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異界送り  作者: MKT
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3 異界送り第二夜前編

「……五人選びなさい」

 また始まった。

 教室に満ちる、肌を粟立たせるような静寂。その中心で、仮面教師の無感情な声が、私たちの神経を直接撫でるかのように響き渡る。

 恐怖に震えるクラスメイトたち。その中で、一角のトップ層――女王麗華とその侍女たちが集まる場所では、次の生け贄が、まるで市場で品定めをするかのように淡々と話し合われていた。

 最下層の“日陰者”はおろか、私たち“一般生徒”でさえ、口を挟むことなど許されない。一度目をつけられれば、迷うことなく送られるメンバーに最優先で選ばれてしまう。それは、この閉鎖された空間における絶対的な掟だった。

 私は静かに息を殺し、ただ、この悍ましい茶番の現状を見守るしかなかった。心臓が鉛のように重く、鼓動が耳元でうるさいほどに響く。一般生徒はまだ十人もいる。下層にはさらに日陰者の一人(昨夜、唯一選ばれなかった松本沙織だ)、そして“透明人間”と称される四人の存在がいる。合わせればちょうど五人なんだから、私は大丈夫。

 私は私を安心させるように、その薄っぺらな安心材料だけを必死に胸に抱きしめ、ただひたすら、祈っていた。自分の名前が、あの冷酷な声で呼ばれないことを。

 やがて、麗華が仮面教師からタブレットを受け取ると、迷いなくその指を滑らせ、送る五人を選んだ。その動作は、まるで私たちを人間として見ていないかのようで、私の胃の腑が強く締め付けられた。

 選ばれた生徒の名前が、瀬戸山の口から、乾いた音を立てて読み上げられる。

「松本沙織」

 日陰者で、昨日、奇跡的に選ばれなかった最後の一人。その名は、まるで彼女の猶予が尽きたことを告げる死刑宣告のように響いた。

「25番、渡辺杏」

 一般生徒が選ばれた。前回のようにクラスヒエラルキーの下層からではない。出席番号順でもない。麗華の選定基準が、もはや読めない。その不規則性が、残された者たちの間に、更なる疑心暗鬼と恐怖の渦を巻き起こす。

「24番、吉田裕子」

「23番、山本結衣」

 これは、出席番号を逆から選んでいるのか?もしや、麗華は、私たちに全く予測させない、残酷なルールを新たに作り出しているのか?“透明人間”はそもそも女王の眼中になく、一般生徒の中から選ばれてしまった。

 そして、五人目は……。私の心臓は、喉元までせり上がり、全身の血液が逆流するような感覚に陥った。まさか、私ではないだろうか?麗華の指が、次に誰を選ぶのか、その一点に、私の意識はすべて集中していた。

 しかし、最後の名前は聞き取れなかった。自分ではないと安堵と同時に、言いようのない罪悪感が、私の全身を蝕んでいく。

 名前を呼ばれた五人――松本沙織、渡辺杏、吉田裕子、山本結衣、そしてもう一人の女子生徒――は、前日同様、足元から黒い霧に包まれ始めた。霧は、まるで生きているかのように蠢き、彼らの足首、膝、腰へと、ゆっくりと、しかし確実に這い上がっていく。彼らは叫ぼうとするが、その声は霧の粘着質な膜に絡め取られ、途切れ途切れの嗚咽や、苦しげな喘ぎ声に変わる。身体はぐにゃりと歪み、まるで骨が溶けているかのように崩れていく。霧が全身を覆い尽くす頃には、彼らの姿は既に定まらない闇の塊と化し、やがて、空気に溶け込むように消えていった。その場には、昨夜と同じく、焦げ付いたような、甘く腐敗したような、言い知れぬ異臭だけが残された。

 

 ***

 

 気づけば、私はそこに立っていた。

 冷たい床板が足の裏に吸い付くような感覚。

 廊下に差し込むはずの柔らかな明かりも、窓の外に見えるはずの街灯の光も、全てが失われていた。代わりに広がるのは、不気味なほどの暗闇。

 あるのは、廃墟と化した校舎の、ぞっとするような静寂と、じっとりと肌にまとわりつくような湿った空気。そして、腐った木材と、カビと、何か得体の知れない死臭が混じり合った、息苦しい匂い。私の胃の腑が、再び締め付けられる。

