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キンモクセイは夏の記憶とともに  作者: 広崎之斗
偶然とは、必然の上に成り立つ
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偶然とは、必然の上に成り立つ (5)

 六條純一。

 彼は幼なじみだ。

 小学校に上がる前から、近所だったから顔を合わせることも多かった、悠人より四つ年下である。

 だから自分にとっては弟のようであり、小学校に上がったあともよく遊んでいたし家族ぐるみでの付き合いもあった。

 田舎だからこそ、周りとの付き合いは否が応でも近かった。


 だからこそ逃げた。


「嫌なら俺持って行くけど?」


 何気ない冬真の声で、はっと我に返った。

 悠人が顔を上げると、できあがったグラスを前に肩を竦める冬真がいる。

 思わず答えに迷っていると、冬真はそれを手に「持って行くな」と告げてスタスタと歩いて行く。

 ため息をついて、片付けをすることにした。ほとんど無意識にオーダーを作っていたことに気がついて、少し自分でも驚いていた。

 片付けの最中、他のテーブルに呼ばれてオーダーを取りに出て行った。

 戻ってくると、ちょうど冬真も戻っていて、手を洗いながら声を掛けられた。


「もしかして、前に話してた幼なじみ?」

「あー……はい」

 今更言い訳をする理由も見当たらず、悠人は軽くうなずいて答えた。

 思い出したくない過去の一つだ。

 幼い頃は、本当の兄弟のように遊んでいた。

 それが壊れるのは一瞬のことで、自分が住んでいた土地からも、純一からも逃げたくて上京の道を選び、ほとんど実家にも寄りつかなくなった。

 あの時のことを思い出すと何もかもが嫌になる。



 初めての熱、貪欲に欲したもの、彼を見る眼と、自分を見る眼。

 途切れ途切れの記憶は、いつだってすぐに全貌が滑らかに再生される。

 思い出したくないから、わざと自ら細切れにしているだけだ。

 最初からずっと、それは自分の中で消えない最悪の記憶。



「おーい、大丈夫か?」

 キッチンから声がしてハッと我に返り振り返った。

 エプロン姿のキッチンリーダーの男が、出来た料理の提供をお願いすると悠人はそちらに向かった。

 出来たのは純一のいるテーブルの料理だった。手にしてしまったし持って行かなければと思い、小さく息を吸って仕事のモードに切り換える。

「おまたせいたしました」

 テーブルまでたどり着き、そう言ってテーブルに料理を置いた。

 一つはパスタで、一つは海鮮のアヒージョだった。取り皿を置いて、バゲットの入ったカゴを置く。

 ワインを頼んではいないのに、おもしろい組み合わせだなとなんとなく思っていると、不意に視線が純一とあった。


「びっくりした?」

「……びっくり、してる」

 小さく答えると、颯爽とパスタに手を伸そうとしていたもう一人の男が顔を上げて悠人をみた。

「ちゃんと覚えてます? こいつのこと。なんか変なナンパみたいになってる気がするけど」

「覚えてます、大丈夫です」

 そう言って微笑みを浮かべて男の方を見た。

 仕事である、と言い聞かせれば、ある程度のやりとりは出来ると自分に言い聞かせる。

 だが長居はしたくない。

「ごゆっくりどうぞ」


 言って立ち去ろうとする。

 だがふわりと香る甘い匂いに、悠人の意識はほんの少し遠くなる。

 脳の奥から身体の指揮系統を奪われる。

 何もかもが甘美に感じる。

 自分の動きも、声も。

 他人の動きも、声も。


「大丈夫?」

 純一の声がして現実に引き戻される。

 腕を捕まれていることに気がついた。だがいつそうされたのかは分からず、口を小さく開けて呼吸をした。

「だい、じょうぶです。すみません」

 ぎこちない笑顔を作り、仕事だと言い聞かせて我に戻る。

 心配そうな純一の表情に悠人はもう一度「大丈夫です」と答える。

「手、離していただけますか」

 そう伝えると、純一は悠人を見つめたまま手を離した。

「ありがとうございます」


 すぐに踵を返してカウンターに戻る。

 心臓がどくどくとうるさく脈打っていた。

 身体中が少し熱く感じる。

 深呼吸をして、冷水機から水をコップに一杯注ぐと、一気に飲み干した。

 はぁっと息を吐いて気を落ち着かせる。

 そうすれば、すぐにいつも通りに戻る。


「少し休むか? さすがに早上がりは難しいけど」

 冬真の声がして顔を上げた。

「いや、大丈夫です」

「無理はするなよ?」

 心配そうに冬真は言って仕事に戻る。

 大丈夫。

 その言葉は、自らに言い聞かせるようにでもあった。


 *


「大丈夫なの?」

「大丈夫。慎二は心配性すぎるんだよ」

 純一はカウンターに戻った悠人を見つめていた視線を、目の前にいる守谷慎二に戻して言った。

「いや何年ぶりだよ。しかも相手は逃げてるようなもんでしょ。突然来たらそりゃ警戒するって」

 パスタに食らいつきながら慎二は言う。

 もっともなことを言っているが、今の純一にはあまりどうでもいい小言だった。

 冷たいジントニックを飲みながら純一は笑って言った。


「大丈夫。良い匂いがした」

「は? それってこれの匂いじゃねーの?」

 そう言って慎二がアヒージョをフォークで示すと、純一は顔を顰めて「ちげーよ」と言った。

「そんな匂いじゃない。もっと甘いやつ」

「なに。それって」

 そこまで言うと慎二は黙った。フォークに巻き取ったパスタを一口頬張りながら、純一をじっと見る。

 その先は分かるだろうと言わんばかりに、純一は肩を竦める。

 フォークを手に、アヒージョに手を伸してエビを一口頬張った。

「それって、フェロモン的なってこと?」

 慎二が言葉にするが純一はそれに対して何も答えなかった。

 だが、その沈黙は肯定だと思いながら、慎二はパスタを再びフォークに巻き付けていく。


「やっと見つけたんだ。絶対逃がさない」

「逃がさないって……向こうの気持ちは無視ですかー?」

「無視はしないよ。まぁ、ただ今までと変わらずなら、ココからが長いけど」

 頬杖を突いて純一はオリーブオイルとニンニクの香りが立ち上がるアヒージョを見つめた。ブロッコリーをフォークで突き刺す。


「今さら長いとかどうとか、問題あんの?」

「ないよ」

 慎二の質問はもっともなので、さらりと答える。

 まだ熱そうなブロッコリーを頬張りながら、レジで会計をする悠人の姿を遠くから見つめていた。

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