表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異界送り  作者: MKT
8/24

8 呪いの終焉、そして…

 その夜、私を覚悟を決めて眠りについた。微かな希望と、それ以上の決意を胸に。

 そして、目を開けるとそこはやはり、あの冷え切った、死の気配を纏う教室だった。

「五人選びなさい」

 いつもと寸分違わぬ、無機質な声。教壇には仮面の教師が、ただ静かに立っていた。

 しかし、私の胸中は、これまでとは全く違っていた。今夜は、ただ生き残るために逃げ惑うためではない。この、血塗られた呪いを、根源から終わらせるために、私はここに来たのだ。

 麗華の指が、タブレットの上を滑る。私の心臓が、静かに、しかし力強く脈打つ。

 選ばれたのは、私を含む五人だった。

「6番、加藤理恵」

「10番、加藤詩織」

「13番、佐藤恵」

「16番、田中美咲」

「17番、中嶋凛」

 仮面教師が、私の名前を、その無感情な声で呼び上げた瞬間、私の心臓は、不思議と落ち着いていた。これでいい。これで、全てが終わるのだ。

 そして選ばれた私たち五人は、足元から黒い霧に包まれ、あの廃校へと送られた。

 

 異界の廃校。

 床は腐敗し、踏み出すたびに嫌な音を立てて軋んだ。闇はこれまでのどの夜よりも濃く、肌を撫でる空気は生温かく、嫌な粘り気を帯びている。そして、無数の異形の“モノ”たちが、廊下の奥から、天井から、壁の隙間から、ぞろぞろと這い回る気配がする。彼らの、肉が擦れるような、ぞっとする音が、校舎全体に響き渡っていた。

 だが、今夜は、もう逃げない。私の視線は、明確な一点を見据えている。向かうは、あの非常階段。私が現実世界で探し当てた、“呪いの始まりの場所”だ。

 今夜、最初に姿を消したのは、加藤理恵だった。

「待って……何か聞こえる……」と、彼女が怯えたように呟いた直後、その場で足を止めた。

 次の瞬間、足元の床板が、まるで生き物のようにギシリと音を立てた。そして、その隙間から、鉛色の、ぞろりとした黒い手が、粘液を滴らせながら這い上がってきた。それは、理恵の足首を、骨が軋むほどの力で掴み取る。

「いや、いや、やだっ、離して!!」

 理恵の悲鳴が、校舎に木霊する。私たちが振り返った時には、理恵の体は、すでに膝まで床板に沈み込んでいた。床下に広がる、暗闇の奥。そこには、形容しがたい巨大な口が、パックリと開いているのが見えた。理恵は、その歪んだ口の中へと、抵抗虚しく、ずるずると引きずり込まれていく。

 叫びは、床板が嫌な音を立てて再び閉じた音とともに、ぴたりと、文字通り断ち切られた。理恵の存在は、まるで最初からなかったかのように消え去り、そこには微かな血の臭いだけが残された。

 走る。誰も言葉を発せず、ただ無我夢中に、生ける屍のように前へ進む。理恵の悲鳴が、まだ耳の奥で反響している。

 廊下の先、家庭科室の前で、加藤詩織がつまずいた。膝から崩れ落ち、そのまま動けない。

「大丈夫!?」と田中美咲が手を伸ばした、その寸前だった。

 頭上から、古びた天井が、まるで紙のように、大きく裂けた。その裂け目から、黒く、ねじれた何かが、稲妻のように降り注ぐ。詩織の肩に、それが、肉を突き破るような音を立てて深く突き刺さり、そのまま、ずるずると彼女の体を天井の闇へと引き上げ始める。

「詩織っ!!!」

 美咲の叫び声が、虚しく響く。その頬に、宙を舞った、生温かく、ねっとりとした何かが張り付いた。……それは、脊髄だった。詩織のものだった。その脊髄は、まるで意思があるかのようにピクピクと痙攣し、美咲の頬にまとわりつく。吐き気を催すような血と肉の臭いが、辺りに充満する。