「ここ……どこ……?」

 結衣が最初に声を出した。その声は、恐怖に震え、か細く、今にも消え入りそうだった。

「嘘……さっきまで教室にいたのに……!」

 裕子が辺りを見回している。その瞳は、暗闇に怯え、焦点が定まらない。

「これ……ほんとに異界送り……!?」

 普段は冷静沈着な杏が、信じられないというように呟く。その表情は、今にも泣き出しそうに歪んでいた。

 選ばれた五人、出席番号を逆からなら、私は選ばれなかったはずだ。山本結衣と私の間には中村彩がいる。麗華が間違えてチェックしたのだろうか。そんな馬鹿な。あの麗華が、まさかミスをするはずがない。ならば、これは、何かの悪意か、あるいは、私には理解できない、別の意図があるのか。

 暗闇の中で誰もが混乱し、恐怖に支配されていた。その恐怖は、まるで生きた粘菌のように、私たちの精神をじわじわと侵食していく。

 薄暗さに目が慣れてくると、ぼんやりと周りの状況が見えてきた。ここは学校?しかし、この木造の、あまりに古めかしい作りは、私たちが通う現代的な校舎とは全く異なる。板が剥がれ落ち、壁には無数のひび割れが走っている。

 一歩足を踏み出すだけで、床がギシギシと、まるで老人の骨がきしむような音を立てる。その軋む音が、私たちの鼓膜を直接刺激し、さらに恐怖を倍増させる。窓の外は、あらゆる光を吸収したかのような暗黒の闇で、何かを確認することなどできるはずもなかった。

 そんな、この世の果てのような場所に……私たち五人は、閉じ込められていた。

 

「逃げてーー!」

 突然、松本沙織の、喉が張り裂けんばかりの絶叫が、校舎中に響き渡った。その声は、まるで私たちの心臓を鷲掴みにするかのようだった。

 その声に全員が凍りつき、そして一斉に振り返った瞬間、闇の奥から“それ”は現れた。

 背丈は人より少し高いが、その比率はあまりに異様だ。肘から先が、病的に、しかし不自然に長く伸び、まるで獲物を絡め取るための触腕のようだった。肌のようで肌ではない、鉛色に淀んだ分厚い皮膚のような何かに覆われていて、そこには毛穴一つ見当たらない。顔があるはずの場所には、ただ虚ろな穴が二つ空いているだけ。いや、それすら「顔」という形を持たない。それは、人間という概念そのものを否定するかのような、冒涜的な存在だった。腐敗した肉の臭いが、微かに漂ってくる気がした。

「う、うわああああああ!!」

 一人が金切り声を上げて叫ぶと、あっという間に恐怖は伝染し、私たちはパニックになり、一斉に駆け出した。私も反射的に、理性など吹き飛び、ただ生き残るためだけに、闇の中を突き進んだ。この暗闇の校舎内を、わけもわからずに、ただひたすら逃げる。足元は覚束ず、何度も転びそうになる。

 廊下の突き当り、古い木の扉が剥がれた教室まで辿り着くと、私たちは必死にドアノブに手をかけた。だが、ドアはびくともしない。固く閉ざされ、まるで私たちを閉じ込めるために最初から存在しないかのように。

「そこどいて!開けて!」

 杏が冷静さを完全に欠き、半狂乱になってドアを叩きつける。その手からは、血が滲んでいる。

「開かないっ!」

 行き止まりとなってしまったドアを振り返れば、“それ”は、まるで巨大な蜘蛛が獲物を追うように、ぞろぞろと音を立てながら廊下を這うように追ってくる。それは、人間ではない。何かを模倣し、しかし決定的に歪ませて創られたような“モノ”だ。その異形を見るだけで、生理的な嫌悪感が全身を駆け巡り、吐き気が込み上げてくる。

 パニックになった五人は、最早、連携など不可能だった。それぞれが生き残るために、散り散りに分かれて闇の中へと逃げ込んだ。私は暗い中、誰かの気配を追うように階段を上り、二階へと向かっていた。階段も足元が見え難く、腐った木の階段は、私の体重を支えきれないかのようにギシギシと音を立てる。駆け上がるのも困難で、何度もよろめいた。廊下の天井からぶら下がる蛍光灯は、死にかけているかのようにちらつき、ほとんど明かりにならない。どこか遠くで、水が滴るような音が、不気味に響いていた。

