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異界送り  作者: MKT
16/24

16 血の宿命、そして決別

 夜。私はまた、縁側に座っていた。肌を撫でる風が、やけに冷たく感じる。掌にのせた仮面の破片が、私の手のひらで微かに震えている。その震えは、まるで、私の心臓の鼓動と同期しているかのようだった。月明かりに透かすと、破片の奥に、あの朽ちた校舎の幻影が、ぼんやりと浮かび上がった。

 (……あの少女は誰だったんだろう)

 昨日、広場で見た、白いワンピースの少女。あの手の感触。そして、胸に直接流れ込んできた、悲痛な助けを求める感情。それは、まやかしなどではない。確かに、現実だった。

「眠れない?」

 背後から、声がした。振り向くと、やはり澪が立っていた。彼女はいつものように、静かに、柔らかく微笑んでいる。その笑顔は、あまりにも純粋で、同時に、あまりにも不気味だった。

 私は小さく頷いた。澪は、私の隣に、音もなく座った。月明かりに照らされた彼女の横顔は、どこか幼く、そして、どこか、途方もない孤独を秘めているように見えた。

「ねえ、凛」

「……何?」

 私の声は、ひどく掠れていた。

「君、自分の血のこと、知ってる?」

 唐突な問いだった。私は、仮面の破片を握りしめたまま、澪を見た。その瞳は、深淵の闇を湛えているようにも見え、しかし、どこか、私を誘う光も宿しているように見えた。

「……少しは。私にも緒川家の血が流れてるって、聞いた」

 その言葉を口にするたびに、私の心臓が、ドクン、と重く脈打った。

「うん。そうだよ。君も、私と同じ」

 澪は、微笑んだまま、ゆっくりと言葉を紡ぐ。その言葉は、私の中に、新たな真実を、しかし、途方もない重みを持つ真実を突きつけた。

「異界送りはね、誰かを呪うための儀式じゃないんだ」

 私は、思わず息を呑んだ。全身の血液が、一瞬にして凍りついたかのような感覚。

「じゃあ……何なの?」

「“守るため”だよ」

 澪の声は、どこまでも静かだった。その声には、一切の感情が感じられない。まるで、古くからの言い伝えを語るかのように。

「異界は、世界を守る“檻”なんだ。人間が持つ、憎しみも、悲しみも、怒りも、絶望も、全部、異界に閉じ込める。そうしないと、現実世界は、とっくに壊れてしまっている。だから、現実世界は、平和を保てているの」

 彼女はそう言いながら、淡々と続けた。

「たまに、溢れた分だけ、 “贄”(にえ)を捧げる。異界に、彼らの魂を、静かに送り届けるんだ」

 私は、言葉を失った。贄……犠牲。この少女は、生徒たちが無残に消えていくことを、世界を守るための“犠牲”だと、正しいことだと、信じている。彼女の瞳には、一切の迷いも、悲しみもなかった。

「緒川家はね、その役目をずっと果たしてきたんだよ」 

 淡々と。まるで、日常の一部を説明するように、彼女は続けた。その言葉は、私の中に、氷のような現実を突きつけた。緒川家は、この呪いを代々引き継ぎ、管理してきた存在。そして、私も、その血を引く者として、この役割を継がされる運命にある、と。

「凛も、いずれはきっとわかるよ。これは、悲しいことじゃない。必要なことなの」

 澪の瞳は、月明かりに照らされて、どこか無機質に光っていた。その奥に、無限の諦めと、途方もない虚無が潜んでいるように見えた。

 私は、何も言えなかった。ただ、彼女の言葉が、私の心の中で、重く、不気味に響き渡っていた。

 夜は更けていった。布団に潜り込んでも、私は眠ることができなかった。澪の言葉が、頭の中で何度も何度も繰り返される。

 異界は、世界を守る檻。緒川家は、その檻を管理する者。

 ならば、私は……何のためにここに呼ばれた?何を、しなければならない?私は、この“贄”を捧げる役割を、受け入れなければならないのか?

