7 呪いの源
もう、ただ逃げ惑うだけの毎日は終わりにしなければならない。私は、この呪いの根源を突き止め、断ち切ることを決意した。
図書館の、埃っぽい静寂の中で、私は新聞の縮刷版から10年前のページを震える指でめくった。指が小刻みに震えるのを、止めることはできなかった。ページを繰るごとに、心臓が鉛のように重く、しかし確実に、鼓動を早めていく。
それは10年前、まさにこの日本で実際に起きていた、悍ましい事件だった。東北地方のある町で起きた「女子校クラス全員行方不明事件」。記事の見出しは、薄暗い図書館の光の中でも、血文字のように目に焼き付いた。
記録には、失踪前の異常な校内状況、生徒たちの間に広がる不穏な空気、そして、それらを見て見ぬふりをした教師たちの沈黙が、冷たく記載されていた。事件後、保護者たちによる集団提訴が行われたものの、決定的な解決には至らず、事件は警察庁未解決事件ファイルに迷宮入りとされていた。その事実が、この呪いの根深さを物語っていた。
その記事の中で、唯一、名前が明確に記載されていたのは、当時の2年C組に所属していた生徒、緒川美琴。彼女は、ある日、学校の非常階段から身を投げ、遺書を残して命を絶ったという。記事には、彼女の遺書の一部が引用されていた。
「私が死んでも、あの子達は許されない」
「夜の教室で、一人ひとり、地獄へ連れていく」
その日から、緒川美琴が所属していたクラスの生徒は次々と姿を消し、最終的には全員が失踪したという。背筋に、氷の刃を突きつけられたような悪寒が走った。
事件の舞台となった現地の校舎は、その後廃校となり、立ち入り禁止の札が立てられた。地元ではいわくつきの廃校として、好奇心旺盛な若者たちの肝試しや、オカルト系のユーチューバーが訪れるような、おぞましい観光地と化していたという。
「ここに行くしかない……」
私の唇から、乾いた声が漏れた。もう逃げるだけじゃ、誰も救えない。この呪いの“起点”に、直接触れなければ、この地獄は終わらない。私は、震える体に鞭打ち、決意を固めた。
その足で、私は一人で、新幹線とローカル線を乗り継ぎ、東北のとある町に降り立った。降り立った駅のプラットフォームは、地方特有の薄暗さに包まれ、人影もまばらだった。
SNSで集めた写真、現地の僅かな噂話、そして緒川美琴が遺書を残して死んだとされる非常階段の場所を頼りに、問題の廃校へと足を運んだ。町を抜けると、あたりは深い山に囲まれ、夕暮れ時の薄明かりの中、まるで異界そのものがそこに現れたかのような、ぞっとするほどの静けさに包まれていた。
目的の廃校が、薄暗い森の奥に、その異様な姿を現した。校門は朽ち果て、見る影もなく崩れ落ち、辛うじて残った「立ち入り禁止」の錆びついた看板は、まるで嘲笑うかのように酷く歪んでいた。その奥には、草木に覆われ、ひび割れた校舎の影が、巨大な墓石のように佇んでいる。
フェンスの隙間から、私は錆びた校庭に足を踏み入れた。その瞬間、それまでざわめいていた微かな風が、ピタリと止んだ。全ての音が消え失せ、私自身の心臓の鼓動だけが、耳元でドクン、ドクンと不気味に響く。
「……ここだ」
私の唇から、確信に満ちた言葉がこぼれた。全身の毛穴が逆立つような感覚に襲われる。
校内は、まさに廃墟そのものだった。割れた窓ガラスからは、冷たい空気が吹き込み、剥がれた壁紙は、まるで皮膚病のように壁全体に広がり、黒ずんだ天井は、今にも崩れ落ちそうに歪んでいた。床には、無数の埃と、何十年もの時が堆積した土が積もっている。
だが、その見るに堪えない惨状の中に、私には明確な見覚えがあった。異界で私が、あの異形から逃げ回った、あの校舎と寸分違わないのだ。あの時感じた腐敗した匂いと、冷たい湿気、そして得体の知れない恐怖が、脳裏に鮮明に蘇る。
私は、その異様な既視感に導かれるように校内を進み、目的の非常階段の前に立った。暗く、冷たいコンクリートの階段。そこに、私は見つけた。剥がれた壁の向こうに、黒ずんで、しかし拭い去ることができない、乾いた血の跡が、薄く広がり、まるで呪詛のように壁に染み付いている。そして、その血痕の傍らには、誰かが狂気に駆られて爪で必死に刻んだような、かろうじて判読できる言葉が、うっすらと残されていた。
「この場所で、終わらせて」
その瞬間、背後から、凍てつくような強い風が吹き荒れ、錆びたドアが、獣の咆哮のように軋む音を立てて、ゆっくりと開いた。
開かれたドアの向こうは、まるで別の世界だった。
暗闇に包まれた、しかし、どこか現実離れした、あの“異界”と完全に一致する空間が、そこに出現したのだ。廊下には、蛍光灯がチカチカと明滅し、遠くから聞こえるはずのない、人の呻きのような音が響いている。
そして、そこにいたのは、あの仮面の教師だった。だが、異界で私たちを追い詰めたあの狂気的な存在とは、何かが違う。ここでは時間が静止しているかのように、仮面の教師は微動だにしない。喋らず、動かず、ただその場に、石像のように立っている。その存在が、逆に不気味さを増していた。
私は、胸を締め付ける恐怖に耐えながら、恐る恐る仮面の教師に近づき、震える指を伸ばした。私の指先が、冷たく、滑らかな仮面に触れる。
仮面を押し退けるように覗き込んだ奥には、そこには、緒川美琴と同じ、かつて私たちが着ていたはずの制服を着た、一人の少女の顔があった。その顔は、血の気が失せ、まるで蝋人形のように青白い。
「……あなたが“呪いの始まり”?」
私の問いかけに、彼女は目を閉じたまま、まるで意識のない人形のように、口だけがゆっくりと動いた。
「誰かが見つけてくれるのを待ってた」
その声は、ひどく掠れて、しかしどこか安堵しているかのようだった。
「何を?」
私は、無意識に問い返していた。
「本当の“儀式”はあの教室じゃない。この場所、“ここ”で……私を解放して」
その言葉の意味を問いかける間もなく、校舎全体が、激しい地鳴りのように震え始めた。窓ガラスが割れ、壁にひびが走る。
異界の気配が、こちらの現実世界に、濃密な瘴気のように滲み出してくるのが肌で感じられた。空間が歪み、現実と異界の境界線が、曖昧になり始めている。
この場所が、全ての呪いの源なのだ。緒川美琴という一人の少女が、深い怒りと悲しみを抱いて、この非常階段で命を絶ち、そして、誰も彼女を理解することなく忘れ去られ、ただ時間だけが、無慈悲に過ぎ去っていった。だが、彼女の強烈な「想い」だけがこの場所に残り、この廃校を異界へと変え、生き残った者たちへの復讐の“儀式”を、延々と繰り返していたのだ。
私は終わらせる。そう、この全てを。私の心に、覚悟の炎が燃え上がっていた。
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