「……おかしい。おかしいよこれ……」

 佐藤恵が、突如として足を止めた。その怯えた目で、廊下の空間全体を、まるで透明な壁の向こうに何かを見ているかのように見渡している。

「何かが……変わってる。壁が……動いてる……っ」

 そう呟いた直後、彼女の体が、私たちの目の前で、奇妙に膨張し始めた。まるで内部から空気が送り込まれているかのように、服がパンパンに張り裂け、肉がねじれる。

 悲鳴を上げる間もなく、彼女の肉体が、内側から破裂した。血と骨、そして内臓の破片が、まるで雨霰のように周囲に降り注ぎ、私たちの身体と壁を、赤黒い模様で染め上げた。私の顔にも、恵の名残がべっとりと張り付き、その生臭さに、吐き気を堪えるのがやっとだった。

 残されたのは私と田中美咲の二人だけ。

 私は、美咲の手を、震える指で強く握りしめ、無言のまま、非常階段を目指して走った。背後からは、“モノ”たちの、肉を食い荒らすような、ぞっとする音が聞こえる。

「凛……!ほんとに……ここで終わらせる気なの……?」

 美咲が、縋るように、しかし、どこか諦めたような声で問いかけてくる。その顔は、涙と血と、恵の肉片で汚れていた。

「ごめん……でも、終わらせなきゃ、誰も……誰も救われないんだ」

 私の言葉は、途切れ途切れになった。その時、背後から、低く、威嚇するような唸り声が響いた。振り返ると、美咲の身体が、宙に浮いていた。誰かの見えない力によって、首根っこを掴まれているかのように。

 その腕は、人のものではなかった。鉛色に淀んだ、異様に長い触腕のようなものが、美咲の首を、まるで枝のように掴んでいる。

「凛っ……いって……!」

 美咲の、最後の、かすれた叫び声が、絶望的に響く。その叫び声とともに、彼女の首が、鈍く、しかし確実に折れる音が、私の耳朶に突き刺さった。美咲の瞳から、光が失われ、その体が、まるで糸の切れた人形のように、ゆっくりと垂れ下がる。

 私はその瞬間、最後の力を振り絞り、非常階段へと続く、朽ちた鉄扉を、蹴るように開け放った。

 

 辿り着いた非常階段の下。そこには、あの仮面の教師が、静かに待っていた。

「……ここで、私は何度も終わらせようとした。でも、誰も、この仮面を壊せなかった」

 その声は、これまでの無機質な響きとは、全く違っていた。若く、そして、深い悲しみに震えていた。その声の主が、仮面の奥にいる、緒川美琴であることを、私は直感した。

「私は、忘れられるのが怖かった。ただ、忘れ去られて、存在しないものにされるのが。殺されたわけじゃない。ただ、笑われて、無視されて、置いて行かれて……」

 美琴の声が、階段の闇に吸い込まれていく。その言葉には、途方もない孤独と、そして深い怨念が込められていた。

「だから、あなたは異界を作ったの?あの夜を、私を苦しめた夜を、何度も繰り返して、みんなを巻き込んで」

 私の問いに、美琴は答えない。ただ、その沈黙が、彼女の罪を肯定していた。

「でも、もう疲れたの。……壊して」

 仮面が、ゆっくりと、震えるかのように私の方へ差し出される。それは、救いを求める、最後の願いだった。

 私は、その仮面に、震える手を伸ばし、触れた。冷たい陶器のような感触。その奥に、美琴の、計り知れない怒りも、深い恨みも、そして、途方もない寂しさも、全てが詰まっているのが感じられた。

「ごめん、あなたのこと、知らなかった。誰も、あなたの苦しみを、ちゃんと見てなかった」

 私は、心からの謝罪を口にした。そして、私は、躊躇なく、その仮面を、両手で強く握りしめ、砕いた。

 パンッと、乾いた、しかし重い音がして、仮面はひび割れ、床に落ちて、粉々に砕け散った。その破片が、まるでガラスのように、周囲に飛び散る。

 その瞬間……。

 世界が崩れた。

 異界の闇が、耳をつんざくような音を立てて、急速に瓦解していく。空間が、まばゆいばかりの、しかし温かい光に包まれる。耳鳴りがし、まるで風のような、無数の叫び声が遠ざかっていき、やがて、絶対的な静寂が訪れた。

 これで、終わったのだろうか……。

 私の身体は、疲労困憊し、意識が朦朧としていた。しかし、同時に、言いようのない解放感と、そして、かすかな希望が胸に宿っていた。

ここまで読んで頂きありがとうございます。

いいね、ハート、応援、コメント、ブックマーク等貰えると凄く嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