 うとうととしかけたとき、ふと、耳元で囁き声が聞こえた。

『たすけて』

 私は目を開けた。部屋の隅。月明かりの届かない、濃い闇の中に、小さな、白いワンピースの少女が、ぼんやりと立っていた。その顔は闇に溶け込み、はっきりとは見えない。だが、その姿は、昨日広場で見た少女と寸分違わない。

 彼女はまた、助けを求めていた。

 私は胸の奥で、何かが音を立てて、ガラガラと崩れた気がした。それは、私の信じていた「正しい」世界の基盤だった。

 朝。私は、重たい身体を引きずるようにして布団から起き上がった。

 昨夜見た少女の幻影。助けを求める声。あれが夢だったのか現実だったのか、もう私には、区別がつかなかった。現実も、幻想も、すべてが混ざり合い、私を蝕んでいく。

 縁側に出ると、すでに澪が外で待っていた。彼女はいつも通り、穏やかに微笑んでいた。その笑顔は、私を不安にさせる。

 だが、その笑顔の奥に、私はどうしても拭いきれない、深淵のような影を見る。それは、彼女が背負う、途方もない「役割」の重さなのだろうか。

「今日は……どこへ行くの?」

 私は、努めて平静を装って聞いた。

 澪は、少しだけ首をかしげた。

「今日は、案内しないよ」

「え?」

「君は、もう十分に知ったから」

 澪の言葉は、穏やかだった。だが、その奥には、明確な「別れ」の響きがあった。もう、これ以上、私に教えることはない、と。

 広場の祠の前。私たちは、向かい合って立った。朝日が、祠の傾いた鳥居を、赤く染めている。

「凛」

 澪が言った。その声は、どこまでも澄んでいた。

「ここから先は、君が選ぶんだ」

 彼女の声は、静かだった。けれど、その言葉には、私たちの運命を分かつ、明確な線引きがあった。

「君が異界を壊したいなら、止めはしない。でも、私は、君とは違う道を選ぶ」

 私は、黙って澪を見つめた。彼女の瞳は、一点の曇りもなく、揺らぎがなかった。彼女は、この「贄を捧げる」という行為を、本当に世界の秩序を保つための「必要なこと」だと信じていたのだ。その信念は、私とは相容れない。

 私は、胸の奥に、深く、鋭い痛みを感じながら、口を開いた。

「私は、そんな世界、いらない」

 私の声は、震えていなかった。犠牲の上に成り立つ平穏なんて、信じたくなかった。多くの生徒たちが、理由も分からず消えていく地獄を、私は決して許容できない。

「私は、異界を壊す。もう誰も、こんな目に遭わせたくない」

 澪は、ふっと微笑んだ。それは、寂しそうな、でもどこか誇らしげな微笑みだった。私の選択を、彼女なりに受け入れた証なのだろうか。

「そっか」

 それだけ言って、彼女はくるりと背を向けた。その背中は、あまりにも小さく、しかし、同時に、あまりにも重い宿命を背負っているように見えた。

「じゃあ……」

 小さく、でもはっきりと、彼女は言った。

「また、異界で会おうね」

 その言葉は、決別の挨拶であると同時に、新たな戦いの予兆でもあった。彼女の背中は、静かに夕暮れの中へ、ゆっくりと溶けるように消えていった。

 私は、一人、祠の前に残された。風が草を揺らす音だけが、耳に響く。遠くで、鳥の影が飛び立つ気配。

 異界は、もう、すぐそこにある。私を呼んでいる。

 私は、ポケットから仮面の破片を取り出した。血に染まった破片。冷たく、しかし、確かな重みがあった。

 これが、扉を開く鍵。私は、深く息を吸い、覚悟を決めた。これから先、何が待ち受けているかはわからない。生きて帰れる保証もない。

 でも、進むしかなかった。さようなら、異界。そして、さようなら、かつての澪。

 私は、破片を強く握り締め、祠の奥へと、一歩、歩み出した。その足は、もう、震えていなかった。

ここまで読んで頂きありがとうございます。

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