の昼の仕込みの話をし始めた。

 悠人と冬真もそのために食器を下げながら、時折入るドリンクのオーダーをこなしたり、発注の数を確認したりと過ごしていた。

 客はまばらに帰っていき、その度に冬真はレジで少し会話を交わしながら会計をする。

 グラスの片付けを終えて一息吐いた悠人が時計を見た時には、すでに閉店時間のほんの数分前だった。

 顔を上げた時、カウンター越しに純一がいて思わず「うわ」っと声が出た。


「び、びっくりした……」

「そんなに驚かなくていいじゃん」

「いや……驚くって」

 店内にはもう純一と慎二の二人しか客は残っていなかった。

 レジでは慎二が冬真とやりとりをしているのが視界の隅で確認できた。

「これ」

「え?」

 差し出されたのは一枚の白い紙だった。

 そこには名前と住所が書かれていて名刺だとすぐに理解した。

 反射的に手を出し受け取ってしまったのは、前職の癖のようなものだ。

 手に取って一瞬後悔したが今さら返すことはできない。


「……デザイナーなの、お前」

「そ。最近、オフィスもこの辺りに引っ越して来たけど」

 住所を見て、確かにこの辺りだと分かる。だが細かい場所までは分からない。

 小さく頷いて、悠人は素直に思ったことを口にした。

「すごいじゃん」

「すごい?」

「だって、お前ずっと絵とか得意だったし。よく分からんけど、デザイナーってそういう感覚必要だろ?」

「まぁね。っていうか、やっと本当に悠人に会えたって気がする」

 そんな風に言われて、悠人はハッと気がついて視線を逸らした。

 思わず昔のように話をしていた。

 今はもう仕事も殆ど終わっているから仕方がないといえば、仕方がない。

 だがその相手が純一というのは、自分の中で不本意だった。

 思わず眉根を寄せて唇を噛んだ。


「夜のテイクアウトもやってるの?」

「え? あー……さっきの?」

「そう」

「この辺り、クリエイターの人が多いから。テイクアウトでお弁当みたいなの、隠しメニュー的に夜も一応やってて」

「今度、俺も来ても良い?」

「別に……いい、けど」


 イヤだと断る理由はない。それにこれは売り上げとしては一つでも多くなることは悪くはない。

 もちろん、夜のテイクアウトは殆どサービス価格だし、さほど売り上げに貢献するものという訳でもない。

 だがしかし、客と店員としてのやり取りであるから、断る理由はないのだと言い聞かせる。

「じゃあ、また来るね。あと、いつでも連絡して。裏、俺のプライベート用の電話番号書いてあるから」


 名刺を手にしていた指に触れられた。

 かすめ取るように名刺を奪われ、再び裏返して手の中に納められる。

 そこには手書きで番号が書いてあった。

 曰く、それでメッセージアプリにも登録できるから、と微笑まれて悠人は視線を逸らす。


「むつー、行くよー」

「お前がむつって呼ぶな」

 会計が終わった慎二が呼んで、純一は笑いながら文句を言った。

 ふと視線を戻してしまい、笑う純一の表情を見上げて悠人は慌てて視線を逸らす。


「じゃあ、また」

「あ……ありがとうございました」

 店員としての挨拶をして軽く頭を下げる。

 それが今の自分に出来る唯一の挨拶と言ってよかった。

 立ち去る足音を聞きながら、すぐには視線を上げなかった。

 視線の先には手書きされた数字の羅列が並んでいた。


「賄い、食べて帰るだろ?」

 声がして顔を上げると、冬真が口元に少しだけにやついた笑みを浮かべて立っていた。

「……なんか、その顔で言われるとすげぇイヤな予感しかしないんですけど」

「まぁまぁそう言わず。どうせ明日休みだろ? それに、吐き出したいもんは吐き出した方が楽じゃない?」


 そう言って冬真は何もかも見透かしているように微笑んだ。

 別に悪い気はしない。彼は別段困らせようとしているわけでもなく、純然にそう思っているのだ。

 そしてそれに救われたことがある悠人としては、その誘いを断る理由もなかったい。

 すでに店の入口にはCLOSEの看板が下げられている。

 キッチンの方もすでに片付けは済んでいて、休憩室の方から声が聞こえる。

 皆、着替えてほとんどが退勤の準備が出来ているだろう。

 いつも悠人は冬真と共に最後の作業を終わらせて帰る。

 一応、店の中で冬真の次に年長であるし、実質責任者と言ったところでもある。

 明日は自分が休みということも踏まえて、悠人はやることを考えた。

 すでに営業時間中に発注処理は終わらせてあるし、あとは簡単な掃除をして、ランチ営業用のメニュー差し替えなどで終わる。


「なに飲む?」

「アイスティーで。なんか、ちょっと暑いんで」

「その暑いってさ、その彼の所為?」

 そう言って指差したのは、手にしたままの名刺だった。

 少しだけ睨みつけるように冬真を見る。冬真は笑みを浮かべたままだ。

 悠人はすぐに言い返す言葉もなく、睨んでいた視線を横に逸らした。

 小さなため息と共に無言になれば、それは肯定と捉えられても文句は言えない。

 そして実際にそのとおりだった。


「はぁ……まぁ、そうっすね。適当に話聞いてください」

「うん、聞く聞く」

 楽しげに言って冬真は食事と飲み物の準備を始めると言い、悠人は片付けを仕上げることにした。

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