「こっち……理科準備室……!」

 その声の主は、結衣だった。彼女は、恐怖に引きつった顔で、古びた扉を指差した。

「鍵、閉まってる! 鍵が……!」

 私が確認してみたが、ドアノブはびくともしない。どこにも逃げ場はないのか……。私たちは、まるで餌を前にした籠の中の鳥のように、追い詰められていく。

「誰か……助けてよ……!」

 結衣が、喉の奥から絞り出すような小声で、力なく呟いた。その声は、絶望に満ちていた。

 暗闇の奥から、再び足音が近づいてくる。それは、何か重いものを引きずるような、不快な音だった。ゆっくりと、じりじりと、獲物を追いつめる捕食者のように。その音が、私たちの命の灯火を、一つずつ消していくかのように感じられた。

 その時……。

「ここに、入って!」

 突然、声がした。それは、背後、廊下の壁に沿って並んだ掃除用具入れの、縦長のロッカーの扉が開く音だった。誰かが私の手を掴み、ひきずるように隣のロッカーに押し込む。結衣も、さらに隣のロッカーへと、必死に身体をねじ込んだ。

 私たちは、狭く、埃っぽいロッカーの中に身を隠した。金属の冷たさが、じっとりと肌にまとわりつく。鼻腔を刺激する、埃とカビの混じった匂い。

 直後、“それ”が、廊下を、ロッカーの前を、ゆっくりと、しかし確実に通り過ぎていく気配がした。その重い足音、そして微かに聞こえる、肉が擦れるような、ぞっとする音。

 呼吸を殺す。心臓が、耳元で狂ったように脈打つ。その鼓動がうるさくて、まるで自分の体が、敵に私たちの居場所を教えているような気がした。全身の毛穴が開き、冷や汗が背筋を伝い落ちる。

 やがて、足音が遠ざかり、再び不気味な静寂が訪れると、私は、助けてくれた誰かに、震える声で聞いてみた。

「……ありがとう。あなた……誰?」

 狭い空間の中、暗闇に目が慣れると、そこにいたのは、前日に送り出されたはずの、木下遥だった。初日の“犠牲者”の一人。

 私の思考は、完全に停止した。死んだはずの人間が、なぜここに。

「まだ、生きてる……の?」

 私の言葉は、震えで途切れ途切れになった。

 遥は、虚ろな目で私を見つめ、蚊の鳴くような声で答えた。

「……生き残った。でも、戻れなかった」

 彼女の頬には、乾いた血の切り傷が黒く張り付いている。制服は泥と血で汚れ、ところどころ破れている。靴も片方しか履いておらず、むき出しになった足は、土と埃で真っ黒に汚れていた。その姿は、この場所での彼女の過酷な時間を物語っていた。

「じゃあ、どうやって……」

 私は、言葉を紡ぎ出すこともできないまま、呆然と遥を見つめた。

「この校舎は、ループしてるの。同じような教室、同じような廊下。でも、少しずつ歪んでる。この校舎は狭い様で無限に広がっている。出口なんてどこにもない。あの“モノ”の追跡を、“歪み”を避けて動けば、時間を稼げる。でも……終わらない」

「終わらない?」

 遥の言葉に、絶望の淵に突き落とされる。

「だって……呪いを解く方法を知らないから。みんな、ただ逃げるしかなくて、噂では運が良ければ帰れるって……でも、それだけ」

 彼女の目には、もはや感情などなく、ただ無限の諦めと疲弊が宿っていた。

 私は震えた。SNSで噂になっていた異界送りに、「ルール」はある。選ばれる者がいて、送り出す儀式がある。だが、「救済」はない。この場所は、誰かが生きて戻れるように設計された試練ではない。ただ、絶望の中を永遠に彷徨い続けるための、悍ましい“儀式”だったのだ。

「今夜も誰かが死ぬ。生き残るには、隠れるしかない。でも、逃げ切るには、もっと何かが必要なんだと思う」

 遥の言葉が、私の耳に、そして心の奥底に、冷たく、重く響いた。

 その時、警報のような、しかしどこか人工的ではない、生物の咆哮にも似た、異様な音が、校舎全体に響き渡った。それは、私たちの存在を感知したかのような、原始的な恐怖を呼び起こす音だった。

 “それ”が、再び近づいてくる。その音は、着実に、私たちのいるロッカーの場所へと向かっている。

「行こう、まだ終わってない。この“校舎の迷宮”から、抜け出すために」

 私は、震える声を無理やり奮い立たせ、自分と、そして遥と結衣を勇気づけるように呟いた。しかし、その言葉は、既に絶望の淵に立たされた、自分自身への虚しい励ましでしかなかった。

ここまで読んで頂きありがとうございます。

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